Me Rex 「Giant Elk」
Label: Big Scary Monsters
Release: 2023/10/20
Review
Me Rexは、2021年に『Magabear』でデビューを飾った。ロンドンをベースにするトリオ編成のバンドで、ここ数年、個性的なリリースを行っている。
2015年に結成後、恐竜や先史時代の哺乳類の名に因んだEPを連続して発表した。バンドの中心人物、マッケイブは、Freshというバンドで活動していたKatherine Woods(キャサリン・ウッズ: 現在は脱退)、Rich Mandel(リッチ・マンデル)、Happy Accidents,Cheerbleederzとして活動していた、Phoebe Cross(フィービー・クロス)を加えてトリオで活動している。(以前、Cheerbleederzの『Even In Jest』のレビューを行っている)
今回も、バンドのコンセプトに大きな変更はない。ノルウェーの山岳地帯ににいそうなシカのデザインをあしらった高級感のあるアートワーク。一方、バンド・サウンドはギター・ポップ、インディーロック、コンテンポラリー・フォーク、ブリット・ポップを集約した親しみやすい内容。
本作のサウンドを大まかに紐解くと、Built To Spill,Guided By VoicesのようなUSオルタナティヴロックがあるかと思えば、The Pastelsのようなネオ・アコースティックもあり、The Stone Rosesのような若々しいコーラスワークもある。そして、Wedding PresentsのようなUKロックらしい渋さもある。Me Rexの音楽性はそれほど画期的なものではないが、90年代や00年代の懐古的なサウンドの旨味を抽出した上で、それを現代的なオルタナティヴロックサウンドとして仕上げようとしている。そして、Cheerbleederzと同じく、不器用さのなかに清々しい感じがある。また、ロック/フォーク・サウンドの中にコンセプト・アルバムのような狙いを読み取ることも出来なくもない。ロンドンのバンドの中には、先鋭的な音楽を追求するグループとは別に、ビンテージ感のあるサウンドを追求する一派もいる。おそらく、Me Rexは後者に属しており、それはそのままロンドンの街の文化のヴァラエティーを象徴していると言えるのではないだろうか。
このアルバムは、学術的な調査のためにやって来た若き探検家の眼の前に突如、(数世紀前に絶滅したと思われていた)古代のシカが、大自然の向こうにその姿を幻想的に現すかのように、シンセサイザーのシークエンスを足がかりにし、深遠な靄の向こうからフォーク・ミュージックがかすかに立ち上ってくる。Me Rexが志向するのは、ジョージ・ハリソンのソロアルバムのポピュラーなフォークにはあらず、よれた感じのヴィンテージ感のあるフォークであり、アリゾナのMeat Puppetsの『Meat Puppets Ⅱ』、シカゴのCap n' Jazzの「Ooh Do I Love You」のようなアメリカーナの影響を絡めたサウンドがアルバムのインタリュード代わりになっている。
暗黙のルールとして、アルバムの曲間には、短いタイムラグが設けられているのが通例であるが、ここではそのタイムラグを作らず、すぐに二曲目の「Infinity Warm」に移行する。 ボーカルラインは贔屓目なしに見ても、オアシスのリアム・ギャラガーの系譜にある。しかし、そのブリット・ポップ風のボーカルラインに個性的な印象を付加しているのが、トゥインクル・エモの高速アルペジオを駆使したギターの影響下にあるオルタナティヴロックサウンドだ。メロからサビへと移行したとたん、その印象はWedding Presentの渋いロックサウンド、そしてDavid Louis Gedgeを彷彿とさせるボーカル・ラインへと変わっていく。90年代から00年代に時代を進めていくというよりも、むしろ、それ以前のザ・スミスの時代へ遡っていく。さらに、マッケイブの歌うサビはアンセミックな響きを帯び、同地のSHAMEの最新作のような掴みやすさもある。
アルバムの冒頭の二曲で、初見のリスナーに掴み所を用意した後、Me Rexはゆるやかなフォーク・ミュージックを展開させていく。
「Eutherians(Ultramarine)」では、ニール・ヤング調の渋いフォーク・ミュージックをもとにしているが、ボーカルラインはきわめて個性的だ。シカゴのミッドウェスト・エモの系譜にあるようにも思えるし、アメリカーナやネイティヴアメリカンの歌でもよく見られる、わざとピッチをずらした感じの歌い方をもとにしているようにも思える。
そして、これらのアメリカーナのサウンドの中に、Led Zeppelinがハードロックの音楽に取り入れていたインドのカシミール地方の民族音楽の笛の演奏を加味し、多彩なサウンドを作り上げる。演奏自体は、変拍子を交えたプログレッシヴ・ロックのように難解になることはないけれども、むしろそのシンプルなビートの運びの中に、一定の共感性を見出すこともできる。
