Marine Eyes
マリン・アイズ(シンシア・バーナード)は、アンビエント、シューゲイザー、ドローン、フィールド・レコーディング、ドリーム・ポップを融合させ、この瞬間に生まれながら、過去からの教訓を織り交ぜた物語を綴ります。
現在ロサンゼルス在住のバーナードは、北カリフォルニアで育ち、音楽がとても大切にされている家庭で育った。シンシアの祖母が脳卒中で倒れ、話すことはできても歌うことができなくなったとき、シンシアはセラピーとしての音楽に魅了されました。
何年もの間、彼女は音楽を自分自身と親しい友人や家族だけにとどめていたが、2014年に現在の夫ジェイムズ・バーナードと出会い、2人は一緒に音楽を書き始め、アンビエント・プロジェクトで目覚めた魂を分かち合うようになりました。2021年にStereoscenic Recordsからソロ・デビュー・アルバム「idyll」を、2022年にはPast Inside the Presentから「chamomile」をリリースしています。
現在、彼女は定期的にミニチュアの世界を構築し、自然の中で静寂を迎えながら、音の癒しの特質やセメントの大切な瞬間を探求しています。2024年にパスト・インサイド・ザ・プレゼントから3枚目のソロ・アルバムがリリースされます。
3枚目のソロアルバム『belong』を作り上げる感情や人間関係の脈動をパッケージ化する手段としてバーナードは幾つもの言葉を日記に残しました。直接的で喚起的な構文はイー・カミングス(アメリカの画家)を想起させ、彼女はこのコレクションで親しみやすい魂によって彩られた水たまりのような光景を、愛によるイメージで表現しています。
バーナードの瞑想的な手法により、「To Belong- 帰属」は本来あるべき生命の姿に近づいていきます。物理的な世界、時間の連続体、愛する人の腕の中にある居場所を表現するような、稀有で繊細な感覚に。トリートメントされたギター、ソフトなシンセ、輝く声のレイヤーを駆使し、全体的な抱擁の感覚を織り交ぜる。『To belong』には、フィールド・レコーディングや、彼女の大切な家族や友人の声も優しく彩られている。これらには、以前カモミールにインスピレーションを与えた、日記と記録への愛が貫かれています(『Past Inside the Present』2022年)。
オープニングのタイトル・トラックは、鳥の鳴き声とヴォーカルの言葉がゆるやかな波さながらに寄せては消え、綛(かせ)から取り出された毛糸のようなテクスチャーを紡いでゆく。「bridges」は、柔らかにかき鳴らされるギター、澄明な瞳のマントラが霧中から現れる。夕まぐれの浜辺で焚き火を囲みつつ、子供たちのために、この曲を演奏する彼女の姿を想像してみて下さい。
「cemented」は、亡き叔父が大切にしていたギターの弦がタペストリーさながらに絡み合い、お気に入りの公園を散歩したさいの足音が強調され、無限の空間を作り上げていきます。憂鬱と畏怖が共存する短いパッセージにより闘病中の妹の勇気を称え作曲された「of the west」、カリフォルニアの緑豊かな季節を淡いきらめきに織り交ぜ、牧歌的なテーマ(Stereoscenic, 2021)と呼応する「suddenly green」など、彼女の旅は続く。これらは疑いなしに深く個人的な作品であることはたしかなのですが、その慈愛と共感の魅力的な空気に圧倒されずにいられないのです。
「mended own」は、プリズム写真に傾倒するバーナードの内省的な研究と合わせて、フォーク・バラード・モードを再現しています。絶えず屈折したり、分解したり、融合したり、あるいは光線と戯れたりする彼女の音楽の性質は、アルバムのジャケット画像に象徴づけられるように、出来上がりつつある虹の中でそれぞれの要素が際立つようにアレンジと融合しています。「柔らかな手に握られたこの光は/重い石を/手放す」とバーナードは穏やかに歌い、オーバーダビングされたテープに残された亡霊さながらに、背景を横切って細部を際立たせる。
最後の「to belong」は、長年の血筋の影響(USCのリトル・チャペル・オブ・サイレンスを作った曾祖母のために書かれた "in the spaces")と親しい友人の無条件の愛("all you give (for ash)")を呼び起こし、感謝と無常への2部構成の頌歌で幕を閉じる。「night palms sway」は、街灯の下でひらひら舞う昆虫だけが目撃する、日の終わりに手をつないで歩く親しげな光景を想起させるでしょうし、「call and answer」は、聴けば歌ってくれるミューズへの賛歌となる。最後の曲については、束の間の別離を惜しむというよりも、再び会いたいという親しみが込められているのです。
