Nation Of Language 『Strange Disciple」
Label: [PIAS]
Release: 2023/9/15
Review
ニューヨークでは、現在、ソロやバンドを問わずシンセ・ポップが盛り上がりをみせている気配がある。ブルックリンのシンセ・ポップ・トリオ、Nation Of Languageもそんな流れを象徴付けている。トリオはプリマヴェーラ、ピッチフォーク・フェスティバル、アウトサイド・ランズ等、世界規模のフェスティバルへの出演を経て、サード・アルバムで一回り成長して帰ってきた。
バンドは今作で、ニューロマンティックの系譜にあるサウンドをポスト・パンクと結びつけようとしている。Duran Duran、JAPAN、Human League周辺のクールでニヒリスティックなボーカルにテクノ調のビートが搭載される。そのサウンドの内核には、ポスト・パンクのオリジナル世代のJoy Divisionを彷彿とさせるマシンビートが響き渡る。しかし、機械的なアプローチが主体であろうと、ネイション・オブ・ランゲージの音楽は叙情性を失わない、言い換えれば、マシンのテクノロジーを音楽性の根幹に置こうとも、人間味や精彩感を失うことはないのである。
アルバムのオープナー「Weak In Your Light」のイントロは、クラフトワーク風のレトロなシンセで始まるが、その後を引き継ぐのは、Duran Duran、Human Leagueに象徴される80年代のシンセ・ポップである。 ボーカルはニヒリスティックな感覚もあるが、ボーカルラインには爽やかさと清涼感が迸る。そして一般的に、少し軽すぎる印象もあるニューロマンティック風のアプローチに関して強く惹きつけられるものがある。それはおそらく、彼らの本質がオルタネイトなグループであるためなのだろうか。少なくともトリオは、これまで、Pixies、Replacements,Broken Social Scene等のオルトロックバンドの名曲のカバーを行っていることからも分かる通り、彼らの楽曲のスケールやコード進行の中に若干捻りがある。そのワイアードな感覚がMTV時代のシンセ・ポップと重なり合い、新しいとも古いとも付かない奇妙なポップ・サウンドが生み出されることになった。
「Sole Obsession」も同じようにDuran DuranやHuman Leagueのシンセ・ポップを継承している。しかし、シンセのフレーズの組み立て方に工夫が凝らされている。パルス状のアルペジエーターとシークエンスが組み合わされ、重層的な構造性が生み出される。しかし、その空間的なシンセの構成に加え、Joy Divisionようなマシンビートが干渉することで、得難いグルーブ感が生み出される。ダンスフロアのビートのような迫力こそないものの、テクノ的なスタイリッシュなビート感を味わえる。もちろん、爽やかなボーカルもその雰囲気を引き立てる。これはThe 1975のマティ・ヒーリーが書くようなシンセ・ポップを基調にしたソフト・ロックとそれほどかけ離れたものではあるまい。そして、同じように軽やかな雰囲気が奇妙なカタルシスを呼び覚ます。
通常、リスナーは何らかの期待感を持ってアルバムを聴き始めるものだ。そこで、その後の展開がどのような感じで展開していくかに関わらず、アルバムのオープニングで、作風の意図を明確に示しておく必要がある。この点において、Nation Of Languageはシンセ・ポップのベタなアプローチを図り、グループの音楽のコンセプトを的確に示しているのが美点である。そして、一度、音楽がスムーズに流れ出すと、その後、クリアに展開されていく。「Surely I Can't Wait」では、前の2曲と同じようなアプローチを取っているが、YMOの全盛期に近いスタイリッシュな雰囲気を取り入れることで、ユニークな感覚が生み出されている。そして、旧来の米国のオルト・ロックからの影響は、メロディアスなボーカルラインに、ちょっとした掴み、フックのようなものをもたらしている。これが一度聴いたら耳に残る何かがある要因なのである。
