The La's「There She Goes」の時代 謎に包まれたミュージシャンの姿


1980年代のリバプールに登場したThe La'sほど謎に包まれたバンドを探すのは難しい。ボーカリストのリー・メイヴァースの隠遁的な性質もあってか、後にカルト的なファンの間で彼らの伝説は尾ひれがついていった印象もある。そもそもブラー、パルプ、オアシスに匹敵する才覚を有しながらも、デビュー・アルバム『The La’s』のレコーディング過程におけるプロデューサーとの険悪な関係が、バンドの将来の芽を摘んでしまった。しかしThe La'sのブルージーなロックと清涼感のあるリー・メイヴァースのボーカルは、今でも耳の肥えたファンの心を捉えてやまない。

 

La'sは1983年にオリジナルメンバーのマイク・バジャーによってリバプールで結成され、彼らの代表曲である「There She Goes」がヒットするまでに6年の歳月と4回の試行錯誤を要した。


サッカークラブのエヴァートンでプレーすることを子供の頃に夢見ていたリー・メイヴァースは、バンド結成から一年後の1984年に加入するまもなく、このグループの大黒柱となったが、音楽界で最もミステリアスな人物の一人として目されるようになる。1990年に、「音楽家にとって良い訓練場であるリバプールのアートスクールは、バンドの結成に一役買ったのか?」と尋ねられたさいに、「我々の学校は、宇宙の学校だ。宇宙こそ僕の大学なんだ。私の学校はストリートであり、また私の学校は世界であり、宇宙である。私は自分の視点で物事を考えているのであって、他人による視点ではないんだ」と彼は答えた。


リー・メイヴァースはルー・リードやシド・バレットに似た謎めいた人物であり、後者に匹敵するほど寡作であることは間違いない。彼は1986年にジョン・パワーと出会い、スカウス・スラングにちなんで自分たちを「ラ(ラッズの略)」と呼ぶように。  その後の4年間、彼らは8人のプロデューサーと12人のバンドメンバーを試したが、自分たちが求めるサウンドを得ることはできなかった。しかしこの点について、ファンのフォーラムでは、そもそも2ndアルバムを作る余地が最初から存在しなかったため、このデビュー作にこだわり続けたのではないかという指摘もある。そしてその指摘はもしかすると、かなり的を射たものであるのかもしれない。

 

アルバムの宣伝ポスター
1990年、待望のファースト・アルバム『The La's』をリリースしたが、このアルバムについてメイヴァースは納得がいかず、Q誌のインタビューで「大嫌いだ!」と言い、「やっている最中に出て行ってしまったんだ」と説明した。「自分たちのサウンドの意向がプロデューサーに伝わらないから嫌で、背を向けた。そして、レコード会社が勝手にバックトラックから作って、自分たちでミックスして発売することになった。どのシングルにするかとか、そういう選択肢は一切なく、違うジャケットを貼られたりもした。だから、僕らが作るのに何年もかかったわけではなく、Go Discs(彼らのレコード会社)が出すのに何年もかかっただけなんだよ」


最初のシングルは『There She Goes』で、1988年に発売されたが、ヒットしなかった。この曲は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『There She Goes Again』にインスパイアされたという噂が絶えなかったが、タイトルと歌詞が似ている以外は異なるものだった。誰もがこの曲を名曲だと言っていたため、再発される機会がないうちに、さらにラインアップに問題が生じ、リーの弟で、正式には彼らのローディだったニールがドラムとして参加することになった。

 

「There Shes Goes」(Original Us Version)

 


この曲は1989年1月に再リリースされたが、全英チャート59位と低迷。テストプレスはラジオ局や音楽新聞社に送られ、Melody MakerはSingle of the Weekとしたが、Maversはレコードの出来に満足せず、そのまま廃盤となった。この頃、ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、シャーラタンズ、インスパイラル・カーペッツなど多くの新しいバンドが登場し、彼らは結局Timeless Melodyを発表することにしたが、57位にとどまった。この曲は「There She Goes」より少し高い順位を記録したが、ファンに支持されており、「There She Goes」は1990年末に再びリリースされ、今度はかなり広範囲に放送されたため、13位を記録し、バンドの最初のヒットを記録した。メイヴァースはピート・タウンゼントやレイ・デイヴィスといったロックの伝説たちと好意的に比較されるようになり、普遍的な賞賛を浴びた。


