当初7月リリース予定だった『Sundial』は翌月に発売が見送られた。ファティマ・ニエマ・ワーナー出身のノナメがジェイ・エレクトロニカとエリン・アレン・ケインをフィーチャーしたリード・シングル「Balloons」のリリースを予告した数日後に延期が決定した。これは、批評家たちがエレクトロニカの反ユダヤ主義的見解の疑いで、ワーナーの決定に異議を唱えた後、ワーナーはツイッターでエレクトロニカを擁護し、Sundialを棚上げにすると脅した出来事に端を発している。
ワーナーは、削除されたツイートの中で、"y'all don't want the album.'' 別のツイートには、ああ、歌のファ・ショが出るんだ(笑)。アルバムはまた別の話だ。選択的暴挙はいいよ。とにかく、ヒップホップは素晴らしい場所にいるのだし、もうNonameのアルバムは必要ないだろう」と書かれていた。
さらに、一部のTwitterユーザーを "woke mob "のメンバーと呼び、ワーナーはこうツイートしていた。「ジェイを自分の曲に選んだことについて、多くの批評を目にした。彼の政治的、宗教的信条に同意できないのなら構わない。しかし、何百万人もの人々を絶滅させた責任者である彼をヒットラーと比較するのは、私にとっては乱暴なことだ。本当にそんなに深くはないだろう」
見ての通り、アルバム・ジャケットについては強い主張性があるので、嫌悪感を覚える人も中にはいるかもしれません。とにかく、一部でセンセーショナルな議論を呼び起こしそうなアルバムです。2021年の段階で、新作自体の構想は明らかにされていたとのことですが、一ヶ月発売が繰り越しになっている。また、アルバムのアートワークは発売前に公表されておらず、先日、アーティスト自身がフェイスブックの公式アカウントでその全貌がようやく明らかとなった。
さて、Nonameは、シカゴのヒップホップシーンから出てきたアーティストであり、チャンス・ザ・ラッパーが評価したことで知られ、カニエ・ウェストに強い影響を受けている。また、同地のMick Jenkins、さらに、Sabaとの仕事をみる範囲では、シカゴのラップ・シーンと強いコネクションを持つ。
Faderのインタビューによると、Nonameと彼女が名乗るようになったのは、「ラベルに縛られたくない」という思いがあったから。「ラベルには興味がないし、服装にもあまり興味がない」という。また、Nonameはブランドの服を着ない。そして、自らの存在を規定する名前がないからこそ、イマジネーションが広がるともいう。さらに次のように彼女は語っている。「名がないからこそ、看護婦になる可能性もあるし、脚本家になる可能性もある」と。さらに彼女は続けている。「より実存的なレベルで、芸術やその他の存在の一つのカテゴリーに限定されることはありません」
もうひとつ、Nonameをより良く知る上で、抑えておきたい点は、彼女の音楽が文学に親和性があるということだろう。これは、City Slangのマッキンリー・ディクソンと共通するものがある。 Nonameはトム・モリソンのファンで、実際に曲の中に見られる歌詞は、ニーナ・シモンに触発されている。また、パトリシア・スミスという詩人も好きであるという。彼女の母親は、20年ほど書店を経営しており、彼女の母が父と出会ったのは、書店を通じてだった。実際、幼い頃のNonameは本を読むのがそれほど好きではなかったというが、高校生の時に人生が変わった。彼女はその時、こんなふうに思ったという。「なんてことだろう、文学こそ私の人生!!」と、その後、音楽活動と合わせて、詩の仕事もまた彼女の創作活動の背景の一つとなっている。
2021年にローリング・ストーン誌に対して解き明かされた新作アルバムの構想や計画をみると、過激なアルバムであるように感じる人もいるかもしれないが、実際は、トロピカルの雰囲気を織り交ぜた取っ付きやすいヒップホップ・アルバムとなっている。 アルバムの多くの収録曲は、イタロのバレアリックのようなリゾート地のパーティーで鳴り響くサマー・チルを基調にしたダンス・ミュージック、サザン・ヒップホップの系譜にあるトラップ、それから、ゴスペルのチョップ/サンプリングを交えた、センス抜群のラップ・ミュージックが展開されている。少なくとも、本作はモダンなヒップホップを期待して聴くアルバムではないかもしれませんが、他方、ヒップホップの普遍的なエンターテイメント性を提示しようとしているようにも感じられる。