マリン・アイズは、詳らかに省察を重ね、受容し、実存の偶然性に感謝し、彼女の音楽の世界を作り上げます。「個人的な歴史に巻き起こる出来事すべてになんらかの意味が込められている」バーナードは断言します。「あらゆる偶発的な出来事や、わたしたちを取り巻くあらゆるもののもろさやよわさを考えるとき、一への帰属意識こそがきわめて貴重なものになりえる」と。
--Past Inside The Present
『To Belong』
マリン・アイズのプロデューサー名を関して活動を行うLAのシンシア・バーナードは、夫であるジェームス・バーナードと夫婦で共同制作を行い、ソロアーティストとして別名義のリリースを続ける。アンビエントミュージシャンとして夫婦で活動を行う事例は珍しくなく、例えば、ベルギーのクリスティーナ・ヴァンゾー/ジョン・アルゾ・ベネット夫妻が挙げられます。ベルギーの夫妻はロンドンのバービカン・センター等でもライブ・イベントを行っている。クリスティーナ夫妻の場合は、シンセサイザーとフルートの組み合わせでライブを行うことが多い。
そして、二つのパートナーに共通するのは、コラボレーターとして共同制作も行い、そのかたわら、ソロ名義の作品もリリースするという点なのです。ふと思い出されるのは、昨年末、夫のジェームス・バーナードのアンビエントアルバム『Soft Octave』がリリースされたことです。年の瀬も迫ると、大手レーベルのリリースはほとんど途絶えますが、その合間を縫うようにし、インディペンデントなミュージシャンの快作がリリースされる場合がある。バーナードさんのアルバム”Soft Octave”は、妻のシンシアとは異なり、クールな印象を持つアンビエントで、音楽に耳を傾けていると、異次元に引っ張られていくような奇異な感覚に満ちていました。とくに「Cortege」という曲がミステリアスで、音楽以上の啓示に満ちていたような気がしたものでした。いや、考えてみると、理想的な音楽とはなんらかの啓示でもあるべきなのでしょうか??
夫であるジェームス・バーナードの音楽とは異なり、妻のマリン・アイズの音楽は自然味に溢れていて、言ってみれば、ロサンゼルスの自然からもたらされるイメージ、内的な瞑想、そして静寂を組みわせて、癒やしの質感を持つアンビエントを制作しています。祖母の病気をきっかけに音楽制作をはじめるようになったマリン・アイズは、ヒーリングのための音楽を制作しはじめ、当初それを公に発表することもためらっていましたが、しかし、彼女の音楽を家族や身内だけに留めておくのは惜しく、より多くの人の心を癒やす可能性を秘めています。シンシア・バーナードの現時点での最高傑作として、昨年、エクスパンデッド・バージョン「拡張版)として同レーベルからリリースされた「Idyll」が真っ先に思い浮かびます。この作品では、サウンドデザインの観点からアンビエントが制作され、その中にシンシア・バーナードのギターに彼女のボーカルが組み合わされ、”アンビエント・ポップ”ともいうべき新しい領域を切り開いたのです。もちろん、このことに関して、当のミュージシャンが必ずしも自覚しているとは限りません。新しい音楽とは、あらかじめ予期して生み出されるものではなく、いつのまにか、それが”新しいものである”とみなされる。音楽の蓋然性の裏側に必然性が潜んでいるのです。
シンシアの3作目のアルバム”To Belong"が、なんのために書かれたものであるのかは明確です。人間の存在が分離した存在なのではなく、一つに帰属すべきものであるという宇宙の摂理を思い出すために書かれているのです。人間の一生とは、分離に始まり、合一に戻っていく過程を意味する。そのことに何歳になってから気がつくものか、死ぬまでそのことがわからないのか。それぞれの差別意識、肌の色の違い、性別の違い、また、考えの違い、ラベリングの違い、ひいては、宗教、民族の違い、所属の違いへと種別意識が押し広げられていき、最終的には、政治、国家、実存の違いへと意識が拡大していく。そこで、人々は自分がスペシャルな存在であると考えて、自分と異なる存在を敵視し、ときに排斥することを繰り返すようになってしまう。ときに、それが存在するための意義となる。しかしながら、それらの差別意識は、根源的には生命の存在が合一であることを”思い出させる”ために存在すると考えてみたらどうなるでしょう?? それらの意味は覆されてしまい、個別的な存在がこの世にひとつも存在しないということになる。
