Music Tribune Presents ”Album Of The Year 2023”
Part.3 ーマイナスをプラスに変える力 海外の日本勢の台頭ー
2023年度のアルバムのプレスリリース情報やアーティストのコメントなどを見ていて、気になったことがあり、それは人生に降りかかる困難を音楽のクリエイティブな方面でプラスに変えるというアーティストやバンドが多かったという点です。
例えば、Slow Pulpのボーカリストのマッシーは、親の交通事故の後、病院で介抱をしながら劇的なアルバムの制作を行い、音楽に尽くせぬ苦悩をインディーロックという形に織りまぜていました。また、Polyvinyleに所属するSquirrel Flowerもツアーの合間に副業をしつつ、新作アルバムを発表している。すべてのアーティストがテイラー・スウィフトのような巨額の富を築き上げられるわけではないのは事実であり、商業的な側面と表現の一貫としての音楽の折り合いをどうつけるのかに苦心しているバンドやアーティストが数多く見られました。
一方、ラップ・シーンのアーティストでは、そのことが顕著に表れていた。たとえば、デトロイトの英雄、ダニー・ブラウンはThe Gurdianのインタビューで語ったように、断酒治療のリハビリに取り組みながら、その苦悩をJPEGMAFIAとのコラボ・アルバムや「Quaranta」の中に織り交ぜていました。特に、前者では、内的な悪魔的ななにかとの格闘を描いている。さらにジャズやソウルの織り交ぜたシカゴのオルタナティヴ・ヒップホップの最重要人物であるミック・ジェンキンスもまた、10年にわたって大きなビジョンを抱えつつも、ドイツのメジャーレーベル、BGMと契約を結ぶまでは、制作費の側面でなかなか思うように事態が好転しなかったと話しています。それが「Patience」というタイトルにも反映されている。ジェンキンスのフラストレーションの奔流は、凄まじいアジテーションを擁しており、リスナーの心を掻きむしる。
そしてもうひとつ、贔屓目抜きにしても、近年、海外で活躍する日本人アーティストが増えているのにも着目したいところです。特に、なぜか、ロンドンで活躍する女性アーティストが増加しており、昨年のSawayamaのブレイクに続いて、Hatis Noit、Hinako Omoriなど、ロンドンの実験音楽やエレクトロニックのフィールドで存在感を示している事例が増加しています。米国のChaiはもちろん、高校卒業後、心機一転、米国に向かったSen Morimotoにも注目で、現地のモダン・ジャズの影響を取り入れながら、CIty Slangのチームと協力し、シカゴに新しい風を呼び込もうとしています。つい十年くらい前までは、東南アジアを除けば、日本人が海外で活躍するというのは夢のような話でしたが、今やそれは単なる絵空事ではなくなったようです。
来年はどのようなアーティストやアルバムが登場するのでしょうか。結局、レーベルやメディア、商業誌に携わる人々のほとんどは、良い音楽やアーティスト、バンドが到来することを心から期待しており、それ以外の楽しみやプロモーションは副次的なものに過ぎないと思いたいです。
とりあえずメインのピックアップはこれで終了です。2024年の最初の注目作は、トム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッド、トム・スキナーによるSmileのセカンド・アルバム。彼らはきっと音楽の未知なる魅力を示してくれるでしょう。
Part.3 ーThe Power to Turn Minus into Positive: The Rise of Overseas Japanese Artistsー
One thing that caught my attention when I looked at the press release information and artists' comments for the 2023 albums was that many of the artists and bands were turning the difficulties that befell their lives into something positive through the creative aspect of their music. For example, Slow Pulp vocalist Massey, who released a dramatic album while caring for his parents after their car accident, weaves his endless anguish into the form of indie rock. From other interviews I've read, the artist must have had a truly accomplished and emotionally exhausting year. Squirrel Flower, who is also a member of Polyvinyle, is also working on the sidelines between tours and releasing a new album. It is true that not all artists can amass such a huge fortune as Taylor Swift, and we saw many bands and artists struggling to come to terms with the commercial aspect and music as a consistent form of expression.
