Public Image Ltd 『End Of The World』
Label: PIL Official Ltd
Release: 2023/8/11
Review
ニューウェイブ/ポスト・パンクの先鋒として70年代後半から活躍してきたジョン・ライドン率いる、パブリップ・イメージ・リミテッド。おそらく、ライブ・アルバム、リイシューを除けば、92年ぶりの復帰作となるだろうか。結成から数年、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったセックス・ピストルズの解散後、ライドンは、その後の十年間、ポスト・パンクの旗手としてイギリス国内のシーンを牽引した。PILの実験的なポスト・パンク、そして、セックス・ピストルズの全盛期に劣らぬシニカルで風刺的な歌詞は、セルフ・タイトルのデビュー作『Public Image』を見れば分かる通り、バンドの代名詞でもあった。
最初期は、ポスト・パンクらしいひねりを特徴としていたが、その後、実験音楽、シンセ・ポップの影響を織り交ぜていた。PILは、いつも形骸化した音楽に取り組むことを忌避し、一瞬たりとも、その時代の気風に迎合をすることはなかったが、他方、さり気なく当代の流行の音楽のスタイルを「ポスト・パンク」という型に落とし込んでいた。特に、彼らの代表曲「Rise」は現在でも鮮烈な印象を残し続けている。
ジョン・ライドンのボーカルは、甲高く透き通った声質が特徴だった。そして上手くはないが、無限に伸びていくようなビブラートには、神々しさというか感動的なものがあった。パンクという表向きには非音楽を装うジャンルであろうとも、ライドンのボーカルにはいかなる活動期においても、確かに音楽的な何かが通底していたのだった。それでも、やはり年齢には勝てないというべきか、この数十年ぶりのアルバム『End Of The World』の録音では、昔に比べて声がかなり低くなってしまったことは、往年のファンであればすぐにお気づきになられることだろう。しかし、落胆することはない。ライドンらしさはいまだに残っている。また、ボーカルには、以前と同じように、シニカルなニュアンスが織り交ぜられ、そのシラブルには唯一無二の圧倒的な存在感が感じられる。やはり、年月を経ても、ライドンはライドンであることに変わりない。そして、他のボーカリストとは比較出来ないほどの神々しさだ。
アルバムのタイトルは、全世界に対する警告である。ただ、それが、具体的に何を示唆するものなのかは断定しかねる。表向きの気候変動や金融経済の不均衡、また、その背後にある様々な暗躍、2021年から始まった悲劇的な社会情勢、管理社会、デジタル一元化による人権の破壊、戦争、それらすべてに対するパンクの御大からの警告だ。ある意味では、70年代に始まったライドンの英国風の政治風刺の集大成を形成している。そのテーゼは奇しくも、批評的なロックの金字塔を確立したヨ・ラ・テンゴの『This Stupid World』と重なるものがある。しかし、テーマこそ、現代社会に内在する負の側面に焦点が絞られているが、このアルバムの音楽はブライアン・イーノの最新のボーカル・アルバムほどには重々しくはない。奇妙なほど勇ましく、晴れやかな雰囲気に彩られている。PILは、ポスト・パンクはおろか、パンクというジャンルを超越し、普遍的なロックへと足取りを進めている。そう、本作はパンクに加えてスタンダードなロックを想定し制作されたと言えよう。そのことは、オープニングに顕著に現れている。ロック・オペラ風の壮大なスケールを描いた「Penge」は、UKロックの歴史を俯瞰し、それをチェンバー・ポップ風の型へ落とし込んでいる。軍神マルスが目の前を行進していくような勇ましさを、このオープニングにおいて読みとっていただくことができるはずである。
続く、タイトル曲「End Of The World」では、PILの原点にある、ひねりのきいたポスト・パンク・サウンドに立ち返っている。クランチなギターに折り重なるようにして、例のある種の高揚状態にあるジョン・ライドンのボーカルが入り込む。この曲には懐かしさを覚えるとともに、ポスト・パンクの後追い世代としては、ようやくこれらのサウンドにリアルタイムで接することが出来たという伝えがたい感動がある。この中には、ポスト・パンクという彼らの代名詞にとどまらず、クイーンの「We Will Rock You」のようなスタンダードなロックの影響が織り交ぜられている。シンプルなロックを五十年目にして演奏するというのは、感慨深いものがある。先にも述べたように、UKロックの長きに渡る歴史と文化性を改めてお浚いするような内容だ。
