Spencer Zahn 『Statues Ⅰ』
Label: Sudden Records
Release: 2023/ 8/11
Review
現在、ブルックリンを拠点に活動する、マサチューセッツ出身であるスペンサー・ザーンは、12歳の頃にベースを弾き始めた。2000年代半ばにニューヨークに移住してからは、ツアー・ミュージシャンとして活動し、ジャンルを越えて、多様なアーティストとライブを行って来た。
ザーンのソロ・アーティストとしてのキャリアは、その後、志を同じくするギタリスト、デイヴ・ハリントンと共演を始めた2015年と同時期に始まった。「インストゥルメンタル・ミュージックの世界に戻りたいと強く思った」彼は説明する。「デイヴは、僕がソロでレコーディングするすべての中心的存在だ。お互いの直感を信頼している」と。現在は、マルチインストゥルメンタリストとして複数の楽器を演奏し、幅広い音楽性を擁する作品を発表しつづけている。
近作においては、エレクトロニカ、実験音楽、ジャズ、クラシックをクロスオーバーしたジャンルに規定されない作品を発表してきたスペンサー・ザーンの最新アルバム『Status Ⅰ』は、そのすべてがピアノ曲を中心としている。落ち着きがあり、間という概念を取り入れた気品溢れる音楽性が全編を通じて示されている。ザーンのピアノ演奏はポスト・クラシカル/モダンクラシカルに属するが、演奏法にはジャズ・ピアノの影響が織り交ぜられ、ジャズ的なスケールや和音を駆使している。演奏のスタイルは、米国のジャズの巨人たち、ビル・エヴァンスとキース・ジャーレットの系譜にある、と思う。ただし、スタンダードなジャズではなく、それを少し崩した形で演奏され、ポピュラー寄りのジャズ/クラシックとして楽しんでいただけるはずだ。
オープナー「Short Drive Home」は無調に近い摩訶不思議なピアノ曲。その音の運びはバッハの「平均律クラヴィーア」のようであるが、技巧を衒うことはなく、一音一音をシンプルに奏でている。例えば、シュールさについては、ケージやフェルドマンのニューヨークの現代音楽の系譜にある。一方、実験性に凝るわけではなく、ジャズ的な分散和音を取り入れることで聴きやすい小品として昇華している。演奏の間のとり方については、ECM New Seriesのジャズ・ピアノの演奏家を彷彿とさせる。これは無音という静寂を相手取ってのライブ・セッションとも称せる。ピアノの減退音(ディケイ)に対し、どのように音を運ぶのかに注目してもらいたい。
「Snow Fields」は、冬のニューヨークの雪が舞い落ちる情景がぼんやりと目に浮かぶ。音の運び一つ一つに慎重に注意が向けられ、優しく穏やかな雰囲気に溢れている。都会のオシャレな情景を切り取ったかのよう。伴奏の和音に対し、ジャズのインプロバイぜーションにも近い主旋律の演奏が繰り広げられる。クラシックとジャズの中間にある美しい一曲である。
「Lullaby For My Dog」は、制作者と愛犬との生活が描かれていると思うが、日常的な光景ですらも非日常的なロマンティックなものに変化させてしまうザーンの手腕には脱帽するより他ない。この曲は、ドイツのニルス・フラームのピアノ曲にも比する、高級感のあるポスト・クラシカルの形で展開される。響きの中には、ドイツ・ロマン派の影響もあるように思えるが、その一方で、モダン・ジャズからの引用もあるように思える。ピアノの伴奏と旋律は、これらの2つの音楽の意識の海の間を漂うかのように、どちらに向かうともしれず揺蕩いつづけるのだ。
実は、この段階でBill Evans、Keith Jarrettのようなジャズ・ピアノの大家に加え、2000年前後のエキゾ・ジャズが流行った頃に台頭したイスラエルのピアニスト、Anat Fortに近い音楽なのかもしれないという印象を持ち始めたが、次の曲「Never Seen」でそのことが確信に近くなる。ゾーンのピアノの演奏は、一貫して硬質な感覚に満ちていて、ジャズともクラシックとも付かない抽象的な和音によって紡がれていくが、その音は次第に格調高い響きに変わり、その後、ある種、崇高さすら感じえる演奏へと変遷を辿る。
スコア(記譜法)には、和音と対位法の双方の技法が取り入れられ、リズムと旋律の黄金比を絶妙に保っている。理知的かつ論理的な構成力はもちろんのこと、情感を失わないピアノの演奏には大いに着目したい。そして、湖の表面に降り落ちる雨が一瞬の波紋を形作る瞬間のように、奇跡的な音楽性を築き上げている。その奇跡的な一瞬をこの曲で聞き届けることができる。
「Lawns」は、単音のスタッカートの主題によって始まる一曲であり、以降はクラシカル調の音の進行が展開される。 ただ、ジャズの演奏にしろ、クラシックの演奏にしろ、モチーフを変奏させるライティングの技量が必要となるが、ゾーンはそれらの技術を難なくクリアしている。これがミニマリズムという形式の範疇に、この音楽をとどめておかない理由でもあるのだろう。
