Yaya Bey 『Ten Fold』
Label: Big Dada
Release: 2024/05/10
Review 癒やしに充ちたスモーキーなネオソウル
ニューヨークの気鋭のネオ・ソウルシンガー、Yaya Bey(ヤヤ・ベイ)はすでに2022年のアルバム『Remember Your North Star』でシンガーとしてもソングライターとしても洗練された才覚を発揮し、シーンで存在感を示している。このことはコアなR&B/ソウルファンであればご存じのはず。
続く最新作『Ten Fold』では、どうやらヤヤ・ベイが内面のフォーカスを当て、瞑想的なサウンドを打ち立てているという。アルバムのアートワークに写しだされる扇動的でセクシャルかつグラマラスなシンガーの姿は、一見したところポップな作風を思い浮かばせるが、しかし、驚くなかれ、それはブラフのような意味を持ち、実際はメロウでスモーキーなネオソウルのアトモスフィアが今作の全体には漂っている。ある意味では、このアルバムの事前のイメージは、ニューヨークの摩天楼を思わせるような洗練されたネオソウルによって覆されるに違いない。ヒップホップをベースにしながらも、ボーカルのサンプリング、レゲエ/ダブに近いリズム、そして時折、ソウルシンガーとして表されるヒップホップカルチャーへのリスペクト……。これらが混在しながら、メロウかつアーバンな響きを持つR&Bのストラクチャーが築き上げられる。
この作品の発売元であるBig DadaがNinja Tuneのインプリントであることを考えると、ニューヨークのソウルシンガーでありながら、インターナショナルな香りを漂わせるアルバムである。ヤヤ・ベイのサング(歌唱法)は、例えば旧来のサザン・ソウルやモータウンサウンドとは対極に位置し、アーバンな雰囲気に浸されている。ベイの歌はまるで、夜が深まったニューヨークの五番街を歩きながら、日常生活を丹念にリリックとして描写し、それをソフトに歌うかのようである。いや、歌うというよりも、ウィスパーボイスによってささやくといった方がより適切だろう。ベイの歌には、ヒップホップからの影響もあり、細かなニュアンスの変化とともに抑揚をコントロールしたピッチの微細なゆらぎを駆使し、マイルドな質感を持つ歌を披露する。背後のビートにUKソウルからの影響を反映させ、ダブともベースラインともつかないアンビバレントなリズムを背景にし、ヤヤ・ベイは軽やかな足取りでステップを踏むかのように歌う。このアルバムには、ニューヨークでの生活がリアルな形で反映され、その土地にしかないリアルな空気感が含まれている。曲が進むごとに、夜の町並みが中心街から地下鉄、そして再び地上の家へと、代わる代わるサウンドスケープが変化するような印象があるのがとても興味深い。
インプリントということで、ニンジャ・チューンらしいサウンドも反映されている。ロンドンのJayda Gがヒップホップとソウルの中間域にあるモダンなサウンドを、昨年の「Guy」で確立したが、この作品には、ヒップホップのサンプリングをストーリーテリングの手法として導入するという画期的な手法が見受けられた。 補足すると、Jayda Gが試みたのは家族のストーリーをサンプリングとして導入するというもので、スポークンワードの中で文学的にそれを表現するのではなく、サンプルのネタとして物語性を暗示的に登場させるという手法である。これは例えば、デル・レイの最新作にも共通している。もっと言えば、このサンプルの技法は、ストーリーにとどまらず、フレンドシップやコミュニティを表現することもできるかもしれない。「east coast mami」ではスポークンワードのサンプルを導入し、音飛びのしないブレイクビーツの規則的なリズムを背景にし、ヤヤ・ベイはメロウでマイルドな質感を持つリリックと歌を披露している。アルバムの中盤に収録されている「eric adams in the club」にもこの手法が見出せる。