#1「Black Mirror」は、ラウンジを基調にしたトロピカル・サウンドであり、なごやかでノルタルジックな雰囲気のイントロで始まる。それから、アーシーとも、オーガニックとも称される、Nonameのまろやかなスポークンワードが緩やかに展開されていく。それに加えて、おだやかなムードのコーラスが入ると、年代不明のディスコ・フロアへといざなわれるかのようでもある。
#2「Hold Me Down」 にて、ようやく本格的なスポークンワードが展開される。オープナーに続いてダブ・ステップに近い複雑なリズムを擁するトラップが繰り広げられるが、少しアイロニックかつシニカルなニュアンスをおり混ぜ、内省的なラップが繰り広げられている。イントロこそ単調な印象もあるリリックは、その後、コーラスが加わるや否や、ビートの上をまろやかなフロウが転がり始める。その上に、ゴスペルやアフロ・ジャズを想起させるメロウなフレーズが、甘い雰囲気を生み出し、アウトロのフェードアウトまで持続している。また、ドラムンベースやベースラインを基調にした変則的なリズムに加え、ソフト・ロック調の軽やかな雰囲気を織り交ぜながら、序盤の”トロピカル・ヒップホップ”としての基礎をしっかりと築き上げている。
#3「Balloons」は、ジェイ・エレクトロニカが参加したことで問題となったトラックですが、アルバムの中でも聴き逃がせない。Nilfer Yanyaに近いベースラインをバックにして、Nonameのスポークンワードは序盤よりも感覚的な鋭さと緊張感を増していく。独特なのは、絡みつくようなリリックの運びを介し、小節の後半に言葉の強拍を配置することにより、コアなグルーブ感を生み出している。そこに、チャールズ・ミンガスのウッド・ベースの演奏(モード奏法)を多分に意識したジャズのベースが加わると、Nu Jazzにも近い雰囲気を帯びる。サビの「Crack The Moon」というフレーズを介して、Nonameはフィーリングに直に訴えかけるようなフレーズを生み出している。これにイタロ・ディスコ風の甘い感じのコーラスが合わさり、リゾートな気分を盛り立てている。
#4「boomboom」でも同じく、英語の語感もしくは触感とも言うべき繊細でセンシティブなニュアンスが引き出されている。サザン・ソウルを根底に置く、いわば渋さのあるスモーキーなソウル・ミュージックが、トラップ寄りの現代的なビートやリズムと絡み、それに続いて最初期のモータウンのソウル・アーティストが行ったような言葉遊びにも似たフレーズが展開されていく。
トランペットの小刻みなスタッカートとレガートによる演奏は、この曲の性格をより楽しげに、和やかにしている。これはソウル、ジャズ、ラップという複数のコンテクストを介し、20世紀から次の世紀にかけてのブラック・カルチャーの音楽の潮流をシームレスに辿るかのようだ。
もちろん、モータウンをはじめとするサザン・ソウルのアーティスにとどまらず、20世紀の前半から中頃にかけて、男性のブルースマンも「boom」といったフレーズを介し、言葉遊びをリズミカルに取り入れたものだったが、Nonameもラップによる言語の実験性を介し、乗りやすいソウル・サウンドとして昇華している。そして、この曲がそれほど古臭くなからないのは、ビートの構成が巧みで、エレクトロに近いリズム・トラックとしてアウトプットされているから。
#5「potentially the Interlude」 もクールなトラックだ。ビンテージ・ファンクを下地にし、モダンなソウルとしてアウトプットしている。特に、ジャズではお馴染みの6/8のビートが反復されることで、うねるようなグルーブ感が生み出され、それらのビートの合間を縫うようにし、Nonameのスポークンワードがジャブさながらに打ち出され、最終的にはよりフロウに近づいていく。
曲の中盤では、Nonameのリリックは迫力を帯びはじめ、ドープとしかいいようがない刺激的な瞬間も到来する。リリックに充ちる緊張感は、「Nobody Answers」というフレーズの後に苛烈な雰囲気を帯び始める。
#6「namesake」も、チャールズ・ミンガスを彷彿とさせる重厚なベースラインでイントロが始まり、その後、動きのあるラップが展開される。この曲でも下地になっているのは古典的なジャズではあるが、その上で、エレクトロのリズム、サザン・ヒップホップの系譜にあるラップが繰り広げられる。