This, on the other hand, was evident among artists in the rap scene. For example, as Detroit hero Danny Brown told The Gurdian, he wove his struggles into his collaborative album with JPEGMAFIA and "Quaranta" while working on his sobriety rehab. The former, in particular, depicts a struggle with something demonic within. Mick Jenkins, another Chicago alternative hip-hop darling who also weaves jazz and soul into his work, says that while he had a big vision for a decade, things didn't turn out as well as he would have liked in terms of production costs until he signed with BGM, a major German label. He says the production cost side of things didn't turn out as well as he would have liked. This is reflected in the title "Patience''. Jenkins' torrent of frustration holds tremendous agitation and scratches the listener's heart.
Another thing to note, even without any prejudice, is the increasing number of Japanese artists who have been active overseas in recent years. In particular, for some reason, there has been an increase in the number of female artists active in London. Following the breakthrough of Sawayama last year, we are seeing more and more examples such as Hatis Noit and Hinako Omori, who are making their presence felt in the experimental music and electronic fields in London. Look out for Chai in the U.S., of course, and Sen Morimoto, who headed to the U.S. for a fresh start after high school graduation, incorporating local modern jazz influences and working with the CIty Slang team to bring a new breeze to Chicago. Just a decade or so ago, it was a dream come true for a Japanese artist to be active overseas, except in Southeast Asia, but now it seems to be more than just a pipe dream.
What kind of artists and albums will we see in the coming year? In the end, I'd like to think that most people involved with labels, media, and commercial magazines are really looking forward to the arrival of good music, artists, and bands, and that all other fun and promotion is just a side effect.
