Green Day 『Saviors』
Label: Reprise
Release: 2024/01/19
Review
USパンクシーンの分水嶺
オレンジ・カウンティのポップパンク・ムーブメントの立役者であるグリーン・デイのフロントマン、ビリー・ジョーは、遡ること2020年、ソロアルバム『No Fun Mondays』を発表し、「Kinds in America」のような有名曲から「War Stories」のようなマニアックなカバーに至るまで、網羅的にパンクのアレンジを施し、みずからの音楽的な背景をファンに対して暗示していた。
実際、私自身は、このアルバムをかなり長い期間楽しんだ思い出があるが、ソロ活動の影響が『Saiviors』に何らかの働きかけをしていないといえば偽りになるだろう。「Saviors」は、他のジャンルの曲のカバーやオマージュというポップ・パンクの重要な一側面を表し、それが本作のオープニングを軽やかに飾る「American Dream is Killing Me」に色濃く反映されていることは、彼らのファンであればお気づきになられるはずだ。つい一ヶ月前、マンチェスター・ガーディアン誌の取材に応じたフロントマンのビリー・ジョーは、『Saviors』が、政治的な風刺を込めるというバンドのかつてのアプローチ、ひいてはパンクロックの原点に回帰したことについて、
ーーこの数年間、ドナルド・トランプ政権に対する不信感や嫌悪感が内面にあり、それがこのアルバムで半ば顕在化したーー
という趣旨のことを率直に話していた。それは、Black Flagのヘンリー・ロリンズのように、アジテーションを交えた風刺という形でもなく、NOFXのファット・マイクのように、斜に構えたようなブッシュJr.政権に対する左翼的な鋭い風刺となるわけでもない。グリーン・デイのビリー・ジョーの風刺やシニズムというのは、ストレートでユニークな感覚が込められている。それはおそらく、90年代の名盤『DOOKIE』の時代から普遍のものであったのではないだろうか。
このアルバムに何らかの意味が求められるとしたら、「パンクロックの全盛期の熱狂性をその手に取り戻す」ということにある。グリーン・デイもまた、好意的に捉えると、ポップパンクが完全には死んでいないこと、そしていまだに古びていないことを対外的に示そうしたと推測される。ポップ・パンクは、現在、Sum 41、NOFXのように、全盛期の水準以上のリリースが行えないのであれば、せめてもの思いで最後のリリースをおこない、これまで支えてきてくれたファンに対する恩返しという形でラストツアーを行うグループもいる。かと思えば、Blink 182のように、持病を抱えながら再結成し、全盛期に劣らぬ痛撃な作品をリリースするグループもいる。いわば、「USパンクシーンの分水嶺」ともいうべき時期に差し掛かっていることは明確であり、それはおそらく、グリーン・デイのメンバーも薄々ながら気がついていることだろう。
そして、グリーン・デイが旧来からポップ・パンクの親しみやすさとは別に示唆してきた米国社会に対する風刺というのは、現実的に看過できない出来事に対してシニカルな眼差しを注ぐということでもある。それらが不満を抱えるティーンネイジャーの心になんらかの形で響くであろうことは想像に難くない。
それは政治的なポジションとは関係なく、若者たちの不満を掬い、それらを親しみやすい痛快なパンクロックソングとして昇華してきたことは、Bad Religionをはじめとするパンクバンドと同様である。「American Dream is Killing Me」では「American Idot」の風刺的なバンドの姿に立ち返るかのように、ケルト民謡のイントロから激烈なパンク・アンセムへと曲風を変化させる。
しかし、グリーンデイは、全盛期の時代に立ち返りながらも、未知のチャレンジを欠かすことはない。The Monkeesの「Daydream Biliever」を思わせるメロディーを絡めながら、オーケストラ風のストリングスを導入し、ドラマティックな展開を呼び起こす。その後、アンセミックなパンクナンバーに戻るが、どうやら、曲の後半でもなんらかのオマージュが示されているらしい。
