【Weekly Music Feature】 McKinly Dixon(マッキンリー・ディクソン) 「Beloved! Paradise! Jazz!?」  トニ・モリスンの小説に触発された愛情溢れるヒップホップ  

Weekly Music Feature


McKinly Dixon


マッキンリー・ディクソンは、幼少期の多くを移動しながら忙しなく過ごしてきた。1995年にメリーランド州アナポリスで生まれたディクソンは、DMV(Dual Mode Vehicleのこと)とクイーンズ区ジャマイカ(ニューヨークで最も治安の悪いエリアと言われる)を行来していたが、当時の彼にインスピレーションを与えたのは、マンハッタンともブルックリンとも異なる、ニューヨークでの特異な体験であった。「メリーランド州にはない、自分と同じような顔をした人たちがそこにはいたんだ。それは音楽による逃避行について考えるきっかけになった」と彼は言う。


奇妙な憧れと現実からの逃避というアイデアは、彼の野心的なプロジェクト「Beloved」の中心を形成している。このアルバムは、ディクソンが "史上最高のラッパー "とユニークに評するノーベル賞作家、トニ・モリスンの小説3部作にちなんで名付けられたという。モリスンの小説は、アメリカの歴史に目を向け、憧れと逃避の奔出を、彼女の散文の美しい広がりと正確さを通じて突き止めることになった。ディクソンはこのアルバムで、そういったエネルギーを表現しようとしている。


米国の詩人で評論家のハニフ・アブドゥルラキブは、「マッキンリー・ディクソンの作品は、リスナーである私にとって、常に寛大で、ポータルとして機能していると感じている」と評している。「自分の人生とは明らかに違うけれど、自分の人生から遠く離れてはいないかもしれない人生への窓。それは、あなたが触れたことのある人生に近いかもしれないし、あなたが逃した、あるいは待ち望んでいた人生に近いかもしれない」


あるとき、ディクソンは、ダブルシフトの仕事をする母親が切り盛りする家庭で育ち、自分もまた毎朝5時半に起きていることに気づいた。「母は私に規律を教えてくれました。そして、自分で何かを望むなら、それを手に入れなければならないということを教えてくれたんです」


 

©︎Jimmy Fontaine


音楽のバックグランドについて言及すると、興味深いことに、メアリー・J・ブライジやゴスペルデュオのメアリー・メアリーなど、「ファーストネームがメアリーであるアーティスト」が彼の家庭の音楽環境を特徴づけていた。これらのアウトキャストとの出会いはディクソンにとってきわめて重要なものとなった。ヒップホップへの愛を深める一方で、当時流行していたシアトリカルなロックにも興味を持つようになった。「メリーランド州の友人から紹介されたMy Chemical RomanceやPanic! At The Disco、これらのグループは、私の憧れの感覚を音楽で表現してくれていた」と彼は話している。結局、彼はこれらの影響を、バージニア州リッチモンドの大学に通いながら、2013年にリリースしたデビューEPの制作時に全力で注ぎ込むことになった。


やがてマッキンリー・ディクソンの音楽は、ブラックネスや癒しとの関係について言及されるようになり、彼の主要な自己表現手段となりかわっていった。その次にリリースした『Who Taught You To Hate Yourself?(2016年)、『The Importance Of Self Belief』(2018年)を経て、彼のスタイルは進化を遂げ、特に楽器の演奏に関しては自信を深めていった。


デビューアルバム『For My Mama and Anyone Who Look Like Her』は、ディクソンが心の痛みや悲しみに照準を合わせたゲームチェンジャーとなった。「私は本当に濃密で混沌とした曲を作っていて、どんな考えでも5分半の曲に詰め込もうとしていた」と、ディクソンはプロジェクトについて語っている。続く 『Beloved!Paradise! Jazz!!!』は、さまざまな衝動をぶつける試みとなった。


この作品では、「あの激しさと濃密さを保ちながら、より短く、よりキャッチーな曲を作ったらどうだろう?って考えてみたんだ」と彼は述べている。1992年に出版されたモリソンの友情とハーレムを描いた小説『ジャズ』を朗読するアブドゥラキーブのイントロダクションの後、ディクソンはリスナーに "Sun, I Rise" を提供する。ハープが奏でるクリスタルのようなラインの上でラップするディクソンは、時に低く、時に頂点まで軽やかに舞い上がるように、声のトーンを変えて演奏する。彼の歌詞は捉えどころがなく、文学的で、正真正銘のヒップホップだ。それは、ディクソンのフロウの能力の強かな表明であり、スキルの棚卸しでもある。「イカロスとミダス王を混ぜたような少年の物語を作りたかった」とディクソンは言う。ゲストボーカリストのアンジェリカ・ガルシアは、ピュアな歌声で、この傑出したシングルにさらなる深みを与えている。 

