【Weekly Music Feature】 King Hannah - Big Swimmer リバプールのデュオ、キング・ハンナによるセカンドアルバム 



King Hannah(キング・ハンナ)は、ハンナ・メリックとクレイグ・ウィトルによってリバプールで結成された。クレイグ・ウィトルが初めてメリックのパフォーマンスを見たのは、大学のショーケースのことだったという。その数年後、ウィトルはバーで働き始め、その店で働いていたメリックは彼にテーブルの掃除の仕方を教えることになった。これは運命的な出会いでもあった。


人生と同じように音楽も良き理解者に持つことで素晴らしいものになることがある。クレイグはそれから数ヶ月、メリックに一緒にジャムをするよう説得した。二人は、仕事の前の時間をウィトルの家で過ごすという日課を始めたが、長い間、メリックは自分の曲を演奏する勇気が出なかった。「で、それが1年間続きました」とメリックは言い、ホイトルは彼女が演奏するのを辛抱強く待った。

 

以後、彼らは、一緒にソングライティングや制作を行うようになり、すべてがぴたりとはまった。「それはつまり、適切な人を見つけたということなのです。私がコードと歌詞を持ってクレイグのところに行くと、彼はそれを上手く理解してくれるわけですから」とメリックは言う。「もしお互いに出会っていなかったら、僕らはどうなっていたかわからないよ」とウィトル。


二人はオーストラリアのコットニー・バーネットやアメリカのヨラテンゴにリスペクトを捧げ、サブカルチャーにも親しんできた。クレイグはビートジェネレーションの作家から大きな影響を受け、ジャック・ケルアックやカイガースからの影響を挙げている。「彼らは、皆、わたしが十分に望むなら、誰にでも開かれたこの場所として世界を見ることを教えてくれました」と話す。


さらにハンナ・メリックは90年代のサブカルチャーに親しんでいるのだそうだ。「特にThe FaceやDazed&Confusedなどの境界を押し広げたファッション、音楽、文化雑誌に大きく影響を受けています。私は、写真撮影、未聞の才能、独立したアプローチ、態度など、これらすべてが大好き。写真家は、自然の生息地でアーティストを撮影したりと、私はこういったものを愛してます。今日の私の芸術的選択の多くは、この時期に起因しています」 これらの総合的なカルチャーへの親しみはドライ・クリーニングのようなオルタナティブロックの形に昇華されている。


デビューアルバムの発表後、カート・ヴァイルやサーストン・ムーアとステージを共にし、ヨーロッパと北米のフェスティバルに参加した旅の後、彼らはセカンドアルバムに着手した。アメリカでは、メリックとウィトルはツアーバンの窓から(動物が)自分たちを見ていると気づき、ストーリーテリングのインスピレーションが溢れてきた。


アメリカでのデビューツアーのライブ・ショーのエネルギーを取り込みたいと考えたメリックとウィトルは、プロデューサー兼エンジニアのアリ・チャント(オルダス・ハーディング、PJハーヴェイ、パフューム・ジーニアス)にアドバイスを仰いだ。このおかげで、70年代の豊かさとハートを90年代の煮えたぎるようなノイズと融合させた。


本日、City Slangから発売される『Big Swimmer - ビッグ・スイマー』は、オルタナティブ好きにはたまらないアルバムです。キング・ハンナの重要な進化を示すもので、彼らのサウンドに新たな自信と明瞭さが反映されている。メリックのヴォーカルは、ウィトルの燃え上がるようなギター・ワークによって引き立てられ、新たな確信を持って屹立している。このアルバムは、トゲトゲしいイメージと心躍るイメージのバランスを保ち、リスナーを魅了して、感情を揺さぶる。


各トラックで、キング・ハンナは、自分たちの長所と将来におけるビジョンを深く理解していることを示し、リスナーを彼らの音風景に没入させる。大西洋の海を横断することから、ライブをディレクションすることまで、バンドの旅路は一音一音からしっかりとリアルに伝わってくる。『Big Swimmer』は、キング・ハンナの成長と芸術的才能を示している。聴く者に霊感を授けるとともに、魅惑的なストーリーテリングに描かれた夏の湖へのほのかな憧れを抱かせる。

