Saint Sinner 『hydration」
Label:Grace Tron
Release: 2023/7/14
Review
Saint Sinnerは、テキサス/オースティンのDJ/プロデューサー/ボーカリストで、既にTychoの作品に親しんでいるファンにはとってはお馴染みのシンガーだろう。そのスタイリッシュな佇まいを裏切らないセンス抜群のボーカルで着実にファンベースを広げてきた。セイント・シナーは、「Pink & Blue」、「Japan」でゲスト・ボーカルで参加し、見事なボーカルを披露している。個人的にイチオシのボーカリストだ。このシンガーの最大の魅力は、エレクトロニックと劇的にマッチする力強いボーカル、そして、電子音楽に対して情感を失わない繊細性を見せる瞬間に宿る。ベースラインの強いエレクトロと融合したとき、セイント・シナーのヴォイスはトラック全体にポップネスをもたらす。インスト曲として寂しい感じがある場合に素晴らしい貢献を果たすボーカリストなのだ。いくつかの声色とトーンを自在に使い分け、様々な音楽に対応して見せる器用さはもちろん、歌声の迫力はバルセロナのキャロライン・ポラチェクにも引けを取らない。
既に、グラミー賞にノミネート経験のあるセイント・シナーは、2021年にソロ・デビュー作「Silver Tears」を発表している。 このデビュー・アルバムではギターやピアノを通じてポピュラー音楽のメインストリームにある音楽を探求していた。その中で、ティコのフィーチャー曲でもお馴染みの内省的でメロウなヴォーカリストとしての評価を不動のものにした。ギターの録音を駆使し、それをベッドルームポップのような感じの軽やかなポップソングとして昇華していたのがこのデビュー作だった。プロダクションの中にはギタリストとしての音作りもこだわりが感じられ、リバーブ/ディレイを深く施したギターラインは、アンビエントギターに近い印象性をもたらした。そして、その実験的な要素に加え、シナーのボーカルは徹底してアートポップの領域に属し、Tiktokなどで話題を呼ぶギターロックシンガーとの一定の線引きを図っていた。親しみやすいが、そこに深い内省的な情感がこのデビュー作には漂っていたのだ。
2ndアルバムは、はっきり言えば、デビュー作とは似ても似つかない新たな音楽性へ方向転換を図り、想像もできない劇的な変化が表れ、ベッドルームポップアーティストとしてトレンドに準じたファーストアルバムから、ベースラインの強いディープハウスの最もコアな領域へと華麗な転身を果たした。ハウスはそもそも、古典的なジャンルとしては4つうちのジャンルではあるが、その後に台頭したディープ・ハウスやUKのガラージ/ベースラインのジャンルはその簡素なリズムにより複雑性をもたらすために発生した。結局、同じスタイルの音楽をフロアで続けていると、どこかで飽きが来るのは当然のことであって、基本的なリズムのバリエーションを作ろうとする。リズムの変容の試行錯誤の過程で行き着くのは、その後のドラムンベース、はてはドリルンベースの極北にあるリズムの徹底的な刻み、つまり、ビートの細分化と複雑化である。これがクラスターのようになるか、もしくは正反対のベクトルに行くとアンビエントになる。
セイント・シナーは考えようによっては、ティコとのコラボレーションを介してリアルなエレクトロの洗礼を受けたとも捉えられる。それは言い換えれば、ダンスミュージックに本当の意味で目を開かれたとも言えよう。その経験がこの2ndでは存分に生かされ、ガラージをはじめとする複雑なリズムが既にオープニングを飾る「surf on me」の中に見えている。それはダブステップほど流動的ではないが、深いベースラインが幻惑を誘い、その抽象的なムードの合間を縫うようにして、アンニュイで聞きようによっては物憂げなシナーのボーカルが音響性を拡張していく。ジャリジャリとしたパーカションとディープなベースラインはアーティストがDJとして鋭いセンスを持ち合わせていることの証だ。そこに憂いに満ちているが、セクシャルなシナーのボーカルが重なると、アシッド・ハウスのディープな要素が加わる、つまり、リスニング空間をベースメントの真夜中のフロアに変容させるほどの魔力をそのボーカルは兼ね備えている。