 

アルバムの他の部分では、彼は、落ち着きのなさと銃の暴力("Run, Run, Run")、友人を失うという底知れない悲しみ("Tyler, Forever")、才能の孤独("Dedicated to Tar Feather")について取り組んでいる。ディクソンはオーケストラの指揮者のように、鍵盤、弦楽器、優しいベースをはじめとする生楽器を組み込もうとした。「全ての曲で美しい言葉を書こうとした、これまでで一番手応えがある」とディクソンは語るが、それは楽曲の美しさと題材に見合った偉業となることだろう。

 

アルバムの最後を飾るのは、このプロジェクトで最もゴージャスな瞬間といえるタイトル曲だ。ジェイリン・ブラウンは、トム・モリスンの書誌から抜粋した言葉を歌っているが、それはたった3つの単語からなるにもかかわらず、何とも言えないフィーリングを持つフックを作り上げる。ディクソンのイメージは、幽体離脱、抱き合う手など、痛々しいまでの優しさに溢れている。時に荒々しく、時に繊細な、『Beloved!Paradise!Jazz!?』は、山あり谷ありのマッキンリー・ディクソンの心の旅である。「自分の物語をより身近に感じられるようにすることを目標にしたんだ」と彼は語った。自分の好きなものをその中心を保ちながら。


『Beloved! Paradise! Jazz!?』 City Slang



(現在はシカゴにいるという)ディクソンの文化観を育んだニューヨークのクイーンズ地区はヒップホップの発祥の地のブロンクスに隣接しており、エグみのあるNYカルチャーの発信地のひとつと言えるだろうか。これまでブラックネスや、自分の人生について、あるいは、自分の母親についてのラップソングを書いてきたマッキンリー・ディクソンは、2021年の前作の延長線上にある音楽性を、この4thアルバムで追い求めている。

 

当時ディクソンは黒人のノーベル賞作家であるトム・モリスンの「Jazz」を読むにつれ、人々が過激であると評するこのストーリーについて一定の共感を覚えたばかりか、まったく怖いものではないと考えていた。というのも、それはおそらくクイーンズ地区での生活は、モリスンの描こうとするいささか恐ろしい世界と共鳴するものがあったのだろう。このときのことについて、ディクソンはこう回想する。「凄いな、最愛の人って? という感じだった。これは一体何なんだろう? 怖いけど、全然怖くない」と彼はさらに回想する。「この本には、彼女が黒人であるがゆえ、まだ私たちが到達しえないこと、そして私自身が到達しえないことがたくさん書かれていた」

 

本当に優れた文学に出会った時、もし、その読者が本当の意味で純粋な心を持ち、その物語やプロットに共感し、真にその物語に熱中したならば、それは百戦錬磨の書評家よりも深くその文学を読み込んだことになる。

 

そしてトム・モリスンの言葉は、彼の心に共鳴し、それを古典としてではなく、現代の問題として、また自らの問題として持ち帰り、文学者が伝えようとしたことをうまく咀嚼することが出来た。ディクソンにはその素養があった。2017年頃から、彼は黒人の経験についてよく学び、黒人のトランスフォーマーの死亡率に関心を持っていた。トランスフォーマーは、二重の抑圧に苦しんでおり、黒人全般の死亡率よりも遥かに高い。それは友人の出来事によってデータ上の数字ではなく、ディクソンの心に生きた問題として印象深く刻み込ませた。また、彼は2018年の最初のアルバムで、こんなことを歌っている。「わたしたちの行動に責任を持とう/公正な連鎖反応であることを自覚せよ」これはディクソンが社会に潜む問題を捉える目を持っていること、そして、それに対する疑問を投げかける行動力を兼ね備えていることを証だてている。

 