 



『Big Swimmer』- City Slang



King Hannah(キング・ハンナ)の音楽ーーより正確に言えば、彼らのサブカルチャーへの愛着溢れるオルタナティヴ・ロックーーは、例えば、観光がてらイギリスの港町近郊のベースメントのライブハウスに、ペールエールを飲むための口実をつけるためにふらりと訪れ、それから階段を降りていき、たどたどしい英語で入り口のクロークやチケットスペースを通り過ぎ、地下にある暗いライブハウスのスペースを怖々覗いてみると、オーバーグラウンドのいかなるバンドよりもクールなロックミュージックが響いていることを発見するようなものだ。世界的な知名度を持つバンドではないのに、ローカルなインディーズバンドの音楽が稀にワールドワイドなロックバンドよりクールな印象をもたらす場合がある理由については容易に説明出来そうもない。


キング・ハンナのロックは、そういったサプライズに満ちた音楽といえる。ロンドンとマンチェスターと並んで、もう一つのロックミュージックのメッカ(最重要地)であるリバプールの郷愁にあふれるクールな音楽性を、このアルバムの随所で堪能できる。それはまさしく、ポール・ウェラーのJamの名曲「English Rose」のように、イギリスの港町の波止場に佇み、深く立ち込める雨模様の靄に包まれた大洋の向こうにある果てなき世界に思いを馳せるようなものだ。本作は、キング・ハンナのデュオがアメリカのツアーを行ったとき、最初のインスピレーションがたらされた。ツアー・バンの窓から見た光景は、そのままアメリカの雄大な土地への親しみや愛着に変わり、それらをどのようなロックサウンドに仕上げるのか、数年間、キング・ハンナはボーカルとギターを中心にセッションを繰り返し、数多くの試行錯誤を重ねたに違いない。

 

City Slangから発売された『Big Swimmer』には、リパプールのロックの真髄が凝縮されている。のみならず、ハンナ・メリックとクレイグ・ウィトルの米国に対する郷愁が示されている。つまり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ウィルコ、ヨ・ラ・テンゴ、コットニー・バーネットといったオルタナティヴ・ロックの真髄を継承し、リバプールの哀愁とロンドンのドライ・クリーニングのポスト・パンクとスポークンワードを交えた作風を通してである。オルタナティヴやパンクというジャンルが、必ずしも刺々しいわけでもなければ、もちろん尖っているわけでもなく、それどころか、温かく包み込むようなアトモスフィアが必要であることを象徴付けている。キング・ハンナの音楽には人間的な温かみに溢れている。このアルバムには直接的な言及がなされるかに依らず、ツアーをした時期の体験が刻印されているのだ。

 

クレイグ・ウィトルのギターの演奏の選択肢は広汎である。これらはスタジオミュージシャンが参加している場合もあるが、少なくとも、クレイグはフォークソングをベースにした柔らかい印象を持つアコースティックギターから、ドライ・クリーニングやアイドルズのようなポストパンク的な範疇にあるオルタネイトなエレクトリックギターのリフ、ビートルズや以降の70年代のハードロックやメタルのギターヒーローのような圧巻の迫力を持つギター自体が躍動しているような精細感のあるリフにいたるまで、ギタリストとして幅広い演奏の選択肢ーー表現方法を持っている。クレイグは、ヤードバーズ時代のジミー・ペイジを思わせる渋いギターリフを披露したかと思えば、対象的に、現代のロンドンのロックバンドのような先鋭的なリフを披露し、ジェフ・ベックの『Blue Wind』の時代のようなサイケデリックでカオスなフレーズを披露する場合もある。ギターという楽器が感情表現をするための媒介の手段であることを知っている。つまり、クレイグはギターと一心同体になったかのように生き生きとプレイするのだ。

 

