Weekly Music Feature
Hannah Jadagu
©︎Sterling Smith |
高校を卒業してまもなく、Hannah Jadaguは、ベッドルームポップの新星としてみなされるようになり、2021年にデビューEP『What Is Going On』をリリースした。これは、当時、彼女にとって最も身近な制作方法であったiPhone 7で録音した正真正銘のベッドルームポップの楽曲集だった。作曲から完パケまでアーティスト自身が行つったこのEP作品は、音楽制作に対する親しげなアプローチと、忘れられないフックを書く本能的な能力が特徴であり、それはまたシンガーソングライター、Hannah Jadaguの主題の激しさを裏付けるものだった。
当時、Hannah Jadaguは、音楽の機材を買う余裕がなかったため、「低予算で作曲を行う必要があった」と回想している。しかし、限られた機材で音楽制作を行うことは、彼女のクリエイティビティを高める結果となった。学生として勉強に励む傍ら、プライベートの時間の中で録音された「What Is Going On?」 は、ジャダグの駆け出しのソングライターとしての初々しさが感じられる作品ではあったが、一方で、Hannah Jadaguの人間としての思いやりのある視点を通して、勇敢にも米国の最も緊急性のある闘争に立ち向かってみせたのだ。
「私の曲は、超親密でありながら、聞き手に対して普遍的な親近感を抱かせるものにしたいのです」とJadaguは述べている。「デビューEPでは、多くの人が個人的なレベルで曲に共鳴していると言ってくれましたが、実はそれこそ私が常に望んでいることなのです」この言葉は、シンガーソングライターをよく知る際、また彼女の作品に触れる際に最も重要視すべき考えとなるに違いない。また、先日のニューヨーク・タイムズのインタビュー記事でも、キャッチーであることや親しみやすい曲を作ることを最重要視していると念を押している。
2021年のEP「What Is Going On」はハナー・ジャダグにとって、シアトルの名門レーベルSub Popとの契約を交わして最初のリリースとなったが、彼女は何年も前から楽曲を自主制作し、出来上がった曲をSound Cloudで音楽を発信し、着実にオンラインファンを獲得し、ファンのベースを広げていった。
Hannah Jadaguのミュージシャンとしてのルーツは、合唱隊に所属していた時代にある。しかし、かねてから、教会のゴスペルや聖歌のような音楽とは別の一般的な音楽の表現方法を探しもとめていた。その後、ギターの演奏を始めたというが、気楽なスタイルで行うことができるデバイスのデジタル・レコーディングの一般的な普及が、彼女をソングライティングへと駆り立てることになり、いうまでもなく、それはそのままプロのミュージシャンへの道のりへと直結していくことになる。学生時代に音楽制作を本格的に始めた契機について、Hannah Jadaguは次のように説明している。「中学校のバンドでパーカッションを担当するようになってから、だんだんと音楽の制作が軌道に乗っていきました。当初、曲作りは趣味で始めましたが、すぐにのめりこむようになって、自由な時間をすべてレコーディングに費やすようになりました」
今年の2月、Hannah Jadaguは、これまでで最も野心的な作品である『Aperture』をサブ・ポップからリリースすると発表した。テキサス州メスキートで高校を卒業したのち、ニューヨークで大学2年生になるまでの数年間に書かれた『Aperture』は、Hannah Jadaguの人生のひとつの節目を迎えたことを表すとともに、ミュージシャンとしての大きな転換期を迎えつつあることを物語っている。「私が育った場所では、みんなクリスチャンだったし、教会に行かなくても、何らかの形で修行をしていました」と、ジャダグは説明している。高校時代から教会との関係に疑問を抱いていたものの、アルバムの重要なテーマである「家族」については、教会でのドグマと一般的な社会での二つの観念を折り合いをつけるような意味合いが込められているようだ。
これは、よくあることだと思われるが、子供の頃から、Hannah Jadagu(ハナー・ジャダグ)は憧れであった姉の姿を追っていた。ソングライター自身が自らの人生の「設計図」と呼びならわす大きなインスピレーションの源である姉の背中を追い、地元の児童合唱団に参加し、さらに合唱の訓練を受けるようになったのである。「私はそれが嫌いだった。でも、ハーモニーの作り方、自分の音色の見つけ方、メロディーの作り方などを教えてくれたのは事実だった」