The best albums list will continue, but for now, this is the end of our main picks: the first notable album of 2024 is the second Smile album by Thom Yorke, Jonny Greenwood, and Tom Skinner. They will surely show us the unknown fascination of music. (MT-D)
Laurel Halo 『Atlas』 -Album Of The Year
Label: Awe
Release: 2023/9/22
Genre: Experimental Music/ Modern Classical/Ambient
ロサンゼルスを拠点に活動するLaurel Halo(ローレル・ヘイロー)のインプリント”Awe”から発売された『Atlas』は、2023年の実験音楽/アンビエントの最高傑作である。アーティストからの告知によると、アルバムの発売後、NPRのインタビューが行われた他、Washington Postでレビューが掲載されました。米国の実験音楽の歴史を変える画期的な作品と見ても違和感がありません。
2018年頃の「Raw Silk Uncut Wood」の発表の時期には、モダンなエレクトロニックの作風を通じて実験的な音楽を追求してきたローレル・ヘイロー。彼女は、最新作でミュージック・コンクレートの技法を用い、ストリングス、ボーカル、ピアノの録音を通じて刺激的な作風を確立している。
『Atlas』の音楽的な構想には、イギリスの偉大なコントラバス奏者、Gavin Bryers(ギャヴィン・ブライヤーズ)の傑作『The Sinking Of The Titanic』があるかもしれないという印象を抱いた。
それは、音響工学の革新性の追求を意味し、モダン・アートの技法であるコラージュの手法を用い、ドローン・ミュージックの範疇にある稀有な音楽構造を生み出すということを意味する。元ある素材を別のものに組み替えるという、ミュージック・コンクレート等の難解な技法を差し置いたとしても、作品全体には、甘いロマンチシズムが魅惑的に漂う。制作時期を見ても、パンデミックの非現実な感覚を前衛音楽の技法を介して表現しようと試みたと考えられる。
アルバムの中では、「Last Night Drive」、「Sick Eros」の2曲の出来が際立っている。ドローン・ミュージックやエレクトロニックを始めとする現代音楽の手法を、グスタフ・マーラー、ウェーベルンといった新ウィーン学派の範疇にあるクラシックの管弦楽法に置き換えた手腕には最大限の敬意を表します。もちろん、アルバムの醍醐味は、「Belleville」に見受けられる通り、コクトー・ツインズやブライアン・イーノとのコラボレーションでお馴染みのHarold Budd(ハロルド・バッド)のソロ・ピアノを思わせる柔らかな響きを持つ曲にも求められる。
表向きに前衛性ばかりが際立つアルバムに思えますが、本作の魅力はそれだけにとどまりません。音楽全体に、優しげなエモーションと穏やかなサウンドが漂うのにも注目したい。
昨日(12月18日)、ローレル・ヘイローは来日公演を行い、ロンドンのイベンター「Mode」が開催する淀橋教会のレジデンスに出演した。ドローン・ミュージックの先駆者、Yoshi Wadaの息子で、彼の共同制作者でもある電子音楽家、Tashi Wadaと共演を果たした。
Best Track 「Last Night Drive」
Slow Pulp 『Yard』
Label: ANTI
Release: 2023/9/29
Genre: Alternative Rock
ウィスコンシンにルーツを持ち、シカゴで活動するエミリー・マッシー(ヴォーカル/ギター)、ヘンリー・ストーア(ギター/プロデューサー)、テディ・マシューズ(ドラムス)、アレックス・リーズ(ベース)は、『Yard』で新しいサウンドの高みに到達し、劇的な化学反応を起こしている。
Slow Pulpの初期の曲に見られたフックとドリーミーなロックをベースにして、よりダイナミックなサウンドを作り上げた。落ち着いたギター、エモに近い泣きのアメリカーナ、骨太のピアノ・バラード、ポップ・パンクを通して、彼らは孤独というテーマと自分自身と心地よく付き合うことを学ぶ過程、そして他者を信頼し、愛し、寄り添うことを学ぶ重要性に向き合っている。
アルバムの制作時には、ボーカリストの病、両親の事故など不運に見舞われましたが、この作品を通じて、スロウパルプは昔から親しいバンドメンバーと協力しあい、それらの悲しみを乗り越えようとしています。
全体には、ポップパンク、アメリカーナ、そしてフィービー・ブリジャーズの作曲性に根ざした軽快なインディーロックソングが際立つ。最も聞きやすいのは「Doubt」。他方、アルバムの終盤に収録されている「Mud」にもバンドとしての前進や真骨頂が表れ出ているように思える。
