Weekly Music Feature
Nils Frahm
ニルス・フラームは、ベルリンを拠点に活動するドイツのミュージシャン、作曲家、レコード・プロデューサー。
クラシックとエレクトロニック・ミュージックを融合させ、グランドピアノ、アップライトピアノ、ローランド・ジュノ60、ローズ・ピアノ、ドラムマシン、ムーグ・タウルスをミックスした型破りなピアノ・アプローチで知られる。
ソロ活動のほか、アンネ・ミュラー、オラファー・アルナルズ、F. S. ブルム、ウッドキッドといった著名な演奏家とのコラボレーションも発表している。フレデリック・グマイナー、セバスチャン・シングヴァルトとともにノンキーンとしてレコーディング、演奏活動を行っている。
フラームは早くから音楽に親しんできた。父のクラウス・フラームは写真家で、ECMレコードのジャケットデザインも手がけている。彼はハンブルグ近郊で育ち、そこでクラシックのピアニストや現代の作曲家のスタイルを学んだ。学校ではミキシング・ボードを使い、録音された音の質に強い関心を抱いていた。
フラームは、初期のピアノ・ソロ作品『Wintermusik』(2009年)と『The Bells』(2009年)で注目を集めたが、批評家から絶賛されたのは2011年にリリースした『Felt』だった。以来、彼の音楽をリリースし続けているErased Tapesからの初のスタジオ・アルバムである。このアルバムに続くソロ・シンセサイザーEP『Juno and by Screws』(2012年)は、フラームが親指の怪我から回復している間にレコーディングされ、彼の誕生日にファンに無料ダウンロードで提供された。『Juno』に続く『Juno Reworked』(2013年)は、ルーク・アボットとクリス・クラークをゲストに迎えてリワークした。アルバム『Spaces』(2013年)は、2年以上にわたる様々な会場でのライブ録音で構成されている。
2013年12月、フラームは初の音楽集『Sheets Eins』をマナーズ・マクデイドから出版した。2016年には続編となる『Sheets Zwei』がリリースされた。2014年、フラームはデイヴィッド・クラヴィンスが彼のために特別に設計・製作した新しいピアノ「Una Corda」を発表した。このピアノは重さ100kg以下で、一般的に使用される3本の弦ではなく、鍵盤1つにつき1本の弦が張られている。
オーバーダビングなしの即興シングル・テイクによるアルバム『Solo』(2015年)は、後に同じくデヴィッド・クラヴィンス製の高さ370cmの縦型ピアノ「Modell 370」でレコーディングされた。インパラ・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた19枚のうちの1枚である。シングル「More」の凝縮バージョンは、『アサシン クリード ユニティ』のgamescomトレーラーに登場した。
2015年、フラームはセバスチャン・シッパー監督による140分連続テイクのドイツ映画『ヴィクトリア』で初のオリジナル・スコアを作曲した。また、2015年10月に公開され絶賛されたJR監督の短編映画『ELLIS』でウッドキッドとコラボレーションした。
同年、ニルス・フラームは1年の88日目を祝う「ピアノの日」(標準的なピアノの鍵盤が88鍵であることに由来)を創設した。最初のプロジェクトは、デイヴィッド・クラヴィンスとともに「Modell 450」を製作することだった。これは「Modell 370」の後継機である。
2016年2月、フラームは『The Gamble』をリリースし、2016年8月にはその関連作『Oddments of the Gamble』をリリースした。Pitchforkはこのアルバムを「魅力的につぎはぎだらけで雑然としているが、テンポがよくダイナミック」と評した。アートワークはフラームの父親がプロデュースした。