シングル「Admit It」はほかでもない、彼女が姉に捧げたトラックである。無限の愛と非の打ち所のないセンスは、Jadaguにとって子供の頃から依然として変わらない。かつて、Jadaguは姉の車で、後々、彼女の作品にインスピレーションを与える素敵なインディーズ・アーティストを発見するに至った。Snail Mailや Clairoの影響はこの曲にとどまらず、アルバム全体に反映されている。
「Lose」は、Jadaguが新しい人間関係を始めるときのスリルと、その根底にある得体の知れない恐怖について歌っている。シンプルで飾り気のないギターリフと素朴なピアノのコードを織り交ぜ、現代のインディーシンガーへの愛と憧れを表現している。彼女の言葉を借りれば、この曲は「クラシックなポップソング」であるという。「私たちがしてこなかったこと/私の心の中で再生される/あなたは私に時間を与えてくれる?」と歌い、終わりに近づくにつれて、スキッターのようなドラムビートが、曲を瞑想的な憧れの地点から引き剥がし、反抗の境地へと導いていく。
「このアルバムのトラックは、”Admit It"を除いて、すべて最初にギターで書かれたもので、インストゥルメンタルの雰囲気があります」とJadaguは述べている。「しかし、全体を通して使うシンセのブランケットは、私が感性の間を行き来するのを助けてくれた。ロックのハナシもあれば、ヒップホップのハナシもある、みたいな。とにかくどの曲もあまり似たような音にはしたくなかった」と、アルバムの制作の秘話を解き明かすHannah Jadaguであるが、この理念を象徴するのが「Warning Sign」となるだろう。イントロはアコースティックでR&Bのスローバーナーとして始まるが、途中から硬派なエレキギターが入り、曲はサイケデリックに似た曲調に変化を辿る。
結果的に、デビューアルバムの制作のために適切な費用を与えられたこと、プロデューサーがついたこと、アメリカを離れて海外でのレコーディングが行われたことは、制作の重圧を与えたというより、彼女のクリエイティビティを刺激し、感性を自由に解放するという良い側面があった。さらにハナー・ジャダグは、ソングライターとしての道を歩む上で、よりよい音楽を作りあげたいという願望も胸の内に秘めていた。「携帯電話でもう1枚アルバムを作れることはわかっていたのですが」とHannah Jadaguは言った。「特にこのデビュー作のため、確実にレベルアップしたかったんです」
アルバムの制作をさらに高いレベルに引き上げるため、フランスのソングライター兼プロデューサーであるマックス・ロベール・ベイビーが抜擢された。二人は、当初、メールでステムを送り合いながら、リモートで仕事を進めていき、最終的には、パリ郊外のグレイシー・スタジオで初めて出会った。当初、オンライン上のMIDIのデータの細かなやりとりで制作が開始されたが、パリでの対面の制作が進んでいくうち、両者は意気投合することになった。作品の全体には、ソングライターとエンジニアの双方の才覚が稲妻さながらにきらめいている。そして実際の音源を聴くと分かる通り、二人三脚といった形で、デビューアルバムは珠玉の完成品へと導かれたのだった。
『Aperture』 SUB POP
ガレージバンドで音楽制作を始め、iphone 7で完パケをするというハナー・ジャダグらしいインディペンデントのソングライティングのスタイルは、このデビュー作でもしたたかに受け継がれている。端的に言えば、Guitar Rigのように、一般的なエフェクターでも容易に作り出せるシンプルで親しみやすいギターサウンドーー、アーロ・パークスにも比する甘くキャッチーな音楽性ーー、ポップスとR&Bとロックを変幻自在に行き来する柔らかいボーカルラインーー、それからヒップホップのブレイクビーツの要素を織り交ぜた先鋭的なリズムやビートーーという四つの要素が分かちがたく結びつき、アルバム全体の音楽の構成を強固に支えているのだ。
