Peter Broderick & Ensemble 0 『Give It To The Sky』
Release: 2023/10/6
Review
米国のモダン・クラシカルの象徴的な存在、ピーター・ブロデリックによる最新作。ブリデリックは、これまでのバックカタログで、ピアノを主体とするポスト・クラシカルや、インディー・フォーク、はては自身によるボーカル・トラック、いわゆる歌ものまで多岐にわたる音楽に挑戦している。
ブロデリックは、ロンドンのモダン・クラシカルの名門レーベル、Erased Tapesの看板アーティストである。特に「Eyes Closed and Traveling」は、ポスト・クラシカルの稀代の名曲である。今回、プロデリックはフランスのアンサンブル”Ensemble O”と組み、リアルなオーケストラ録音に着手した。彼は、アイオワのチェロ奏者、アーサー・ラッセルの隠れた録音に目を付けた。ラッセルは、チェロ奏者ではありながら、作曲家として活躍し、複数の録音を残している。ある意味、ブロデリックとラッセルには共通点があり、両者ともジャンルや形態を問わず、音楽をある種の表現の手段として考え、それを録音という形に収めてきた。ブロデリックは、ラッセルの一般的には知られていない録音に脚光を当て、この録音の一般的な普及させるという目的と合わせて、それらを洗練されたモダン・クラシカルとして再構成するべく試みている。
アーサー・ラッセルのオリジナルスコアの中には、どのような魅力が隠されていたのか? 考えるだけでワクワクするものがあるが、彼は、実際にスコアを元にして、ピアノ/木管楽器を中心としたフランスのアンサンブルと二人三脚で制作が行われた。同じたぐいの作品として、今年、フランスのル・ソールから発売されたアントワーヌ・ロワイエのアルバムがある。ベルギーのアヴァン・フォーク界隈で活躍するロワイエではあるが、クラシカルとフォークを結びつけ、壮大な作品を完成させた。Peter Broderick & Ensemble 0による『Give It To The Sky』は、ロワイエの最新作に近い音楽性があるが、純正なクラシカルや現代音楽に真っ向から勝負を挑んだ作品と称せる。
アルバムの構成は連曲か、あるいは、変奏曲の形式が並んでおり、「Tower Of Meaning」が、ⅰ〜ⅹⅱまで収録され、その合間に独立したタイトル曲や、別の曲が収録されている。録音風景を写した写真を見て驚いたのだが、実際のレコーディングは、オーケストラの編成のライブ録音のような形でホールで行われたものらしい。マリンバや木管楽器、そして、ピアノのすぐ近くに志向性のマイクを配置し、おそらくラインで録音したアルバムであると思われる。しかし、近年、教会に見られるような天井の高い音響を生かしたプロダクションを特徴とするErased Tapesの質の高いサウンドの渦中にあって、本作は単なる再構成というよりも、過去のスコアを元にし、原曲の持つ魅力を引き出し、オーケストラの演奏やコンサートの空間の醍醐味を最大限に生かそうという点に主眼が置かれている。実際、聞けば分かる通りで、複数のパートの木管楽器は美麗なハーモニーを描き、そしてその間に導入される断片的なマリンバの演奏や、ピアノのリズム性を生かした演奏のきらびやかな音の響きが空間内を動き回り、精彩なオーケストラサウンドとして昇華されている。マイクの配置の巧緻さには目を瞠るものがあり、いわば、音の粒子に至るまで、微細な動きが感じられる。クリアなプロダクションの中に変革性が込められていることは、これらの一連の連曲や変奏曲を見ると一目瞭然である。