Best Track 「Mud」
Squirrel Flower 『Tommorow’s Fire』
Label: Polyvinyle
Release:2023/10/13
Genre: Indie Rock/Punk
Squirrel Flowerの最新作『Tomorrow’s Fire』の制作は、2015年に開始され、八年越しに完成へと導かれた。エラ・ウィリアムズは新作アルバムのいくつかの新曲をステージプレイしながら、曲をじっくり煮詰めていくことになった。「私の歴史と、現在の音楽的な自分と過去の音楽的な自分を肯定するために、曲は複雑に絡み合っていて、曲自体と対話を重ねることにした。それ以外の方法でこのアルバムを始めることは正当なこととは思えなかった」という。
アーティストはアイオワ大学でスタジオアートとジェンダー研究に取り組んだ後、ソロミュージシャンとして活動するようになった。もし自分の曲が多くの人にとどかなければ、他の仕事をしようという心づもりでやっていた。ツアーを終えた後、ウィリアムズは結婚式のケータリングの仕事に戻るケースもあるという。『Tommorow’s Fire』は、ソロアーティストでありながら、バンド形式で録音されたもので、エラ・ウィリアムズは、アッシュヴィルのドロップ・オブ・サン・スタジオで、著名なエンジニア、アレックス・ファーラー(『Wednesday』、『Indigo de Souza』、『Snail Mail』)と共に『Tomorrow's Fire』を指揮した。
このアルバムはスロウコア/サッドコアのような悲哀に充ちたメロディーが満載となっているが、一方でその中には強く心を揺らぶられるものがある。
オープニング曲「i don't use a trash can」での綺羅びやかなギターラインとヒーリング音楽を思わせる透明なウィリアムズの歌声は本作の印象を掴むのに最適である。一方、インフレーションのため仕方なくフルタイムの仕事に就かなければならない思いをインディーロックという形に収めた「Full Time Job」は、一般的なものとは違った味がある。Snail Mail(スネイル・メイル)の作風にJ Mascisのヘヴィネスを加えた「Stick」もグラヴィティーがあり、耳の肥えたリスナーの心を捉えるものと思われる。その他にも、ポップ・パンクの影響を絡めた「intheslatepark」もハイライトになりえる。さらに「Finally Rain」では、シャロン・ヴァン・エッテンに匹敵するシンガーソングライターとしての圧倒的な存在感を見せる瞬間もある。
このアルバムは、Palehound、Ian Sweetといった魅力的なソングライターの作品を今年輩出したPolyvinyleの渾身の一作。オルタナティヴロック・ファンとしては、今作をスルーするのは出来かねる。「私が書く曲は必ずしも自伝的なものばかりではないけれど、常に真実なんだ」というウィリアムズ。その言葉に違わず、このアルバムにはリアルな音楽が凝縮されている。
Best Track 「intheskatepark」
Sampha 『Lahai』
Label: Young
Release: 2023/10/20
Genre: R&B/Hip Hop
アルバムの終盤部に収録されている「Time Piece」のフランス語のリリック、スポークンワードは、今作の持つ意味をよりグローバルな内容にし、映画のサウンドトラックのような意味合いを付与している。
2017年のマーキュリー賞受賞作「Process」から6年が経ち、サンファは、その活動の幅をさらに広げようとしている。ケンドリック・ラマー、ストームジー、ドレイク、ソランジュ、フランク・オーシャン、アリシア・キーズ、そしてアンダーグラウンドのトップ・アーティストたちとの共演している。ファッション・デザイナーのグレース・ウェールズ・ボナーや映画監督のカーリル・ジョセフらとクリエイティブなパートナーシップなどはほんの一例に過ぎない。
『Lahai』は、ネオソウル、ラップ、エレクトロニックを網羅するアルバムとなっている。特に、ミニマル・ミュージックへの傾倒が伺える。それは「Dancing Circle」に現れ、ピアノの断片を反復し、ビート化し、その上にピアノの主旋律を交え、多重的な構造性を生み出す。しかし、やはりというべきか、その上に歌われるサンファのボーカルは、さらりとした質感を持つネオソウルとップホップの中間に位置する。サンファのボーカルとスポークンワードのスタイルを変幻自在に駆使する歌声は、大げさな抑揚のあるわけではないにも関わらず、ほんのりとしたペーソスや哀愁を誘う瞬間もある。アルバムの終盤に収録されている「Can't Go Back」に象徴されるように、聞いていると、ほんのりクリアで爽やかな気分になる一作である。