まず、このデビューアルバムは、じっくりと音楽を聴きたいリスナー、そして多くの時間を割けないため、Tik Tokで音楽を素早く聴くというリスナー、その双方の需要に応える画期的な作品となっている。自宅のオーディオスピーカーで時間をかけて聴いても良いし、友達とTik Tokふうに短い時間で楽しむのも良いし、夜のドライブで流しても楽しめる、いわば条件や環境、時と場所に左右されない時代を超越したポピュラーミュージックである。また、イギリスのエド・シーランが普及させたベッドルームポップの形、曲を一人で書いて、レコーディングし、それを万人に楽しめる洗練された製品としてパッケージするという制作方法は、現代の音楽産業を俯瞰した際、度外視することが難しいスタイルをふまえている。また90年代や00年代の音楽制作とは異なり、現代的な音楽産業の需要に対する供給という概念がこのアルバムには通底している。そのことが、特にこの作品を語る上で欠かせないポイントとなるかもしれない。
現代的なポピュラー音楽という概念は、必ずしも、使い捨ての消費のための音楽を示すとは限らない。万人が楽しむことができると共に、長い年月に耐え、後の時代になっても音楽としての価値を失わない作品を作り出すことは、(一見、不可能のようで)不可能ではないと、Hannah Jadaguはこのデビューアルバムを通じて示唆している。
アルバムの始まりを飾るにふさわしい「Explanation」は、Clairoの書くような柔らかさと内省的な雰囲気に充ち、Hannah jadaguの音楽的なバックグランドが力強く内包されている。インディーポップの要素を絡めたグルーブ感満載のバックビートには、児童合唱団での音楽体験が刻まれ、それは曲の中でふいにゴスペルという形で現れる。繊細ではあるものの、ダイナミックス性を失わないHannah Jadaguのソングライティングの魅力が遺憾なく発揮されている。
二曲目の「Say It Now」は、内省的な雰囲気を受け継ぎ、ベッドルームポップの影響を散りばめ、美麗なオルタナティブポップを作り出している。イントロからサビにかけてのリードシンセを織り交ぜた壮大なスペーシーな展開は、新しいポップスのジャンルの台頭を予感させ、未来の音楽への期待をもたせるとともに、Hannah Jadaguの才気煥発な創造性を見出すことが出来るはずだ。
さらに驚くべきは、(空耳ではないことを願いたい)ソングライターが日本語歌詞を歌う3曲目の「Six Months」である。この曲は、アルバムの中で最もガーリーなポップとして楽しむことができる。オートチューンをかけたボーカルを通じて繰り広げられるスロウテンポのまったりしたインディーポップソングは、サビの終わりを通じて「Ikiteiru、Shake Your Time」と軽快に歌われている。ここには、”Alive”を意味する”生きている”という言葉により喜びがシンプルに表現され、部分的に日本語の持つ語感の面白さを織り交ぜ、それをダイナミックなポップソングへと仕上げている。特に、ストリングス風のシンセのアレンジとクランチなギターの融合は本当に素晴らしく、プロデューサーのマックス・ロベール・ベイビーの手腕が光る一曲となっている。
その後もファズギターを主役としたダイナミックなロックソングが続いている。4曲目の「What You Did」は、Soccer Mommy、Snail Mailといったインディーアーティストの影響を感じさせると共に、ダイナミックなギターフレーズはサブ・ポップの90年代のグランジの雰囲気に満ちているが、シンガーソングライターはそれを親しみやすいベッドルームポップに昇華している。
5曲目の「Lose」においても、Snail MailやIndigo De Souzaと同じように、現代の若者の心境を上手く捉えつつ、親しみやすいインディーポップソングとして昇華している。ここには駆け出しの頃、(ひとつずつサンプル音源のトラックを重ねていく)ガレージバンドでの音楽制作を行っていたアーティストらしい矜持が表れている。イントロのインディーロック風の曲調から、サビにかけてのクランチなディスコポップへのダイナミックな移行は、聞き手に強いグルーブ感を授けてくれるだろうと思われる。
Hannah Jadaguは、アルバムの制作を通じて、「音楽の国境を越えて、ジャンルレスであることを示したかった」と語っているが、そのことがよく理解出来るのが6曲目の「Admit」となるかもしれない。ここにはインディーロック/ポップを始めとするサブカルチャーから踵を返し、メインカルチャーへの親和性を示し、アーティストのモダン・ポップへの愛着と敬意が表されている。Arlo Parksのソングライティングの方向性に近いこの曲では、シンプルなビートを織り交ぜながら、最終的にはポップバンガーにも似た多幸感溢れる雰囲気のあるサビへと直結していく。現代的なフレーズの語感を多分に含ませつつ、そこに少し甘く可愛らしい雰囲気を加味しているが、アルバムの中では、アーティストの最も夢見るような思いが込められた一曲となっている。