これらのアンビバレントなリリックは、Nonameの外側にある感覚と内側にある感覚のせめぎ合いが、こういったアブストラクトな表現として昇華されているのだろう。曲の中には大きな起伏こそないものの、前の曲と同様、コアなグルーブ感が打ち出されたトラックとして楽しめる。特に、アウトロにかけての主要なリズム・トラックからパーカッションをいきなり抜き去る瞬間がきわめて絶妙であり、前のめりのフロウとは対象的に、曲の後にメロウで落ち着いた余韻を残している。
続く、#7「beauty supply」では、メロウなファンク/ソウルが展開される。近年のネオ・ソウルがほとんどそうであるように、エレクトロの影響を反映させている。ついで、ラップとソウルの中間層にある、最もスモーキーな雰囲気が立ち込め始める。これらのソウルは、Nonameのリリックの節々と重なりながらセクシャルな雰囲気が生み出される。「beauty supply」は、前2作のアルバムにはあまりなかった要素であり、シンガーとしての進化が見える。ファンク色の強いベースライン、そして芳醇なホーン・セクションに支えられるようにし、これらの雰囲気は強調される。従来のアルバムにはあまりなかった艶やかさを前面に打ち出したトラックとなっている。
#8「toxic」を通じて、エレクトリック・ピアノにより、メロウなムードはさらに深みを増す。サンプリングのスポークンワードに応答するかたちで展開されるNonameのスポークンワードは、前衛的かつスタイリッシュである。ここにはシンガーの文学的かつ詩的な素質をうかがい知れる。
ここでもアルバムの序盤と同様、変則的なリズムを交えたモダンなトラップを意識したスポークンワードが繰り広げられる。しかし、Nonameのリリックのフレージングには爽やかな雰囲気があり、バックトラックと相まって、バレアリックに近い雰囲気を帯びる。言葉数は多いけれども、アルバムの中では、小休止のような意味合いのある安らいだ感じのトラックとなっている。
#9「Afro Futurism」は、フェラ・クティをはじめとする、アフリカの神秘思想に基づいて制作されたものと思われる。イントロのチョップ/サンプリング、及び、ブレイクビーツ的な処理は、デ・ラ・ソウルのノスタルジックなラップの源流を思い起こさせる。Nonameのスポークンワードには、アフロ・ジャズへのロマンチシズムがちらつき、ときにメロウで甘い雰囲気が生み出される瞬間もある。特に、他の曲に比べると、Nig○erの言葉を全面的に打ち出しながら、それらのルーツ的な何かを探し求めるかのようだ。しかし、バックトラックのメロウさに反し、相変わらずスラングを交え、スポークンワードを繰り出すNonameのフレーズは、始終淡々としている。
複数の著名なミュージシャンが参加した#10「gospel?」では、モダンなゴスペルの形が提示される。ゴスペルをチョップ/サンプリングとして消化し、その合間にメロウなソウルのフレーズを取り入れている。Nonameに対するBilly Woodsを筆頭とするラッパーのスポークンワードは、「対話型のゴスペル」とも称するべき、新たなスタイルが提示されている。このトラックには、新旧のブラック・カルチャーへの普遍的な愛着が余すところなく詰め込まれている。それは、ポリティカル・コネクトネスという固定概念をかるがると飛び越え、ついにはコモンセンスの意義すら塗り替えている。Nonameは、自らの音楽に関し、名やラベルを付与しないことで、措定や概念性から逃れる。なおかつ徹底して芸術表現を研ぎ澄まそうとしているのも見事だ。
アルバムのクローズ曲「oblivision」でも表現の自由性は保持されている。ファンクをベースにしたなごやかで甘いムードが覚めやらぬまま本作は終わってしまう。多少、シニカルな表現性が込められつつも、コラボレーターと協力してスムーズかつ勢いのあるラップを繰り広げている。これはおそらくファンへの配慮があってのことだ。Common、Ayoniのコーラスの参加は、楽曲の構成を簡素化し、省略化する効果を発揮している。ここには、飽くまでも「ポピュラー・ミュージックとしての親しみやすさにこだわりたかった」という制作者の意向も見え隠れする。
92/100
Nonameの新作アルバム『Sudial』はAWALより発売中です。ストリーミング等はこちらから。