アルバムの序盤では徹底して音楽における規律というのを重視した上、Nation Of Languageは、その後、自由なアプローチを図る。「Swimming in The Shallow Sea」では歪んだオルト・ロック風のギターラインを取り入れ、遊びの部分を設けている。ここでは、ドリーム・ポップのような夢想的な音楽性を押し出し、リスナーを夢見心地の最中に誘う。ただ、それは曲のスタイルが変更されたのではなく、飽くまで、スロウなシンセ・ポップの延長線上で遊び心溢れる志向性が選ばれたに過ぎない。そしてそれは、80年代後半のドリーム・ポップのようなロマンティックな感覚を呼び覚ます。言うなれば、だんだんとアルバムの音楽が深化していくような気分にさせる。
表向きのシンセ・ポップに隠れるように潜んでいたAOR/ソフト・ロックの要素がアルバムの中盤にかけて前面に押し出される。「Too Much, Enough」では、シンプルで親しみやすいフレーズを歌いながら、ジャーマン・テクノとソフト・ロックを掛け合せた作風に転ずる。YMOのようなレトロな感覚のポップというスタイルを継承しているが、チープで親しみやすい音色とボーカルラインの軽妙さが程よく合致し、彼ら独自の音楽性へと昇華されている。ビートとメロディーという2つの要素がせめぎ合うようにし、その中間域を揺れ動く。そして、これらの感覚はユニークな印象をもたらすとともに、聞き手の興味を惹きつけてやまない。
その後も、一貫したアプローチが続く。「Spare Me The Decision」でもレトロなテクノを基調として、それらをメロディアスで叙情的なボーカルと結びつけている。それらの展開はやがてソフトロック/AORのような和らいだ爽やかなボーカルのメロディーラインを擁するサビへと緩やかに変化していく。それほど大袈裟なアクセントや起伏があるわけではないが、メロディーラインは口ずさみやすさがあるため、ライブではアンセミックな瞬間をもたらす可能性がきわめて高い。つまり、この曲は、世界的な規模を持つライブバンドがステージ映えする音楽を生み出そうとした結果生み出されたものなのだろう。ひときわ興味を惹かれるのは、ボーカルの音域が広いわけでも強弱や抑揚をつけるわけでもないのに、強固なグルーブ感が生み出されていること。これはテクノ・ポップという音楽の核心をトリオが熟知しているがゆえなのだろう。もちろん、ステージでのライブ感覚という一つの指針を相携えてのことである。
このアルバムの中で、個人的に最も素晴らしいと思ったのが続く「Sightseer」だった。アルバム全体に満ちている癒やしの感覚は、このミドルテンポのトラックで最高潮に達する。それは、Joy Divisionのイアン・カーティスが「Ceremony」、「Atmosphere」といった名曲で探求した、落ち着いたサイレンスに根ざした癒やされる感覚である。同じように「Sigetseer」でも、ニューロマンティックとニューウェイブを掛け合せている。清涼感のあるボーカル・ラインは、スティングが80年代に書いたUKポップのアンセミックな瞬間とロマンチズムを呼び覚ます。このトラックに溢れるMTVの全盛期の淡いノスタルジアは、その時代を知るか否かに依らず、奇妙な哀感をもたらす。曲の最後では、オルガン風の音色のシンセの演奏と絶妙なポップセンスが組み合わされ、神妙な瞬間が訪れる。ここに、トリオの音楽の醍醐味が求められる。曲の構成がシンプルでポップありながら、幽玄さを持ち合わせているという点に。
以後、Nation Of Languageは、「Stumbling Still」においてポスト・パンク的なアプローチをみせる。オーバードライブを掛けた骨太のベースラインで始まるこの曲は、シンセ・ポップと結びつき、最もノイジーな瞬間へ移行する。稀に曲の中に亀裂をもたらすように走るノイズ。しかし、メロディアスな雰囲気を毀つことはない。アルバムの序盤で示されたニューロマンティックのニヒリスティックな雰囲気は、中盤で立ち消えとなった後、終盤のトラックで舞い戻ってくる。その後、The 1975の音楽性に親和性がある「A New Goodbye」で、まだ見ぬ潜在的なファンにアピールし、さらにアグレッシヴなシンセ・ポップ「I Will Never Learn」で力強いエンディングを迎える。
Nation Of Languageのニューアルバム『Strange Disciple』は、そのプロダクションの意図するところがきわめて明確であり、彼らが示そうstyle="max-width: 100%;"とする音楽性が物凄くシンプルに伝わってくる。特に、アルバムのハイライト「Sightseer」は彼らのベスト・トラックと言っても差し支えないのではないか。
84/100