カジヒデキ 『Being Pure At Heart』
Label: Blue Boys Club/AWDR/LR2
Relase: 2024/04/24
Review
渋谷系の代表的なシンガーソングライター、カジヒデキは「Being Pure At Heart」で明確に「ネオ・アコースティックに回帰してみようとした」と話している。ネオ・アコースティックとは1980年代のスコットランドで隆盛をきわめたウェイブだ。このウェイブからは、ベル・アンド・セバスチャンという後の同地の象徴的なロックバンドを生み出したにとどまらず、Jesus And Mary Chain、Primal Scream等、その後のUKロックの10年を占うバンドが多数登場したのだった。
渋谷系は2010年代頃に、海外でもストリーミングでカルト的な人気を獲得したことがある。この渋谷系とは、複数のジャンルのクロスオーバーで、ギターロックはもちろん、小野リサのボサノバ、ラウンジジャズ、チルアウト、そして平成時代のJ-POP等、多数のジャンルがごちゃまぜになり、スタイリッシュでアーバンな雰囲気を持つ独自のサウンドとして確立された。現在のクロスオーバーやハイブリットという時代を先取りするような音楽であったことは疑いを入れる余地がない。渋谷系はかなり広汎なグループに適応され、その象徴的な存在であるサニーデイ・サービス、小沢健二、カジヒデキがこのジャンルをリードした。当時の日本国内でのヒットチャートでも宇多田ヒカルや椎名林檎といったヒップな存在に紛れるようにしてカジヒデキの楽曲も必ず上位にランクインしていたのだった。
『Being Pure At Heart』はシンプルにいえば、渋谷系という固有のジャンルを総ざらいするようなアルバムである。そして少なくとも、忙しない日常にゆるさをもたらす作品となっている。北欧でレコーディングされたアルバムであるが、全般的に南国の雰囲気が漂い、トロピカルな空気感を持つ複数のトラックがダイヤモンドのような輝きを放つ。オアシスの「Be Here Now」に呼応したようなタイトル「Being Pure At Heart」は忙しない現代社会へのメッセージなのか。
アルバムの冒頭を飾るタイトル曲はまさしくネオ・アコースティック/ギター・ポップの王道を行くナンバーといえる。エレアコのイントロに続いて、1990年代と変わらず、カジヒデキは快活なボーカルを披露する。そして、小山田圭吾やスカートの澤部渡のような軽快なカッティングギターを元にして、精細感のあるボーカルを披露する。ギターサウンドは、お世辞にもあたらしくはないけれど、逆に核心を付く音楽的なアプローチの中に迷いがないため、ことさら爽快なイメージを作り出す。そしてThe Pastelsを思わせるメロディーを込め、聞き手を平成時代のノスタルジアの中に誘う。カジヒデキは口ずさめるシンプルなメロディーの流れを意識し、それらを誰よりも軽快に歌う。それにカラフルな印象を付加しているのが、女性ボーカルによるコーラス。
続く、「We Are The Border」はコーネリアスのマタドール在籍時代の『Fantasma』のダンサンブルでアップテンポなナンバーを継承し、それにカジヒデキらしいユニークな色合いを加えている。この曲もまた渋谷系のスタンダードな作風となっているが、そこに恋愛の歌詞を散りばめ、曽我部恵一のような雰囲気を加えている。サニー・デイ・サービスと同様にカジヒデキも甘酸っぱいメロディーを書くことに関しては傑出したものがある。それはアルバムのタイトルにあるように、純粋な気持ちやエモーションから作り出される。歌詞の中では、クリスマスや賛美歌について言及されるが、それらが楽曲が持つ楽しげなイメージと見事な合致を果たしている。つまり、カジヒデキのソングライティングの秀逸さがサウンドプロデュースとぴたりと一致している。
「April Fool」ではオープナーと同様に牧歌的なスコットランドのギター・ポップへと回帰している。これらのおおらかな気風はこのアーティストにしか作り出せないもので、甘いメロディーと融合する。手拍子や変拍子のリズムの工夫や移調の工夫を随所に散りばめながら、カラフルなサウンドを作り出す。ギターのカッティングの決めの箇所をリズム的に解釈しながら、最終的にタイトルのサビへ移行する。この瞬間には奇妙な爽快感があり、開放的な雰囲気もある。
続いてカジヒデキは、そらとぼけるように、「エイプリル・フール」と歌った後、「君が好きだよ、それもうそのはずだった」と カジヒデキ節を込め、続くヴィネットへと移行していき、「人生は夏草のように」と松本隆を思わせる抒情を重視した淡麗な歌詞を軽やかに歌いこむ。メロディーやリズム、実際の歌が歌詞の流れとともに音に拠る情景を呼び覚ます。これこそJ-POPにしか求められない要素で、アーティストはそれを誰よりもシンプルにやってのける。
