Ian Sweet 『Sucker』
Label: Polyvinyl
Release: 2023/11/3
Review
ロサンゼルスは世界的に見ても、大きな夢が存在する都市であることに疑いはないと思う。しかし、ときに、その大きさゆえに何かを見失うこともある。結局、2021年に秀逸な女性ロックシンガーを多数輩出するPolyvinylからデビューしたジリアン・メドフォードにもそういった出来事が訪れたのであり、メドフォードはニューヨークの保養地である山岳地帯、キャッツキルでしばらくの間、自分自身を見つめ直す必要に駆られたのだった。それは考え方によっては、旧来の音楽性から脱却する必要に迫られたといえ、同時に音楽活動を行う必要性について考えを巡らせる時期に当たった。イアン・スウィートは当時についてこう回想している。「そもそもなぜ音楽を始めたのか、その理由を見直したの。もっと個人的になりたかったし、音楽的にも歌詞的にももっと自信に満ちた面を見せたかった。私はいつも自分の作品にとても疑問を持っていて、それを多くの人と共有することはあまりなかった。でも、このアルバムには、自分が書いていることにとても安心感があり、みんなに聴いてもらいたいという気持ちがあったんだ」
このニューヨーク北部にある山岳地帯には有名なスタジオがあることは、既に何度か言及している。USインディーロックの聖地であり、オードリー・カンを擁するインディーロックバンド、Lightning Bugもまた最新作のレコーディングをこの山岳地帯で行っている。都会よりも北部に位置するため、寒冷な土地であることは想像に難くない。結局のところ、キャッツキルでレコーディングの拠点を張ることに何らかの欠かさざる意味を求めるとしたら、多少そのことに厳しさが付随するとしても、都会の喧騒や名声からしばし距離を置き、自らを見つめ直す機会を得るという点に尽きる。そして、レコーディングが行われる場所の空気が実際の音楽に反映されるケースがあるように、山岳地帯の清涼な空気感を反映した音楽を制作できる余地を設けるということである。実際、LAからニューヨークへと大陸を横断したことは、この東海岸で盛んなシンセ・ポップという切り口や観点を最新アルバム『Sucker』にもたらすことになった。
NYの大御所シンガー、セイント・ヴィンセントの次世代を受け継ぐダイナミックなシンセポップソング「Bloody Knees」は鮮烈な印象性を擁し、同時にイアン・スウィートというシンガーの音楽性の一端を知るヒントとなりえる。キャッツキルの高地であるがゆえの澄んだ空気感というのも本作のサウンドに織り込まれている。そして、ロック寄りのサウンドを絡めながら、静と動の展開を交差させ、外交的な性質と内省的な性質を併せ持つボーカルワークを鋭く対比させている。曲の序盤では、清濁併せ呑むボーカルや音楽性という表現が表向きの印象性を作っているが、後半では、繊細でセンチメンタルな一面性を伺わせる時がある。これはアーティストの素直な感情が反映されているのか。見方によっては、商業的な側面を見て取る場合もあるかもしれないし、それとは正反対にDIYのアーティストとしての一面が見て取れる場合もある。
現在のニューヨークでは、Nation Of Languageを見ると分かる通り、聴きやすいインディーポップがシーンの一角を担っているという印象がある。「Smoking Again」は、Palehoundのようなヘヴィネスではなく、ソフト・ロックのような軽さを重視し、ダンスミュージックを反映した軽妙なポップで聞き手を魅了する。同様に、Big Thief、Slow Pulpのようなモダンなオルトロックのスタンダードな感性を踏まえた「Emergency Contact」でも、現代の耳の早いリスナーを魅了してやまない。上記の2曲は、アルバム全体を聴き通した後、また聴き返したいと思わせる要因を作るはずだ。
さらに、『Sucker』の制作環境において、イアン・スウィートは心の痛みやまた苦悩といった、一般的には負の側面とも思われる感情性を、丹念にソングライティングに反映させていることは賛嘆に値する。タイトル曲であり、重要なハイライトでもある「Sucker」は最もセンチメンタルな側面が表れ、その中にはいままで見過ごしていたアーティストの自己よりも更に深いインナーチャイルドのようなものも見出すことができる。イアン・スウィートは、アーティストとしての原点に帰り、そして誰よりも深く自己と向き合うことにより、(ときにそれは強さが必要となることもある)共感性に富んだ、柔らかく靭やかなインディーポップソングを書くことが出来たのだろうか。そして、驚くべきことに、そういった内面の痛みや切なさ(脆弱性)というマイナスの側面を持つ曲を書くことで、アーティストと同じような場所にいるリスナーを苦しみから救い出せる。もちろん、リスナーの心に癒やしを与えることもできるのだ。
以後、アルバム、あるいはアーティストは、内省的になることを恐れず、そして「他者から見る自己」よりも「自分自身が見つめる自己」を重視し、しなやかなインディーポップソングを書いている。それは言い換えれば、本当の自分を見つめ、その姿をそのまま音楽に素直に昇華するということなのかもしれない。「Come Back」では、内省的なインディーポップの音楽性を選んでいるが、ここにも2年間のイアン・スウィートの人生が何らかの形で反映されているという気がする。みずから地を足で直に踏みしめるかのようなリズムに対する、自己に言い聞かせるようなボーカルは説得力があり、心深くに共鳴するものがある。派手さや華美を避け、徹底して内面の感情性を見つめ、それを繊細なポップソングとして昇華させているのが素晴らしいと思う。そしてサビの部分では、山岳地帯の清涼感のある空気感を表現しようとしている。
続いて、ダイナミックなシンセポップバンガー「Your Spit」も聴き逃がせない。クランチなギターとマシンビートを融合させ、Japanese Breakfast、Samiaのようなキュートな感覚を表現しようとしている。シンセ・ポップの現行のトレンドの王道にある音楽性とシンプルなオルト・ロックサウンドの融合は爽快感がある。「Clean」では、Clairoを思わせるベッドルーム・ポップとオルト・フォークの融合に焦点が絞られていて、これらの繊細な感覚は琴線に触れるものがある。「Fight」においても、ベッドルーム・ポップを踏襲したトレンドのサウンドで聞き手を魅了する。「Slowdance」ではドリーム・ポップ/シューゲイズに近い陶然とした感覚に浸らせる。
さらに、クローズ「Hard」は、Phoebe Bridgersのソロ作に近いインディーポップソングで締めくくられる。ただ、アルバムの中盤までのオリジナリティーが、後半にかけて副次的なサウンドに変化し、キャッツキルの清涼感や雰囲気が、曲が進む毎に立ち消えていくような感覚があったのは少しだけ残念だった。アンチテーマという考えもあり、ストーリー性をあえて避けるという考えもあるため、アルバムの中には、必ずしもテーマや概念が必要とはかぎらない。けれども、音楽の中に内在する一連のイメージの流れのようなものが結実せず、最後に少しずつしぼんでいくような印象がある。これは、Squirrel Flowerの最新作のクローズ曲の心震わせるような圧倒的な凄みを聴くと、その差は歴然としている。もちろん、反面、『Sucker』は良いアルバムであることに変わりない。タイトル曲、「Bloody Knees」、「Come Back」を始め、聴き応えのある良曲も数多く収録されている。インディーポップ/ロックファンを問わず、ぜひチェックしてほしい良盤の一つ。
78/100
「Sucker」