同時に、ハンナ・メリックのボーカルも多彩な性質が含まれている。彼女は、Dry Cleaningのフローレンス・ショーの系譜にある素朴なスポークンワードから、Velvet Undergroungのルー・リード、そのコラボレーターであるNicoの系譜にあるクールな感じのスポークンワードまで惜しみなく披露する。フォークシンガーになったかと思えば、ロックシンガーにもなり、また、パンクシンガーにもなる。ハンナ・メリックは、言ってみれば、パティ・スミスかニコの再来ではないかと思わせる。これらの七変化はまるで、ハンナ・メリックの女優としての適正を示すかのようである。映画でもドラマでも良いが、優れた女優というのは自己を持つようでいて持たない。脚本家から与えられた役柄になりきり、それを作品ごとに変えていくだけなのである。

 

 

 

・ ビート・ジェネレーションやサブカルチャーへの愛着が示される

 

このアルバムは穏やかなアコースティックギターを基にした温かな雰囲気に充ちたフォークソングで始まる。クレイグのアコースティックギターのストロークがゆっくり始まると、そのタイミングを待ち構えていたかのように、ハンナ・メリックがハミングのような歌を紡ぎはじめる。

 


「#1 Big Swimmer」はVelvet Undergroungのオルタネイトなフォークロックの系譜にあり、キング・ハンナの両者の息の取れた間を基底にして緩やかな音楽世界を作り上げる。聴いていると、実際の演奏風景が目に浮かんできそうだ。そして、その後、若干の変拍子を挟んで、クランチなギターが入ると、フォークソングから「Sweet Jane」を彷彿とさせる温和なロックに移行する。メロディアスな歌唱法から、ルーのようにわざとピッチをずらした歌い方や簡素なスポークンワードを駆使するメリックの声、フォークソングからオルタナティヴロックまでを網羅したウィトルのギターが重なり、色彩的なタペストリーを描きながら瞑想的なアウトロに続く。

 

瞑想的なイントロダクションから「#2 New York, Let's Do Nothing」はSteppenwolf(ステッペン・ウルフ)の「Born To Be Wild (ワイルドで行こう)」と、Dry Cleaningのポスト・パンクをかけあわせたようなワイアードな音楽へ移ろい変わる。このあたりにはビート・ジェネレーションからのカルチャーの影響が色濃く反映されているように感じられる。明らかにハンナ・メリックのボーカルはDCのフローレンス・ショーの系譜にあるが、やはりクレイグのヴェルベット・アンダーグランドやコットニー・バーネット、アイラ・カプラン(Yo La Tengo)の影響を感じさせるローファイなギターが際立っている。やがて、メリックのボーカルは、ルー・リードのボーカルに近づいていき、やがてドゥワップ調のコーラスが入ると、USオルタナティヴの精髄へと近づいていく。複数の影響を込めた上で最終的にアウトロのクレイグのコーラスがロックが持つ瞑想性ーードアーズのようなサイケデリックロックの範疇にある蠱惑的な瞬間を呼び覚ます。


これらの瞑想性や内省的な感覚は、続く「#3 The Mattress」に直結している。この曲にはおそらく、デュオが出会ったというバーの情景がスロウなオルタナティヴロックとして昇華されている。店が終わった後の真夜中の雰囲気、営業時間を終えてから、酔い潰れてテーブルの上に突っ伏している客しかいなくなり、つい数時間前までは華やかだった店の光の多くが暗く落とされ、床の掃除をしながら後片付けをする時のあの気だるい感覚が秀逸なロックソングに昇華されている。アンニュイな感じのメリックのボーカルは、同じような毎日が明日も続くのを嘆くかのように歌われ、物憂げなクレイグのギターリフと劇的に溶け込んでいく。まるでこの曲では、メリックがある夜にバーで目撃したかもしれない娼婦になりかわったかのように、コケティッシュな感じのボーカルを披露し、それと戯れるかのようなクレイグのリフが重なり、トム・ウェイツの最初期のようないかがわしく、そして危なげな夜遊びの雰囲気を生み出すのである。そして激した感覚を示すかのようにアウトロのサイケなギターリフがうねりをあげて、そのままトーンダウンしていく。まさしく感情そのものの起伏を描いたかのようなトラックだ。

 