三曲目の「Car Chase」では、PILが80年代のディスコ・ポップやシンセ・ポップに触発された時代を復刻しようとしている。ライドンのボーカルには、若干の衰えこそ見られるが、一方で、真摯さについては他の追随を許さない。その瞬間の自らの本性を見せようという彼の姿勢は、パンク・スピリットの核心を突いている。それに加え、ダブとファンクの影響を織り交ぜながら、新鮮味を探求している。サビではアンセミックな瞬間が現れ、これまでキャッチーな音楽を誰よりも追求して来たバンド、ソングライターとしての真骨頂を垣間見ることができよう。
不敵なシンセのイントロで始まる「Being Stupid Again」では、 ドイツのクラウト・ロックの影響を取り入れ、ワイアードなポスト・パンク・サウンドへと移行する。現行のロンドンのポストパンクバンドのような一気呵成の勢いこそないが、ここには、どっしりとした安定感すら感じられ、さらに、Kraftwerk風のレトロなシンセ・リードが威風堂々たる印象をもたらす。
昔、セックス・ピストルズ以降のライドンのボーカルには、ゲルマン的なドイツ語のシラブルの影響が込められている、という話をどこかで読んだ覚えがある。つまり、それは、イギリス人から見たドイツ性であり、さらにいえば、イングランドの歴史の源流にあるアイルランドとゲルマンの混淆における文化性に対するシニカルな眼差しが、パンクというフィルターを通じて注がれていたのだった。 そういった、これまで表向きに解き明かされなかったジョン・ライドンの音楽的なバックグラウンドとルーツを伺い知れる。曲の後半では、現代的なスポークン・ワードにライドンは挑み、最新の文化に敏感であり続けるという姿勢は今も貫かれている。
ジョン・ライドンは「Walls」でも現代的なスポークンワードに挑戦している。それはセルフ・タイトル・アルバムの時代の紳士性と皮肉を織り交ぜた、かつての70年代のスポークンワードのスタイルとは似て非なるものである。彼は、英国的な文化性に身を起きつつも、よりグローバルな視点を交えようとしている。その中には、レイシズムに対する提言も含まれている。そして、ファンクの要素が強いGang Of Fourの楽曲のスタイルはもちろん、後のRHCP(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)の『Mother’s Milk』の重要なインスピレーションともなったわけだが、コアなファンクに根ざしたパンクの影響をスポークンワードという形で消化している。聞けばわかる通り、決して、古びた曲調ではない。いや、それどころか、人格的に円熟した渋みは、体系化した現行のポスト・パンクを凌駕する瞬間もある。本曲のタイトルがピンク・フロイドの1979年のアルバム『The Wall』に因むのかどうかは分からない。
PILの楽曲の面白さというのは、斜に構えたようなスタイルにあったと思うが、「Pretty Awful」では、その魅力が余さず示されている。声をひっくり返したような歌い方は、シニカルであり、”Monty Python”のような英国のコメディーのような面白さを感じてしまう。
もしかすると、ここでは、シリアスになりがちな出来事をよりコメディーの視点を交えて見る事の重要性が示唆されているのか。もちろん、曲調は、ダンスミュージックを意識したパブリック・イメージ・リミテッドらしいポスト・パンクの形で展開されていく。それと同時に80年代のMTV全盛期のマイケル・ジャクソンに象徴されるダンスミュージックに対する親和性も感じ取ることができよう。PILのメンバーは何よりこのセッションを心から楽しんでいる。近年になく、ミュージシャン及び、バンドとしての充実した瞬間をこの曲に発見することができる。
PILは風変わりな存在であることを恐れない。「Strange」は、渋さのある後期のピンク・フロイドを彷彿とさせる楽曲に取り組んでいる。ライドンは、これまでの甲高いパンク的なボーカルから距離を取り、バラードを歌うため従来とは異なるボーカルのスタイルに挑んでいる。そして、シンセ・ポップを基調にしたこの曲には奇妙な哀愁が滲んでいることにお気づきになられるはずだ。ボーカルとベースは途中で奇妙な和音を形成し、雰囲気を上手く盛り立てている。特にベースラインの巧みさが光り、従来のPILとは違った雰囲気を楽しむことができる。
続く「Down On The Clown」は、イギー・ポップの名曲「Down On The Dirt」を思わせる曲名であるが、ここでもまた、シンセ・ポップやディスコ・ポップ風の楽曲が展開される。ただこの曲を油断ならないものとしているのは、やはりベース・ラインとドラムのバスの巧みさである。この2つのパートの掛け合いは、ファンクの鋭いパンク的な音響性として耳に迫ってくる場合もある。その上に搭載されるジョン・ライドンのボーカルは、ポスト・パンク的なひねりがあるが、やはり、いくら押しても動かぬというような安定感に満ちあふれている。これをボーカリストとしての貫禄ともいうべきなのかはわからない。だが、それらのバンドの演奏は、特にギターラインが中盤のソロで加わったとき、懐古的な感慨を超越した現代的な親しみの瞬間へと近づく。何ひとつも新しいことはやっていないのに、古びているわけでもない。これらの二律背反の意味合いは、曲をじっくり聴き込めば聴きこむほど強まっていくようにも思える。