ティコとのコラボの経験は続く「gold brick」でもわかりやすく生かされている。清涼感のあるエレクトロのトラックの上を軽やかに舞うセイント・シナーのボーカルは、「Pink & Blue」、「Japan」を聴いてファンになったリスナーの期待に答えるにとどまらず、それ以上のものを示している。コラボの域を越え、ソロアーティストとしての自立性が音楽的な魅力となって耳に迫ってくる。アートポップを意識したトラックメイクの上に流れる親しみやすいメロディーラインはこのアーティストの近年のリリースで最もオープンハートな瞬間が垣間見える。普及力のあるインフルエンサーとしてのポップ・アーティストの潜在性が遺憾なく発揮された瞬間となった。
二曲目で暗示的に提示されたアートポップの要素は次曲「diamonds」でより深い領域に差し掛かる。カラフルな音色をトラック全体に散りばめ、マレットシンセを基調としたリズムを駆使し、そこに複数のポイントを設けるように、セイントシナーのボーカルが加わる。そしてマレットシンセの音色とボーカルが掛け合わされると、どことなくエキゾジックな感じが立ち現れる。インドなのか、それともパキスタン地方なのか、いずれにせよ、アジアンテイストあふれる奇妙なエレクトロニックは奇妙な新鮮さと清涼感すら漂わせている。また、一曲の流れの中でその音楽の持つ印象はゆっくりと変化していき、最後までリスナーの興味を惹きつけ続ける。これはDJ/プロデューサーとしてのアーティストの才覚が最も目に見える形で現れたトラックでもある。
続く、「drive by」は、例えば、わかりやすく言えば、ビヨンセが最新作でみせたようなハウスの要素をポップネスとして昇華している。ボーカル・トラックの波形にエフェクトを薄く掛けており、裏拍の強い音楽性を見るかぎり、オーバーグラウンドの現行のハウス音楽を基調としているが、ヴォイスの中に情感が失われていないのが最も素晴らしい点に挙げられる。厳密に言えば、ジャンルこそ異なるが、ビブラートの微細な変化やピッチの変容の中に微妙なソウルフルな要素が取り入れられている。機械的なものを駆使した上で人間的な情感を失わないことはその逆のアプローチを取るより遥かに難しいが、その機械的なものと人間的なものの両面性をもたらそうというセイント・シナーの音作りは洗練されていて、2つの対極にある音楽性の間に絶妙にせめぎ合うようにして、個性味溢れるポップ音楽として昇華されている。特にバックビートが入念に作り込まれているため、楽曲そのものに強度と聞き応えもたらしている。
その後、メインストリームのディープ・ハウスに準じた「Careface」が続くが、この音楽の中には、Andy Stottや Laurel Haloのようなダブステップで使われるようなシンセの音色の影響があり、それがトラック全体にエキゾチシズムをもたらしている。上層の部分では、トレンドのハウスが流れているにも関わらず、その最下層ではベースメントのコアなクラブ音楽が流れているのに驚きを覚える。この奇妙な二面性が、楽曲を聴いたときに、一番面白いと感じる部分かもしれない。表面的には、チャーリー・XCXのような現行のモダンポップに近いニュアンスを感じるが、しぶといベースラインはヘヴィーな感覚をもたらし、消費的な音楽を聴いているという気分を沸き起こらせない。おそらく、トラックの細部にはエレクトロに対するセイント・シナーのマニアックな興味が取り入れられることで、タフな感じをもたらしている。ただ、それはアーティストのボーカルの主要な特徴のひとつであるスタイリッシュな感覚に裏打ちされている。
このアルバムは、クラブミュージックや、モダンポップを意識してはいるが、それほど多幸感を感じさせないのは不思議だ。