「Peppy Peach」はチルアウト/チルウェイヴに舵をとっている。 シンセを中心に作り出したリズムに同じくシンセのテクスチャーでトロピカルな雰囲気を生み出しているが、これは細野晴臣の1973年の「Hosono House」の日本の音楽が未だ歌謡曲とポップスの中間にあった時代の作風を思わせる。
歌詞も面白く、ちょっとおどけたようなアーティストの文学性が堪能出来る。他の曲と同じように、''アイスクリーム''等のワードを織り交ぜながら、甘酸っぱい感覚のメロディーを作り出す。その中に、ボサノヴァのリズムを配しながら、コーラスの導入を通じて、多彩なハーモニーを作り出す。「いつもそばで、I Love You、触れた〜」と歌う時、おそらくJ-POPの言葉運びの面白さの真髄とも言うべき瞬間が立ち表れる。”英語を通過した上での日本語の魅力”がこの曲に通底している。ある意味でそれは日本のヒストリアのいち部分を見事に体現させていると言える。
「NAKED COFFE AFFOGATO」はYMOのレトロなシンセポップを思わせ、カッティングギターを加え、ダンサンブルなビートを強調させ、モダンな風味のエレクトロに代わる。前曲に続きアーティストしか生み出せないバブリーな感覚は、今の時代ではひときわ貴重なものとなっている。そこにお馴染みの小山田圭吾を思わせるキャッチーなボーカルが加わり、楽しげな雰囲気を生み出す。続く「Looking For A Girl Like You」はギター・ポップとネオ・アコースティックというスタイルを通じて、高らかで祝福的な感覚を持つポップソングを書き上げている。アレンジに加わるホーンセクションは北欧でのレコーディングという特殊性を何よりも巧みに体現している。
プレスリリースにおいて、カジヒデキはネオ・アコースティックを重要なファクターとして挙げていた。でも、今作の魅力はそれだけにとどまらない。例えば、「Don' Wanna Wake Up!」では平成時代に埋もれかけたニューソウルやR&Bの魅力を再訪し、マリンバのような音色を配し、トロピカルな雰囲気を作り出す。R&Bとチルウェイブの中間にあるようなモダンな空気感を擁するサウンドは、アメリカのPoolside、Toro Y Moi、Khruangbinと比べても何ら遜色がない。そこにいかにもカジヒデキらしいバブリーな歌詞とボーカルはほんのりと温かな気風を生み出すのである。
以後の収録曲「Summer Sunday Smile」と「クレールの膝」は渋谷系のお手本のような曲である。少なくともダンスビートを重視した上で、メロディ性を生かした曲は現在のミュージックシーンの最中にあり新鮮な印象を覚える。それはまたプリクラやビートマニアのような平成時代のゲームセンター文化を端的に反映させたようなエンターテイメント性を重んじたサウンドなのである。
もうひとつ注目しておきたいのは、このアルバムにおいてアーティストはチェンバーポップやバロックポップの魅力をJ-POPという観点から見直していることだろうか。例えば「Walking After Dinner」がその好例となり、段階的に一音(半音)ずつ下がるスケールや反復的なリズム等を配し、みずからの思い出をその中に織り交ぜる。そして、カジヒデキの場合、過去を振り返る時に何らかの温かい受容がある。それが親しみやすいメロディーと歌手のボーカルと合致したとき、この歌手しか持ちえないスペシャリティーが出現する。それはサビに表れるときもあれば、あるいはブリッジで出現するときもある。これらの幸福感は曲ごとに変化し、ハイライトも同じ箇所に表れることはない。人生にせよ、世界にせよ、社会情勢にせよ、いつもたえず移り変わるものだという思い。おそらくここに歌手の人生観が反映されているような気がする。そしてまた、この点に歌手の詩情やアーティストとしての感覚が見事に体現されているのだ。
カジヒデキの音楽を最初に聴いたのは小学生の頃だった覚えがある。当時はオリコンチャートやカウントダウンTVのような日本のヒットチャートの一角を担うミュージシャンという印象しかなかったが、今になってアーティストの重要性に気がついた。カジヒデキは、誰よりも親しみやすいメロディーを書いてきた。そして、子供でも口ずさめる音楽を制作してきたのだった。そして、このアルバムでも、それは不変の事実である。これらのソングライターとしての硬派な性質は、むしろ実際の柔らかいイメージのある音楽と鋭いコントラストをなしている。
アルバムの終盤でもシンガーソングライターが伝えたいことに変わりはない。それは世界がどのように移り変わっていこうとも、人としての純粋さを心のどこかに留めておきたいということなのだ。「君のいない部屋」では、切ないメロディーを書き、AIやデジタルが主流となった世界でも人間性を大切にすることの重要性を伝える。本作のクローズを飾る「Dream Never End」は日常的な出来事を詩に織り交ぜながら、シンプルで琴線に触れるメロディーを書いている。