【Weekly Music Feature】 Danny Brown(ダニー・ブラウン) 「Quaranta」  アブストラクトヒップホップの新しい形 



デトロイト出身のダニー・ブラウンが世界のファンに愛されるのには理由がある。ダニーほど獰猛なリリックを、これほど魅力的な人物像にまとわせたMCはいない。初期の頃は、その韻やビートと同様に、パーマのかかった髪、歯を見せて笑う姿、奇妙なファッション・センスでも知られていた。


しかし、ストリートレベルのデトロイトと、その中でのシュールな日常を小節で表現する彼の能力は、彼の長寿を生み出し、彼の遺産を刻み込んだ。ヒップホップが無数の方向に分断されていた時代、ブラウンはそのすべてを科学しているようだった。ブレイクアルバム『XXX』をリリースする頃には、彼はアヴァンギャルドなインターネット・ヒップホップのムーブメントの先頭に立っていた。


以来、ブラウンはヨーロッパのフェスティバル・サーキットでレイバーを熱狂の渦に巻き込み、ヒップホップ専門誌、XXL誌の憧れのフレッシュマン・カバーを飾った。アール・スウェットシャツからQティップまで、ラップの王道とニュースクールの架け橋となり、アンダーグラウンドのエレクトロニック・レコード・レーベルと手を組んだ。


最も驚くべきことに、彼は不可解なまでに自分自身であり続けながら、これらすべてを成し遂げてきた。決して一方通行になりすぎず、バランスを保つ方法をわざわざ説明することもない。『Quaranta』は、10年以上にわたってファンを謎に包んできたアーティストの内なる独白を解き明かし、ついにその幕を開けようとしている。ブラウンの6枚目のスタジオ・アルバムは、2021年のパンデミックによる封鎖の間に書かれたもので、自伝的かつ個人的な内容となっている。「あまりやることがなかったから、自分が経験したことすべてを音楽に込めるのが一番だった 」と彼は言う。


イントロにあるように、"クアランタ "はイタリア語で "40 "を意味する。ブラウンによれば、『Quaranta』は2011年にリリースされたアルバム『XXX』の精神的続編であり、30歳のギリギリの人生を綴った悪名高い作品である。10年後、COVID-19が世界を停止させたとき、ブラウンはデトロイトのダウンタウンで初めて一人暮らしをしていた。何年も逃避行をしていた彼は、静けさと静寂に適応することを余儀なくされ、『Quaranta』の小節はダニー・ブラウン独特の日記的なものになっている。


「YBP」ではブラウンの幼少期や家族の一人称のシーンが鮮やかに登場し、"Jenn's Terrific Vacation "ではデトロイトのダウンタウンに立ち並ぶ2ベッドルームや新しいグルメ・ショップの家賃の高騰に涙したり、15年近いラップ・キャリアに対する後悔に満ちた考察がプロジェクト全体に深みを与えている。


クエル・クリス、ポール・ホワイト、SKYWLKRら、ブラウンの古くからのコラボレーターたちによる、角の取れた魅惑的なプロダクションに乗せたブラウンらしい電撃的なヴァースには事欠かないが、アルケミストがプロデュースした "Tantor "は、まさに彼のキャリアを通して賞賛されてきた、冷徹な鋼鉄のような矛盾に満ちた作品だ。


最近、モーター・シティ出身の彼はテキサス州オースティンで日々を過ごしているという。「オースティンは大好きだよ。もっと早く引っ越せばよかった」とブラウンは言う。人気ポッドキャスト『ダニー・ブラウン・ショー』の収録はオースティンで行っているが、この引っ越しのきっかけとなったのは、大きな転機となった別れだった。


彼はそのことを「Down Wit It」で語っている。この曲は男性の自省の告白であり、アルバムに収録されている多くの率直な場面のひとつ。クアランタの核となるミッション・ステートメントである成長、痛み、進歩、そして丘の上からの眺めは、MIKEとのコラボ曲 "Celibate "に収録されている "I used to sell a bit, but I don't fuck around no more, I'm celibate "の一節で理解できるだろう。


「ヒップホップでは、人はあまり年を取らないんだ」と彼は振り返る。「そういう意味で、ヒップホップは若いスポーツなんだ。他のほとんどのジャンルでは、50歳でも60歳でもまだやっていることができる」。しかし、ダニーはその成長をしっかりと身につけているようだ。ブラウンは今年、リハビリ施設に入所後、禁酒していることを発表し、JPEGMAFIAとのコラボ・アルバム『Scaring the Hoes』を引っ提げたツアーは、衰えを見せない生産性の高さを示している。


