Label: Warp
Release: 2023/7/28
Review
2015年のアルバム『Computer Controlled Acoustic Instrument Pt.2』以来のリチャード・D ・ジェイムスの復帰作となる。
近年は、実験音楽に親しんでいて、ジョン・ケイジ調のプリペリド・ピアノのサンプルを配したり、また、ドラム・フィルを集めてアコースティックなブレイクビーツとして配したりと実験的なIDMに取り組んでいた。その過程ではノイジーなハードコア・テクノも生まれたが、一方でピアノ・アンビエントとも称せる「aisatsana[102]」のような静謐な音楽も作り出されている。
イギリスのテクノ・シーンの伝説的なDJ/プロデューサーは、八年ぶりの復帰作においてテクノが一般的に普及していくようになった1995年~1996年の時代のブレイクビーツ/ドラムンベースの作風に回帰している。
ドラムンベースは、そもそもデトロイト・ハウスのような規則的なビートは少なく、変則的なリズムを主な特徴とするジャンルである。また、1995年以降にリチャード・D・ジェイムスが作り上げたビートを徹底的に細分化し、ラップのドリルや、ヘヴィ・メタルのブラストビートのような破砕的なリズムを特徴としたジャンルは、俗に「Drill n’ Bass」とも呼ばれるようになった。聴いての通り、細かなビートを複合的に重ね合わせ、建築学的な構造を擁するIDM/EDMを制作するのがこのプロデューサーの特徴であった。もちろん、その中にはUKのベースメント・フロアの鳴りの激しいベースラインがそのサウンドの土台や礎となっていた。
嘘か誠かはわからないが、実はパンデミックの最初期の時代、このプロデューサーがロックダウンに対する社会的な声明を出したという噂が流れていた。しかし、その出処の不明な声明は直後に取り下げられてしまったため、いまだあのメッセージがリチャード・D・ジェームス本人によるものだったのかは判明していない。そこにはイギリスのロンドンの都市をはじめとするロックダウンに反対する簡素なメッセージが明記されていたのだった。
しかし、少なくとも、本作を聴く範囲において、彼は仮想の空間ではなく、リアルなフロアで痛快に鳴らすためのサウンドを志向していることがわかる。その点を考慮すると、近年のパンデミック騒動を受けて、クラブサウンドとしてリアリティーを求めたいという制作者の意図も感じられ、それこそがエイフェックスの今回のEP制作の原動力ともなったとも考えられる。 そして、新しい曲をライブでテストしてみる機会は十分に設けられていた。UKのFields、バルセロナのSonarなど大規模なフェスティバルでライブを披露し、特に、スペイン/バルセロナのフェスではより大掛かりなライブセットが組まれ、中空にバーチャルな立方体が出現するという画期的かつ前衛的なステージの演出が行われた。現在、DJは視覚的な演出を交えたリアルなクラブミュージックを、リアルな空間でアートのインスタレーションのような形で即時的に体現するようになっている。
1995年頃の最盛期のエイフェックス・ツインの作風を知るクラブ・ミュージックのファンは、このEPに見られるエイフェックス・サウンドに懐かしさを覚えもし、またそれなりに手応えを感じているはずである。曲のタイトルが暗号かプログラミング用語のようなニュアンスであるのは以前と変わらない。また、本作は一曲の再構成が収録されているが、かつてのEP「Come To Daddy」のPappy Mix/Mammy Mixのように、ほとんど別のリミックスが施されていて、全然違う感じの曲に変化している。ただ、EPの中で最も聴き応えがあるのは、間違いなくオープナーとして収録されている「Blackbox Life Recorder 21f」となるだろう。背後のダウンテンポ風のトラックメイクに従来のアクの強いブレイクビーツを基調にした、しなるようなリズム/ビートが展開されており、八年のブランクがあったとは考えられないような素晴らしい出来栄えだ。
1990年代当時、音源としてのテクノ/ハウスにこだわっていた印象もあるエイフェックス・ツインではあるが、リアルなフロア/大規模なライブステージでの音響性を意識した音作りの方向性に転じている。旧来のドリルン・ベースのマテリアルがトラックにちりばめられているものの、それはダウンテンポ/アンビエント風の雰囲気をできるだけ損ねないように部分的に取り入れられ、曲の中になだらかな抑揚、起伏、アクセントを設けるような効果を発揮している。そして、トラックを重ねていく録音のような形で「Xtal」を想起させるボーカルのサンプリングが導入される。これは旧来のファンに向けたAphex Twinによる挨拶代わりの一曲といえるだろう。
「zine2 test4」はアシッド・ハウスの要素が強いが、サブウーファーを意識したローエンドが強調されたドラムン・ベースとも解釈できなくもない。ときに、それは現在のダブステップに近い変則的なリズムも取り入れながらも、以前とは違う形のビートの実験性に取り組んでいる。おそらくマスター/ミックスの段階で、音形の部分的なエフェクト処理をしているものと思われ、バックビートの畝りという効果を生み出している。
真夜中過ぎのクラブフロアの熱狂のように催眠的であり、90年代の作風を想起させるデモーニッシュな効果が魅力のトラックではあるが、以前のファンは、この二曲目において旧来とは違ったエイフェックス・ツインの印象を見出すことになるだろう。規則的なビートとベースリードが主体のトラックだが、トーンを揺らす時、最も躍動感のあるビートが炸裂する。また、トーンの変容によってグルーヴを意図的に生み出そうとしており、イントロでは予期できなかった別のビートの出現をその過程に見出すことにつながる。このあたりは、DJ/プロデューサーとしての経験の豊富さが表れ出たトラックといえる。当初速いBPMを好んでいた印象もあるDJではあるが、ミドルテンポのどっしりとした安定感のあるビートを好むようになったのは何か大きな心境の変化があったのかもしれない。
「in a room 7 F760」では、『Richard D James Album』の時代のテクノ/グリッチに近い作風へと回帰しているが、以前のようなデモーニッシュな要素は薄れ、反対に精細なパーカッションやビートが形成されている。これはもうほとんどこのDJが以前のような形で周りをびっくりさせたりする必要性を感じなくなっているからではないだろうか。
ここには、純粋なテクノ・フリークとしてのリチャード・D・ジェイムスのアーティスト像が浮かび上がってくるのであり、なおかつまたクラブ・ミュージックの制作の本来の楽しみを徹底して90年代のように追体験しているような印象もある。現行のテクノミュージックとは異なり、ジェイムズは、この曲で日本のゲームサウンド最盛期の時代のレトロなサウンドを探求しており、チップチューンとまではいかないものの、レトロなゲームをプレイする時の童心に帰ったような純なる楽しさを、この曲で探し求めているように見受けられる。それは途中、鋭利なドライブ感を生み出すことにも繋がっている。音楽が楽しいものであるというような認識は、実はここ数年の彼の作品からはあまり感じられなかった要素なので、これは驚異的なことでもある。
もうひとつ、EP『Blackbox Life Recorder 21f / in a room7 F760』をレビューするに際して、テクノサウンドに内包される宇宙的な概念というのが重要になってくる。それは小さな音響世界に内包されるミクロコスモスとも称するべき感動的な瞬間がこれらの4曲に見いだせる。
リミックスは一曲目とは別の曲になっていて、どのようにしてミックスをするのかと質問したいくらいだが、それはベテランのDJの企業秘密ということになる。IDMとしてもEDMとしても聴くことが可能な宇宙的なテクノ/ハウスサウンドは、今後どのような変遷を辿っていくのだろうか??
84/100