「Can't Go Back」
Hinako Omori 「Stillness, Softness...」-Album Of The Year
Label: Houndstooth
Release:2023/10/27
Genre:Experimental Pop/Electronic
横浜出身で、現在、ロンドンを拠点に活動するエレクトロニック・プロデューサー、Hinako Omori(大森日向子)は、ローランドのインタビューでも紹介され、ピッチフォーク・ロンドン・フェスティバルにも出演した。アーティストは自らの得意とするシンセサイザーとボーカルを駆使し、未曾有のエクスペリメンタル・ポップの領域を切り開いた。
『Stillness, Softness...』のオープニング「both directions?」はシンセサイザーのインストゥルメンタルで始まるが、以後、コンセプト・アルバムのような連続的なストーリー性を生かしたインターバルなしの圧巻の12曲が続いている。
発売当初のレビューでは、「ゴシック的」とも記しましたが、これは正しくなかったかもしれない。どちらかといえば、その感覚は、ノクターンや夜想曲の神秘的な雰囲気に近いものがある。アーティストは、ポップ、エレクトロニック、ミニマリズム、ジャズ、ネオソウルに根ざした実験音楽を制作している。リリース元は、Houndstoothではあるものの、詳しいリスナーであれば、マンチェスターのレーベル、Modern Loversの所属アーティストに近い音の質感を感じとってもらえると思う。
アルバムは、インスト曲、ボーカル曲、シンセのオーケストラとも称すべき制作者の壮大な音楽観が反映されている。音楽的なアプローチは、東洋的なテイストに傾いたかと思えば、バッハの「インベンション」や「平均律」のようなクラシックに、さらに、ロンドンのモダンなポップスに向かう場合も。考え方によっては、ロンドンの多彩な文化性を反映したとも解釈出来る。そこにモノクロ写真への興味を始めとするゴシック的な感覚が散りばめられている。
アーティストは、「Stillness, Softness...」において、Terry Riley(テリー・ライリー)やFloating Points(フローティング・ポインツ)のミニマリズムを踏襲し、「エレクトロニックのミクロコスモス」とも称すべき作風を生み出した。ただ、基本的には実験的な作風ではありながら、アルバムには比較的聞きやすい曲も収録されている。「cyanotaype memories」、「foundation」は、モダンなエクスペリメンタル・ポップとして聴き込むことができる。その一方、エレクトロニック/ミニマルミュージックの名曲「in limbo」、「a structure」、さらにミニマリズムをモダン・ポップとして昇華した「in full bloom」等、アルバムの全体を通じて良曲に事欠くことはない。
アルバムの終盤に収録されている「epilogue」、タイトル曲「Stillness, Softness...」の流れは驚異的で、ポピュラー・ミュージックの未来形を示したとも言える。曲の構成力、そして、それを集中力を切らすことなく最初から最後まで繋げたこと、モチーフの変奏の巧みさ、ボーカリスト、シンセ奏者としての類まれな才覚……。どれをとってもほんとうに素晴らしい。メロディーの運びの美麗さはもちろん、ミステリアスで壮大な音楽観に圧倒されてしまった。(リリースの記事紹介時に、お礼を言っていただき本当に感動しました。ありがとうございました!!)
Best Track 「Stillness, Softness...」
Sen Morimoto 『Diagnosis』
Label: City Slang
Release: 2023/11/3
さて、今年は、贔屓目なしに見ても、日本人アーティストあるいは、日本にルーツを持つミュージシャンが数多く活躍した。2022年、City Slangと契約を交わし、レーベルから第一作を発表したセン・モリモトもそのひとり。京都出身のアーティストは、高校卒業後、アメリカに渡り、シカゴのジャズシーンと関わりを持ちながら、オリジナリティーの高い音楽を確立した。
『Diagnosis』では、ジャズ、ヒップホップ、ファンク、ソウルをシームレスにクロスオーバーし、ブレイクビーツを主体に画期的な作風を生み出した。
もちろん、アンサンブルの方法論を抜きにしても、親しみやすく、そして何より、乗りやすい曲が満載となっている。音楽そのもののエンターテインメント性を追求したアルバム。もちろん、楽しさだけにとどまらず、ふと考えさせられるような曲も収録されている。特に、先行シングルとして公開された「Bad State」は、アーティストのことをよりよく知るためには最適。先行シングルでミュージック・ビデオを撮影した弟の裕也さんとともに頑張ってもらいたいです。