彼の機転の利いたウィットや社会の裏側からの話は相変わらずここにあるが、いつ言うべきかをようやく学んだ、賢明な男からの言葉であり、それによってより良質なサウンドになっている。「多くの人がコンセプト・アルバムを作るけど、コンセプトこそ僕の人生なんだ」とブラウン。



Danny Brown 『Quaranta』/ WARP


 

イタリア語で”40”を意味するダニー・ブラウンの最新作『Quaranta』は、2021年のパンデミックと同時期に制作が開始された。

 

悪夢的な時期と重なるようにして、ブラウンの人生にも困難が降り掛かった。The Guardianに掲載されたインタビューで、ブラウンはいくつかの出来事により、「自殺への淵に迫った」と胸中を解き明かしている。『XXX』でアウトサイダー的なラッパーとして名を馳せて以来、およそ10年が経ち、彼は40歳を過ぎた。2010年代には、ドラッグのディーラーをしたりと、猥雑な生活に身をやつしていたブラウンは、今年に入り、更生施設に入り、断酒治療に取り組んでいた。その経緯の中で、インタビューでも語られているように、親戚の葬式の資金をせびられたり、鎮静剤であるフェンタニルの作用により、悪夢的な時間を過ごすことになった。それはときに、過剰摂取の恐れがあったが、彼はそれをコントロールすることができなかった。

 

過ちがあったのか。才能の過剰さが人生に暗い影を落としたのか。それとも、そうなると最初から決まっていたのか。いずれにしても、WARPから発売された『Quarantic』は、今年最後のヒップホップの話題作であることは間違いない。今年、JPEGとのコラボ・アルバム「Scaring The Hoes」はラップファンの間で大きな話題を呼んだが、このサイトではレビューとして取り上げられなかった。このリリースに関して、一説によると、Warpは良い印象を抱いていなかったという。ソロアルバム「40」のリリースがその後に予定されていたこともあったのかもしれない。

 

「Quarantic」は、ラッパーが40代になった心境の変化を、あまりにも赤裸々に語ったアルバムであり、彼の重要なルーツであるダウンタウンやゲトゥーの生々しい日常生活が、クールな最新鋭のアブストラクト・ヒップホップとして昇華されている。アルバム全体には、やや重苦しい雰囲気が漂うことは事実としても、この制作を通じて、ブラウンが治癒のプロセスを辿ったように、聞き手もこのアルバムの視聴を通じて治癒に近いカタルシスを得ることになるだろう。

 

アルバムは、何か現在の彼と、過去にいた彼を、言語実験ーーラップによりーー結びつける試みのようでもある。辛い過去、厳しい過去、その他、優しい日々、労りに溢れていた日々、そういった無数の出来事、そして、彼の周囲にいた人々をひとりずつラップによって呼び覚ますかのようである。同時に、麻薬やうつ病、アルコールによる幻覚等を体験したブラウンは、現実と幻想を改めて解釈し、それを現在の地点から捉え、その不可解さを絡まった糸を解くようにひとつずつ解き明かしていく。アルバムを作るまで、おそらくブラウンは、現実にせよ非現実にせよ、その不可解さや理不尽さに対して決まりの悪さを感じていたに違いないのである。

 

アルバムは、シネマティックな効果を持つコンセプト・アルバムのような感じで始まる。タイトル曲「Quarantic」はサンプリングを施し、男女のボイスと英語とイタリア語の「40」という言葉が飛び交い、始まる。しかし、ブラウンがその40という言葉を耳にしたとき、彼の生命的な真実であるその言葉は、だんだん遠く離れていき、真実性を失うようになる。その後、よく指摘されている通り、スパゲッティ・ウェスタン調の哀愁のあるギターラインが始まると、ダニー・ブラウンは飄々とした感じでライムを始める。彼のリリックは寛いだたわごとのような感じで始まるが、背後のギターラインを背後に言葉を紡ぎ出すブラウンの姿を思い浮かべると、それは崖っぷちに瀕して、極限のところでラップをするような錯覚を覚えさせる。

 

 「Quaranta」

 

 

 

