Jayda G 『Guy』/ Review

 Jayda G 『Guy』

 

 

Label: Ninja Tune 

Release: 2023/6/9



Review

 

Ninja Tuneから発売されたJayda Gのニュー・アルバム『Guy』は、Jack Peñate(SAULT、David Byrne、Adeleを手がける)と共同プロデュースし、IbeyiのLisa-Kaindé Diaz、Stormzy、Nia Archives、Jorja SmithのEd Thomasらが参加している。グラミー賞にノミネートされ、多くの優れた作品をリリースし、忙しい数年をすごした後に渾身の最新作は発表となった。

その間、アーティストはグラミー賞にノミネートされ、テイラー・スウィフトやデュア・リパのリミックスをリリース、グラストンベリー、コーチェラなどの世界最大のフェスティバルやステージをこなし、DJ KicksシリーズやAlunaとのコラボレーションのコンピをリリースし、さらに、BBCの「Glow Up」のゲスト審査員として出演、多忙な日々を送った。また故郷のグランドフォークスで幼なじみの恋人と結婚した(数十年前に両親が結婚したのと同じ家で)。気候の危機に焦点を当てた没入型インスタレーション「Undercurrent」(21年6月、ニューヨーク)では、クルアンビン、ノサジ・シング、マウント・キンビー、ボン・イヴェールらと参加することに。

 

Jayda Gの3rdアルバムは、ある意味では、グラミーの受賞を視野に入れて制作が行われた作品である。本家のビルボートも注目しているので、ノミネートは既に規定路線といえるか。元々は、2019年のデビュー・アルバムの時代からハウス、テクノ、及び、1990年代にロンドンで発生したジャングルのジャンルを元に、低音の強いダンスミュージックに取り組んできた。コアなDJとしてのアーティストの姿は、2ndアルバム『DJ Kicks』で求めることが出来る。ロンドンのダンスミュージックの影響に加え、ネオソウルの影響を加味した刺激的な作品である。既に同レーベルから発売された2作を見て分かる通り、その才覚は世界的なシーンを見渡したかぎり、傑出したものがある。例えばビヨンセのサポート・アクトを務めたNia Archieveと比べて遜色がないアーティストで、潜在的なスター性に関してはこれらのアーティストよりも強いものを感じる。

 

グラミーでの栄冠を手にするため、今作でJayda Gはジャングルやディープハウスの要素に加えて、より大掛かりなテーマを織り交ぜている。彼女は父親の黒人としてのルーツを探り、それを音楽性の中に取り入れようとしたのだった。

 

このアルバムは、「Intro」、「Interlude」を始めとする楽曲で、実際に彼女の父親を思わせるヴォイスが文学のモノローグのように展開される。そこには、米国中西部のカンザス州の荒れた地帯で育ち、近所のいじめっ子や警察、地元当局との様々な交流を描いた「Scars」、「Circle Back Around」、18歳で結婚しベトナム戦争に入隊し、帰国すると妻には別の男がいたことを明らかにする「Heads Or Tails」、「Lonely Back In O」、ワシントンD.C.に移り住んでから、妻との結婚生活に悩まされ続けたこと。夜間のラジオDJとして副業をしていたが、1968年の人種暴動にうっかり巻き込まれてしまう時代を描いた「Blue Lights」等、彼女の父親の人生が複数の観点から緻密に描かれている。これらは例えば、ケンドリック・ラマーが昨年「Mr.Morale~』の中で自分と架空の人物をミックスして独創的な音楽のストーリーを組み上げた手法、あるいは、ラナ・デル・レイの最新作『Did You Know〜』に見られたストーリー風のポピュラーミュージックの手法に近い内容である。音楽の中に文学的な要素を取り入れること、これは最近のミュージック・シーンのトレンドとなっているのである。こと、Jayda Gの場合は、それは家族の歴史をたどりながら紡がれるルポルタージュを意味するのだ。

 

