Annie Hart 『The Weight Of A Wave』
Label: Self Release
Release: 2023/8/5
Review
自主制作盤でもハイクオリティの作品が作れてしまうというのが現代のテクノロジーの凄さ。当然、ベッドルームポップから生じた自主制作の波はジャンルを越え、多くのソロ・アーティストに活躍の契機をもたらした。もちろん、それはニューウェイブという文脈でも同様である。
70年代後半はニューウェイブ、ポスト・パンクをやりたいがために、バンドを組む必要があったが、現在は、一人でもニューウェイブ/ポスト・パンクを演奏することは不可能ではない。ソロ制作のウェイブは、ニューヨークにもさり気なく到来し、その渦中から登場したのが、ユニークなテクノ・サウンドを基調にしてリリースを重ねるBlack Marble、それから今回ご紹介するアニー・ハートである。またデュオとしては、マタドールのWater From Your Eyesもシーンの一角を担う存在といえるだろう。
シンセサイザーを手にした写真・・・、つまりアルバム発表時に、シンセを小脇に電車に乗り込む姿の写真があったことからも分かる通り、アニー・ハートにとってシンセサイザーは人生の相棒のようなものなのだろう。そして、70年代のテクノ/ニューウェイブ風の音作りに加え、インディーポップ風の軽やかな彼女自身のボーカルもアニー・ハートの音楽性の中核を形成している。
アルバムの冒頭曲である「Boy You Got Me Good」からドライブ感溢れるシンセ・ポップが全開となる。その中には、オリジナル世代のUKパンクの影響が取り入れられている。時にそれは、ビリー・アイドル擁するGeneration X、The Adictsのような勢いのあるエモーショナルなUKパンクとして、また、時には、ポール・ウェラーのThe Jamのアート・パンクという形を取って現れる。かと思えば、Cleaners From The Venusのカセット・ロックへのロマンチズムも滲んでいる。
リード、パーカッション、ベースライン、これらのトラックの基本的なマテリアルはほとんどシンセで制作されていると思われるが、その上に乗せられるアニー・ハートのボーカルは、UKのオリジナルパンクのような初期衝動を感じさせ、また、UKのモッズ・ロックに近い雰囲気も漂う。語弊があるかもしれないが、アニー・ハートの歌は決して上手くはないのに、なぜかカッコよさがある。つまり、このアルバムはニューウェイブのダサカッコイイ感じに満ちあふれているのだ。
実際のインスピレーションがどうであれ、これらのレトロ感溢れるニューウェイブ・サウンドは、続く「A Crowded Crowd」を介して、Black Marbleを彷彿とさせるレトロなシンセ・ロックへと移行していく。 最新鋭のテクノに背を向け、逆に時代を遡行しようとするサウンドはビンテージの音楽への憧憬を象徴するものとなっているが、そこにボコボコというベースラインとプリミティヴなガレージ・ロック風のギターラインが加わると、シンセ・ロックの熱狂性を帯びる。
これらのシンセにより構築したステージの上に登壇し、アニー・ハートはニューウェイブの歌をうたう。稀には、ニューヨークパンクの伝説、Blondieのデボラ・ハリーの全盛期を思い起こさせる瞬間もある。アニー・ハートのボーカルは現代的な文脈から言えば主流派ではない。にもかかわらず、親近感と安心感すら覚える瞬間もある。それはニューウェイブに対するアニー・ハートの底しれぬ愛着がそのような好印象を与えるのだろう。
「I Never Do」では、これらのひたむきで懐古的な音楽の指向性はより顕著になり、深度を増していく。前2曲とは対象的にインディー・ポップへと移行するが、その中にはシンセ・バラードにも近い哀感が漂う。
言ってみれば、シンセの歌謡曲のように聴こえ、エリック・カルメン擁するRaspberriesのパワー・ポップ性が色濃く反映されているようにも聴こえる。その途中では、手拍子を録音して導入したりと、ジャングル・ポップにも近い手法も取り入れられていることにも注目しておきたい。また、後の90年代のカレッジ・ロックを代表する、REM、The Lemonheadsのインディー性にも焦点が当てられているという気がする。こういった音楽に嫌悪感を覚える人はそれほど多くないようにも思える。実際、この曲は、上記のバンドの代表曲と同じように、穏やかで和らいだ印象を携えて耳に迫ってくる場合がある。
