John Adams(ジョン・アダムス)の音楽 Phrygian Gates / China Gates  

 

John Adams


ジョン・クーリッジ・アダムス(John Coolidge Adams)は1947年生まれの米国の現代音楽家。1971年にハーバード大学でレオン・キルヒナーに学んだ後、カルフォルニアに移り、サンフランシスコ音楽院で教鞭と指揮者として活躍、以後、サンフランシスコ交響楽団の現代音楽部門の音楽顧問に就任する。1979年から1985年まで楽団の常勤作曲家に選出される。

 

その間、アダムスは『Harmonium(ハーモニウム)』、『Harmonielehre(和声学)』を始めとする代表的なスコアを残し、作曲家として有名になる。以後、ニュー・アルビオン、ECMといったレーベルに録音を提供し、ノンサッチ・レコードと契約する。1999年には『John Adams Ear Box』を発売した。


ジョン・アダムスの作風はミリマリストに位置づけられる。当初は、グラスやライヒ、ライリーの系譜に属すると見なされていたが、コンポジションの構成の中にオリヴィエ・メシアンやラヴェルに象徴される色彩的な和声法を取り入れることで知られる。


その作風は、新ロマン主義に属するという見方もあり、また、ミニマルの未来派であるポストミニマルに属するという解釈もある。彼の作風では調性が重視されることが多く、ジャズからの影響も指摘されている。

 

管弦楽『Fearful Symmetries」ではストラヴィンスキー、オネゲル、ビックバンドのスウィングの技法が取り入れられている。また、ライヒのようなコラージュの手法が採られることもある。

 

チャールズ・アイヴズに捧げられた『My Father Knew Charles Ives』でもコラージュの手法を選んでいる。1985年の歌劇『Nixon In China(中国のニクソン)』の晩餐会の場面を管弦楽にアレンジした『The Chairman Dances(ザ・チェアマン・ダンス)」は管弦楽の中では再演される機会が多い。

 

ジョン・アダムスの作曲家としての主な功績としては、2002年のアメリカ同時多発テロを題材に選んだ『On The Transmission of Souls』が名高い。この作品でアダムスはピリッツァー賞を受賞した。ロリン・マゼール指揮による初演は2005年度のグラミー賞の3部門を獲得した。



Phrygian Gates / China Gates  (1977)

 


 

ジョン・アダムスのピアノ・スコアの中で特異なイデアが取り入れられている作品がある。『Phyrygian Gate and China Gates』であり、二台のためのピアノ協奏曲で、マック・マクレイの委託作品で、サラ・ケイヒルのために書かれた。

 

この曲は1977年3月17日に、サンフランシスコのヘルマン・ホールで、ピアニスト、マック・マクレイにより初演された。和声法的にはラヴェル、メシアンの近代フランス和声の系譜に属している。

 

この2曲には画期的な作曲概念が取り入れられている。「Gates- 門」は、なんの予告もなしにモードが切り替わることを意味している。つまり、現実の中に別次元への門が開かれ、それがミルフィール構造のように移り変わっていく。


コンポジションの中に反復構造の意図が込められているのは事実だが、音階構造の移行がゼクエンツ進行の形を介して段階的に変化していく点に、この組曲の一番の面白さが求められる。つまり、ライリー、ライヒの作品とは少し異なり、ドイツのハンス・オッテ(Hans Otte)のポスト・ミニマルの系譜にあるコンポジションと言える。さて、ジョン・アダムスは、このピアノの組曲に関してどのように考えているのだろうか。


 



 

「Phrygian Gates(フリギアの門)」とその小さなコンパニオン作品である「China Gates(中国の門)」は作曲家としての私のキャリアの中で重要な時期の産物でした。

 

この作品は、1977−78年に新しい言語での最初の一貫した生命として登場したという事実のおかげで、私の「Opus One」となる可能性を秘めている。1970年代のいくつかの作品、アメリカンスタンダード、グラウンディング、いくつかのテープによる作曲は振り返ってみると独創的であるように見えますが、まだ自分自身の考えをまとめる手段を探している最中でした。