マッキンリー・ディクソンはこれらのブラックカルチャーにおけるテーマを自分のアーティストとしての命題に据え、4作目のアルバムでも、そのことを真摯に探究しようとしている。このアルバムはモリスンの小説「Jazz」の朗読により幕を開ける。重苦しいアブドゥラキーブの朗読に加え、緊張感のあるシンセがその言葉の情感を引き立てるが、これから、この音楽が次にどういった形で展開していくのかを期待させる理想的なイントロダクションとなっている。

 

やはり、「ジャズ」という表題に違わず、ホーンのミュートの枯れた音色がそのムードを盛り上げる。前奏曲が終わるとすぐ、ハープのグリッサンドを通じて、『Beloved! Paradise! Jazz!?』はいよいよ物語の幕開けとなる。「Hanif Reads,Toni」を通して、マッキンリー・ディクソンは、彼が尊敬するメアリー・J・ブライジのポピュラーセンスを受け継いだラップを展開させる。そして、彼のラップには二面性のある人格が垣間見える。感情をむき出しにする扇情的なリリシストとしての姿と内省的なリリシストとしての姿が立ち代わりに現れ、それがゲストボーカルとして参加したアンジェラ・ガルシアのコーラスにより、曲の持つ哀感は深みを増していく。特に中盤からのフロウを通じて、マッキンリー・ディクソンは最もエモーショナルなラップを披露し、ブラックカルチャーの核心へと迫りながら、聞き手の琴線に触れる感慨をもたらす。アフロ・ビートを下地にしたストリングス、ハープ、木管楽器が幾重にも折り重なり、美しいハーモニーを形成する中で、ディクソンは感情を剥き出しにし、"Nigger”という得難い差別的な観念の正体を突き止めようとする。次第にディクソンのフロウは、それとは対比的なアンジェラ・ガルシアのコーラスに支えられるようにして奇妙なエナジーを帯び始める。

 

続く「Mezzainaine Tippin」はアルバムの中で最も過激な楽曲である。これは例えば、ケンドリック・ラマーの書くブラックコミュニティの過激さを、社会悪という観点から捉えようとしている。チャリチャリと不気味な音を立てる鎖のサンプリングの後には、ほとんどアブストラクトヒップホップとして見てもおかしくないような前衛的なリズムがこの曲を支配する。マッキンリー・ディクソンは米国社会の暗部に踏み入れ、そしてそれが黒人の生活にどのような恐怖を与えるのかを、リリックと音楽という二つの側面から捉えようとしている。まさにモリスンの小説にある得体の知れない恐怖がこのトラックには充ちており、重々しさのある重低音に加え、サックスの響き、ボーカルの断末魔のようなサンプリング、抽象的なシンセサイザーが、それらの雰囲気をさらに不気味なものにしている。暴力に対する黒人側の恐怖、もしくは自己に満ちる内面の狂気をディクソンは鋭い感覚によって描き出そうとしているのだろうか。それは一触即発とも言え、危うく、なにかのきっかけで表層部分にある正気の壁そのものが崩れ落ちていきそうな気配に充ちている。スラングの断片をサンプリングとして序盤に配し、その後の展開を引き継ぐ形で、マッキンリー・ディクソンは歌うともささやくとも知れず、リリックを紡ぎ出していく。

 

 「Run,Run,Run」

 

 

重苦しい緊張感に満ちた前曲の後、レゲエやジャズを基調にしたユニークなラップソングが控えている。「Run Run Run」は、表向きには銃社会について書かれているが、アルバムの中で親しみやすく、軽快なリズムに支えられている。ここにはディクソンのジャマイカのコミュニティや、そのカルチャーの影響が色濃く反映され、Trojanに所属していた時代のボブ・マーリーのR&Bの延長線上を行く古典的なレゲエやアフロ・キューバン・ジャズを融合させた一曲である。シンプルなピアノのフレーズが連続した後、ディクソンはアンセミックな響きを持つフレーズを繰り返す。アフロ・ビートのように軽快なリズムとグルーブ感は軽やかに走り出しそうな雰囲気に満ちあふれている。中盤からラップへと移行するが、トランペットのミュートに合わせて歌われるディクソンのうねるようなラップの高揚感は何物にも例えがたいものがある。

 

同じように続く「Live From The Kitchen Table」も心沸き立つような雰囲気に充ちている。 タイトルもファニーで面白いが、特にアーティストのジャズに対する理解度の深さと愛着が滲み出ているナンバーだ。特に、曲の中盤のサックスの駆け上がりは、アルバムの中で最も楽しみに溢れた瞬間を刻印している。これらのジャズの要素に加え、アルバムの序盤とは正反対に、ディクソンは心から楽しそうにラップを披露する。その歌声を聴いていると、釣り込まれて、ほんわかした気分になる。この曲が終わった頃には、心が温かくなる感覚に浸されることだろう。