フラームは、「私は、人間がある状況下でどのように反応するか、そして音楽が人々の感情に何をもたらすかに興味がある。音色によって人々の態度をどのように変えることができるのだろうか。私が良いコンサートをした後、人々は幸せそうに部屋を出ていく。これは世界に還元できることなんだ。人々が落ち込んだり、もうダメだと感じたりしたときに、少なくとも音楽を聴かせ、人々の態度を変えることで、そういうふうに思わせたくない......。それが僕の宗教なんだ」
ドイツのポストクラシカルの至宝、ニルス・フラームが、ソロピアノ曲の新作「Day」を発表する。2022年の夏、ベルリンの有名な複合施設ファンクハウスのスタジオを離れ、完全な孤独の中で録音されたこのアルバムは、3時間に及ぶ壮大なアンビエントの傑作「Music For Animals」以来となる。
「Day」は、過去10年間、フラームが最初にその名を知らしめたピアノ曲から徐々に離れていき、それでもなお、より楽器的に複雑で複雑なアレンジを施した独特のアプローチに移行していくのを見てきた人たちにとっては驚きかもしれない。
2021年、パンデミックの初期にアーカイヴの整理に費やしていた彼は、80分、23曲からなる「Old Friends New Friends」をリリース。「Music For Animals」の延長線上にあるアンビエント的な性質から判断すると、この作戦は成功したと言えようが、フラームは初心に帰らずにはいられない。「The Bells」、「Felt」、「Screws」といった高評価を得たアルバムを楽しんだ人々は、「Day」の慣れ親しんだ個人的なスタイルに満足するはずだ。「Day」には6曲が収録され、そのうち3曲が6分を超えるもので、フラームが2024年にリリースを予定している2枚のアルバムの第1弾となる。
しかし、その性質上、フラームはこのリリースについて歌ったり踊ったりはしない。その代わり、現在進行中のワールド・ツアーを再開する。すでにベルリンのファンクハウスでの15公演がソールドアウトし、アテネのアクロポリスでの公演も含まれている。2024年7月にロンドン・バービカンで開催される数回のソールドアウト公演を含め、世界各地での公演が続く。
このアルバムは、レコーディングされた時のように、静かで居心地の良い部屋で楽しむのが一番だ。周期的で静かなジャジーな「You Name It」では、ペダルのきしむ音がかすかに聞こえ、「Butter Notes」のアルペジオの緩和的な波紋では、外の通りで犬が吠える音が聞こえる。慈愛に満ちた「Tuesdays」と感情的に曖昧な「Towards Zero」は、ハロルド・バッドの初期の作品のような痛烈な粘りをもって余韻を残し、「Hands On」は、時に明るく、風通しの良い曲で、独自の意図的なペースを作り出している。
内密なムードが特徴的な「Day」は、フラームが現在、ピアノ、オルガン、キーボード、シンセ、さらにはグラス・ハーモニカまで駆使した手の込んだ祝祭的なコンサートで最もよく知られていることは間違いないが、シンプルさ、優しさ、ロマンスに影響を与える名手であることを証明している。
『Day』/ Leiter-Verlag
フラームがエレクトロニック・プロデューサーとしての表情を持つ傍ら、鍵盤奏者としての傑出した才覚を持つことは、音楽ファンによく知られていることである。2009年頃、ドイツ・ロマン派に属するポスト・クラシカルのシングル「Wintermusik」を発表して以来、不慮の事故で指に怪我を負う等、いくつかの懸念すべき出来事も発生したが、結局のところ、2024年現在まで、(知るかぎりでは)フラームが鍵盤奏者であることを止めたことは一度もない。
そのなかで、鍵盤奏者としての性質をわずかに残しながら、意欲的なミニマル・テクノやエレクトロも制作してきた。BBC Promsへの出演を期に、英国等の音楽市場でもアーティストの知名度が上昇した経緯を見ると、フラームの一般的なイメージは「エレクトロニック・プロデューサー」ということになるのかもしれない。しかし、ミュージシャンとしての本質は、やはり鍵盤奏者にあるといわざるを得ない。結局、ミニマル・テクノやダニエル・ロパティンのような電子音楽の交響曲という要素は、鍵盤奏者としての性質の延長線上にあるということなのだ。
