およそ32歳にして、問題を抱えた子供たちのためのセンターで教育者として働いてきた純粋な人柄が魅力の英国人ミュージシャン、Wu-Luは、ブリクストンで育ち、双子の子供と一緒に過ごすことで、大切なことを学んだ。怒り、恐怖、対人恐怖症、自己肯定感の欠如、パラノイアなどあらゆる苦しみがこの世界には偏在することを……。
「South」(2021) |
スケートカルチャーから得たスリリングさとラップの楽しみは「South」によってひとまず集大成を見た。このシングルは、ロンドンのダンスミュージックの名門レーベルであるワープレコードからその才覚を見出される契機ともなった。続いて同レーベルからリリースされたデビューアルバム『Loggerhead』は、2022年の最大の話題作と言っても良く、同地のシーンに鮮やかな印象をもたらした。
ロンドンのMachine Operatedが撮影した、ささやかなベッドルームでポーズをとり、3つの自分のヴァージョンを展示しているアーティストの写真という、興味を惹くジャケットから発見されたこのアルバムは『Ginga EP』(2015年にウー・ルー自身のレーベルからリリース)の後継作であり、内的な苦悩を取り巻きながら聴く者を優しく包み込み、突き放すようなアルバムだった。『Loggerhead』では、ラリー・クラークの『KIDS』(1995年)のトラッシーな雰囲気やスケート・パークで感じる開放的な感覚など、奇妙なものを無条件に愛するというウー・ルーが、クリエイティヴな激しさが際立つが、芸術で成功するためには懸命に働き、一部を犠牲にしなければならないと人々が感じている高級住宅地と化した後のロンドンへの旅に私たちを誘った。「私は、人々の過去や日々の出来事を考慮しなければならないという考えを守ろうとしている」と、かつてマイルズ・ロマンス=ホップクラフトは音楽の趣旨についてNumeroに語った。
枠組みや常識、あるいは社会が要請する規範にとらわれず、主体性をもって考えること、そして自分を信じきること、自分の違いを確信することは、ウー・ルーが12曲入りの最初のアルバムを作り上げたときのテーゼとなっただけでなく、彼が自分の人生に適用し、周囲の若者たちに植え付けようとしている原則でもあった。「子供たちと仕事をしていると、とんでもないことを耳にすることがある。ラップをしながら、自分たちが何をやっているのかさえわからないとか、レーベルと契約するためにああいう風に歌おうとしているとか……。私はその度に彼らに説明するんだ、契約したところで何の意味もないよ、銀行で換金できる小切手に過ぎないのだから……」と。このアルバムで、英国の注目の実験音楽家ミカ・リーヴァイとコラボした彼は、音楽の仕事も他の仕事と同じだと確信したに止まらず、アートで成功を収めるための鍵は、「幼少期から多種多様な創造的プロセスを理解することである」と、自分自身にも将来の後継者にも主張している。これは子供の頃の原体験がのちに異なる形で花開くことを意味している。
ニューヨークのアルビン・エイリーでダンサーの訓練を受けた母親と、グラストンベリーで公演を見に来たジャズバンドのメンバーだった父親に囲まれたウー・ルーは、頭の中でループする夢想に囚われるべきでないと信じること、人と異なる自分の個性を心から愛すること、自分の目標が実現すると強く信じることを教えられたのだった。
Wu-Lu 『Learning To Swim On Empty」EP - Warp
ヒップホップの新基軸
サウスロンドンのWu−Luは、デビューアルバム『Loggerhead』を通じて、彼の頭をさまよう取り留めのない言葉を巧みに捉え、それらをリリック/フロウという形で外側に吐き出し、UKドリルやオルタナティヴロック、パンク、ヒップホップ、そして時には、ベースメントのクラブミュージックを融合させた多面体の音楽を築き上げた。
ひとつのアルバムの中に、ロンドンの無数の音楽が詰め込まれているような感じ、言い換えればそれはヒップホップや音楽そのものが持つ多面体としての性質を織り込んだような独特な表現形式は、彼の芸術的な天才性を表すとともに、複数の人格の側面を示唆し、破天荒な性質を捉えていたのかもしれない。また、彼のハイライト曲「South」が収録されていることもあってか、デビュー作の作風はミュージシャンのアグレッシヴな性質の側面を反映させたものだった。
しかし、続くミニアルバム『Learning To Swim On Empty』では一転して、エレクトロニック・ジャズ、ラップ、レゲエ/ダブ、コンテンポラリー・クラシックと、意外性に富んだ作風へとシフトチェンジした。
