This Is The Kit 『Careful Of Your Keepers』
Label: Rough Trade
Release: 2023/6/9
Review
英国からフランスに移住したシンガーソングライター、Kate Staplesの最新作は謎めいたフォーク・ミュージックでわたしたちを惑乱させる。Brooklyn Veganで公開された制作者によるトラック・バイ・トラックはむしろ、音楽そのものを謎めいたものにしているように思える。また、このアルバムは実際、とりとめのないフォーク・ミュージックが全面的に展開されてはいるが、その中に暗号詩という形式が導入される。私のような英語に詳しくない人間には、この詩はほとんど手に負えない代物である。言葉を捉えようとも、その核心なるものは、ミステリアスなベールによって覆われていて、常に抽象概念によって意味がオブラートのように包み込まれている。捉えようによっては、音楽を通じての象徴主義や抽象主義を表したかのような歌が、わりとふんわりとした感じのミドルテンポのモダン・フォークの上に緩やかに乗せられているのである。
本作は、アーティストが最初のプレスリリースでほとんど誰も解き明かすことの出来ない謎解きを明示したことからも理解できるように、ミステリーのような魅力に満ちたアルバムなのだ。実際にそれはそれほど英語の文法に詳しくないリスナーにもそれらの不可思議な雰囲気、現実感に根ざした幻想性をこのアルバムを通じて捉えることが出来るだろうと思う。レビューすることがとても難しいのだが、ただひとつ、このきわめて難解な作品を解題する上での鍵が隠されている。それは、Paste Magazineが指摘するように、This Is The Kitとしてシンボリックな意味を持つ三作目のアルバム『Bushed Out』で見られた歌詞の反復がこのアルバムの主要なイメージを形作り、それがそのまま、この五作目のアルバムの主要なテーマとなっているということである。
Kate Staplesは、ギターを中心に軽妙なフォーク・ミュージックを書くが、Beggers Groupの紹介写真を見てもわかるとおり、バンジョーを始めとする楽器も演奏する。Staplesの書くフォーク・ミュージックは、ケルト、アイリッシュ等、イギリスの古典的なフォーク・ミュージックを基調としている。しかし、その上に乗せられる淡々としたシンガーソングライターの歌が奇妙な感覚を聞き手に与える。それは喜びを歌うのでもなく、憂いを歌うのでもない、鋭い現実主義に裏打ちされている。ケイト・ステープルの歌詞には、グローバリズムとは別の「世界市民」としての性質が表層の部分に立ち表れ、フランス語、英語というヨーローパの二つの主要な言語をよく知る音楽家としての鋭い言語性がフォークミュージックに乗り移っているという感じである。 このアルバムで展開される音楽は、つまり、コスモポリタニズムが象徴的に示されている作品と読み解くことが出来る。それは時に柔らかではあるが、鋭い感覚を持って聴覚に迫ってくる場合もあるのだ。
This Is The Kitのようなシンガーソングライターは、ニュージーランドのAldous Hardingsをはじめ、他にも存在する。こういったアーティストに共通することがあるとすれば、自身をミュージシャンだけが職業であるとは考えていないということである。しかし、それは職業性を規定しない自由な感覚を象徴しているとも解釈出来る。ケイト・ステープルの音楽に専門性という意味を与えないこと、それはこのアルバムを聞く上でとても重要なことなのだ。つまり、オープニング曲「Goodbye Bite」から始まり、アルバムの序盤に収録されている自由性が高い楽曲は、金管楽器が導入され、ジャズのようなムードすら漂わせているが、それは音楽のジャーナリストたちの目を惑乱させ、またその本質を目眩ましするような、いわばナンセンスな感覚が繰り広げられていく。例えば、それはフランツ・カフカが役所勤めの後に書きあげた公に発表する見込みのない遊びの小説のようなもので、(カフカの作品には、実は、ユダヤ主義のシオニズムの概念が暗喩的に込められてはいるものの)何らかの意味を求めようとも、そこにはほとんど何も見つからず、どれだけ深くメタファーの森の中を探索しようとも、利益主義者が求めるような何かが見つかることは考えづらいという始末なのである。ただ、虚心坦懐に何かを楽しむということのほかに優先すべき重要な事項があるのだろうか??
This Is The Kitの5作目のアルバムは、序盤こそ、柔らかいケルト音楽やアイリッシュ・フォークを基調としたいくらかつかみやすい音楽が展開されていくが、アルバムの中盤から終盤にかけて、ミュージシャンの志向する抽象主義は深度を増していく。タイトル曲こそ比較的聴きやすく親しみやすいモダンなフォークミュージックが展開されているが、終盤では、やはり打楽器を生かしたアヴァンギャルドな方向性を交えた楽曲が多い。メロディーの良さを探そうとも、アトモスフィアとしての心地良さを探そうとも、また、ムード感のあるジャズ的な甘美さを探そうとも、それは部分的に示されているものに過ぎず、実はそこに主眼が置かれているわけではないことがわかる。
もしかすると、そういった意味のある作品から徹底して乖離した商業主義における「不利益性」を示したのが、このアルバムの正体なのであり、それはまたモダン・アートにも通じるような芸術形態の極点とも称すべきものである。シュールレアリスティックな雰囲気に彩られた奇妙なフォークミュージックの通過点を、ケイト・ステープルは、『Careful Of Your Keepers』を一地点として通り過ぎようとしているが、タイトル曲を始めとするアルバムの多くの収録曲には、制作者の物質主義への間接的な疑問や、利益主義に対する疑問が、柔らかく呈されているように思えてならない。
そもそもCDやレコードは着想が物質として具現化され、それが流通を通して消費者の手元に届いた時、初めて何らかの意味を持つようになるが、このアルバムは、物質主義とは離れた人の心や、それにまつわる抽象的な概念がフォーク・ミュージックという形で現出したとも解釈することが出来る。つまり、今作では、現代社会に蔓延する利益主義や物質主義に対する制作者の懐疑的な視線が、感覚的なフォークミュージックの視点を通して注がれている。本来、音楽は利益を生み出すためだけに存在するのではなく、多くの人々とそれを共有し、楽しむために存在するものである。現代社会を生きる上で忘れがちな考えを、このアルバムは改めて思い出させてくれる。
78/100
Featured Track 「Stuck In A Room」(Live Version)