「Tantor」は、昔の電話や、インターネットのダイヤルアップ接続のサンプリングで始まり、ブラウンは00年代前後のネット・スラングの全盛期に立ち返る。メタルやパンクのギターラインをベースに、ブラウンはアブストラクト・ヒップホップの最前線が何たるかを示す。


ロック/メタルのギターラインとしてはベタなフレーズだが、これらがループサウンドやミニマリズムとして処理され、ブラウンの紳士的な人格の裏にある悪魔的な人格を元にするリリックが展開されると、革新的な響きを生み出す。これらの懐かしさと新しさが混在した感覚はやがてギャングスタ・ラップのようなグルーブを生み出し、彼はその中で、自らの人生にまつわる悪夢的な日々を呼び起こす。ローリング・ストーン誌が、レビューの中で、Husker Duについて言及しているのはかなり意外だったが、これはイントロが「New Day Rising」を彷彿とさせるからなのではないかと思われる。

 

このアルバムのサウンドに内包される悪夢的なイメージは、次の曲でさらに膨らんでいくような気がする。 「Ain't My Concern」は、親戚の葬式の費用をせがまれたアーティストの反論であるのかもしれないし、おそらく彼がすべてを背負い込んでしまう自責的なタイプの人物であることを暗示している。 

 

ダニー・ブラウンはオープナーと同様に、飄々とした感じでライムを披露するが、その背景には、クリスマスソング「Winter Wonderland」に対する皮肉に充ちた解釈が示されている。もしかすると、誰よりも冷静な眼差しで現実を捉えるブラウンにとっては、夢想的なクリスマスソングも実際的な真実性から乖離しすぎているがゆえ、滑稽で、醜く、暗いものに映るのかもしれない。本来、夢想的な響きを擁する「Winter Wonderland」は、ブラウンのアブストラクト・ヒップホップとして昇華されるいなや、悪夢や地獄そのものに変わる。そしてブラウンは理想と現実の間を匍匐前進で掻いくぐるかのように、精細感のあるリリックを披露している。この曲は同時に、悪夢的な現実と理想的な現実の中でもがこうとするブラウンの悪戦苦闘でもある。

 

それが、内側からやってくるにせよ、外側からやってくるにせよ、アーティストが内的な悪魔、外的な悪魔と悪戦苦闘する姿は、「Dark Sword Angel」にも見出せる。これらは西洋芸術の中で重要なテーマともなってきた経緯があり、少なくとも、キリスト教的な善悪論によってもたらされる概念であることには違いない。けれども、ダニー・ブラウンは、その善悪の二元論の中でもがくようにしながら、従来の倫理観、価値観、そして、道徳観を相手取り、ラップにより、その悪魔的な存在を召喚し、ときに戦い、剣でそれらを打ち砕こうとする。彼が2010年頃、あるいはまた、それ以前から積み上げてきた価値観との激烈な鍔迫り合いを繰り広げるかのようである。音楽的には、ゲトゥーのギャングスタ・ラップの範疇にあるサウンドの中でブラウンは歌う。そして、リズムやビートを刻む。 

 

 

 「Dark Sword Angel」

 

 

 

『Quaranta』は、40という年を経たがゆえ、今まで見えなかった様々な現実が見えるようになったという苦悩に重点が置かれ、シリアスやダークさというテーマが主題となっているように思われるが、他方、親しみやすく、アクセスしやすい音楽性も含まれていることは注目に値する。


「Y.B.P」はおそらくその先鋒となりえるだろう。ネオ・ファンクを下地にしたビートをベースにして、R&Bの要素をトラップ的に処理し、ダニー・ブラウンはリラックスしたライムを披露している。ブラウンはこの曲を通じて、自らの若さ、黒人、貧しい人々について熟考する。しかし、テーマそのものがダウナーな概念に縁取られようとも、ゲトゥーに根ざした文化への理解が、ユニークさと明るさを加えている。そして、JPEGのようなドープな節回しこそないものの、比較的落ち着いたテンションの中で、心地よいウェイブや、深みのあるグルーヴをもたらすことに成功している。

 

アブストラクト・ヒップホップは、ラップの中に内包される音楽性の多彩さや無限性を特徴としている。また、シカゴのラップミュージックを見ても、ジャズをラップの中に取り入れる場合は珍しくはない。同レーベルの期待の新人で、日本の音楽フェス、朝霧JAMにも出演したKassa Overall(カッサ・オーバーオール)が参加した「Jenn's Terrific」はアルバムのハイライトの一角をなし、最もアブストラクトな領域に挑戦している。