発売日を迎えた昨夜、BBC RadioでもオンエアされたEP『Learning To Swim On Empty 』はきわめてコンパクトな構成でありながら、フルアルバムのごときボリュームがある。UKミュージックの卓越した魅力を示すとともに、ポスト・パンクやジャズで飽和しかけたロンドンの音楽を次の世代へと進める役割を持つ。このアルバムでウー・ルーは飽和した音楽業界に革新をもたらそうとしている。
「Learning To Swim On Empty 」は、タイトルもシュールだが、実際の音楽はもっとシュール。スマイルの最新作『Wall Of Eyes』に近いタイトな構成を持つ全7曲は、それぞれ音楽の異なる魅力の側面を示唆しており、各々の曲は違うジャンルで構成されているが、そこには一貫性があり、中核となる箇所は普遍的な意義を持つ。たとえ、アウトプットの手段が流動的で分散的であるとしても、彼の音楽は破綻をきたす寸前のところで絶妙なバランスを保ちつづけている。
ミニアルバムの冒頭を飾る「#1 Young Swimmer」は、エレクトリック・ピアノ(ローズ・ピアノ)を用いて、メロウなR&Bのムードを呼び起こす。そしてその後、フランスのヒップホップグループ、Jazz Liberatorzを彷彿とさせるジャズ/ヒップホップのクロスオーバーが続く。この曲のスポークンワードで録音に参加した詩人として世界で活動するRohan Ayindeは、ミック・ジェンキンスのアブストラクトヒップホップの系譜にあるメロウな音楽性と文学性、そして曲そのものから醸し出されるテイストに物憂げな風味を添える。従来のトリップホップのようなメロウさは、Wu-Luの新しいスタイルを表していると言えようか。短いフレーズの反復的な響きの流れの中を漂うフロウのニュアンスには奥行きがあり、ロンドンのLoyle Carner(ロイル・カーナー)からのフィードバックもありそうだ。しかし、それらは、やはりこのアーティストの持つ個性によって縁取られ、表面の音楽性とその裏側にある音楽という二つの側面を生み出す。また、この曲はインタリュードのような形で収録され、音楽のムードを引き立てるのである。
音楽、芸術、あるいは文学にも敷衍できるかもしれないが、制作者の実際的な体験がアウトプットされるものに、表からは見えづらい形で反映されることがある。Wu-Luの場合は、サウスロンドンの日常的な暮らしに加え、問題を抱える子供のための施設で働いていた経験が彼の新しい代表曲に分かりやすいかたちに表れている。EPのリリースと合わせて公開された「#2 Daylight Song」は、レゲエとダブをエレクトロニックの観点から解釈したトラックメイクに合わせて、彼は世の中にはびこる苦悩をシンプルなリリックとして紡ぐ。Wu-Luこと、マイルスのボーカルは、フロウとボーカルを掛けあわせた未知の表現へと移行していく。曲の序盤では、物憂げな感覚がフィーチャーされるが、途中からはチェロの演奏が入り、上品な雰囲気を生み出す。ヒップホップとしては、ロンドンのエレクトロニックの影響もありそうだが、より端的にいうと、エミネムのフロウのスタイルを受け継ぎ、ニュアンスの多彩な変化を披露している。
「Daylight Song」
前曲でレゲエからのフィードバックを暗示させた後に続く「#3 Sinner」では、古典的なイギリスのダブへと回帰している。Mad Profeesor(マッド・プロフェッサー)、Linton Kwesi Johnson(リントン・クウェシ・ジョンソン)、Holger Czukay(ホルガー・シューカイ)といったダブの伝説的なオリジネーターの多重録音のトラックメイクを継承し、その上に繊細なアコースティックギターを重ね、新しいオルタナティヴの形を示している。表向きにはダブの古典的な響きとリズムが際立つが、一方、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤーニャ)のように音楽のポピュラリティも重視される。アンニュイな感覚を持って始まるイントロが、サビの部分でレゲエを思わせる開放的なフレーズに変化する時、彼のソングライティングの特性である癒やしが生み出される。また、このEPで新たに導入されたストリングスも本曲のイメージを華やかにしている。
EPの中盤に収録されている「#4 Mount Ash」は、驚くべきスケールを持つ楽曲で、彼の新しいチャレンジが示唆されている。Nilufer Yanyaの「Like I Say」と合わせて、オルタナティヴのニュースタンダードが誕生したと言えるのではないか。グランジを思わせる暗鬱なアコースティックギターから、曲の中で、ジャンルそのものが変化していくような奇妙な感覚に縁取られている。それは舞台俳優のようなイメージを活かして登場した、Benjamin Clementine(ベンジャミン・クレメンタイン)のような劇伴音楽の形式、つまり、舞台芸術やバレエ音楽のような役割を通じて、音楽におけるストーリーテリングの要素を巧みに引き出す。そして、そのドラマ性やダイナミックな感覚を引き立てるのが、ピアノ、ストリングベス・ギボンズの音楽性に見受けられるようなクラシックのオペラを意識した、アーティスティックな雰囲気のボーカルである。ストリングの微細なパッセージーースタッカートーーを通じて、曲はにわかに緊張感のある展開へ続き、リバーブの効果を巧みに用いながら、音像が持つ奥行きを徐々に拡大していく。