「There She Goes」はどんな曲なのだろうか? ”There”というのは、「そこへ」を指すわけではなく、「ほら!」という冠詞に近い意味であり、歌詞の中にはそれほどはっきりとした詩はなく、コーラスが4回のみ繰り返されるだけだが、「There she goes again, racing through my brain, pulsing through my vein, no one else can heal my pain~」という歌詞が見られることから、この曲は当初、様々な憶測を呼ぶことになった。一般的にはルー・リードの曲と同じように、ヘロインについて歌っているのではないかとも噂されていた。 当時、 ある音楽新聞には、「The La's' ode to heroin」というかなり過激な小見出しが掲載されたという。ベーシストのジョン・パワーはこの件に関してコメントを求められたが、回避的な答え方をし、元ギタリスト、ポール・ヘミングスはその噂を一蹴した。

 

翌年、彼らはさらに1枚のシングル、「Feelin」というビートルズの曲をよりブルージーにしたトラックをリリースしたが、トップ40には惜しくも届かなかった。 

 

「Feelin'」

 

謎に包まれたものを知りたいという欲求を多くの人が抱えるのと同じく、カルト的な人気を誇る彼らには、何が起きているのか知りたがる人が多かった。しかし、メイヴァースはあまり積極的ではなかった。彼は1997年にインタビューを受け、The La'sが新譜をリリースするまでにどれくらいの時間がかかるのか、と聞かれ、「かかるだけ、かかるから...」と曖昧に答えている。1991年には、リー・メイヴァースはステージ上で一言も話すことはなかった。インタビュー、特に91年9月にニューヨークで行われたNME誌の取材では、リーは説得されて何かを言わなければならず、「音楽からメッセージを感じ、ヴァイブに浸るように」とだけ訊き手に言い続けた。リー・メイヴァースは背後にあるバックグランドよりも音楽そのものを重んじていたのだった。


1999年、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーが、曲の内容を無視したカバーを録音し、La'sより1つ低い順位でピークを迎えた。その後、彼らは再び注目を集めるようになり、レコード会社がプロモーションのため、5度目の再発売に踏み切ったが、意外にも65位にとどまり、目に見えるような効果を及ぼさなかった。さらに、2003年、「In Search of The La's」という本が出版された。謎に包まれたバンドをよりよく知るための一冊である。そこには3年前のインタビューが掲載されており、リーは自分の性格や音楽的な意図について語り、シーンへの復帰についても言及している。


2年後、The La'sは突如、長い沈黙を破り、再結成し、ステージへカムバックを果たした。リーはジョン・パワーを呼び戻してバンドを再結成し、アイルランドを含む英国で数日間演奏し、国内最大級のフェス、グラストンベリーにも出演した。その年、サマーソニックにも出演し、同時期に来日していたオアシスも彼らのステージを見届けた。


その後、2011年にリバプールのバンド、The Banditsのメンバーだった友人のGary Murphyと、Lee Rude & the Velcro Underpantsという奇妙なバンド名で、いくつかのアコースティック・セットを演奏することになった。そのあと、彼らはマンチェスターのデフ・インスティテュートでシークレット・ギグの演奏を行った。

 

ライブこそ開催したが、新たなリリースの噂もないまま現在に至る。熱心なファンの間では、今もバンドのフォーラムを中心に様々な憶測が飛び交っている。2008年には1stアルバムのデラックスバージョンもPolydorから発売された。デラックス盤には、Mike HedgesとJohn Leckieがリミックスを手掛けた「There She Goes」の二つの異なるバージョンが収録されている。おそらく、この二つのリミックスに当時のリー・メイヴァースが理想とするサウンドにかなり近いのではないかと思われる。しかし、いまだ彼らの謎は謎のままで、本当のところを知る人はそれほど多くはない。



こちらの記事も合わせてお読み下さい:



トリップホップはどのように誕生したのか PORTISHEADの『DUMMY』の時代