Best Track 「Bad State」
PinkPantheress 『Heaven Knows』
Label: Warner
Release: 2023/11/10
Genre: Indie Pop/Dance Pop
ピンクパンサレスは元々、イギリスのエモ・カルチャーに親しみ、その後、TikTokで楽曲をアップロードし、人気を着実に獲得した。シンガーソングライターの表情を持つ傍ら、DJセットでのライブも行っている。ワーナーから発売された『Heaven Knows』はポップス、ダンス・ミュージック、R&B等をクロスオーバーし、UKの新たなトレンドミュージックのスタイルを示した。
Pinkpanthressは、単なるポップ・シンガーと呼ぶには惜しいほど多彩な才能を擁している。DJセットでのライブパフォーマンスにも定評がある。ポップというくくりではありながら、ダンスミュージックを反映させたドライブ感のあるサウンドを特徴としている。ドラムンベースやガラージを主体としたリズムに、グリッチやブレイクビーツが刺激的に搭載される。これがトラック全般に独特なハネを与え、グルーヴィーなリズムを生み出す。ビートに散りばめられるキャッチーで乗りやすいフレーズは、Nilfur Yanyaのアルバム『PAINLESS』に近い印象を思わせる。
Tiktok発の圧縮されたモダンなポピュラー音楽は、それほど熱心ではない音楽ファンの入り口ともなりえるし、その後、じっくりと音楽に浸るためのきっかけとなるはず。ライトな層の要請に応えるべく、UKのシンガーソングライター、Pinkpanthressは、このデビュー作で数秒間で音楽の良さを把握することが出来るポップスを作り出した手腕には最大限の敬意を評しておきたい。
ポピュラーミュージックのトレンドが今後どのように推移していくかは誰にも分からないことではあるけれど、Pinkpanthressのデビュー作には、アーティストの未知の可能性や潜在的な音楽の布石が十分に示されていると思う。ベスト・アルバムでも良いと思うが、二作目も良い作品が出そうなので保留中。
Best Track 「Blue」
Danny Brown 『Quaranta』 -Album Of The Year
Label: Warp
Release: 2023/11/17
Genre: Abstract Hip-Hop
デトロイト出身、現在はテキサスに引っ越したというラッパー、ダニー・ブラウンほど今年のベストリストにふさわしい人物はいない。
2010年代は、人物的なユニークな性質ばかりをフィーチャーされるような印象もありました。しかしながら、このアルバムを聴くと分かる通り、そう考えるのは無粋というものだろう。JPEGMAFIAとのコラボレーションを経て、ブラウンは唯一無二のヒップホップの良盤を生み出した。
イタリア語で「40」を意味するアルバム『Quaranta』の制作の直前、断酒のリハビリ治療に取り組んでいたというブラウンですが、このアルバムには、彼の人生における苦悩、それをいかに乗り越えようとするのかを徹底的に模索した、「苦悩のヒップホップ」が収録されている。
確かに、ブラウンのヒップホップやトラック制作やコンテクストの中には、JPEGMAFIAと同様にアブストラクトな性質が含まれる。リリック、ライムに関しては、親しみやすいとはいいがたいものがある。しかし、その分、スパゲッティ・ウエスタン、ロック、ファンク、ジャズ、チル・ウェイヴ等、多彩な音楽性を飛び越えて、傑出したラップを披露し、素晴らしい作品を生み出した。結局、ブラウンの音楽の長所は、彼の短所を補って余りあるものだった。
アルバムの冒頭を飾る「Quaranta」のシネマティックなヒップホップも凄まじい気迫が感じられ、アブストラクト・ヒップホップの最新鋭を示した「Dark Sword Angel」も中盤のハイライトとなりえる。その他、前曲からインターバルなしで続く、ファンクの要素を押し出した「Y.B.P」もクール。さらに、同レーベルの新人、Kassa Overallがドラムで参加した「Jenn's Terrific Vacation」についてもリズムの革新性があり、哀愁溢れるヒップホップとして楽しめる。アルバムの序盤はエグい展開でありながら、終盤では和らいだトラックが収録されている。
「Hanami」は、従来までアーティストが表現しえなかったヒップホップの穏やかな魅力を示しており、これはキラー・マイクの音楽の方向性と足並みを揃えた結果とも称せるだろう。ダニー・ブラウンは、『Quaranta』の制作に関して、「コンセプチュアルなアルバムを好む」と説明しているが、まさしく彼の人生もそれと同様に、何らかのテーマに則っているのかもしれない。
Best Track 「Quaranta」
