【Review】 Clarissa Connelly(クラリッサ・コネリー) 『World Of Work』  

 Clarissa Connelly 『World Of Work』

 

Label: Warp

Release: 2024/04/12




Review



クラリッサ・コネリーはスコットランド出身で、現在デンマーク/コペンハーゲンを拠点に活動するシンガーソングライター。近年、Aurora(オーロラ)を始め、北欧ポップスが脚光を浴びているが、コネリーもその一環にある北欧の涼やかなテイストを漂わせる注目のシンガーである。


それほど音楽そのものに真新しさがあるわけではないが、親しみやすい音楽性に加え、ABBAやエンヤのような北ヨーロッパのポピュラーの継承者でもある。おそらく、コネリーは、デンマークを中心とするポピュラーソングに日常的に触れているものと思われるが、シンガーが添えるのはスコットランドのフォーク・ミュージック、要するにケルト民謡のテイストなのである。

 

このリリースに関しては過度な期待をしていなかったが、素晴らしいアルバムなので、少し発売日から遅れたものの、レビューとしてご紹介したいと思います。Warpはこのリリースに際して特集を組み、クラリッサ・コネリーは、アメリカの音楽学者でアメリカン・パラミュージック学博物館の館長でもあるマット・マーブルさんとの対談を行い、以下のように述べています。

 

「私は新しいメロディーやコードを書きながら、こうした無意識の状態に陥るようにしている。長いメロディーを書き続けて、調性が変わるところに出てきて、また戻ってくることがよくある。そして、その輪が終わったとき、輪が短すぎたり、曲の中で新しいパートを導入したいと思ったりすると、夢うつつの状態に陥ることがよくある。そして、それが私に与えられる」


音楽学者のマット・マーブルはこの対談のなかで、コネリーの音楽について次のように話している。

 

ーークラリッサが初めて私に自分の「思考の下の聴取」について語ったとき、私はロシアの詩人、オシップ・マンデルスタムを思い出さずにはいられなかった。マンデルスタムは自分の実践を 『秘密の聴覚』と呼びならわし、それを彼は 『聞く行為と言葉を伝える行為の間にある中間的な活動』と表現したことがあるーー

 

ーー聴くことをある哲学的な雰囲気を通してフィルターにかける一般的なクレアウディエントの伝統と同様に、クラリッサは、『自分の作曲のプロセスを、特に願望的な静寂に導かれている』と述べた。これは、祈りと静寂に満ちた傾聴が効果的でインスピレーションを与えてくれることを証明し、セルフケアのための内なる必要性から発展したものである。いずれにせよ、クラリッサの音楽の多くは、この静謐な雰囲気の中で、まるで夢の中にいるかのように生まれるーー

 

この対談はさすがとも言え、音楽そのものが表面的に鳴り響くものにとどまらず、聞き手側の思考下になんらかの主張性をもたらし、そしてまた心の情感を始め、科学的には証明しがたい効果があることの証となる。つまり、ヒーリングミュージックに象徴されるように、人間の傷んだ魂を癒やすような力が音楽には存在することになる。もうひとつ気をつけたいのは、音楽はそれとは正反対に、把捉者の聴覚を通して、その魂を傷つける場合があるということである。これは、アンビエントが治癒の効果を持つように、クラリッサ・コネリーのデビュー・アルバムもまた、ポピュラー・ミュージックを介しての治癒の旅であることを示唆している。クラリッサ・コネリーのソングライティングは、ギター、ピアノを中心におこなわれるが、それに独特なテイストを添えているのが、北欧の言語にイントネーションを置いたシラブルである。

 

多分、英語で歌われるのにも関わらず、デンマーク語の独特なイントネーションを反映させた言葉は、アメリカン・パラミュージック博物館の館長のマット氏がロシアの詩人の警句を巧みに引用したように、『聞く行為と言葉を伝える行為の間にある中間的な活動』を意味している。ひとつ補足しておくと、それはもしかすると「伝達と受動を超越した別の表現形態」であるかもしれない。これはまた「伝達」と「受動」という2つの伝達行為の他にも別の手段があることを象徴づけている。例えば、米国のボーカル・アーティスト、メレディス・モンクは古くから、このことをパフォーミングアーツという形態で伝えようとしていた。また、オーストラリアの口笛奏者のモリー・ルイスは、「口笛がみずからにとって伝達の手段である」と語っていることを見ると更に分かりやすい。つまり人間は、近代から現代への機械文明に絡め取られたせいで、そういった高度な伝達手段を失ってきたとも言えるのだ。SNSやメディアの発展は人間の高い能力を退化させている。これは時代が進んでいくと、より退化は顕著になっていくことだろう。そしてクラリッサ・コネリーのボーカルは、単なる言葉の伝達手段なのではなくて、神秘的な意味を持つ「音や声のメッセンジャーである」ということが言えるかもしれない。

 

 

コネリーが説明しているように、デビューアルバムの冒頭の収録曲の音楽は、絶えず移調や転調を繰り返し、調性はあってないようなもので、ミュージック・セリエルの範疇にあるメチエが重視されている。しかし、完全な無調音楽とも言い難く、少なからず、その中にはドビュッシーやラヴェルのような転化による和声法が重視されている。色彩的なタペストリーのように織りなされる旋律の連続やアコースティックギターやピアノ、ストリング、ドラム、シンセサイザーのテクスチャーという複合的な要素は、最終的にデンマーク語のシラブルを踏まえたボーカルと掛け合わされ、美しいハーモニーを作り出す。クラリッサ・コネリーの作曲の手腕にかかると、床に散らばった破片が組み合わされていき、最終的に面白いようにピタリとはまっていく。

 