 

カッサ・オーバーオールのセンス抜群のモダン・ジャズの微細なドラム・フィルを断片的に導入し、それをケンドリック・ラマーの独自の語法とも称せるグリッチを交えたドライブ感のあるドリルの中で、ブラウンは滑らかなリリック/フロウを披露している。そして、米国のドリルはマーダーなどの歴史的な負の側面があるため、それほどシリアスにならず、ユニークさやウィットを加えようというのが慣習になっているのかもしれない。ダニー・ブラウンは、コメディアンのように扮し、おどけた声色を駆使しながら、この曲に親しみやすさ、面白み、そして近づきやすさをもたらしている。

 

イギリスのダンスミュージックの名門、WARPのリリースということもあってか、EDM/IDMの要素のあるエレクトロニックが収録されていることも、このアルバムの楽しみに一つに挙げられる。「Down Wit it」はスロウなEDM/IDMであり、90年代の英国のテクノを想起させるビートを背後に、ブラウンは同じように、言葉の余白を設けるような感じで、ライムを披露している。

 

しかし、曲の雰囲気は明朗なものでありながら、そこにはラッパーとしての覚悟のようなものが表されており、これは本作のオープナーの「Quarantic」と同様である。アーティストは、完全に決断したわけではないが、「このアルバムが最後になる可能性もある」と語っている。もちろん、以後の状況によって、それは変化する可能性もある。ただ少なくとも、旧来のキャリアを総括するトラックなのは確かで、イギリスのヒップホップで盛んなエレクトロニックとラップのクロスオーバーに重点が置かれているのにも着目しておきたい。


アルバムの前半部は、過激でアグレッシヴで、エクストリームな印象もある。しかし、本作は終盤に差し掛かるにつれて、より鎮静的な雰囲気のある曲が多くなっていく。それは彼の最近の2、3年の人生における困難や苦境を何よりも如実に物語っているのかもしれない。曲がダウンテンポやチルアウトの雰囲気を醸し出すのも、それを意図したというのではなく、鎮静剤のフェンタニルによる作用の後遺症なのかも知れず、自然にそうならざるをえなかったという印象もなくはない。

 

ニューヨークのラッパーMIKEが参加した「Celibate」は、ブラウンの過去にあるセクシャルな人生の側面をかなりリアルに描き出している。一方、ブラウンやコラボレーターのリリックやライムにより、彼の人生や存在に対する治癒の意味が込められている。人生の過去のトラウマを鋭く捉え、それを温かな言葉で包み込むことで、彼のカルマは消え、心の内側の最深部の闇は消え果てる。「Shake Down」もラッパーの従来のヒップホップのなかで穏やかな音楽性が表現されている。


アルバムの最後には、ジャポニズムに対する親しみが表されている。過激なものや鋭いものの対極にある安心や平和、柔らかさ、もっといえば、日本古来の大和文化の固有の考えである”調和”という概念が示される。「Hanami」には、三味線を模した音色も出てくるし、尺八を模した笛の音を聴き取れる。この曲は、チルウェイブ風のアプローチにより、ヒップホップの新機軸を示した瞬間である。それと同時に、実際に桜の下で花見をするかのような温和な感覚に満ちている。

 

2023年に発売されたアルバムの複数の作品には、当初、デモーニッシュなイメージで始まり、その最後にエンジェリックな印象に変遷していくものがいくつもあった。それがどのような形になるかまではわからないけれど、すこしずつ変化していくこと。それが一人の人間としての歩みなのであり、人格の到達の過程でもある。人間というのは、常にどこかしらの方角に向けて歩いてゆくことを余儀なくされ、最初の存在から、それとは全く別の何かへと変化していかざるを得ない。


ニューアルバム『Quarantic』のクローズ曲「Bass Jam」で、ブラウンのイメージは、悪魔的な存在から、それとは対極にある清々しい存在に変わる。それは人生の汚泥を無数に掻き分けた後に訪れる、明るい祝福なのであり、涅槃的な到達でもある。「Bass Jam」は、ラッパーがこの数年間の人生を生きてきたことに対する安堵を意味し、そこにはまた深い自負心も感じられる。

 


 

95/100 

 


「Hanami」



Danny Brownのニューアルバム『Quaranta』はワープ・レコードから11月17日より発売中です。