一転して、スペーシーなシンセを主体にした 「Giant Giant Giant」は、ロンドンやブライトンの現行のポスト・パンクに近い印象だ。一方で、やはりフロントマンのマッケイブのボーカルラインは、米国のポストエモのサウンドに焦点が絞られており、Perspective,a lovely Hand to Hold、sport.及び、既に解散したフランスの伝説”Sport”を始めとする現代のエモシーンのパンキッシュなノリを追加している。ただ、Me Rexのバンドサウンドは、エモーショナル・ハードコアとまではいかないで、比較的ポピュラーなパンクサウンドの範疇に収まっている。しかし、彼らはパンク性をサウンドの内に秘めながらも、表側にはひけらかすことはない。ただ、よく知る人にとっては、曲の中にパンク性を見出すことはそれほど難しいことではないように思える。
その後、アルバムの雰囲気はガラリと一変する。「Halley」では、Big Thiefのギタリスト、Buck Meekに象徴されるヴィンテージ感のあるフォークサウンドを、実験的なシンセサウンドで包み込む。ロンドンのバンドからのアメリカへの弛まぬ愛情が示され、南部的な憧れの中に可愛らしいシンセが絵本の挿絵のような印象を加えている。この曲は、まるでロンドンからテキサスにひとっ飛びしたと思わせるような感覚に充ちている。その米国的なイメージが果たしてアリゾナの砂漠までたどり着くのか。それは聞き手次第となりそうだが、音像に集中していると、タイトルにあるように、アリゾナの砂漠の夜空の神秘的な彗星が浮かび上がってきそうな気がする。
捻りのある変拍子のリズムをポリリズムとして組み込んだ「Oliver」が、『JFK』や『スノーデン』で知られるNYのドキュメンタリーの巨匠、オリヴァー・ストーンに依るのかは定かではない。ただ、少なくとも、このサウンドの中には、ロンドンのポスト・パンクらしいリズムへの弛まぬ探求心を見出せるし、また、映画のサウンドトラックの映像の中で、ポピュラーなボーカルトラックとして響くような象徴的なテーマも垣間見える。90、00年代の簡素なバラードにオルタネイト性を付加し、彼らはこの形式に未知の可能性が秘められていることを示唆している。
続く「Spiders」もシネマのサントラで聞こえるようなポピュラー・ソングだ。例えばハートウォーミングなワンシーンを彩るような柔らかさがある。
遅いテンポのシンセのアルペジエーターを元に、「Halley」のアメリカーナの要素をまぶし、それらを温和な空気感で包み込む。さらに、1分50秒ごろから、背後のバンドサウンドに支えられるようにし、激したボーカルに変化し、エド・シーランが書くようなポップネスに比する温和的な感覚と上昇するような感覚を兼ね備えたバラードに変身してゆく。
ミニマルなループサウンドという面では、現在の主流のインディーロックと大きな相違点はないものの、曲の終盤では、アンセミックな瞬間を呼び起こそうとしている。さらに驚くべきことに、Wilcoの「Infinity Surprise」にも似た超次元的な至福の感覚が表現される。これらの変化は、土の中にあった種子が長い時間を経、草木に成長していき、やがて心をうっとりさせるような花を咲かせる。その過程を見るかのような微笑ましさがある。
「Jawbone」は、再びパンク的なサウンドに立ち戻る。”Jaw”といえば、パンク・ファンとしては、JawbreakerとJawboxを真っ先に思い浮かべてしまうが、この曲に、上記の二つのバンドと直接的な関連性を見出すのは強引となるかもしれない。しかしながら、シンセサイザーとパンクの融合という点では、シアトルのSub Popに所属するKiwi Jr.のサウンドを彷彿とさせるものがある。その中には、US的なオルトロックに対する愛着すら滲んでいる。ただ、彼らは、ロンドンにいることを忘れたというわけではない。USパンクやオルタナティヴ・サウンドを基礎にしつつも、やはり、Wedding Presentsの英国の直情的なインディーロックの核心を踏まえているのだ。
アルバムの終盤に差し掛かっても、Me Rexのバンドサウンド、またメンバーの人柄を感じさせる温和さは重要なポイントを形成している。「Pythons」では、再びアメリカーナをシンセサウンドというモダンなアプローチと結びつけているが、彼らは完成度の高いサウンドを避け、余白のあるサウンドを提示している。それがそのまま、ローファイ的な旨味を抽出している。シンセの演奏は遊び心があり、聴いていると、ほんわかして、やさしい気持ちになれる。
セカンド・アルバムに見受けられる温和さ、また、表向きには見えづらい形で潜む慈しみは、ヴィンテージな感覚を持つフォーク・ミュージックの最深部へと接近する。アルバムの最後に差し掛かった時、オープニングから続く幻想的な空気感は最高潮に達する。
「Strangeweed」を通じて、ベトナム戦争時代のボブ・ディランにとどまらず、それよりもさらに古い、アパラチア・フォークの米国のカルチャーの最深部に迫っている。アルバムは、「Summer Brevis」で終わる。バンドは、背後に過ぎ去った遠い夏に別れを告げるかのように、爽やかな印象を携えながら、このアルバムを通じて繰り広げられた一連の旅を締めくくっている。
85/100