「Look Ma, No Brains!」では、スケーター・カルチャーの重要な側面である疾走感を刺激的なパンクチューンにより縁取っている。メタルのようなパワフルさ、重厚感はもちろん、オレンジ・カウンティのパンクバンドらしい陽気なイメージが合致を果たした痛快なパンクソングだ。愚かであることをいとわず、それをシンプルで聞きやすいパンクソングに昇華する技術にかけては、グリーンデイの右に出るものはいない。それに加えて、ピカレスクなイメージを付け加え、フロントマンは現在、折り目正しく、禁酒中であるにもかかわらず、パンクというアティティードから醸し出される音楽の力により、バッドボーイのイメージをあえて作り出そうとしている。これは、ほとんどビリー・ジョーによるシニカルなジョークでもあるといえるのだ。
その後も、バンドとしての引き出しの多さ、間口の多さを伺わせる曲が続く。「Boddy Sox」は、グリーン・デイのバラードソングというもうひとつの側面が立ちあらわれ、一気にパワフルでノイジーなロックソングへと変遷を辿る。90年代のオルタナティヴの形を自分なりのスタイルの色に変えてしまうソングライティングの技術は卓越しており、これらの静と動の形式は一定のクオリティを擁しているが、いくらか使いふるされたオールド・スタイルと言えるかも知れない。ただ、その中にもミクスチャー・ロックに近いアプローチが取り入れられることもあり、ラウドロックを好むリスナーにとっては聞き逃すことが出来ないナンバーとなるはずだ。
アルバムの中盤でも話題曲に事欠かない。「One Eye Bastard」は、レスポールの芯の太いフックの効いたギターソロで始まり、ヘヴィメタルの影響を交え、アンセミックな展開に繋げていこうとする。しかし、惜しむらくは、曲の中に技巧を凝らしすぎている部分があり、これがそのまま曲のスムーズな進行を妨げている側面もなくはない。
曲そのもののシンプルさやわかりやすさがグリーン・デイの一番の魅力であったわけだが、それとは正反対に曲をこねくりまわすような不可解な難解さをもたらしている。「American Idiot」の時代のアンセミックな空気感を呼び覚まそうとしているのは理解出来るけれど、ジョーによるサビのシャウトの部分も熱狂性が感じられず、エネルギーの爆発とはならず、少しだけ不発に終わってしまっている。ただ、これは、好意的な見方をすると、バンドの新しい挑戦のプロセスを示したものに過ぎず、この先に何か次なる完成形が示される可能性もあるかもしれない。まだ見ぬ作品に期待しよう。
「Look Ma, No Brains!」と同様に先行シングルとして公開された「Dilemma」は、アルバムの序盤では珍しくフロントマンやバンドのプライベートな側面が伺え、グリーン・デイの隠れた魅力である、しんみりとしたナイーブな感覚と融合を果たしている。ビリー・ジョーのボーカルについては、ララバイのような哀愁を漂わせているが、やはりブルーな感じにとどまることなく、ラウドでアンセミックなライブパフォーマンスを意識した展開に繋がっていく。他の曲と比べて、強い熱量がうかがえ、それらが90年代のミクスチャーロックのような雰囲気を醸し出す。
「1981」では「Look Ma, No Brains!」と同様にスケーターパンクに象徴されるスピードチューンを披露している。「Dookie」の時代、もしくはその背後にあるパンクムーブメントの熱狂を何らかの形で蘇らせたい、というバンドの意図を読み取ることができる。そして、序盤の収録曲と同じように、ロックとパンクの中間点を行く方向性に加えて、メタルの響きが織り交ぜられている。これはSum 41に対するリスペクトが示された曲であるとも推測できる。そして、ここにもまたオレンジ・カウンティを代表するロックバンドとしてのひそかなプライドが伺い知れる。
アルバムの前半部で勢いを掴み、パンクの良質な側面を示そうとしているグリーン・デイではあるものの、「Goodnight Adeline」と「Coma City」に関しては中盤の中だるみを作り出す要因ともなっている。
「Goodnight Adeline」のアコースティックギターを重ねたトラックは、グリーン・デイのセンチメンタルな一面が伺える曲であり、ある意味では序盤のノイジーなパンクソングに対するクールダウンのような意図が込められている。しかし、その繊細な面が示されたかと思うと、単調なノイジーな展開へと舞い戻ってしまう。明るい側面やパワフルな感覚をゴールに設けるということは素晴らしいが、どことなくこのあたりからついていけないという感じが出てくる。
