PJ Harvey 『I Inside The Old Dying Years』

 PJ Harvey 『I Inside the Old Dying Years』



Label: Partisan

Release: 2023/7/7

 

 

Review

 

PJ Harveyは、近年、音楽家という形に拘らず、舞台俳優等、様々な形の芸術表現を追求してきた。 ミュージシャンとして豊富なキャリアを持つ彼女は、昨年、詩集『Orlam』を出版したことも記憶に新しい。この書籍は、ドーセット州にあるアイラ=エイベル・ロウルズという少女の一年を追っている。その中には、英国文学らしい幽霊のモチーフが導入され、イギリス南北戦争、兵士の幽霊、そういった古典的な文学の主題、及び、副主題を魅力的に散りばめ、その中に幽霊との恋という、エバーグリーンなストーリー性が織り交ぜられている。イギリス/アイルランド文学では、オスカー・ワイルドの「カンタベリーの幽霊」や、ハーバート・ジョージ・ウェルズの作品をはじめ、幽霊の主題が古くから取り入れられてきたが、ハーヴェイの作風はそれらの古典的な題材を継承し、石にまつわる民間伝承のミステリーを複数書いたアーサー・マッケンのようなフォークロアの影響を付加している。これは、近頃では、ウィリアム・ブレイクの詩集を愛読していたと語るPJ Harveyの文学的な才能が遺憾なく発揮された瞬間となった。


これまでは長らく音楽という形式がポリー・ジーン・ハーヴェイの人生の中心にあったものと思われるが、それが近年では、ウィリアム・ブレイクのように複数の芸術表現を探求するうち、音楽という形式が人生の中心から遠ざかりつつあるとハーヴェイさんは考えていたらしい。もちろん、それは音楽だけが人生ではないのだから、悪いこととも言えない。しかし、音楽というものがいまだにこのアーティストにとっては重要な意味を持つということが、少なくとも最新作を聴くと理解出来る。一見すると遠回りにも思え、ばらばらに散在するとしか思えなかった点は、このアルバムで一つの線を描きつつある。詩集『Orlam』の詩が、収録曲に取り入れられていること、近年、実際にワークショップの形で専門の指導を受けていた”ドーセット語”というイングランドの固有言語、日本ふうに言えば”方言”を歌唱の中に織り交ぜていること。この二点が本作を語る上で欠かさざるポイントとなるに違いない。

 

それらの文学に対する真摯な取り組みは、タイトルにも顕著な形で現れていて、現代詩のような意味をもたらしている。「死せる旧い年代のなかにある私」とは、なかなか難渋な意味が込められており、息絶えた時代の英国文化に現代人として思いを馳せるとともに、実際に”ドーセット語”を通じ、旧い時代の中に入り込んでいく試みとなっている。これは昨年のウェールズのシンガーソングライター、Gwenno(グウェノー)が『Tresor』において、コーニッシュ語を歌の中に取り入れてみせたように、フォークロアという観点から制作された作品とも解釈出来るだろう。この旧い時代の文化に対するノスタルジアというものが、音楽の中に顕著に反映されている。それはイギリスの土地に縁を持つか否かに関わらず、歴史のロマンチシズムを感じさせ、その中に没入させる誘引力を具えているのである。

 

アルバムを制作する上で、 フォークロアという考えに加え、民謡を意味するフォーク音楽が本作の重要な素地を形成している。ところが、制作者は、ステレオタイプのフォーク音楽を作りたくはなかったと語っているのを考慮すると、オルタナティヴフォーク作品として位置づけてもおかしくはない。だが、それと同時に、フォークという枠組みに収まるような音楽とも言い難い。その中には、パティ・スミスのように、''詩というフィルターを通じてのポピュラー・ミュージック''という形がこの音楽の中に、ぼんやりと浮かび上がってくる。ロック色はほとんどない。クランチなギターもなければ、歪んだボーカルもない。ここには、フォーク音楽と対峙するような形で、ハーヴェイの瞑想的なソウルフルなボーカルが宙を舞い、それは時に華やかな印象をもたらす時もある。アルバムの中で、ハーヴェイは舞台俳優の経験を活かし、複数のキャラクターを演じているという指摘もある。しかし、日本の古典芸能の一つである落語での名人芸がそうであるように、アルバム全体の収録曲の中で、声色をわかりやすく変更させることはほとんどない。世に傑出した噺家というのは声色を変更しないのにも関わらず、別の人物を演じていると錯覚させる力を備えているが、それと同じように、PJ Harveyもまたこのアーティストがその歌をうたっていると聞き手に自覚させながら、その歌の持つキャラクターや性質を楽曲ごとに様変わりさせ、複数の人物やキャラクターが登場すると思わせる場合もある。この点について実際、多くの優れた俳優の演技から学ぶべきものがあったとハーヴェイは説明している。

 

アルバムの収録曲は、アーティストの制作した曲をスピーカーやイヤホンを通して聴くという形式の範疇に留まらない。それは舞台で歌う何者かの歌をスピーカーやイヤホンを通じて聴くといった印象を制作の中で構築していく試みであるとも解釈することが出来る。それは旧来の音楽形式のアーティストと需要者との距離を縮めるという概念を反転させ、逆にそれを遠ざけるというような手法により、作品が組み上げられていく。音楽そのものは表向きにはそれほど新しさを感じさせないものの、反面、手法による斬新さがアーティストが潤沢なキャリアの中で培ってきた音楽的な経験と密接に結びついた作品であるとも考えられる。また、音楽性のバリエーションも少なからず込められており、ドーセット語を取り入れた「Lwonesome Tonight」では、アイリッシュ・フォークを基調とした音楽に取り組み、また、「The Nether-Edge」においてはアヴァン・ポップに近いアプローチも取り入れられている。更に、タイトル曲では、スロッピング・グリッスルのアート・パンクの影響も取り入れている点を見ると、ほとんどジャンルレスに近い複雑な内容により構成されている。また、「All Souls」では、トリップ・ホップやネオソウルの影響も取り入れている。音楽ジャンルの広汎さには白旗を振るよりほかなくなる。

 

アルバムの収録曲の中で一番聞きやすい「A Children's Question,August」は、前作の2016年の作品の中で、アーティストがジャーナリストとして活動していた時代の経験が表れており、アフガニスタン、コソボといった紛争地域、ワシントンDCの貧困地域をジャーナルの視点を持って歩いた経験を活かし、世界的な問題に対する洞察を曲の中に織り交ぜようとしているように思える。ただ、世界的な問題の中にある暗さや困難に焦点を置くのではなくて、愛情という観念により、自らの思想を音楽と結びつけようとしているとハーヴェイは主張する。それこそが社会問題の中に内在する暗さに少しの救いを見出すきっかけになると考えているようだ。


それは実際の曲の中にもはっきりとした形で表れており、ハイライトとも称すべき瞬間が『I Inside The Old Dying Years』に見出せる。「August」では、ダブステップを、モダンなポップネスという観点から把捉している。「A Children's Question,July」では、本作の中で最も実験的な瞬間が表れている。さらにエンディング曲「A Noiseless Noise」では、デヴィッド・ボウイの実験音楽の要素を捉え直している。 このアルバムの収録曲は、アーティストの数年間の人生経験が色濃く反映されているような気がし、表面上の音楽的なヘヴィネスではなく、内側の観念的なヘヴィネスとして、我々の耳にグッと鋭く迫ってくる場合がある。



81/100