【Weekly Music Feature】 Wishy インディアナポリス発のシューゲイズ/ドリームポップバンドの新作アルバム「Paradise EP」

 Wishy

Wishy ©Winspear

 

今週、ご紹介するのは、インディアナ出身の著名なソングライター、ケヴィン・クラウターとニーナ・ピッチカイツによる新バンド、Wishy(ウィッシー)。

 

ウィッシーは、ピッチカイツが2021年にフィラデルフィアから故郷に戻ったとき、インディアナポリスの2人のミュージシャンの音楽的なパートナーシップとして誕生した。ザ・サンデーズやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのような90年代のオルタナティヴ・バンドへの愛で意気投合した2人は、内省的でグランジなセンスを持つ、渦巻くようなポップ・ロックを独自に作り始めた。


実は、この二人は、ミュージシャンとはまったく別の表情を持つ。ケヴィン・クラウターは音楽教師として生徒にドラムとギターのレッスンをしており、ニーナ・ピッチカイツは裁縫が本業で、バンドの刺繍入りグッズを制作している。

 

2018年の『Toss Up』と2020年の『Full Hand』で中西部のドリーム・ポップの地位を固めるため、クラウターが過去10年を費やしている間、ピッチカイツは自身のインディー・エレクトロ・ポップ・プロジェクト、プッシュ・ポップに没頭し、後に『Wishy』のために作り直される「Spinning」を書いた。バンドを構成するため、ピッチカイツとクラウターはギタリストのディミトリ・モリス、ベーシストのミッチ・コリンズ、ドラマーのコナー・ホストを追加で起用した。


クラウターとピッチカイツは、2022年末から2023年初頭にかけて2度ロサンゼルスを訪れ、デュラン・ジョーンズのツアーの間を縫い、友人でありプロデューサーのベン・ラムスデインと連絡を取り、2人が新たに書き下ろした曲をレコーディングした。陽光降り注ぐカリフォルニアの穏和な気風が存分に発揮され、爽やかでメロディアスなEPに仕上がった。シューゲイザー、ドリームポップ、アルトロックが見事にブレンドされ、天国のような靄に包まれたWishyは、メロディックな耳触りと心揺さぶる情感が濃厚な5曲入りの強力なイントロダクションを提供している。


『Paradise』を通して、バンドはアメリカの孤独と理想主義を嘆き、同時に日常生活にも直結している。国という観念にとらわれず、それは多くの国家に住まう人々にも共通するものである。

 

EPの5曲を通して、ピッチカイツとクラウターは、広大でスクラップなギターコードの構図の中に、愛と自己実現についてのほろ苦い考察を交えている。全体を通して、初期オルタナティヴ・ロックと90年代ジャングル・ポップに同じくらい依拠しているように感じられる。Wishyの音楽は、カタルシスを感じさせつつも、微細な陰鬱なエネルギーによって強調されており、彼らがステージを共にする、Momma、Tanukichanのような同世代のバンドと並べても違和感がない。


Wishyは今年の秋、Tanukichanをサポートするツアーを予定している。バンドはテキサス州オースティンで開催される”LEVITATION”で初のフェスティバル出演を果たす。その後、2024年にWinspearからリリース予定のデビュー・アルバムの完成に目を向けている。今後の活躍が楽しみ。




Wishy 『Paradise』 EP / Winspear

 

 

今年、ニューヨークのレーベル”Winspear”は複数の注目すべきアーティストの新作を送り出した。インディーロックアーティスト、Lutalo(ルタロ)、そして、ニューヨークのポップス界の新星、Daneshevskaya(ダネシェフスカヤ)である。

 

上記のアーティストは共に、『Again』『Long Is A Tunnel』という象徴的なカタログをこのレーベルにもたらし、ウィンスピアの存在感を示すことに一役買った。さらに続いて、インディアナポリスのインディーロックバンド、Wishyがシーンに名乗りをあげようとしている。


バンドは、Jesus and Mary Chain、My Bloody Valentine、昨今のYo La Tengoを想起させる轟音のギターロックに加えて、Tanukicyanのドリーム・ポップ性を兼ね備えている。もちろん、Wishyの生み出す艶やかなプロダクションに、インディーバンドとして注目を集める、Wednesday,Slow Pulp、Daughter、Ratboysのような未知の可能性を捉えたとしても、それは思い違いなどではあるまい。

 

オープニング「Paradise」は、シューゲイザーではお馴染みのアコースティックとエレクトリックのミックスしたギターラインで始まり、その中には、スコットランドのネオアコ/ギター・ポップに象徴される叙情性が漂う。それらの甘いとも心酔的とも取れる音楽的な枠組みに説得力をもたらしているのが、 ケヴィン・クラスターのボーカルだ。


なんの因果か、ケヴィン・クラスターのボーカルはケヴィン・シールズのドイツ時代の80年代後半のドリームポップのアプローチに近い空気感があり、これがノスタルジアを付け加えている。もちろん、男女のツインボーカルで切ない感覚を呼び起こそうという手法についても徹底している。 

 

 

「Paradise」

 

 

 

