Sufjan Stevens 『Jevelin』
Release: 2023/10/6
Review
米国のインディーフォーク界の雄、スフィアン・スティーヴンスは多くの人がご存知の通り、現在、困難な病と闘病中で、ギランバレー症候群の合併症により、歩行のリハビリ治療を受けている最中だという。
スフィアン・スティーヴンスの持ち味というのは、神秘思想に根ざした個性的な世界観とオーガニックな雰囲気を備えた、ほんわかした感じのフォーク・ミュージック。そういった独特な世界観は、2010年代の米国のフォークシーンの象徴的な存在として名を馳せることに一役買ったものと思われる。今年に入ってから、スティーヴンスは、バレエのための劇伴音楽『Reflections』を発表した。二台のピアノの連弾を駆使した彼のカタログの中でも重要な意味合いを持つスコアと称せる。
アルバムの冒頭を飾る「Goodbye Evergreen」に関しては、アーティストからのメッセージとも取れる。ピアノのミニマルな演奏を交えたスフィアン・スティーヴンスのフォーク・ミュージックが映画のサウンドトラックのような形でひとまず集大成を構築した。ここにはバレエのスコアを手掛けた経験が、こういった形のストーリー性のある楽曲を生み出したものと思われる。しかし、コーラス的な美しさが加わることで、これまでよりもアヴァン・ポップ/ハイパーポップのような方向性が選ばれている。ここには、神聖なるものへのロマンスが滲んでいるが、それは同時にサイケデリアに近い空気感が漂っている。そして、このアーティストが考えうる形の祝祭的なイメージに移行する。ここには、若い感性への別れが告げられていると推測出来る。
続く、「A Running Start」では、旧来のファンの期待に応えるべくオーガニックなインディーフォークを展開する。2021年のアルバム『Begginer's Mind』の音楽性の延長線上にある自然味溢れるフォーク・ミュージックとして楽しめる。その後も、いわばオーガニックなインディーフォークの音楽性が続き、「Why Anybody Ever Love Me」ではアメリカーナの要素を交えて、エド・シーランのポップネスに近い、アンセミックな曲を築き上げている。特に、コーラスワークが秀逸であり、口ずさむような親しみやすいフレーズが堪能出来る。
これまでのスフィアン・スティーヴンスのインディー・フォークには、独特な内省的な感性が取り巻くようにして、その音楽の外形を構築することが稀ではなかったが、「Everything That Rises」はそういった表面性とは別の、内的感覚をいたわるような雰囲気に充ちている。以前よりも声はハスキーになり、スモーキーな渋みと味わいがあるが、その雰囲気を支えているのがアコースティックギターの弾き語りだ。その上にシンセのテクスチャーを重ね、シネマティックな音響効果を及ぼしている。これは以前にはなかった要素で、ここでも、劇伴音楽の制作に取り組んだ経験が多分に生かされている。スティーヴンスは音楽を介して、行間とイメージを中心とする御伽話や子供向けの絵本のようなストーリーを書き上げることで知られているが、このトラック周辺から、ストーリー性が加味され、物語が制作者の手を離れて徐に転がっていく。
「Genuflecting Ghost」では、指弾きによるアコースティックの繊細なアルペジオに、アンビエント風のボーカル、そしてその空気感をさらに高めるコーラスが合致し、ヘンリー・ダーガーの絵本のような世界観を生み出す。またコーラスワークは最終的にゴスペルのような音楽性が付加されることで、こういったフォークの構造性がある種の建築物のような強固な世界観を生み出していくのである。
これまでのスティーヴンスの作品では、それほど制作者の感情がガッツリと出ることが少なかったが、珍しく「My Red Little Fox」では、スティーヴンスは内面の感覚を直情的に表現しようとしている。それは確かにヤングともディランとも異なる、ニック・ドレイクの系譜にあるモダン・フォークという形であるが、この曲には、意外にも彼の古典的なフォーク・ミュージックに対するリスペクトが示されているように思える。
そして、やはり同じように、シネマティックな音響効果を交え、映画音楽とフォーク音楽の融合という新しい形式を生み出そうとしている。そして、それは子供の合唱等を交え、エンジェリックな雰囲気を生み出す場合もある。清廉な世界に対する制作者の憧憬が垣間見え、スティーヴンスの理想とする内的世界がフォーク音楽に色濃く反映されている。
従来、暗い曲を多く書いてこなかったイメージもあるけれども、続く「So You Are Tired」では、ピアノとギターという二つの起点にし、アルバムの他の曲とは対象的な暗鬱さのある内面世界をクリアに描出している。もちろん、明るさという性質は、暗さを見ぬ限りは生み出されず、暗さもまた明るさを見なければ生み出されないのである。
アルバムの中の主要なイメージを形成していた教会のゴスペルからの影響は、その後もそれほど目立たないような形で曲の中核を構築している。アルバムのタイトル曲「Jevelin」では、フォークとゴスペルを融合させて、最終的にはThe National、Bon Iverのようなプロダクションを追求しており、さらに、「Shit Talk」でも同じような音楽性が受け継がれている。 また、リズム的な側面からも変則的なビートを生み出すため、複数の実験を行っている。序盤の収録曲と同じように、一貫して神聖なイメージを生み出そうとしている。その後、一転して、多幸感にも近い清廉なイメージとは別の印象性がアルバムのクライマックスに立ち上がる。
「There's A World」では、2021年のアルバムにおける「禅」の考えが取り入れられ、アーティストによる、肯定的でもなく、否定的でもない、「中道の考え」が示されている。タイトルに見えるのは、原始仏教の奥義のひとつである「物象をあるがままに把捉せよ」という考え。畢竟、私見が入ると、物事の真実性が歪曲されてしまう虞があるということ。音楽は寧ろイデアを元にしながらも、概念から掛け離れたときに真価を発揮するため、これらの観念的な事象が音楽から解放された時、スフィアン・スティーヴンスの傑作が生み出されそうな予感がある。とにかく、今しばらく、ファンとしては、アーティストの早い回復を祈るしかないのかもしれない……。
78/100