また、 ニルス・フラームは、ドイツのファンクハウス・ベルリンに個人スタジオを所有していることは詳しい方ならご承知かもしれない。しかし、かつては自宅の地下室に個人スタジオからファンクハウスベルリンに制作拠点を移したことは、こ過剰なプレッシャーを制作者に与えることに繋がった。そこから気をそらすため、フラームは時々、マヨルカ島にエネルギーの補填に行ったり、ベルリンの音楽仲間である現代のダブ・ミュージックの象徴的なプロデューサー、FS Blummとのコラボレーションを行っていた。つまり、これは推測するに、気分が詰まりがちな制作環境に別の気風をもたらそうとしたというのが所感である。
今回の最新アルバム『Day』は個人スタジオがあるファンクハウスから距離を置いている。このファンクハウスの個人スタジオは、『All Melody』のアルバムのアートワークにもなっている。なぜ制作拠点を変更したのかについては、東西分裂時代のドイツの閉塞感から逃れることと、作風を変化させることに狙いがあったのではないかと推測される。
フラームは、以前からドイツの新聞社、”De Morgen”の取材で明らかにしている通り、ワーカーホリック的な気質があったことを認めていた。しかし、そのことが本来の音楽的な瞑想性や深遠さを摩耗していることも明らかであった。おそらく、このままでは、音楽的な感性の源泉がどこかで枯渇する可能性もあるかもしれない。そのことを知ってのことか、ニルス・フラームは、2021年頃から、ライブの本数を100本ほどに徐々に減らしていき、パンデミックやロックダウンを契機に、彼のマネージャーと独立レーベル、”Leiter-Verlag”を設立し、その手始めに『Music For Animals』を発表した。これらの動向は、次の作品、そして、その次なる作品へ向けて、以前の活動スタイルから転換を図るための助走のような期間であったものと考えられる。
フラームは、活動初期のコンテンポラリークラシカル/ポスト・クラシカルの未発表音源を収録した2021年の『Old Friends New Friends』では、自身のピアノ曲を主体とする音楽性について、「ドイツ・ロマン派」的なものであるとし、いくらかそれを時代遅れなものとしていた。その後の『Music For Animals』はシンセサイザーによるアンビエント作品であったため、しばらくはピアノ作品を期待出来ないと私は考えていたのだったが、結局のところ、このアルバムで再び最初期の作風に回帰を果たしたということは、フラームの発言はある種のジョークのような意味だったのだろう。
しかし、原点回帰を果たしたからといえど、過去の時代の成功例にすがりつくようなアルバムではない。はじめに言っておくと、このアルバムはニルス・フラームの最高傑作の1つであり、ピアノ作品としては、グラミー賞を受賞したオーラヴル・アルナルズの『Some Kind Of Piece』に匹敵する。全編が一貫してピアノの録音で占められていて、あらかじめスコアや着想を制作者の頭の中でまとめておき、一気呵成に録音したようなライブ感のある作品となっている。
ここ数年の称賛された作品や、売れ行きが好調な作品を見るかぎりでは、そのほとんどが数ヶ月か、それ以上の期間がアルバムの音楽の背景に流れているのを感じさせるが、『Day』は、ほとんどそういった時間の感慨を覚えさせない。制作者によるライブ録音が始まり、それが35分ほどの簡潔な構成で終了する。多分、無駄な脚色や華美な演出は、このアーティストには不要なのかもしれない。フラームのアルバムは、ピアノの演奏、犬や鳥の鳴き声のサンプリング、そして、マイクの向こう側にかすかに聞こえる緊張感のある息遣いや間、それらが渾然一体となり、モダン・インテリアのようにスタイリッシュに洗練された音楽世界が構築されたのである。