続く「switch」では、さらに落ち着いたモダンなアートポップが提示されている。ピアノの音色を交え、それらを前の曲と同様にスタイリッシュな音楽性へと昇華されているが、これは例えば、アイスランドのSSWであるJFDRが志向するようなモダンクラシカルとアートポップの中間点にあるような音楽として楽しむことが出来る。そこには何かふと考えさせられるものもある。それは思弁的な瞬間が歌詞の中に表れ、実際の録音ではその思弁性から離れたところでボーカルが披露されていることから生じるものである。相変わらず、セイント・シナーのボーカルは軽やかで爽やかだが、ときにその中に意外な哀感や孤独性を見せる場合もある。この明るい部分と暗い部分の奇妙な抑揚の揺れ動きのようなものがたえず感情性を表するヴォイスとして曲のメロディーの中をさまよう。それは受け手側の感覚と瞬間的に折り重なった時、それまでまったく遠い場所にいると思われた歌手の存在がすごく身近にあると感じさせるときがある。また、それは受け手側との感覚の中にセンチメンタリズムとして浸透してくることもある。いわば、これまでにない共感性を重視したバラードに近い雰囲気のあるナンバーとなっている。
憂いのある曲の後には同じようにしっとりとしたハウスを基調にしたポップが続く。アルバムの曲の中で、セイント・シナーは最も淡々としたボーカルを披露している。ここではティコの「Skate」というナンバーで披露した妙に切ない感覚を再び四年の月日を経て呼び覚まそうとしている。ただそれは、それほど「Skate」のような音程の跳躍はなく、かなりまったりとした感じで中音域を彷徨う。「sky」と銘打たれてはいるものの、それを単なる苦悩と断定づけることは出来ないが、少なくともそのボーカルの感情性の中には何か悩ましげな感覚に充ちている。また、それほど考えこまずとも、ダンサンブルなポップとして楽しむための余地も残されている。
一転して、コアなハウスから少し遠ざかり、テクノやシンセ・ポップの要素をまぶした「for Lily」もまた聴き応え十分だ。特にDJ/プロデューサーとしての手腕が光る一曲で、リズムトラックにフィルターを掛け、遠近感のあるアートポップを追求している。それほど抑揚があるわけではないけれど、手前の音楽ではなく、背後の音楽の抑揚によって、曲全体に絶妙なダイナミクスを設けている。リズムトラックのダイナミクスの変化は、シンプルで中音域を中心に流れる心地よいシナーのボーカルに一定の迫力をもたらしている。途中まではかなり難解な構成ではあるのだが、曲の後半ではキャッチーさに焦点が絞られ、アンセミックとまではいかないものの、つかみやすいメロディーとボーカルは、この曲そのものにわかりやすい側面をもたらしている。
アルバムの収録曲の中で最も劇的なのがエンディング曲「3:38am」であり、おそらく前曲のテーマの続きのような役割を担っているのではないか。少なくとも、アーティストからの解き明かされることのない問いが提示された瞬間とも取れる。これはミステリアスな感覚、いわば音楽そのものを奇怪なベールにより覆うような感覚。曲の途中ではミステリアスな曲調から、セイント・シナーらしい清涼感のあるポップ・アンセムへと変遷を辿る。曲の最後では、最もラウドなベースラインを強調した瞬間が出現する。それまで徹底してそのラウド性をコントロールしてきたからこそ、奇妙な印象をリスニング後の余韻として残しもするのである。
このアルバムのミステリアスな要素が単なる憶測なのかどうかまでは定かならぬこと。しかし、その真偽がどうであれ、このアルバムのクローズは、エグみのあるクラブミュージックの最深部へと迫っている。これらの独創的なクラブ・ミュージックとアート・ポップの融合は、現行のポピュラー音楽に準じているが、同時にそれに倣っているわけでもない。いうなれば、独立したソロアーティストの音楽として現代アートの造形のような存在感を持って屹立している。
90/100