Itasca 『Imitation of War』
Label: Paradise of Bachelors
Release: 2024/02/09
Review
ロサンゼルスのシンガー、Itascaことケイラ・コーエンによる最新作『Imitation of War』は作品のコンセプトの中に神話的なモチーフを織り交ぜながら、抽象的な表現を通じて、物語の核心に迫ろうと試みる。実際にアルバムには次のようなナラティヴなテーマが掲げられている。
悪魔が仕掛けた罠だったのか?/ そして私はその罠にはまった/ 私は聖人だった/ 礼拝堂の壇上で/ この戦争の模倣の中で/
この寓話性は、ミューズ、聖人、悪魔に加え、エルドラド、キルス、オリオン等、不可解な暗示のシンボリズムが含まれている。しかし、これらの暗喩は、必ずしも非現実性に基づくというわけではないようだ。コーエンは2020年の秋、セコイア国有林に近いカルフォルニア州のパインフラットでバンドのガン・アウトフィットとレコーディングしはじめた時、森林火災がその日を暗闇に変えた。レッドウッドの上空にある月を不吉に覆い隠したり、消したりしたというのだ。
Itascaのサウンドは、サッドコアやスロウコアに近いブルーな感情が中心となっている。それにモンゴメリーのようなジャズ・ギターを下地にし、パット・メセニーの最初期のジャズとフォークをクロスオーバーしたギターサウンドの影響を織り交ぜている。またそれはフランジャーを中心とするギター、ブルースを基調とするシンプルなベースライン、ジャズの影響を擁するドラムによってくつろいだバンドサウンドが組み上げられる。多重録音に柔らかい感覚をもたらすのがコーエンのボーカル。彼女のボーカルはどこまでも澄んでおり、内省的な雰囲気を擁する。
オープニングの「Milk」を通して、ケイラ・コーエンは、抽象的なボーカルをバンドサウンドの上に乗せる。コーエンの声は、ウィスパーボイスに近く、スモーキーで、かすかな悲しみに彩られているが、それがギターラインのスケールの変化に合わせ、暗い雰囲気から明るい雰囲気へと揺動する。しかし、昂じたような明るさには至らず、かすかな憂いの合間に揺れ動く。それらの感情をもとにしたボーカルは、折々スポークンワードの技法を用いながら、バリエーションに富んだトラックとして昇華される。ギターの和音は演奏されず、純粋な単旋律がカウンターポイントをボーカルに対して形成する。コーエンのボーカルが消えやると、ブルースやブルースロックをベースに置いた渋い演奏が繰り広げられる。さながらクラプトンのように。
ブルース・ロックのアプローチは、現代的なローファイ・サウンドと絡み合い、タイトル曲「Imitation of War」で最も洗練された形となる。70年代のロックの懐古的な響きは、同じく70年代の女性ボーカルのシンガーソングライターのような、ほのかな暗さを擁するが、その中に奇妙な癒やしが存在する。これらの感覚的な流れが、Real Estate(リアル・エステイト)のようなフランジャーを主体とするコアなギターサウンドと融合し、ノスタルジックなサウンドを作り出す。その中にはマージー・ビートや同年代のYESのプログレッシヴに触発されたようなギターラインの進行に導かれるようにして、ときに切ないような雰囲気を生み出しているのが見事である。
これらの懐古的とも現代的ともつかない抽象的な音楽の方向性は、解釈の仕方によっては、Itascaの掲げる神話のテーマに上手く結びついているかも知れない。定かではないものの、前曲のプログレッシヴの要素は、インディーフォークやジャズの要素と結びつき、続くトラック「Under Gates of Cobalt Blue」の核心を形成する。この曲では、ギターの多重録音を駆使しながら、プログレッシヴやフュージョンのような70年代のもう一つの音楽性と結びついている。ただ、この年代のアーティストは、ほとんどが男性で占められており、女性シンガーはフォークミュージックに集中していたため、現代になって、こういった音楽を演奏することは、それ相応に意味があることなのではないかと思われる。そして、もちろん、コーエンのボーカルは、時代感を失ったかのように、それらの不明瞭な時代の流れの中を揺れ動き、柔らかい感情性を織り交ぜながら、最終的には、中期のビートルズを思わせるアートポップを作り上げていく。それらの曲のムードを高めているのが、フュージョン・ジャズを主体にしたギターラインである。このギターは稀にサイケに近づいたり、チルアウトに近づいたりし、定まることはない。さながらカルフォルニアの海のように、美しい陽を浴びながら、視界の果てにゆらめいている。