オープニングを飾る「You Name It」は、2018年の『All Melody』に収録されていた「My Friend The Forest」の作風を彷彿とさせ、さらに2009年頃のポスト・クラシカルの形式に回帰している。ビル・エヴァンスのような洗練された演奏力があるため、少なくとも制作者が忌避していたようなアナクロニズムに堕することはほとんどない。 なおかつ、近年のエレクトロニックを主体とした曲や、アルバムに申し訳程度に収録されていたピアノ曲ともその印象が異なる。
演奏には瞑想性があり、まるでピアノの演奏を通じ、深遠な思索を行うかのようである。それは必ずしも「音楽のフィクションの物語」となるわけではないが、少なくとも、「音で言葉を語る」という、プロの音楽家としての水準を簡単にクリアしているように思える。
この曲は、氾濫する言葉から距離を置き、言葉の軽薄さから逃れさせる力を持っている。この曲を聞き、言葉に還ると、言葉というものの大切さに気づく契機となるかもしれない。フラームの演奏はアンドラーシュ・シフやグレン・グールドよりも寡黙であるが、しかし、そこには音楽を尊重する沈黙がある。これがこの音楽を聴いて、じっくりと聞きこませる力がある理由である。
「Tuesday」
「Tuesday」も一曲目と同じように、ピアノハンマーの音響を生かしたディレイやサステインを強調したサウンド・デザインである。しかし、最初の一音の立ち上がり、つまりハンマーが鍵盤の蓋の向こうに上がる瞬間、感情性とロマンが溢れ出し、潤沢な時間が流れはじめる。曲には、イタリアのルチアーノ・ベリオの「Wasserklavier」のような悲しみもかんじられるが、 ロベルト・シューマンの「Des Abends(夕べに)」のようなドイツ・ロマン派の伝統性も含まれている。シューマンの曲は、夕暮れの哀愁に満ちた情感、ライン地方の景物の美しさからもたらされる自然味が最大の魅力だったが、この曲は同じような系譜にあるとても美しい曲である。
しかし、それは旋律進行の器楽的な巧みさというよりも、実際の演奏の気品や洗練された感覚からもたらされる。楽節としてはミニマル音楽の系譜にあるものの、その合間に取り入れられる休符、つまり沈黙の瞬間が曲そのものに安らぎを与える。その間には、ピアノの演奏時には聞こえなかった演奏者のかすかな息遣いやアコースティックピアノのハンマーの軋む音が聞き取れる。これは隙間を見出すと、微細な音を配そうという近年の音楽の流れとは対極にある。忙しない音の動きやリズムを過剰に強調するのは、音楽というものを信頼していない証でもある。フラームはそれを逆手に取り、あえてこういった間や休符の中にある安らぎを強調している。
「Butter Notes」は、ある意味ではこれまでとは打って変わって、古典派やバロック音楽への敬愛を示している。バッハの「コラール」や「平均律クラヴィーア」に見られるような構造的な音楽を対比的に配置し、特異な作風に昇華させている。この曲には、ベートーヴェンやシューベルトのソナタ形式の作品に対する親近感もあり、それはロマンティックな気風を持つ「B楽章」を元にしている。これらはシューベルトのピアノ・ソナタの主要作品や、ベートーヴェンの『月光』の系譜に位置づけられる。それらの古典的な作風を踏襲しつつも、低音を強調したダイナミックでモダンなサウンド・プロダクションに変容させる。その中には実験音楽の技法が導入され、ボウド・ピアノ(プリペイド・ピアノ)のデチューンさせたピアノ弦をベース音として取り入れるという前衛的な試行がなされている。既存のクラシックの楽曲に影響を受けながらも、アンビエンスを強調したりというように、モダンなサウンドが敷き詰められている。
「Hands On」は、『All Melody』の時代から取り組んできたアンビエントとピアノミュージックの融合を次世代のエレクトロニックとして昇華させるというフラームらしい一曲となっている。この曲では、実際に鳴っている鍵盤の音と背後にあるハンマーの軋みという2つの音楽的な構造が同一線上にある2つの線へと分岐している。これらは「音楽によるメタ構造」ともいうべき作風を作り出す。Olafur Arnolds、Library Tapes、Goldmund,Akira Kosemura(小瀬村晶)といった最近のポスト・クラシカルの主要な演奏家は、この2つのプロダクションの融合に取り組んでいたが、この曲では2つのサウンドデザインをはっきり分離させることで、立体的な構造性を作り出す。また、前の曲と同様に、低音を強調したプロダクションは、ベーゼンドルファー(オーストリアのピアノで、現在はヤマハが買収)のような特殊な音響性を兼ね備えている。