ここには、ビョークが最新アルバムで見落としたポピュラーの理想的なモダニズムが構築されている。アルバムの冒頭部「Into This, Called Lonelines」にはこのことが色濃く反映されている。音楽的には、北ヨーロッパのフォークミュージックを踏まえ、それらを柔らかい質感を持つポップスとして昇華させる。


いわば、アルバムのオープナーは、未知の扉を開くような雰囲気に縁取られている。アルバムの中には、サンプリングの導入によってストーリーが描かれるが、それらは多くの場合、他の曲と繋がることが非常に少なく、分離した状態のままにとどまってしまっている。しかし、このアルバムはその限りではなく、「The Bell Tower」は、木目を踏みしめる足音と教会の鐘の音のサンプリングを組み合わせ、次の曲の導入部の役割を担う。まるで、音楽の次のページをめくったり、次の物語の扉を開けるかのように、はっきりと次の音楽の雰囲気の予兆となっている。

 

また、良いことなのかはわからないにせよ、クラリッサ・コネリーのソングライティングは、時代性とは距離を置いていて、流行り物に飛びつくことはほとんどない。「An Emboridery」はタイトルの通りに、刺繍を組み合わせるようにギターの演奏がタペストリーのように縫い込まれ、長調と短調の間を絶えず行き来する。これらの感覚的なトラックに対し、コネリーのボーカルは、より情感的な効果を付け加える。たとえ現代的なノイズを交えたエクスペリメンタル・ポップの音響効果が組み込まれても、それらの感覚的な旋律や情感が失われることがない。そして、曲のアウトロでは、前の曲の鐘の音が予兆的なものであったことが明らかになる。

 

「Life of Forbidden」は、北欧ポップスの王道にあるナンバーで、この音楽の象徴的な特徴である清涼感を味える。構成にはコールアンドレスポンスの技法が取り入れられ、北欧の言語やフォーク・ミュージックにだけ見出される特性ーー喉を細かく震わせるようなファルセットとビブラートの中間にある特異な発声法ーーがわかりやすく披露されている。この曲は、単なるフォーク・ミュージックやポピュラー・ソングという意味で屹立するのではなく、上記の対談で語られた伝達や受動とは異なり、その中間域にある別の伝達手段としてボーカルが機能している。

 

これは例えば、メレディス・モンクが『ATLAS』で追い求めたボーカルアーツと同じような前衛的な形式が示されている。アートというと、ややこしくなるが、クラリッサ・コネリーの曲は、耳障りの良く、リーダビリティの高い音楽として表側に出てくる。山の高地の風を受けるかのような、軽やかで爽やかなフォーク・ミュージックとして楽しめる。それに続く「Wee Rosebud」も同様に、メレディス・モンクがコヨーテのような動物の声と人間のボーカルを同化させたように、声の表現として従来とは異なる表現形式を探求している。それはデビュー作であるがゆえ、完全なカタチになったとまでは言いがたいが、ボーカルだけで作り上げられるテクスチャーは、アコースティック・ギターの芳醇な響きと合わさり、特異な音響性を作り上げる。

 

アルバムの前半部では、北欧のポップスの醍醐味が堪能出来るが、それ以降、クラリッサ・コネリーの重要なルーツであるスコットランドのケルト民謡をもとにしたフォーク・ミュージックがうるわしく繰り広げられる。ソングライターは、ギターを何本も重ねて録音することで、アコースティックの重厚なテクスチャーを作り出して、曲の中に教会の鐘の音をパーカッシヴに取り入れながら、ケルト民謡の神秘的な音楽のルーツに迫ろうとする。この曲は、他の曲と同じように、聞き手にイメージを呼び覚ます力があり、想像力を働かせれば、奥深い森の風景やそれらの向こうの石造りの教会を思い浮かべることもそれほど難しくはないかもしれない。これはベス・ギボンズの最新作「Live Outgrown」と同じような面白い音響効果が含まれている。


優しげな響きを持つ「Turn To Stone」もソングライター/ボーカリストとしての力量が表れている。ピアノのシンプルな弾き語り、そしてやはり北欧の言語のイントネーションを活かした精妙なハーモニーをメインのボーカルと交互に出現させ、柔らかく開けたような感覚を体現させる。その後、「Tenderfoot」では、スティール弦の硬質なアコースティックギターのアルペジオを活かして、やはり緩やかで落ち着いたフォーク・ミュージックを堪能出来る。それほど難しい演奏ではないと思うが、ギターと対比的に歌われるコネリーのボーカルがエンヤのような癒やしを生み出す。この曲でも、ボーカルをテクスチャーのように解釈し、それらをカウンターポイント(対位法)のように組み合わせることで、制作者が上記のWarpの対談で述べたように、「願望的な静寂」に導かれる。これはまた深層の領域にある自己との出会いを意味し、聞き手にもそのような自らの原初的な自己を気づかせるようなきっかけをもたらすかもしれない。

 

制作者は複合的な音の層を作り上げることに秀でており、シンセの通奏低音や、ギターの断片的なサンプリング、 コラージュのような手法で音を色彩的に散りばめ、それらをフォークミュージックやポピュラーミュージックの形に落とし込んでいく。上記の過程において「Crucifer」が生み出されている。この曲は、アルバムでは珍しく、セッションのような意味合いが含まれていて、旋律の進行やどのようなプロセスを描くのかを楽しむという聞き方もあるかも知れない。


アルバムは意外にも大掛かりな脚色を避けて、シンプルな着地をしている。クローズ「S,O,S Song of The Sword」は、編集的なサウンドはイントロだけにとどめられていて、演出的なサウンドの向こうからシンプルな歌声が現れるのが素敵だと思う。これらの10曲は、表面的な華美なサウンドを避けていて、音楽の奥深くに踏み入れていくような楽しさに満ちあふれている。
 



82/100




 「Life of The Forbidden」