ケヴィン・シールズからの影響は、ボーカルの歌い方、ギターの音作りだけにとどまらず、シンセのオマージュという点でも共通している。メロトロンを思わせるレトロなシンセのフレーズはMy Bloody Valentineの『Loveless』の作風を踏襲している。一説によると、MBVのケヴィン・シールズは、「Shoegaze」という呼び方に納得していないということであるが、これは、このジャンルがスコットランド/アイルランドのフォーク・ミュージックに端を発するからで、単なるサブジャンルであると考えてもらいたくないがゆえと思われる。しかし少なくとも、My Bloody Valentineのフォロアー数はビートルズに匹敵する。それはつまり、ケヴィン・シールズにみな憧れを抱いているということなのだ。Wishyは、MBVの作風からダンス・ビートを削ぎ落とし、それをコクトー・ツインズのような聞きやすさのあるドリームポップへと昇華している。

 

 

そもそも、リック・ルービンも言うように、音楽ファンとしては、何かに似ているとか、模倣的かというのは、大した難点にはならない。しかし、本作にはオマージュやイミテーションに近いサウンドの中にも、クリアで鮮烈な印象を持つ瞬間が見いだせるのも事実である。結局のところ、新しいバンドやアーティストの何に着目すべきなのかというと、佇まいやサウンドの中に強い輝きがかんじられるのかということである。それは他者に絶対に譲ることのない、同時に対価では売り渡すことの出来ないキャラクター性、その人にしかないスピリットとも言える。

 

二曲目の「Donut」はそのことが顕著に示されている。ドライブ感のあるギターラインに導かれるようにして、魅惑的なバンドアンサンブルが繰り広げられる。ビジネスやベネフィットのためにセッションをやるのか、それとも、子供の時のように純粋な楽しさのあるセッションをやるのか。Wishyは信頼すべきことに、後者のグループに属しており、それはギターラインのダイナミクス、リード・シンセの力強さ、表層的なサウンドを力強くバックで支えるドラムに表れている。


彼らはインディアナポリスのバンドというが、曲全体にはかすかにアーバンな雰囲気が漂い、ギターラインの絶妙なトーンの揺らぎは、幻惑と混沌の最中へとリスナーを誘い、しばしそれらの陶酔的なシューゲイズ・サウンドの渦中に留めておくことを約束する。稀に、ギターラインとVoxのシンセサイザーは、ツインリード・ギターに比する熱狂性を帯びる瞬間もある。バンドは、トーンの変容や揺らめきを駆使して、アンビバレントな領域の中にサイケデリックな印象性を生み出し、My Bloody Valentineのイミテーションやオマージュ以上の何かを示して見せる。

 

『Paradise』の冒頭は、80、90年代のオルタナティブ・ロックやシューゲイザーの古典的なスタイルを中心にし、グランジに象徴されるパンキッシュな音楽が展開される。続いて、三曲目「Spinning」ではシューゲイザーの元祖とも言えるドリーム・ポップとディスコ・サウンドの融合を図る。

 

The Cure、The Jesus And Mary Chainといったジャンルの先駆者の音楽性をしたたかに踏襲し、それをダンサンブルなビートの枠組みに収めようとしている。反復的なビートは、Underworld、New Orderのテクノの範疇にあるが、幻想的なメロディーを付加されると、MTV、Top Of The Popsの時代のシンセ・ポップに近い曲へと変化していき、最終的にカルチャー・クラブやデュラン・デュランを思わせる軽やかなポピュラー・ミュージックへ変遷を辿っていく。軽薄なのではなく、親しみやすい。上記の音楽をリアルタイムで体験したかどうかに関わらず、この曲の中にあるミラーボール・ディスコへの敬愛と愛着は、リスナーに一定のノスタルジアを与える。


 

Wishyは、シューゲイズ、ドリーム・ポップ、そしてディスコ・サウンドや90年代のテクノからの引用や影響を交えながら、さらに多角的な音楽性を敷衍していく。それは例えるなら、ただ一つの入口から無数の可能性へと向けて、足取りをゆっくりと進めていくようなものである。


「Blank Time」はリミックスのような性質を持つ軽妙なトラック。The Doobie Brothersのファンク、ロック、R&Bに根ざしたウェストコースト・サウンドを現代的なインディーロックのトラックに再構築し、そのトラックに対して、シンセ・ポップやドリーム・ポップのボーカルを付加している。特に、現代のオルタナティブロックでは、Alex G、Far Caspian、Wilcoの作風に見受けられるように、ミュージック・コンクレートをインディーロックという観点から解釈した曲が増えていて、今後の主流になってきそうな気配もある。つまり、ギター、ベース、ドラムなどを先に録音し、ミックス時に、原型とは別のタイプの音楽へと組み直し、その上に複数の楽器やボーカルをレコーディングし、別の音楽に再構築してゆく「コラージュの手法」である。


『Paradise』はシンプルなロックソング「Too Ture」で締めくくられる。Third Eye Blindを始めとする、2000年前後のエモ/インディーロックを基調とする新旧の感覚を織り交ぜた音楽は、今まさに多数のファンに熱望されるスタイルなのだ。今後、EPがフルレングスという形に変わった時、音楽的な広がりがどう示されるかに注目すべし。クローズ曲には、エモやスロウコアの雰囲気が漂う。 


 



80/100

 

 

「Spinning」

 


Wishyの新作EP『Paradise』 はWinspearより本日発売。デジタルストリーミング/ご購入はこちら




ドリームポップ名盤ガイドはこちらより。さらにシューゲイザーリバイバルについてはこちらをお読み下さい。My Bloody Valentineのドイツ時代からの系譜を追ったディスカバリー記事はこちら