Cat Power 『Cat Power Sings Bob Dylan:The 1966 Royal Albert Hall Concert』
Label:Domino
Release: 2023/11/10
Genre: Rock/Folk
2022年にドミノから発売された「Covers」では、フランク・オーシャン、ザ・リプレイスメンツ、ザ・ポーグスのカバーを行っていることからも分かる通り、キャット・パワーは無類の音楽通としても知られている。エンジェル・オルセン、ラナ・デル・レイ等、彼女にリスペクトを捧げるミュージシャンは少なくない。
「ロイヤル・アルバートホール」でのキャット・パワーの公演を収録した『Cat Power Sings Bob Dylan』は、ボブ・ディランの1966年5月17日の公演を再現した内容。このライブはディランのキャリアの変革期に当たり、マンチェスターのフリー・トレード・ホールで行われたディランのライブ公演を示す。
このライブ・アルバムは、これまで数多くのカバーをこなしてきたチャン・マーシャルのシンガーとしての最高の瞬間を捉えている。アルバムの序盤では、アーティストのただならぬ緊張感を象徴するかのように厳粛な雰囲気で始まりますが、中盤にかけてはフォーク・ロックやヴィンテージ・ロック風のエンターテインメント性の高い音楽へと転じていく。そして、圧巻の瞬間は、ライブアルバムの終盤に訪れ、ディランのオリジナルコンサートを忠実に再現させる「ユダ」「ジーザス」というキャット・パワーと観客とのやりとりにある。ライブアルバムの空気感のリアリティーはもちろん、音源としての完成度の素晴らしさをぜひ体験してもらいたいです。
Best Track 「Mr. Tambourine Man」
・+ 5 Album
Wilco 『Cousin』
Label: dBpm Records
Release: 2023/9/29
Genre: Indie Rock/Indie Folk
ジェフ・トゥイーディー率いるシカゴのロックバンド、Wilcoは前作『Cruel Country』では、クラシカルなアメリカーナ(フォーク/カントリー)に回帰し、米国の音楽の古典的なルーツに迫った。
ニューアルバム『Cousin』では、アメリカーナの音楽性を踏襲した上で、2000年代のアート・ロックを結びつけた作風を体現させている。ウィルコのジェフ・トゥイーディーは、「世界をいとこのように考える」という思いをこの最新アルバムの中に込めている。本作には、インディーフォークバンドとしての貫禄すら感じさせる「Ten Dead」、「Evicted」、及び、『Yankee Hotel Foxtrot』の時代の作風へと回帰を果たした「Infinite Surprise」が収録されている。
また、今週の12月22日、小林克也さんが司会を務める「ベスト・ヒット USA」にジェフ・トゥイーディーがリモートで出演予定です。
Best Track 「Infinite Surprise」
Nation Of Language 『Strange Disciple』
Label: [PIAS]
Release: 2023/9/15
Genre: Indie Pop/New Romantic
ニューヨークの新世代のインディーポップトリオ、Nation Of Language(ネイション・オブ・ランゲージ)は清涼感のあるボーカルに、Human League,Japan、Duran Duranといったニューロマンティックの性質を加えた音楽性を3rdアルバム『Strange Disciple』で確立している。
ライブは、ロック・バンド寄りのアグレッシヴな感覚を伴うが、少なくとも、このアルバムに関していうと、イアン・カーティスのようなボーカルの落ち着きとクールさに象徴づけられている。ラフ・トレードは、このアルバムをナンバー・ワンとして紹介していますが、それも納得の出来栄え。シンセ・ポップの次世代を行く「Weak In Your Light」、さらに、The Policeの主要曲のような精細感のあるポピュラー・ミュージック「Sightseer」も聞き逃すことが出来ません。
Best Track 「Sightseer」
Arlo Parks 『My Soft Machine』
Label: Transgressive
Release: 2023/5/26
Genre: Indie Pop
ロンドンからロサンゼルスに活動の拠点を移したArlo Parks(アーロ・パークス)。インディーポップにネオソウル、ヒップホップの雰囲気を加味した親しみやすい作風で知られている。
ニューアルバム『My Soft Machine』には、アーティストの様々な人生が反映されている。ロサンゼルスをぶらぶら散策したり、海を見に行く。そんな日常を送りながら、穏やかなインディーポップへと歩みを進めている。これまでの少し甘い感じのインディーポップソングを中心に、現地のローファイやチルウェイブの音楽性を新たに追加し、新鮮味溢れる作風を確立している。