 

その後、アルバムは感情のコントロールが効いた暗鬱なオルタナティヴロックへと移行していく。「#4 Milk Boy(I Like You)」に関しては、フローレンス・ショーのボーカルスタイルを思わせる何かがあるが、しかし、静と動を活かした展開に関してはニューヨークのプロトパンクのTelevisionやPatti Smithの系譜にあるオルタネイトな性質が異彩を放っている。その後、The Telescopesを思わせる、ノイズの要素も含めたミステリアスな印象のあるギターロックへと近づく。前曲と同じくリバプールのベースメントを描いたような雰囲気もある。USのオルタナティヴを踏まえた上で英国的なロックの精髄が示されている。アウトロの暗鬱な余韻も、この後に続くものを予見しているかのようなミステリアス性があり、クールとしか言いようがない。しかし、アルバムの序盤全体を通じて暗鬱な音楽性を垣間見せた後、音楽の雰囲気が一変する。音楽の舞台がイギリスからアメリカへと変わったかのように、それまでの印象が塗り替えられる。


続く、「#5 Suddenly, You Hand」では、アメリカーナへの讃歌をさりげなく示し、Leyla McCalla(レイラ・マッカラ)のような慈しみに充ちたフォークソングを書いている。キング・ハンナは、アメリカ・ツアーで見た光景をリバプールから遠く振り返るかのように、幻想的な郷愁をそれらの記憶に捧げようとする。ハンナ・メリックのボーカルとクレイグ・ウィトルのギターは、なぜか分からないが、アメリカのバンドよりも巧みにアメリカーナを体現させている。これは多分、外側から見たほうが、その国の魅力が分かりやすいということなのだろうか。スティールギターを思わせる滑らかな抽象的なギターは、ハワイアンのような心地よさに繋がる。しかし、それらは苦悩や憂愁を反映させたクレイグのうねるようなギターによって、曲の感動は鮮やかな印象へ近づいていく。アウトロのギターの演奏は圧巻で、うっとりさせる。


 

「Somewhere Near El Paso」は音楽によって西海岸や南部の砂漠地帯、見果てぬほど長く続く道、そしてそのまわりのサボテン、大型のトラックがそれらの幹線道路を走り抜け、砂煙を上げて走り去っていくかのような幻想的な光景を描き出している。何かを期待するような、夢見るようなメリックの雰囲気たっぷりのボーカル、録音のクリック音のようなシンプルなビートを刻むリズム、そして、ドアーズのロビー・クリーガーのように瞑想的な響きを持つクレイグのギターが折り重なるようにし、重厚なオルタナティヴロックの真髄が叩きつけられる。メリックのボーカルにはキム・ゴードンやパティ・スミスのようなふてぶてしさがあり、8分半にも及ぶ大曲の3分間を歌っただけで姿を消す。その後、クレイグとバンドアンサンブルの独壇場となり、きわめて刺激的なライブセッションが繰り広げられるのである。特に、5分半頃からのクレイグのギタープレイは、ここ数年のロックの中でベストテイクの一つであると断言しよう。

 

 

 「#1 Big Swimmer」

 

 

 

 

・リパプールのバンドとしての精華、 アメリカツアーへの幻想的な回想 


アルバムは、この後、後半部に差し掛かる。キング・ハンナは基本的にはオルタネイトなロックソングを書くが、その中で普遍的なロックの魅力を伝えようとしている。


例えば、「Lily Pad」はその好例となりえる。アルバムの中では最もUKロックのテイストを漂わせるこの曲で、グランジ風のギターやロンドンのポストパンクバンドから吸収したスポークンワードの手法を交えつつ、コアなロックソングを提示している。最も興味深いのは、多少、彼らがディレッタンティズムに染まりながらも、キャッチーでポップなフレーズを欠かさないということ。特に、曲の中で、ダイナミックな変拍子の瞬間を設け、その中でハードロック風のギターが炸裂する。特に、2分半頃からのクレイグのトリル奏法を駆使したプレイが圧巻である。しかし、その後ふいにそれらの轟音性は鳴りを潜め、一目散にアウトロへと向かっていく。その後もクランチなギターを前面に押し出したオルタナティヴ・ロックソングが続いている。