「Mount Ash」
しかしながら、それらの大掛かりな音楽のイメージが途絶え、それと入れ替わるようにし、静かなピアノの演奏が出現する。さながら演劇の舞台の演出が最も盛り上がりを見せたところで、とつぜん、上部のライトが暗転し、ピアノを奏でるWu-Luが舞台中央に出現するようなイメージだ。彼はそれらをヒップホップのかたちにつなげる。かと思えば、その後すぐ、緊張感のあるボーカルが再登場し、”オーケストラとヒップホップの融合”という未曾有の音楽形式を作り上げていく。
続いて、ひとつひとつの音符の出力に細心の注意を払いながら、最もアヴァンギャルドな領域へと曲を移行させていく。多少、誇張的な表現となるかもしれないが、音楽そのものが物理的な空間を飛び出して、それとは異なる霊的な領域へ近づく瞬間である。そして見事に、彼は今や数えきれないほど枝分かれした無数の音楽にワンネスをもたらすのである。それは最終的に、ロックやヒップホップを超越し、オペラ風のトリップポップという形でひとまず終わりを迎える。
一瞬、EPの音楽は、現代音楽やクラシカルな世界へと聞き手を誘うが、それらのモーメントはつかの間。彼は、再び”WU-LU”というアーティストを生み出すきっかけとなったサウスロンドンのストリートカルチャーの中へと舞い戻る。 これは大型のコンサートホールで緊張感のあるひとときを過ごしたあと、街にふらりと飛び出し、スケートパークに足を踏み入れるときの安らぎを感じさせる。そして彼は、最近のロンドンやその近郊のラップで主流派とも言えるグリッチを用いたUKドリルではなく、古典的なブレイクビーツを用いたヒップホップへと回帰し、自らのスペシャリティを示そうとしている。しかし、確かに、De La Soul(デ・ラ・ソウル)の時代から引き継がれるLPの音飛びのような効果を用いたチョップの技法を多少意識していると仮定したとしても、モダンな印象が前面に押し出されている。それは制作者が”ラップの中のヒップホップ”という考えではなく、”ポピュラーソングの中のヒップホップ”という考えを重視しているからなのかもしれない。少なくとも、この曲はアブストラクトな印象を持つ前曲が少し理解しづらかったというリスナーにとって、かなり親しみやすいものとなるのではないだろうか。
アルバムの前半部はエレクトロニックを絡めたR&B,レゲエ、ダブ。そして第二部はヒップホップとオーケストラの融合、そしてストリートカルチャーを反映させたヒップホップという形で続いたあと、EPの第三部は、Ezra Collective(エズラ・コレクティヴ)のアフロジャズやモダンジャズを反映させた驚くべき結末を迎える。
第三部の序章となる「#6 Last Night With You」はアーティストにしては珍しく日常的なアバンチュールを想起させるもので、それはホーンセクションとシャッフルのリズムを用いたドラミングという形で、デビューアルバムの頃のアグレッシヴな音楽性を呼び覚ます。そしてジャズとラップの融合というエズラの手法を踏まえ、よりそれらをリズミカルに解釈している。エレクトロニックとジャズ、その上にソウルとレゲエの要素を散りばめ、軽快なナンバーを書いている。
これは多少シリアスに傾きがちなアルバムに親しみやすさをもたらしている。前衛的な性質と古典的な性質を兼ね備えたウー・ルーは、第三部の最後、つまり、EPのクローズ曲で、ジャズのシャッフルのリズムとサンプリングのスポークンワードという要素を通じて、最初のJazz Liberatorzのテープ音楽のような形に回帰する。少なくとも、プロデューサーの繰り出すラフでくつろいだジャズセッションは、ミュージックコンクレートの手法を用いながら、しだいに次なるステップーニュージャズーへ進む。トランペットのレガート、トリルを巧みに用いたサンプリング、イントロから続く語りのサンプリングは、徐々に物語性を増していき、その音楽の核心ーー地殻のコアのような最深部へとしだいに近づいていく。EPの最後でそれらの音像がサイケデリックな印象に彩られる時、未知の世界に繋がる音楽の扉が少しずつ開かれるかのようだ。
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