Maisie Peters -『The Good Witch』
Label: Warner Bros.
Release: 2023/6/24
Review
結局、アルバムの発売日というのは大局的に見ると、売上を大きく左右する場合がある。レーベル側の売り込みの定石としては、話題のイベント開催と重ならないように慎重にリリース日を選ぶということに尽きる。去年もそうだったが、現地の音楽メディアのプレス・ルームが、音楽フェスティバルが開催される日には空っぽになり、メールなどを送っても連絡がつかなくなる場合が多い。
今年、来日公演も行ったブライトンのシンガーソングライター、メイジ−・ピーターズはグラストンベリー・フェスティバルの初日に、ニューアルバム『The Good Witch』の発売日を合わせてきたわけだが、これはレーベルが相当この作品によほど自信があるか、もしくは発売日に無頓着であるかのどちらかである。もちろん後者については考えづらいので、他のアーティストのリリースが先延ばしにされる日を見計らい、前者の奇策を打ったのが、アルバムの宣伝の意図とも推測される。
そして、世界有数の巨大レーベルの奇策はそれなりに成功を収めるかもしれない。もちろん、イギリスの全ての音楽ファンがグラストンベリーに参加出来るわけではない。このフェスティバルはチケット発売日から数時間後にソールドアウトとなった。チケットが取れずに、夜な夜な枕を濡らした音楽ファンも少なくはない。つまり、メイジー・ピーターズの新作はグラストンベリーに参加できなかったポップスファンの心を慰め、フェスティバル級の楽しみを与えてくれるはずだ。
アーティストはポップネスに欠かさざる清涼感溢れる音楽で、ミュージック・シーンに清新な風を巻き起こそうとしている。アルバムには、アーティスト自身の恋愛観などを絡めながら、「Good Witch-良き魔女」として振る舞おうとするポップスターの姿を捉えることが出来る。スタジアムでのライブを意識したアンセミックなポップナンバーの数々は、ポップミュージックファンの最低限の要求に応えるもので、もしかすると、それ以上の至福の瞬間を与えてくれる可能性もある。前2作では、甘酸っぱいキャンディー・ポップとも称すべき音楽性を提示していたメイジー・ピーターズだったが、三作目では、さらにオープンハートな曲作りが行われている。メイジ−・ピーターズは、UKポップスのトレンドを踏襲し、旧来のアヴリル・ラヴィーンの名曲のようにロックのテイストを交えた王道のポピュラー・ミュージックを展開する。表向きには親しみやすさを意識してはいるが、聴き応えがあるため一度聴いて飽きるような作品ではない。どころか何度も聞き返したくなるような中毒性もあるように思えるが、これはアーティストの音楽に対する強い愛情がこれらの収録曲に余すところなく込められているがゆえなのだ。
特に、前2作に比べて、昨年ヒットを記録したサワヤマの音楽性を少なからず意識したダイナミックなポップスナンバーがずらりと並んでいる。ナイーブさとパワフルさが混在する絶妙なポップスの数々である。もちろん、Tiktokのように、一曲だけ取り出して気軽に楽しんでみるのもいいだろうし、アルバムを購入し、最初から最後までじっくりと聴いてみてもいい。聞き方を選ばない自由なモダン・ポップという面では、昨年のサワヤマの最新作「Hold The Girl」に近いものがある。リナ・サワヤマは、昨年の最新作において、ハイパーポップの理想的な形を提示したのだったが、ポップスの中にエヴァネッセンスのメタリックな要素や、フックの効いたロックないしはフォーク・ミュージックの要素を絶妙に織り交ぜることで、最高傑作を生み出した。
メイジー・ピーターズも、その成功例に倣い、ポップスの中に複数のジャンルを織り交ぜ、強いスパイスを加えることに成功している。シンガーソングライターの作曲における試行錯誤の成果が、「Body Better」、「Lost The Breakup」、「Therapy」といったハイライト曲に顕著な形で現れている。これらの曲は、ラムネ・ソーダを飲み干すときの爽快感があり、青春の甘酸っぱい雰囲気に溢れている。曲の構成もすごくわかりやすく、サビに近いフレーズもあるので、それほど洋楽に詳しくないJ-Popのリスナーにも強烈にプッシュしておきたい。
スタジアム級のダイナミックなポップスの楽曲群に加えて、終盤の収録曲では多彩な音楽性を織り交ぜて新たなチャレンジをしている。「Run」では、グライムなどをはじめとするUKのクラブミュージックを基調にしたポップスに、さらに、「Two Weeks Ago」では、シャナイア・トゥエインを彷彿とさせるフォーク・ミュージックに取り組み、さらに「History Of Man」では、しっとりとしたバラード・ソングにも取り組んでいる。
表向きのガーリーなイメージとは別の大人の雰囲気を交えたバラードは、アーティストが「良き魔女」に変身した瞬間だ。これらの多彩な音楽性は、以前の作風にはなかった要素で、アーティストがシンガーソングライターとしての次なるステップに歩みを進めた証でもある。本作の音楽性には、まだ見ぬソングライターとしての潜在的な可能性が秘められている。ブライトンのメイジー・ピーターズは、世界的なポップ・スターへの階段を着実に駆け上っている最中なのである。
86/100
Featured Track 「Lost The Breakup」