・1ー3
この音楽はミヒャエル・エンデの物語のように始まりもなければ終わりもありません。そしてミュージシャンが述べているように、これらのアンビエントは根源的な生命の偏在を示唆し、言い換えれば「どこにでもあり、どこにもない」ということになる。しかし、それは言辞を弄したいからそう言うのではなく、シンシア・バーナードの音楽のテクスチャーの連続性は、たしかに生命の本質を音楽というかたちで、のびのびと表現されているからなのです。シンセのシークエンス、バーナードさんがLAで実地に録音したフィールド・レコーディング、それからギターとボーカルという基本構造を基にし、アンビエントミュージックが構築されていきますが、 アルバムの導入部分でありタイトル曲でもある「To Belong」は、パンフルートの音色をかけあわせたシンセのシークエンスがどこまでも続き、音像の向こうに海のさざめきの音、鳥の声がサンプリングで挿入され、自然味のあるサウンド・デザインが少しずつ作り上げられる。このアルバムを聴くにつけ、よく考えるのは、アーティストが見たロサンゼルスの光景はどのようなものだったのかということなのです。もちろん、いうまでもなくそこまではわからないのですが、その答えはアルバムの中に暗示され、海の向こう側の無限へと続いているのかもしれません。これらの一面的を超越した多角的なサウンド・デザインは、実際に世界がミルフィールのような多重構造を持つ領域により構築されていることをありありと思い出させるのです。
マリン・アイズの音楽は、Four Tet、Floating Pointsのようなサウンドデザインの領域にとどまることはなく、Autechre、Aphex Twinの音楽に代表されるノンリズムで構成されるクラブ・ミュージックに触発されたダウンテンポに属するナンバーに変わることもある。そしてどうやらこの試みは新しいものであるらしく、マリン・アイズの音楽の未知の側面を表しているようなのです。例えば、#2「husted」は(モジュラー)シンセによってミクロコスモスから始まった音像空間が極大に近づき、マクロコスモスへと押し広げられる。この作風は、リチャード・ジェイムスが90年代のテクノブームを牽引する以前に、「Ambient Works」で実験的に示したものでもあったのですが、シンシア・バーナードは旧来のダウンテンポの要素にモダンな印象を添えようとしています。単なるワンフレーズの連続性は、ミニマリストとしてのバーナードの音楽性の一端が示されているように思えるかもしれませんが、実は、そのかぎりではなく、トーンやピッチの微細な変容を及ぼすことにより、轟音の中に安らぎをもたらすのです。これはジョン・アダムスが言っていたように”反復は変化の一形態である”ということでもあるのです。
マリン・アイズはフィールドレコーディングで生じたエラー、つまり、ヒスノイズをうまく活用し、グリッチノイズのような形でアンビエント・ミュージックに活用しています。シンシア・バーナードはカルフォルニアの自然の中に分け入り、リボン・バイクを雑草地に向け 、偶然性の音楽を捉えようとしています。#3「Timeshifting」には風の音、海の音、そのほかにも草むらに生息する無数の生き物の声を内包させていると言えるのです。私自身はやったことがないのですが、フィールドレコーディングというのは、そのフィールドに共鳴する人間の聴覚では拾いきれない微細なノイズを拾ってしまうことがよくあるそうなのですが、しかし、これらのアクシデンタルな出来事はむしろ、実際の音楽に対してその空間にしか存在しえない独特なアトモスフェールを録音という形で収めることに成功しています。そして、これが奇妙なことに現実以上のリアリティーを刻印し、現実の中に表れた偶然のユートピアを作り出す。アンビエントのテクスチャーの中に、マリン・アイズは自身のボーカルをサンプルし、現実に生じた正しい時の流れを作り出す。ボーカルテクスチャはミューズさながらに美しく、神々しい輝きを放つかのような聴覚的な錯覚をおぼえさせる場合がある。この曲はまたボーカルアートにおけるニュースタンダードが生み出されつつある瞬間を捉えることも出来ます。
#3「timeshifting」
・4−10