一定のリズムを配した伴奏に加え、ジャズ的な主旋律が加わるが、一方、その和音は、上下の和音ではなく、中の和音を組み替えあれることによって、異なる音響性をもたらし、曲が進行していく毎に、雰囲気を徐々に様変わりさせていく。ある和音では、悲しみを思わせたかと思えば、次の和音では、硬質な感じを思わせ、さらに次の和音では優しげな感じを、その次の和音では、柔らかな感覚を生み出す。これらの和音の心地よい連続的な変化は、曲の終盤に至ると、モダン・ジャズとジョン・レノンの「Imagine」の中間にある奇異な曲調へと変遷を辿っていく。
アーティストは、エレクトロニック、ジャズ、クラシックにとどまらず、アメリカーナにも影響を受けているという話だが、「I Used To Run」では、フォーク的なルーツが微妙に反映されている。あっという間に終わってしまうこの曲は、本来はギターで演奏するようなフォーク音楽をピアノで演奏にしていると思われる。旋律の中には、和風のスケールが部分的に取り入れられている。John Cageの「In a Landscape」、「Dream」に近い落ち着きがあり、禅の作庭や山水画のような印象をもたらす。もしくは、鹿威し、蹲といった、日本庭園にある水の装置を想起させる。米国的な文化性に加え、日本的なエキゾチズムが混淆したような面白さだ。
「Curious Flame」のイントロは、米国のポピュラー・ミュージックのソングライティング性を思わせる。その後は、モダン・ジャズの気風を反映した曲調へと変遷を辿る。アルバム中盤の曲と同様に、左手の伴奏は、心地よい水の流れのように空間を移動していくが、主旋律はそれらの抽象的な雰囲気を強める役割を担っている。それらの主旋律の運びは稀に詩的な感慨が漂う場合もある。その後には、色彩的な和音が取り入れられ、取っ掛かりのようなものを作っている。
和音の流れは、緩やかに流れていったかと思うと、ふと、その瞬間に立ち止まる瞬間もある。これらの流動的な構成は、いっかな途絶えることなく曲の終わりへとつづいていく。伴奏と主旋律は、常に対話のような形で配置され、2つの空間に置かれたコール&レスポンスのような効果を生み出している。驚くべきは、これらの技法は、そのすべてが一台のピアノでおこなわれていること。そしてノート(音符)が全部鳴り止んだ瞬間、それまでそこにあった感覚が目の前から立ち消え、じんわりした余韻が残る。温かな感覚のみがその後の一刹那に残りつづける。
これらの潤沢なモダン・クラシカルの時の流れは、アルバムの終盤になっても健在である。「Two Cranes」は、分散和音(アルペジオ)が清らかな水さながらに、緩やかに、心地よく流れていく。流れに身を任すと、その正体に同化することもできなくはない。そして、情景的な音の旋律は、曲の中盤に至るまで、緩やかな感情の起伏を作りながら続いていく。稀に、流れの中にジャズ的な和音が現れたかと思うと、たちまち消えていく。アンビエント風のシークエンスを追加し、雰囲気をもり立てたくなるような曲ではあるが、それをあえてせず、ピアノのみでこれらの情感たっぷりのサウンドスケープを生み出しているのが重要なポイントである。
「平均律クラヴィーア」のフーガのような対位法の技法を取り入れたこの曲の中には、一瞬に過ぎないが、ドイツのロマン派やウイーンの古典派の巨人達に対する憧憬がかすかに霞む。しかし、ペーソスに近い何かが立ち現れたかと思うと、やはり、すぐさまその感覚は立ち消えてしまう。いわば後腐れないゾーンのスマートな感覚が、これ以上はない心地良い感覚を与している。陶酔感のある澱みのない流れは、曲の終わりにかけ、次第に薄められ、さらにテンポダウンしていき、心地よさの中に消え果てていこうとする。それ以前の透徹した感覚を相携えながら。
最後の曲「Sway」は、本作の中で最もペーソスが漂う。悲しみは十分な間を取りながら、繊細なピアノの演奏という形で紡がれていく。アルバムの中では、最もモダン・ジャズの要素が薄く、ポピュラー・ミュージックに近いクラシックとして聴くこともできるが、これらの簡素な構成の中に低音部が加わることで、高級な感覚を残す。それは物質的な高級感ではないのだと思う。
『Statues I』は作品としてずば抜けて完成度が高く、音楽として徹底して磨き上げられている。序盤から終盤にかけて、集中力が途切れず、ストレスなく聴き通すことができることから、現行のポストクラシカル/モダンクラシカル/モダン・ジャズとして、秀作以上の位置づけが妥当であるように思える。今秋に発売されるという第二編『Statues Ⅱ』にも大いに期待したい。
94/100