 

「Tyler,Forever」

 

続く「Tyler, Forever」も同じように軽快な雰囲気に充ちている。ティンパニーの打音と管楽器のフレーズの兼ね合いを聴くかぎり、さながら、音の向こうからコミカルなヒーローが颯爽と登場しそうな雰囲気だ。アクションヒーローの映画を彷彿とさせるイントロダクションの後、アルバムの中でマッキンリー・ディクソンがドリル・ミュージックの核心に接近する。これは、友人を死をもとに制作された曲だというが、悲壮感をもとに曲を書くのではなく、亡き友人の魂を鼓舞するかのように、勇敢なラップミュージックを展開させる。特に中盤にかけてのフロウは鬼気迫るものがある。そして何より、分厚いグルーブ感が押し寄せ、ダンスフロアの熱狂のように渦巻き、そのグルーブを足がかりにして、ディクソンは巧みなマイクパフォーマンスとともにエネルギーを上昇させる。中盤から導入されるホーン・セクションを介して、リラックスしたジャジーな展開に引き継がれ、その後、ほろりとさせるような切ないラップが展開される。

 

終盤では、ゴージャスなオーケストラ・ストリングスのハーモニーを活かした「Dedicated To Feather」が強烈な印象を放っている。前曲の友人への弔いのあと、その魂をより高らかな領域へと引き上げ、レゲエ調のエレクトーンの音色を取り入れ、渋さのあるポピュラーミュージックを展開させる。4ADから新しいアルバムの発売を控えている、注目すべき黒人シンガーソングライター、Anjimileをゲストボーカルに迎えたことは時宜にかなっていると言える。両者の息のぴったり合ったボーカルとコーラスは、アンニュイなネオソウルの魅力を体現しており、シンガロングを誘発させるサビの痛快さはもちろん、ボーカルのサンプリングやジャジーな管楽器の芳醇な響きによって、曲の情感は徐々に高められていくことがわかる。

 

ジャズのスタンダードな形式の管楽器のフレーズで始まる前奏曲に続き、「The Story So Far」を介して、アルバムのテーマはいよいよ核心へと向かっていく。アフロ・キューバン・ジャズの要素を取り入れたこのトラックで、パーカション効果を最大限に駆使しながら、マッキンンリー・ディクソンはジャズとラップの融合のひとつの集大成を示している。それは序盤の重苦しい雰囲気とは異なり、天上に鳴り響く理想的なラップとも捉える事ができるし、近未来的な響きを持つヒップホップとも解せる。キューバン・ジャズ風のリズムや管楽器の響きは、Seline Hizeのハリのあるボーカルによって、楽曲の叙情性は深度を増していくのだ。


悲哀、狂気、恐怖、それと対極にある温和さ、楽しさ、平らかさ、多様なブラックカルチャーに内在する感覚をリアルに体現した後、アルバムの最後に祝福された瞬間が待ち受けている。タイトル曲「Beloved! Paradise! Jazz!?」は、スタンダードなソウルやR&Bを下地にしたDe La Soulを彷彿とさせるナンバーで、ディクソンは相変わらず、淡々とし、うねるようなリリックを展開する。後に続く温和なコーラスワークの響きは、ハープやジャジーな管楽器とポンゴの響きに支えられ、Ms Jaylin Brownのソウルフルなボーカルに導かれて、アルバムの最後は微笑ましい子どもたちのコーラスにより、ダイナミックかつハートフルなクライマックスを迎える。

 

マッキンリー・ディクソンが最後に言い残したことはシンプルで、あなたを愛する人がどこかにいるということ、楽園もどこかに存在するということ、そして、それは、ジャズやソウルのように人をうっとりさせるものであるということ。決して恵まれた環境で育ったわけではないアーティストであるからこそ、その考えは深さと説得力を持ち合わせている。


 

 96/100

 

 

Weekend Featured Track 「Beloved! Paradise! Jazz?」


McKinly Dixon(マッキンリー・ディクソン)のニューアルバム『Beloved! Paradise! Jazz!?』はCity Slangより発売中です。