現代の女性のアンビエントプロデューサーの中には、ドリーム・ポップ風の音楽とアンビエントやレクトロニックをかけあわせて個性的な作風を生み出すミュージシャンが少なくありません。例えば、ポートランドから西海岸に映ったGrouperことリズ・ハリス、他にもヨーロッパでのライブの共演をきっかけに彼女の音楽から薫陶を受けたトルコのエキン・フィルが挙げられます。そして、シンシア・バーナードもまたアコースティックギターの演奏を基本にして、癒やしの雰囲気のあるアンビエントを制作しています。このドリーム・ポップとアンビエントの融合というのは、実は、ハロルド・バッドがロビン・ガスリーとよく共同制作を行っていたことを考えれれば、自然な流れといえます。つまり、ドリーム・ポップはアンビエント的な気質を持ち、反面、アンビエントはドリーム・ポップ風の気質を持つ場合がある。このことはジャンルの出発である[アンビエントシリーズ]を聴くとよりわかりやすいかもしれません。
#4「Bridges」はジャック・ジャクソンを思わせる開けたサーフミュージックをドリーム・ポップ風の音楽として昇華させていますが、 むしろこの曲に関しては、マリン・アイズのポピュラーなボーカリストとしての性質が色濃く反映されているようです。そしてシンプルで分かりやすい音の運びは彼女の音楽に親しみを覚えさせてくれます。一方でインディーフォークをベースにしたアコースティックの弾き語りのスタイルは、日常生活に余白や休息を設けることの大切さを歌っているように思えます。また、トラックの背後に重ねられるガットギターの硬質な響きが、バーナードの繊細な歌声とマッチし、やはりこのミュージシャンの音楽の特徴であるドリーミーな空気感を生み出す。続く#5「cemented」ではモダンクラシカルとアンビエントの中間にあるような音楽で、シカゴの作曲家/ピアニスト、Gia Margaretを彷彿とさせるアーティスティックな響きを内包させています。もしくはリスニングの仕方によっては、坂本龍一とコラボレーションした経験があるJuliana Berwick(ジュリアナ・バーウィック)のアンビエントとボーカルアートの融合のような意図を見出す方もいるかもしれません、少なくとも、この2曲では従来のシンシア・バーナードの音楽の重要なテーマである癒やしを体験することが出来ます。
上記の2曲はむしろ日常生活にポイントを置いたアンビエントフォークという形で楽しめるはずですが、次に収録されている#6「Of The West」では再び抽象的で純粋なアンビエントへと舞い戻る。そしてモジュラーシンセのテクスチャーが立ち上がると、霊妙な感覚が呼び覚まされるような気がするのです。バーナードの作り出すテクスチャーは、ボーカルと融合すると、ジュリアナ・バーウィックやカナダのSea Oleenaの制作と同じように、その音の輪郭がだんだんとぼやけてきて、ほとんど純粋なハーモニーの性質が乏しくなり、アンビバレントな音像空間が作り出される。こういったぼやけた音楽に関しては、好き嫌いがあるかもしれませんが、少なくともバーナードの制作するアンビエントはどうやら、日常生活の延長線上にある心地よい音が端的に表現されているようです。それは空気感とも呼ぶべき感覚で、かつて日本の現代音楽家の武満徹が”その場所に普遍的に満ちているすでに存在する音”と表現しています。
同じように、エレクトリックギターとシンセテクスチャーを重ねた#7「Suddenly Green」はGrpuper、Sea Oleena、Ekin Fill、Hollie Kenniffといった、このドリームアンビエントともいうべきジャンルの象徴的なアーティストの系譜にあり、まさに女性的な感性が表現されています。 バーナードは自身のギターの断片的な演奏をもとに、反復構造を作り出し、ひたすら自然味のある癒やしの音楽を作り上げていきます。これらは緊張した音楽や、忙しない音楽に疲れてしまった人々の心に休息と癒しを与えるいわばヒーリングの力があるのです。音楽を怖いものと考えるようになった人は、こういった音楽に耳を澄ましてみるのもひとつの手段となるでしょう。また、テープディレイを掛けてプロデュース面での工夫が凝らされた#8「mended own」はこのアルバムの中盤のハイライト曲になりそうです。この曲は、ポピュラー・ボーカリストの性質が強く、エンヤのようなヒーリング音楽として楽しめるはずです。バーナードさんが自身の歌声によって表現しようとするカルフォルニアの風景の美しさがこの曲には顕著に表れています。アウトロにかけての亡霊的なボーカルディレイはある意味では、アーティストがこのアルバムを通して表現しようとする魂の在り方を示し、それが根源的なものへ帰されてゆく瞬間が捉えられているように感じられます。少なくとも、アウトロには鳥肌が立つような感覚がある。もしかすると、それは人間の存在が魂であるということを思い出させるからなのかもしれません。