確かに、大掛かりなテーマやイデアを取り入れ、それがもし実際の音楽と分かちがたく結びついた時には「To Pimp~」やカニエ・ウェストのヒット作のような世紀の傑作が生み出される可能性がある。しかし、問題は、そのテーマが実際の音楽と深く結びついているかどうかに注意を向ける必要がある。Jayda Gの『Guy』に関しては、序盤から重苦しい雰囲気に充ちている。父親のモノローグはたしかに注意を向けさせるものがあり、その言葉に聞き入らせるものもあるのだけれど、他のジャングルやディープハウス、ネオ・ソウルの楽曲の中にあって、むしろアーティストの楽曲の楽しさを損ねているという気がする。このアルバムを通して聴いて時に、むしろ、父親のモノローグが音楽自体を苦しくしているような感じがあり、スムーズな流れを断ち切ってしまっているように感じられる。せっかく素晴らしい楽曲がたくさんあるのにも関わらず、それはまた心楽しい雰囲気に充ちているのに、イデオロギーやポリティカル・コネクトネスにより、これらの音楽は雁字搦めにされ、少し重苦しい雰囲気に満たされている。本当にこれらのモノローグが必要だったのか、きわめて疑問点があるとここまでは思っていた。


それでも、アルバムには聴き応えのある良曲が多い。そして、それは2ndアルバムから引き継がれたアーティストの才覚が遺憾なく発揮された瞬間とも言える。「Blue Light」はディープ・ハウスとしてうねるようなビートと、セクシャルなJayda Gのボーカルがマッチし、清涼感すら感じさせるトラックとなっている。ここにデビュー・アルバムや2ndに比べると、よりポピュラーなものをというアーティストやレーベルの意図が伺える。そしてそれは実際多くのリスナーの心を惹きつけるものがあると思う。そして、ビートのはね方については、ソングライターではなくDJとしての覇気のようなものも込められている。エネルギッシュなナンバーで大きな賞にノミネートされてもおかしくないような一曲である。他にも気分を高揚させ、そして気持ちを浮き立たせるナンバー「Scars」も聴き逃がせない。ジャングルを基調にして、ハウス/テクノの影響を交え、弾けるようなポップ・ミュージックが生み出されている。DJセットを交えると、クラブやスタジアムの双方で光り、多くのオーディエンスの共感を獲得しそうな一曲である。

 

その後には、Rosaliaを中心とするレゲトンやアーバン・フラメンコを意識したナンバーが中盤を占める。単なる音楽として聴くと、純粋に楽しめる一曲である。しかし、これらの音楽に父親のベトナム戦争であるとか、私生活に纏わるエピソードが上手くマッチしているかといえば甚だ疑問点が残る。むしろ、そういったエピソードを考えると、何かこれらの純粋なナンバーに暗い影が落ちるような気もする。そしてそれは確かに制作者の思いが複雑にないまぜとなっていることも感じ取れるが、それが何らかの情感や説得力を持ち、胸を打つものがあるのかといえばそうではないように思える。そういったことを考えると、シンプルであるはずのものが複雑になっている気もするのである。観念により音楽に魅力が少しよわめられてしまっているという感じもあった。アルバムの中盤までは良い曲も多いけれど、首を撚ることが少なくなかった。

 

しかし、アルバムの最後に至ると、なんとなくアーティストが考えていることが少し理解でき、より身近に感じられる瞬間もあった。それは、ネオソウルの影響を加味した大人な雰囲気を持つ「Mean To Be」に至ると、そういった売れることへのプレッシャーがすっと消えて、また表面上の見栄や体裁が消えて、Jayda Gというシンガーの持つ本来の魅力が出てくるようになる。これらのネオソウルの影響を交えた楽曲は一聴の価値があり、時代に古びない普遍性が込められている。そして軽快なダンサンブルなナンバーである「Circle Back Around」を経た後、「When She Dance」は同じように、ソウル・ミュージックに依拠した一曲ではあるが、このあたりになると、少しだけ重苦しくかんじられたシンガーの父親の声が楽しげな印象に変化してくる。

 

父の苦難多き人生をほのかな明るさで彩ってみせようというのが、このアルバムの意図であるらしいことが最後になってようやくわかる。であるとするなら、このアルバムの本質はアーティストの父親への愛や優しさという感情の表出なのかもしれない。そして、言ったように、アーティストの最大の魅力は、レコードの一番最後になって滲み出てくる。「15 Foot」では名声を得るという重圧から解放され、純粋な感覚に満ちている。聞き手も、最後の曲で癒やされるようなカタルシスに出くわす。その時、少し重苦しいイメージもあった序盤の印象は立ち消え、温い感情で満たされる。愛情や優しさ・・・、つまりこれがこのアルバムの本質であるとわかると、少なくとも、モノローグは多少冗長さを感じるものの、必要であったとも考えられる。

 

 

 

81/100



Featured Track「15 Foot」