「Changes」でもプリペイド・ピアノの技法が取り入れられている。三味線や琵琶のような枯れた響きのある前衛的な音をモチーフとし、琵琶の演奏の技法が取り入れられている。これは武満徹がニューヨークで初演を行ったクラシックの交響曲「November Steps」にも取り入れられている。
この曲ではプリペイド・ピアノをウッドベースのように弾くことにより、こういった演奏が生み出されている。そして面白いことに、持続音が減退音に変化する瞬間、琵琶や三味線のようであった和風の音響性が、インドのシタールのようなエキゾチックな音色へと変わる。それはライブセットで実際に演奏楽器を変えるときのような、イマジネーションを膨らませるような効果がある。この曲は従来の作風に比べると、驚くほど明るく、清々しい感覚に彩られている。ピアノの演奏面での工夫もあり、バッハの「フランス組曲」、「イギリス組曲」に見られるような装飾音、スタッカートの技法を取りいれ、音の印象に変容をもたらしている。聞き方次第では、それ以前のスカルラッティのイタリアン・バロックに対する親しみとも読み解ける。
クローズ「Towards Zero」はこれまでフラームが書いてきた中で最高傑作の1つに挙げられる。ドイツ・ロマン派の音楽性に根ざしたイントロから瞑想的な旋律が紡がれる。スケールの中にはバッハの「コラール」の編曲を行ったブゾーニのような重厚さと敬虔な響きが含まれる。低音を強調し、ディレイとサステインに変化を与え、その中に鶏の声のサンプリングを配している。
これらの実験的なサウンドプロダクションについては、かつてシューマンが行った「Vogel als Prophet(予言の鳥)」におけるストーリーテリングのような音楽と、イタリアのレスピーギが「ローマの松」で世界で最初に行われたサンプリングの技法を複合させ、それを現在の視点から再解釈するという意義が求められる。そして、この曲にも、ライブパフォーマンスのような精細感のある録音形式が選ばれている。ここには息を飲むようなリアルな緊迫感、音のひとつひとつの立ち上がり、ノートが完全に消え入ろうとする瞬間に至るまで、制作過程の全てが収録されている。それは実際に鳴っている音だけではなく、空間の背後の音を掬い取ろうというのだろう。
ニルス・フラームが、アルバムのクローズ曲「Towards Zero」で試みようとしているのは、おそらく音を強調するということではなく、休符によって発生する空白を、ディレイ/リバーブ等を中心とするエフェクトで強調させ、その余白を徹底して増大させるということである。そして制作者の意図する「ゼロに向かう」という考えは、最終的に、坂本龍一の作品と同じように、宇宙の根源的な核心へ接近していこうとする。一貫して、高水準のピアノ曲が示された後に訪れるのは、あっけない「沈黙」である。その敬虔な響きが徹底して強調され、アルバムは終わる。
また、最後の曲は、鳥の声のサンプリングが収録されているためか、新訳聖書のような文学性を思わせる。バイブルの中で、使徒ペテロがナザレのイエスを裏切るシーンと重なるものがあり、ミステリアスな印象を余韻という形で残す。特筆すべきは、カデンツァのトニカ(Ⅰ)で曲はおわらず、その途中で終了していることである。これはシューベルトが未発表のピアノ曲を遺稿として残し、未完に終わっていることを思い出させ、また、『ダヴィンチ・コード』のようにミステリアスな雰囲気に満ちている。果たして、音楽の後になんらかの続きが存在するのか? その答えは、次のアルバム以降に持ち越されるということになるかもしれません。
96/100
Weekend Track 「Towards Zero」
・Nils Frahm(ニルス・フラーム)の新作アルバム『Day』は本日よりLeiterから発売。ストリーミングやご購入はこちらから。