木管楽器のアンサンブルを主体とする、ハーモニーの調和や美しさに焦点が絞られている連曲「Tower Of Meaning」は、一貫してスムーズな音の運びが重視されており、ECMのNew Seriesのマンフレッド・アイヒャーの好む精彩な音の志向性に近い。これらの木管楽器のハーモニーは、かなり古い中性の時代のヨーロッパの古楽や教会音楽が下地になっているらしく、古楽に詳しい人ならば、パレストリーナ様式の旋法を始めとする、フランスの近代音楽の下地となったヨーロッパの教会旋法の対位法の数々の断片を捉えることが出来るだろう。そして実際に、徹底してマイクの志向性と、その響きの印象性に重点が置かれた玄人好みのサウンドは、ドイツ/ロマン派以降の複雑な対位法や和音法こそ取り入れられていないが、グレゴリオの系譜にあるラッセルの単旋律を生かしたポリフォニーの形式に共感を覚えるはずである。これらの技法は、例えば、クラシックのシーンで言えば、ある指揮者がモーツアルトのオーケストラ譜を通じて、「クリアトーン」という概念で再現させようとしていたが、実際、それに似た手法が図られている。しかし、ピーター・ブロデリックとアンサンブルは、オーストリアの古典派ではなく、教会旋法を下地にしたラッセルの古楽的な手法で録音の完成系を生み出そうとしている。
そしてハーモニーの美しさとは別に、リズムの前衛性に焦点を絞った曲もあり、それらの二つの観点から見た現代音楽の面白みを追求している。何より、セリエル等の無調音楽は、それほど現代音楽に詳しくないリスナーにとっては、取っ付きづらく、不気味なものでしかないのだが、このアルバムはそうではなく、ハーモニーの調和とリズムのおもしろさに重点が置かれているので、それほど聞き苦しさはない。クルターグ・ジェルジュがサミュエル・ベケットに捧げた曲のように難解でもなければ、セリエルの知識を持ち合わせていなくとも楽しむことが十分出来る。特に、複数の木管楽器のオーケストラレーションの中で、芳醇さと重厚感さを兼ね備えた美しいハーモニーが連曲の中で生み出される瞬間があり、その前衛的な和音に注目すべき箇所がある。これらの和音の構成は、スクリャービンの神秘和音やフランクの楽曲ほどに難解ではない。上記の近代と現代の合間に位置する作曲家の多くは、演奏することよりも、演奏することが出来ないという点において、実際より高い評価を受けてきた経緯があるが、最早、現代の音楽において、そのような衒学性をひけらかすことに意味があるのか? ラッセルの作品は改めて、音楽における純なる喜びがないものに関して、疑念を投げかけているようにも思える。
アーサー・ラッセルは、作曲家であるとともに、チェロ奏者として活躍した音楽家だが、チェロの演奏に関して、瞠目すべき変奏曲も「Ⅵ」に見られる。ピチカートを活かし、リズム性を重視した奏法は、クラシックという領域を離れ、始原的なジャズの雰囲気を留めた一曲である。カウンターとしてのジャズとメインストリームのクラシックが合わないというのは思い違いで、かつてマイルス・ディヴィスは、ストラヴィンスキーの春の祭典を聴き、感激し、モード奏法を生み出したわけなのだし、ジャズの祖先は、ひとつは、アフリカのグリオの以後のブルースやゴスペルがあると思うが、もう一つは、西洋的な音楽ーー、ガーシュウィン、プロコフィエフ、ラヴェル、フランス音楽院の教育の根幹を担っていたフォーレにまで遡る必要がある。
音楽が好きで、ジャズかクラシックのいずれかしか聞かないというのはもったいないことで、偏った考えにより音楽を捉えていることの証でもある。そういった面では、ジャズとクラシックという、二つの偏った考えを、あらためてフラットに戻してくれるのが、ラッセルのスコアであり、また、プロデリックとフランスのアンサンブルの再構成でもある。何より、このアルバムが良いと思うのは、ジャンルという観念に縛られることなく、通奏低音のように響くモチーフが、一つの線を最初から最後まで通わせていることである。その中に織り交ぜられるブロデリックの自作のボーカルトラックも、良いアクセントになっている。つまり、オーケストラやクラシックにそれほど親しみがない人にも、ちょっとした掴みが用意されているのが素敵だ。
本作は、BBCが高評価したKit Downesのジャズ/クラシックの中間層に位置づけられるECMサウンドに触発された二次的な音楽という欠点も散見されるが、木管楽器のハーモニー、リズム的な面白さ、そして控えめに登場するチェロの前衛的な奏法が美麗な印象を形作る。再構成が中心のアルバムではあるが、時代の底に埋もれていた良い音楽の再発見という機会をもたらすとともに、ブロデリックのカタログの中でも象徴的な作品が生み出されたことの証ともなるだろう。
85/100