7曲目の「Dreaming」では、一転してそれ以前のクランチなギターが印象的なインディーロックアーティストとしての姿に舞い戻っている。この曲は、ポップシーンの最前線をいくノルウェーのGirl In Redの音楽とも無関係ではない。アルバムの冒頭と同様にベッドルーム・ポップの性質が際立っているが、その根底にあるのは90年代の米国のオルトロックへの憧れだ。J Mascisのトレモロギターの影響を織り交ぜて、乾いた感じのギターロックと柔らかいボーカルが強い印象を放っている。さらに、メロからサビに掛けての奇妙な弾けるような感覚もまた心地よさをもたらすだろうと思われる。
Hannah Jadaguは、その後もジャンルレスの形で縦横無尽に音楽性の広範さを示している。「Shut Down」では、かつての人間関係に別れを告げるような曲で、それを親しみやすい現代的なインディーフォークというスタイルで象ってみせている。曲の途中に導入されるスペーシーなシンセは、シンプルなギターラインと絡み合い、複雑な感情を絡め取っているが、この内省的なロックソングを通じてアーティストの悩ましげな感覚を読み取くことができる。飽くまで個人的な感情が示されているだけなのに、それと同時に多くの若者の心に共鳴するものが少なからず込められていると思われる。しかし、これは上辺の心ではなくて、製作者の本心からの思いを歌詞や歌の中に純粋に込めているからこそ、多くの人の心を捉える可能性を秘めているのである。
アルバムは、その後も緊張感をゆるめず、一貫したテンションが続いている。これは制作過程の製作者とプロデューサーの両者の集中力がある種のセレンディピティとして反映された結果である。アルバムの先行シングルとして公開された「Warning Sign」では、シンガーソングライターのR&Bやファンクの影響が最も良く表れている。ここでは、先週のマディソン・マクファーリンのように、現代的に洗練されたメロウなソウルと、ベッドルームポップの融合を見出すことができるはずだ。若い時代のゴスペルや合唱をはじめとする、これまで歌手が疎んじてきた経緯のある古典的な音楽に、ジャダグはあらためてリスペクトを示し、それを一般的に親しみやすく、センチメンタルなポップソングへと再構成し、ジャズ寄りのソウルにブレイクビーツの要素を絡めることにより、英国のソングライターCavetownに比する先鋭的な作風を確立している。さらに、この曲は、アルバムの中で最もソングライターとプロデューサーの良好な協調性が美しく表れ出た瞬間のように思える。後続曲も同様であり、楽曲のスタイルが変わろうとも、両者の連携は非常に緊密で力強さがあり、トラックの洗練度にそれほど大きな変化はないのである。
最後に、このアルバムはフランスのパリで録音されたわけだが、はたして、いわゆるヨーロッパ社会のエスプリのような気風はどこかに揺曳しているのか? そのことについてはイエスともノーとも言いがたいものがあるが、実際にパリで録音された余韻も含まれていることが最後になると少し分かるようになる。クローズ・トラックとして収録されている「You Thoughts Are Ur Biggest Obstacle」 では、シンプルなバラードにも近い哀愁ある雰囲気を通してアーティストらしいエスプリを精一杯表現している。
ここには、パリの街を離れる時が近づくにつれ、その国が妙に恋しくなる、そんな淡い感性が表されている。つまり、Hannah Jadaguという歌手がヨーロッパに滞在した思い出をしっかりと噛み締め、その土地の追憶に対してやさしげに微笑むかのように、アルバムのエンディングを美麗に演出している。曲の最後に、オートチューンをかけたボーカル、シンセとピアノのフレーズの掛け合いが遠ざかっていくとき、不思議とあたたかな感覚に満たされ、爽やかな風が目の前を吹きぬけていくように感じられる。このエンディング曲に底流する回顧的なセンチメンタリズムこそ、シンガーソングライターの才能が最大限に発揮された瞬間となる。そもそも追憶という不確かなものの正体は何なのだろう、それはフランスの作家マルセル・プルーストが言うように、"人生の中で最も大切にすべき宝物"の一つなのだ。本作は、そのことをはっきりと認識できる素敵なアルバムとなっている。
94/100
Weekend Featured Track 「Six Months」
『Aperture』はSub Popから発売中です。