 

続く、「#8 Davey Says」は、ギターのピックアップの音響を活かしたソリッドな質感を持つロックソングで、彼らが敬愛してやまないYo La Tengo(ヨラテンゴ)のアルトロックを巧みに踏襲している。スタジオ・ミュージシャンのラフなドラムの演奏をもとにして、ドライブ感のあるロックソングを構築し、そしてニュージャージーのバンドのローファイでプリミティヴな質感を持ったロックソングへ移行していく。ハンナとウィトルの息の取れたボーカルのコーラスワークは、アイラ・カプランとジョージア・ハプレイの代名詞的な温和なハーモニーを彷彿とさせる。


アルバムの序盤では、多少入り組んだ曲も書いている二人であるが、このナンバーでは一貫してロックソングの痛快さにポイントをおいている。アウトロでは、ツアーを終えた時のような爽快感に満ちている。しかし、そういったエネルギッシュでアグレッシヴな雰囲気はつかの間、すぐさまアルバムの前半部のクローズ「Somewhere Near El Paso」のような瞑想的なロックソングに回帰している。「#9  Scully」はインタリュードのような意味を持ち、そしてアルバムの最終盤の音楽性の布石、あるいは呼び水のような役割を果たす。クレイグのギターの抽象的な音像は、ロックの即効性や扇動性とは対極にある瞑想的な空気感を呼び覚ます。これは、まさしくZepのジミー・ページ、Sabbathのトミー・アイオミ、それから、クラプトンやベックのようなイギリスのロックの名ギタリストだけにしか到達しえない芸術としてのギターの領域でもある。



序盤や中盤を通じて、ソリッドな質感を持つロックが展開されているが、クライマックスではディオの穏やかな音楽性が顕著になる。「This Wasn't Intentional」はエンジェル・オルセンやエッテンが書くようなフォークソングに近く、雄大さと瞑想的な感覚に縁取られている。この曲には、ロックにとどまらず、ポップバンドとしてのデュオの潜在的な真価が示されている。ゆったりしたドラム、メロディーや背後に導入される薄いハモンドオルガンのような音色はアメリカーナの系譜に位置づけられるが、その最中、瞑想的なクレイグのギターが精彩を放つ。稀にノイジーさを抑えたサイケ風のリフを通じて、キング・ハンナはアメリカーナへリスペクトを込め、最終的に、”リバプールの音楽とは何か”を示そうとする。これらの港町の雨模様、そしてレンガ造りの古めかしい建物、さらに、その向こうに浮かび上がる波止場に停泊している貨物船……、こういった英国らしい情景をロックミュージックという形で切り取りながら、このアルバムは実にスムースな印象を携えて、いわばなんの抵抗もなくクローズに向かっていく。

 

アルバムのクローズ「#11 John Prine On The Radio」は、リパブールのバンドのウィットに富んだララバイである。デュオはどこまでもビートルズ的なソングライティングを行い、アメリカへさりげない別れを告げる。本作の最後の曲では、ジュリア・ロバーツ主演の映画「Pretty Woman(プリティー・ウーマン)」の主題歌を思わせるユニークな音楽を選び、シンプルなフォークロックを展開させる。言うまでもなく、ここには、ロバーツ、リチャード・ギアといった名俳優は出てこない。それでも、キング・ハンナの二人は、少なくとも、その代役を見事にこなしている。なぜか知れないが、キング・ハンナの『Big Swimmer』は、もしビートルズのメンバーが皆生きていたら、こんなアルバムを作っていたのではないかと思わせる何かがある。......ということは、彼らとシティ・スラングに最大の称賛と敬意を贈るよりほかないようだ。

 


 
92/100 
 
 
 

「#11 John Prine On The Radio」

 

 

 


King Hannah(キング・ハンナ)による新作アルバム『Big Swimmer』はCity Slangより発売中です。アルバムのストリーミング等はこちらから。 



Best Work-「#6 Somewhere Near El Paso」