とくに、フィービー・ブリジャーズが参加した「Pegasus」はエレクトロニックとインディーポップを融合し、新鮮なポピュラーミュージックのスタイルを確立させている。「Puppy」のキュートな感じもアーティストの新たな魅力が現れた瞬間と称せるか。
Best Track 「Puppy」
Antoine Loyer 『Talamanca』
Label: Le Saule
Release: 2023/6/16
Genre: Avan-Folk/Modern Classical
フランス/パリのレーベル、”Le Saule”のプロモーションによると、 以前、日本の音楽評論家の高橋健太郎氏が、ベルギーのギタリスト、Antoine Loyer(アントワーヌ・ロワイエ)を絶賛したという。レーベルの資料によると、ミュージック・マガジンでも過去にインタビューが掲載されたことがある。
ベルギーのアヴァン・フォークの鬼才、アントワーヌ・ロワイエは、今作では、Megalodons Maladesという名のオーケストラとともに、アヴァン・フォーク、ワールド・ミュージック、現代音楽をシームレスにクロスオーバーした作品を制作している。ソロの作品よりも音楽性に広がりが増し、聞きやすくなったという印象。アルバムのレコーディングは、スペインのカタルーニャ地方の「Talamanca」という村の教会と古民家で行われた。フルート、コントラファゴットを中心とする管楽器に加え、オーケストラ・グループのコーラスがおしゃれな雰囲気を生み出している。
「Talamanca」の収録曲の多くは、アントワーヌ・ロワイエのアコースティック・ギターの演奏とボーカルにMegalodons Maladesの複数の管楽器のパート、コーラスが加わるという形で制作された。ブリュッセルの小学生と一緒に作られた曲もある。パンデミックの時期にまったく無縁な生活を送っていたというロワイエですが、そういったおおらかで開放感に溢れた空気感が魅力。
「Nos Pieds(Un Animal)」、「Demi-Lune」、「Pierre-Yves Begue」、「Tomate De Mer」等、遊び心のあるアヴァン・フォークの秀作がずらりと並んでいる。アルバムの終盤に収録されている「Jeu de des pipes」では、オーケストレーションのアヴァンギヤルドな作風へと転じている。
Best Track 「Nos Pieds(Un Animal)」
「Marceli」- Live Version
Mick Jenkins 『The Patience』
Label: BMG
Release:2023/8/18
Genre : Alternative Hip-Hop/Jazz Hip-Hop
ラストを飾るのはこの人しかいない!! シカゴのヒップホップシーンの立役者、Mick Jenkins(ミック・ジェンキンス)。以前からジャズやソウルをクロスオーバーしたオルタナティヴ・ヒップホップを制作してきた。日本のラッパー、Daichi Yamamotoとコラボレーションしたこともある。
ミック・ジェンキンスは、アルバムの制作費という面でより多くの支援を受けるため、ドイツの大手レーベル、BMGとライセンス契約を結んだ。アルバムのタイトルは、制作期間を示したのではなく、この10年間、ミック・ジェンキンスが抱えてきた苛立ちのようなものを表しているという。彼はリリース当初、そのことに関してバスケットボールの比喩を用いて説明していた。
「Patience」は旧来の『Elephant In Room』の時代のオルタネイトなヒップホップの方向性と大きな変化はありません。今作はじっくりと煮詰めていった末に完成されたという感じもある。しかし、シカゴのアンダーグランドのヒップホップシーンの性質が最も色濃く反映された作品であることは確かです。
ヒップホップ、モダン・ジャズとチル・ウェイブを掛け合せた「Michelin Star」、アトランタのラッパー、JIDがゲストボーカルで参加した「Smoke Break-Dance」の2曲は、アルバムの中で最も聞きやすさがある。
しかし、本作の真価は、中盤から終盤にかけて訪れる。「007」、「2004」といった痛撃なライム、リリックにある。ジェンキンスのラッパーとして最もドープと称するべき瞬間は、「Pasta」に表れる。この曲はおそらく、シカゴのDefceeに対するオマージュのような意味が込められているのかもしれない。さらにきわめつけは、スポークンワードというよりも、つぶやきの形で終わる「Mop」を聴いた時、深く心を揺らぶられるものがありました。
Best Track 「Michelin Star」