ただ、それだけでは終わらない。続く「Coma City」では、イントロのクールな同音反復のギターに続いて、全盛期を彷彿とさせる精彩感のある展開に戻るのは面目躍如といえるか。曲の中で、微妙なテンションの落差やダイナミックの変化を駆使しながら、まるで落ちかけた吊り橋の上を走り去るかのように、すんでのところで、これらのスピードチューンは凄まじい速度で駆け抜けていく。ある意味では、全盛期のパンクのスリリングさを感じ取ることができるはずだ。
「Corvette Summer」は、バンドそのものが90年よりも前の80年代の時代に立ち返るかのようであり、彼らの音楽に対する普遍的な愛が滲む。LAの産業ロックの空気感が反映されている。それらは、ブライアン・アダムスのようなアメリカン・ロックと融合を果たす。途中のギターソロもハードロックのようなロマンを呼び覚まし、バンドとしてはめずらしく、ギターヒーローへの親近感が示しているのに驚きを覚える。続く「Suzie Chopstick」においても、ブルース・スプリングスティーンに象徴される80年代のアメリカン・ロックに対するリスペクトが示されるが、それこそグリーン・デイにとっての「理想的なアメリカ」の姿であるのかもしれない。そして、それらのロックの中にはブルージーな雰囲気が含まれる。悲しみとまではいかないが、これらは現代の米国社会に対するバンドの尽くせぬ思いが込められているとも解釈できる。
ビリー・ジョーがソロアルバムで、パンクのアレンジに挑戦したことは、冒頭で述べたが、それらをバンドとしてどのように昇華するのかという試みを、「Strange Days Are Here To Stay」に見出すことができる。
『No Fun Mondays』において、往年のポピュラーなヒット曲や隠れた名曲のカバーを行い、それらをどのようにして、自分のものにするのかを模索してきたビリー・ジョーであるが、それらの試みは『Dookie』の時代のモンスターバンドの片鱗を伺わせる。同時に、バンドがパンクの中に含まれる親しみやすいメロディー、つまり、簡単に口ずさんだり叫ぶことができるメロディーを大切にしてきたことが分かる。実際、シンガロング必須の熱狂性を誘発することもある。つまり、グリーン・デイというバンドの最高の魅力が、この曲に宿っていると言えるのだ。
「Living In 20's」では、 メタリックなギターとAC/DCを想起させるハードロックの影響を込めたシンプルなナンバーで、バンドがパンクというジャンルのみに影響を受けているというわけではなく、スタンダードなロックバンドとしての本性を併せ持つことを暗示している。続いて、アルバムの後半では、全体として起伏のあるストーリーを描くかのように、「Father To a Son」においてハイライトを作り、ドラマティックな情感をフォークロックのスタイルで表現する。曲の後半では、GN'Rのコンセプトアルバム『Use Your Illusion』に見受けられるロック・オペラのようなアプローチを選び、一般的なパンクバンドとは異なる特性を示そうとしている。
終盤に至っても、グリーン・デイはパンクという枠組みにとらわれることなく、本質的には広義におけるロックに焦点を置くバンドであることを示唆する。「Saviors」ではギターリフのフックに焦点が絞られ、ライブセッションにより、どのように理想形に近づけるのかを模索している。
クローズ曲「Fancy Sauce」ではシンプルなスリーコードを用いながら、ロックソングの最大の魅力とは何かを追求している。どうやら何らかの祝福的な響きを追い求めているのは確かのようであるが、それはまだ予定調和な響きに止まり、魂を震わせるような表現には至っていないのが少し残念なところ。
ただし、ほんわかした幸福感を示そうとしたということは、従来のグリーン・デイの作品にはあまり見られなかったと思う。これが果たしてロックバンドとしての進化なのか、それとも、その逆であるのかまでは断定しきれない。リスナーの数だけ答えが用意されているといえよう。
80/100
Featured Track 「Strange Days Are Here To Stay」