同じく、「Dirty Murkey Delight」はスポークワードを基調としている。ただし、ポスト・パンク的なアプローチではなく、ミュージカルのような音楽性を吸収している。ここでは、バックバンドを背後に、舞台俳優として踊りを交えながら歌うライドンの姿が目に浮かぶ。これはロック・オペラに続くミュージカル・ロックが誕生した瞬間とも取れる。ともあれ、エンターテインメントの内奥を知るボーカリスト、バンドの演奏はとても楽しげであり、リスナーを釣り込む力を持っている。ブロードウェイなのか、それとも英国の由緒あるシェイクスピアの演劇なのか、そこまでは分からないにしても、華やかな劇場の建物、俳優、観客、舞台、奈落、ステージ背後の書き割りのような演出装置に至るまでの情景が脳裏に呼び覚まされそうである。
「The Do That」では、イギー・ポップの「Lust For Life」を思わせるイントロから、ドイツ語的なシラブルの影響を受けたPILの最初期のライドンのボーカルのニュアンスが見事に復活している。いや、もしかすると、それ以前のピストルズの時代のボーカルに近い鮮烈な印象が蘇っている。ライドンのスポークンワードは、奇妙なピッチ/トーンの変化を辿りながら、ワイアードな畝りを形作っている。えてして、言葉というのは、単体では大きな意味を持たぬときもあるが、それが一連の表現となると、強固な印象のあるウェイブを形成する瞬間がある。パンクのレジェンド、ライドンのボーカルを聴いていると、そのことがよく分かるのではないだろうか。リリックをまくしたてるスタイルでこそないが、ライドンの文学的な表現が複合的に組み合わされると、その意味が変化し、ラップに近い意義を帯びはじめる。これは、非常に不思議なことであり、彼のボーカルの最もミステリアスな部分と言えるだろう。そして、PILのバンドサウンドは曲の途中で、デトロイトのプロト・パンクを形成したThe Stoogesの最初期のブギーに触発されたフックの効いた尖ったロックへと変遷していく。しかし、これはロックではなくロックンロールなのか。PILはダンスと密接に結びついたロックをやろうとしているのだ。
「LFLC」は、ミュートとカッティングを織り交ぜたギターラインは既視感がある。多分、マーク・ボラン擁する、T-Rexの名曲「Get It On」をヒントにしていると思われる。少なくとも、70、80年代のディスコ・ロック、グリッター・ロックを下地にした、軽やかなソフト・ロックの普遍的な魅力を示している。ライドンの声がよれているのは・・・、ご愛嬌と言える。しかし、ここでもシニカルというより、ファニーな印象のあるボーカルスタイルが貫かれている。
「North West Passage」では、「Metal Box」、「Flowers Of Romance」時代のインダストリアルの影響を絡めたロックに回帰している。クラウト・ロックへの憧憬が含まれたポスト・パンク・サウンドだが、ここではライドンのボーカルの前衛性が示されている。世間が言うところの「普通に歌う」ことを彼が拒絶するのは理由があり、彼の眼力(眼圧)が子供の頃に変わってしまったこと、そのことが原因で学生時代にいじめられたことに起因している。その頃、石を投げつけられることもあった。しかし、ライドンは、それ以後の時代に、自分らしく歌うことを一度も固辞したことはない。また、パンクであることを一度もやめたこともない。そして、ブティック『SEX』の時代から五十年近くが経過した今でも、そして、最新作『End Of The World』でも、それは不変である。現在のアーティスト写真には、考えられる限りにおいて、最もかっこよく年を重ねた四人の男たちの姿が写されている。アルバムの最後の楽曲「Hawaii」では、トロピカル風の楽曲を収録することで、世の中が暗い方向ではなく、安らいだ方向へ向かってほしいという、いかにも彼ららしい晴れやかなメッセージが込められている。
最後に、このレビューを通して言っておきたいのは、ジョン・ライドンがこれまで国家を憎んだことは一度もなかったということである。70年代からずっと、風刺的な意見、及び苛烈な皮肉を込めた意見を示してきたのは、彼がイギリスという国家を愛しているがゆえであり、同じように世界を愛しているがゆえなのだろう。パンクの伝説の集大成、ここに極まれり……。PILの最高傑作とは言いがたいが、彼らはこの作品を通じて、建設的な意見を示そうとしている。
76/100