アルバムの中盤の音楽性はパット・メセニーの最初期のカントリーとフォーク、そしてジャズ的な響きを擁する。それらにケイラ・コーエンのボーカルが入り、柔らかなトーンや響きを生み出す。「Tears on Mountain」では、本作の冒頭のようにエリオット・スミスのような繊細なサッドコア性を呼び覚ますが、コーエンの声は、70年代の女性シンガーのボーカル曲を思わせ、ノスタルジックな気分に浸れる。「Dancing Woman」ではカントリーの音楽性に近づき、ニューヨークのLightning Bugのボーカルーーオードリー・カンのようなオーガニックな雰囲気を生み出す。この曲では、ガン・アウトフィットによるものと思われるアコースティックギターのアルペジオを基調とするクラシックギターに近い気品のあるフォーク/カントリーを楽しめる。
神話的なモチーフはアルバムの終盤になって現れる。「El Dorado」は、アメリカの黄金郷を意味する。これは特にメキシコに近いバンドの音楽に頻繁に現れることがある。Itascaは、南アメリカのテーマをチェンバーポップのアプローチ、つまりはメロトロンを駆使することで乗り越えている。フュージョン・ジャズ、近年のインディーフォークの要素を散りばめながら、やはり一貫して柔らかい質感を持つコーエンのオーガニックなボーカルが良い空気感を作り出す。
定かではないが、アメリカの南部のロックバンド、Great Whiteを始めとするハードロックバンドが、80年代ごろに追い求めていた米国南部に対するロマンチズムが織り交ぜられている。これらの陶酔的な空気感は束の間のものに過ぎない。続く「Easy Spirit」では、目の覚めるような精彩感のある70年代のUSロックやブログレ的な音楽が展開される。特に、アンサンブルの妙が光る。ベース、ドラムの溜め、ブレイクの後の決めが心地よいグルーブを作り出し、ボーカルのメロディアスなアプローチと対角線上に交差する。それらはライブセッションのような形に繋がり、アルバムの序盤と同じく、クラプトンのバンドのようなブルージーな雰囲気を生み出す。
アルバムの冒頭では、神話的なテーマが薄い気もするが、最終盤になると、その要素が強められる。ギターによる多重録音のサイケデリアは、ジャズ・フュージョンの音楽と合致し、「Moliere's Reprise」で花開く。メセニーに触発されたようなカントリー/フォークのギターは多重録音を介してサイケデリアという出口に繋がり、一貫してドリーミーな癒やしのアンビエンスによって柔らかく包まれている。米国南部的な神話は、やがてギリシア神話に対する興味を反映した「Olympia」で終焉を迎える。それはジム・オルークのようなアヴァンギャルド・フォークに近い音楽性によら包み込まれている。ガスター・デル・ソルのように内省的であり深淵な音楽性は、ギターの波長と同調するかのようなコーエンの瞑想的なボーカルを通じて、その可能性が最大限に引き上げられる。無論、深読みすることなく楽しめる音楽ではあることは自明だが、同時に、深読みせざるをえないようなミステリアスな雰囲気が本作の最大の魅力である。
クローズ曲では、オープニングと同様に、コーエンによるスポークンワードを聞くことも出来る。何を物語ろうとしているのかまではつかないが、その最後はシュールな感じで終わる。それはあまり物事を真面目に捉えすぎないことの暗喩でもあるのだろう。傷つきやすさというのは、現実に近づき過ぎることから生ずるが、そこから逃れることも出来る。このアルバムは、現実性に基づきながらも、どことなく現実から一歩距離を置いたような性質を擁する。そういった意味では、厳格な現実主義者に別の出口を用意してくれるアルバムと言えるかもしれない。
Itascaのインタビューは下記よりお読み下さい。
INTERVIEW - ITASCA 来日公演を目前に控え、最新アルバムやフォークミュージック、日本の印象について語る
84/100
Best Track 「Imitation of War」