「A Lot Of Thought」は、序盤の三曲と同様、レトロなシンセ音源が使用されているが、アルバムの中では、もっともモダン・ポップやエクスペリメンタル・ポップの気風が漂っている。さすがに、この曲をキャロライン・ポラチェクと結びつける人は少ないと思うが、私はこの両者のシンガーに関連性をはっきりと見出している。例えば、最新鋭を行くモダン・ポップを提供するのがポラチェクとするなら、ハートは、その真逆のレトロなモダン・ポップスを展開させるシンガーである。レトロなモダン・ポップスというのは、文脈上では矛盾撞着のある言葉だが、両者の音楽性の対象性は相容れないようでいて、その対角線上で交わる瞬間がある。そして、パーカッションを背後に歌われるアニー・ハートのボーカルは、スター性とは別のカルト性が込められている。これらに熱狂性を覚えるかどうかは、リスナー側の趣向にもよるかもしれない。
その後、「Waking Up」では、感情の領域を超えた形而下の領域へと差し掛かる。これらの抽象的なポップ・サウンドは現実感に即し、なおかつ実際の感覚が歌われたものでありながら、奇妙な感慨をもたらす。相変わらず、メロディー・ラインの基礎はシンセによって構築されていくが、そのリアリティーの中にはドリーム・ポップの浮遊感に溢れ、甘美なアトモスフィアに溢れている。歌の中には確かに親しみやすさがあり、それが一瞬、ふと耳を捉える瞬間がある。
アルバムの序盤と同様、Black Marbleのレトロなテクノを主体としているものの、その内省的なテクノを聞きやすくしているのが、アニー・ハートのパワー・ポップ/ジャングルポップ風のボーカルである。テクノに対峙して歌われるボーカルの中には、奇妙なオルタナへの親近感が含まれている。音楽の雑多性、ないしは混沌性に根ざしたボーカルは、ロックソングには該当しないにも関わらず、内向きな熱狂性を秘めている。
言葉遊びの面白さに満ち溢れた「What Makes Me Me」は、シンセサイザーによるジャングル・ポップとも称すべき一曲である。オーケストラの演奏でもよく使用されるグロッケンシュピールを主体にしたシンセと基本的な音源をミックスした音色は、曲の主要な印象を形作するリード・シンセという側面のみならず、リズム的な側面においても曲の構造を堅固に支えている。ハートのボーカルは切ないラインを辿り、彼女は感情的な思いをひた隠しにせず、素直にそして率直に、自己の感覚を端的に表現しようとしている。ボーカルの素朴さの素晴らしさはもちろんのこと、自分の正直な感覚に即したメロディーは何かしら親近感をおぼえさせるものがある。曲のアウトロで導入される、メロディカの遊び心に溢れたフレージングも淡い余韻を残す。
その後も、アーティストの音楽への理解の深さ、なおかつ、音楽的背景の幅広さを伺わせる多彩な曲が展開される。
「Stop Staring At you」では、ジャーマン・テクノの代表格、また実験音楽の祖でもあるNEU!の実験的なテクノの音色を交え、ローテクなシンセ・ポップを展開させる。
その上に搭載されるノイジーなギターライン、そしてフックの効いたボーカルは、このアルバムの中で最もアーティストのハード・ロッキンな瞬間を刻印している。ただ、そのロック・テイストは、飽くまでニューウェイブのオルタナティヴ性に根ざしており、Wet Legのように良質なウェイブをもたらす瞬間がある。そしてそれこそが、アルバム全体で通して聴いた際に、無個性や忘却という負の要素から、この曲を救い出す要因ともなっている。
この後の2曲は、いかにも自主制作盤らしい、実験性と趣向性に根ざしたコアなテクノのアプローチが取り入れられている。Tik Tokでのバズを狙ったベッドルーム・ポップのようにも聴こえなくもないが、その中には、Silver Appleのような電子音楽やシンセサイザーへの深い愛着が滲んでいる。
この両曲は、どちらかといえば、レトロな方向性のシンセ・ポップであるにも関わらず、アニー・ハートのボーカルのフレーズには、モダンな要素とスタイリッシュな要素がせめぎ合うようにし揺れ動きながら、抽象的な表現性とその着地点を探っている。
最終的に、それは「Nothing Makes Me Happy Anymore」という一曲において、甘口のインディー・ポップとして必殺チューンとも称すべき瞬間となって立ち現れる。明らかに自虐的な意味合いが込められたポップ・ソングであるにも関わらず、その鬱屈とした感覚の中には奇妙な清々しさも込められている。そしてそれは、ジョイ・デイヴィジョンのカーティスが書き、後にNew Order名義で正式に発表されたポストパンク・バラード「Ceremony」、そして同バンドの伝説的な名曲「Atmosphere」のごとき奇妙な癒やしとカタルシスをもたらす。
アルバムのクローズとして収録されている「While Without」では、イントロのスペーシーなシンセが強烈なインパクトをもたらす。
しかし、そのモダンなポピュラー・ミュージックに根ざしたパルス状のシンセのビートに乗せられるアニー・ハートのボーカルには妙な貫禄が感じられる。なぜ自主制作盤なのに、かくも迫力と説得力が滲み出て来るのかについては考えが及ばない。それでも、もしあなたがフローレンス・ウェルチ、セイント・ヴィンセントに比する天才性の片鱗を最後の曲に見出したとしても、それはあながち錯覚とは言いがたいものがある。
87/100