アウトロのかけて魂が根源的な本質に返っていく瞬間が暗示的に示された後、#9「all you give(for ash)」ではボーカルテクスチャーをもとに、アブストラクトなアンビエントへと移行していきます。ここでは波の音をモジュラーシンセでサウンド・デザインのように表現し、それに合わせて魂が海に戻っていくという神秘的なサウンドスケープを綿密に作り上げています。ときおり、導入されるガラスの音は海に流れ着いた漂流物が暗示され、それが潮の流れとともに海際にある事物が風によって吹き上げられていくような神秘的な光景が描かれています。パンフルートを使用したシンセテクスチャーの作り込みは情感たっぷりで、アウトロではカモメやウミネコのような海辺に生息する鳥類の声が同じようにシンセによって表現されています。
これらの神秘的な雰囲気は#10「bluest」にも受け継がれており、デジタルディレイをリズムの観点から解釈しながら、繊細なギターをその中に散りばめています。短いミニマリズムの曲ではあるものの、この曲にはボーカリストやプロデューサーとは異なるギタリストとしてのセンスを見て取ることが出来る。二つのギターの重なりがディレイ処理と重なり合い、切ない感覚を呼び起こすことがある。このあたりに、アルバムの完成度よりも情感を重んじるマリン・アイズの音楽の醍醐味が宿っています。この曲を聞くかぎり、もしかすると、完璧であるよりも、少しだけ粗や欠点があったほうが、音楽はより魅力的なものになる可能性が秘められているように思える。
「bluest」
・11-14
プレスリリースでは二部構成と説明されているにも関わらず、三部構成の形でアルバムのアナライズを行ってまいりましたが、「To Belong」では制作者の考えが明確に示されています。それは例えば、人間の生命的な根源が海に非常に近いものであるということなのです。例えば、この概念と呼ぶべきものは、アンビエントテクスチャーとボーカルテクスチャー、そしてギターの演奏の融合という形で大きなオーラを持つ曲になる場合がある。「Night Palms Sway」では西海岸の海辺の風景をエレクトロニックから描出するとともに、エレクトリックギターのアルペジオを三味線の響きになぞられ、ジャポニズムへのロマンを表してくれているようです。それほどギターの演奏が卓越したものではないにも関わらず、そのシンプルな演奏が完成度の高い音楽よりも傑出したものであるように思わせることがあるのは不思議と言えるでしょう。
アルバムの最終盤でもマリン・アイズの音楽性は一つの直線を引いたように繋がっています。つまり、アイディアの豊富さはもちろん大きな利点ではあるのですが、それがまとまりきらないと、散逸したアルバムとなってしまう場合があるのです。少なくとも、幸運にも、マリン・アイズはジェームスさんと協力することでその難を逃れられたのかもしれません。「In The Space」では至福感溢れるアンビエントを作り出し、人間の意識が通常のものとは別の超絶意識を持つこと、つまりスポーツ選手が体験する”フローの状態”が存在することを示唆しています。そして優れた音楽家や演奏家は、いつもこの変性意識に入りやすい性質を持っているのです。一曲目の再構成である「To Belong(Reprise)」では、やはりワンネスへの帰属意識が表現されています。本作の収録曲は、ふしぎなことに、別の場所にいる話したことも会ったこともない見ず知らずのミュージシャンたちの魂がどこかで根源的に繋がっており、また、その音楽的な知識を共有しているような神秘性があるため、きわめて興味深いものがあります。音楽はいつも、表面的なアウトプットばかりが重要視されることが多いのですが、このアルバムを聴くかぎりでは、どこから何をどのように汲み取るのか、というのを大切にするべきなのかもしれませんね。
アルバムの最後を飾る「call and answer」はアコースティックギター、シンセ、ボーカルのテクスチャーというシンプルな構成ですが、現代のどの音楽よりも驚きと癒やしに満ちあふれています。ディレイ処理は付加物に過ぎず、音楽の本質を歪曲するようなことはなく、伝わりやすさがある。このアルバムを聴くと、音楽のほんとうの素晴らしさに気づくはず。良い音楽の本質とは?ーーそれはこわいものでもなんでもなく、すごくシンプルで分かりやすいものなのです。
90/100
*Bandcampバージョンには上記の14曲に、ボーナス・トラックが2曲追加で発売されています。アルバムのご購入はこちらから。