「Phrygian Gates」 はミニマリストの手段の強い影響を示していて、それは確かに反復的な構造の基づいています。しかし、アメリカのミニマリストにとどまらず、ハワード・スケンプトン、クリストファー・ホッブズ、ジョン・ホワイトのようにあまり知られていない英語圏の実践者は、この作品を制作する上で私の念頭に置かれていた。


1970年代はそもそも、ポスト・シェーンベルクの美学の過程がセリエリズムの原則にそれほど希望を見出さない作曲家によって新しい挑戦が始まった時代でした。これはまた、言い換えれば、新しい音楽における巨大なイデオロギーとの対立の時代だったのです。私はその頃、ジョン・ケージの方法に同様に暗い未来を見出していたが、それは合理主義と形式主義の原則に立脚しすぎているように私には思えたのです。


例えば、『易経』を参考にして作曲法を決定することは、『トーン・ロー』を参照して作曲することとそれほど違いがあるとは思えなかった。ミニマリズムというのは、確かに縮小された、ときには素朴なスタイルなのですが、私にこの束縛から抜け出す道を与えてくれたのです。調性、脈動、大きな建築構造の組み合わせは、当時の私にとって非常に有望であるように思えたのです。 

 

 

 「Phrygian Gates」

 


『Phrygian Gates』は、私がミニマリズムのこうした可能性にどのようにアプローチしたかを明確な形で示している。

 

また、逆説的ではあるが、私が当初からこのスタイルに内在する単純さを複雑化し、豊かにする方法を模索していたという事実も明らかにしている。よく言われる、”ミニマリズムに飽きたミニマリスト”という言葉は、別の作家が言ったものだが、あながち的外れではないでしょう。


『Phrygian Gates』は、調のサイクルの半分を22分かけて巡るもので、「平均律クラヴィーア曲集」のように段階的に転調するのではなく、5度の輪で転調していく。


リディアンモードとフリジアンモード(注: 2つとも教会旋法の方式)の矩形波が変調する構造になっている。曲が進むにつれて、リディアンに費やされる時間は徐々に短くなり、フリギアに費やされる時間は長くなる。

 

そのため、一番最初のAのリディアンの部分は曲の中で最も長く、その後、Aのフリジアンの非常に短いパッセージが続く。次のペア(Eのリディアンとフリジアン)では、リディアンの部分が少し短くなり、フリジアンの部分がそれに比例して長くなる。そして、コーダが続き、モードが次々と急速に混ざり合う。「ゲート」とは、エレクトロニクスから借用した用語で、モードが突然、何の前触れもなく変化する瞬間である。この音楽には「モード」はあるが、「変調」はない。


私にとって『Phrygian Gates』がいまだに興味深い理由を挙げるとするなら、その形状の地形と、波紋を思わせる鍵盤のアイデアの多様さである。

 

波が滑らかで静かなときもあれば、波が押し寄せてフィギュレーションが刺さるような場合もある。ほとんどの場合、それぞれの手を波のように動かし、もう一方の手と連続的に調和するパターンとフィギュレーションを生み出すように扱う。これらの波は、常に短い「ピング音」によって明瞭に表現され、小さな道しるべとなり、内部の小さな単位をおよそ「3-3-2-4」の比率で示す。


『Phrygian Gates』は一種の巨大構造であり、相当な肉体的持久力と、長い音のアーチを持続する能力を持ったピアニストが必要とされます。一方、『China Gates』は若いピアニストのために書かれたものです。演奏者のヴィルトゥオーゾ的な技術的効果に頼ることなく、同じ原理を利用している。

 

この曲もまた、2つのモーダルな(様式的な)世界の間を揺れ動くが、それは極めて繊細に行われている。この曲は、暗さ、明るさ、そしてその間に内在する影の細部に真摯に注意を払うことを求めるような曲であると私には感じられる。-John  Adams


「China Gates」