ヤヤ・ベイは、ニューヨークを中心とする暮らしを、彼女の得意とするR&Bの手法で端的に表現している。それは、例えば、S.Raekwonのスタテン・アイランドに向かう船で切ない慕情を歌ったものとは異なり、ニューヨークのビジネスマンが肩で風を切って歩くような都会的な洗練性である。その中には、ややウィットに富んだ内容も見え、「Chasing Bus」は、乗り遅れたバスを追いかけるシーンと、彼女自身のソウルのアウトプットが現代的な質感とともに古典的な側面を持つことに対する自虐とも解釈出来る。これらはメインボーカルと鋭いコントラストをなしているし、そしてまた、ヒップホップの話のようなレスポンスと合わせて新旧の両側面を持つソウルミュージックの形として昇華されると、洗練されたモダンな音楽の印象を与える。さらにそういった多角的なネオソウル/ヒップホップのアプローチを通じて、トラックリストを経るごとに、ヤヤ・ベイの日常的な生活は内面と呼応するような感じで、どんどんと奥深くへと潜っていき、音楽的な世界観の広がりを少しずつ増していく。 つまり、このアルバムでは、最初から完成形が示されるのではなく、リスナーがニューヨークやロサンゼルスの歌手の体験を追いかけて、それらの出来事に接した際の感情の過程を追体験するような楽しさがある。さらに救いがあるのは音楽がシリアスになりすぎず、ユニークな要素をその中に併せ持つということ。
基本的にはヤヤ・ベイのソングライティングのスタイルはヒップホップとソウルの中間に位置していて、同時にそれがこのアルバム全般的な特色やキャラクターともなっているが、音楽性の中心点から少しだけ離れる場合もある。例えば、「Slow dancing in the kitchen」では、Trojan在籍時代のBob Marleyのレゲエサウンドを踏まえ、それらを現代的な質感を持つソウルミュージックとしてアウトプットしている。これらのサウンドは、シリアスになりすぎたヒップホップやソウルにウィットやユニークさを与えようという、ヤヤ・ベイの粋な取り計らいでもあろう。その他にも、ユニークな曲が収録されている。「so fantasic」では、Mad Professor、Linton Kwsesi johnsonのような古典的なダブサウンドに近づく楽曲もある。しかし、歌にしても、ソングライティングにしても、少しルーズで緩い感覚があり、それこそが癒やしの感覚をもたらす理由でもある。これらのチルアウトに近いレゲエやソウルの方向性は、ノッティンガムのYazmin Lacey「ヤスミン・レイシー)の最新作『Voice Notes』の系統にあるサウンドと言えるか。
これらの多角的な音楽性は基本的には、メロウなソウルという感じで、全体的なアルバムの印象を形作っている。それは真夜中の憂鬱や憂いというイメージを孕んでいるが、一方でブラックミュージックの華やかさに繋がる瞬間もある。例えば、先行シングルとして公開された「me and all n---s」は、ダウナーな感覚を持ちながらも、背後のオルガンの音色と合わせて、ヒップホップのニュアンスが少し高まる瞬間、ダークで塞いだ気持ちを持ち上げるような効果がある。
また、「iloveyoufrankiebeverly」は、古典的なノーザン・ソウルの影響下にある素晴らしいトラック。この曲では一貫して、アンニュイなボーカルを披露してきたシンガーが唯一楽しげな雰囲気を作り上げている。しかし、ベイが作り出す音の印象は一貫して真夜中のアトモスフィアなのである。憂いに留まらず夜の陶酔ともいうべき際どい感覚、要するにこれらは、トリップ・ホップのブリストルサウンドと似ているようで、実はカウンターポイントに位置している。
ダンスミュージック、ヒップホップ、チルアウト、レゲエ/ダブ、ジャズ、モダンなネオソウル、それとは対極にある70年代のノーザン・ソウルというように、幅広いバックグランドを持つベイだが、最後は、安らいだ感じのチルウェイブで統一されている。
「yvettes's cooking show」はヒップホップやローファイに近い音楽性を選んでいるが、依然として癒やしの感覚に満ちている。クローズ「let go」ではチルアウトをトロピカルと結びつけ、リラックスしたサウンドを生み出す。アウトロのタブラを思わせる民族楽器のエキゾチックな響きは、リゾート気分を呼び覚ますこと請け合いだ。
序盤ではニューヨークの都会的なイメージで始まるこのアルバム。しかし意外にも、複数の情景的な移ろいを通じて、最終的にはリゾート地への逃避行のような感覚を暗示している。『Ten Folds』には本格派のソウルミュージックの醍醐味が満載だ。それがウィットに富んだミュージシャンのユニークさに彩られているとあらば、やはり称賛しないというわけにはいかないのである。