Ekko Astral(エッコ・アストラル)の掲げるピンク・バルーン運動 ニューシングル「Holocaust Remembrance Day」でガザのホロコーストに言及

 


アメリカの首都、ワシントンDCを拠点に活動するEkko Astral(エッコ・アストラル)は、「mascara moshpit- マスカラ・モッシュピット」という聞き慣れないテーマを掲げて活動している。彼らはまた「ピンク・バルーン運動」という名を掲げて活動している。彼らの活動スタイルは完全なDIYに根ざしており、同時にそれは必ずしも主流派(Major)の考えに迎合することを意味しない。

 

Ekko Astral(エッコ・アストラル)の活動のモチーフが、Fugaziの”Revolution Summer”のような内輪向けの運動にとどまるか、それよりも影響力のあるムーブメントに繋がるかはわからない。まだまだこのウェイブは、限定的で未知数なのである。しかし、エッコ・アストラルは、首都のバンドとして主流派の政治概念に対する一家言を持ち、そして、それらを披瀝することをためらわない。音楽的には、そのかぎりではないが、最も強いパンク・スピリットを持ったバンド。


今日のパンクロックとは、必ずしもその音楽性だけを示唆するものではないのかもしれない。尤もトム・モレロさんが認めているようにガスリーもパンクの祖であるし、ディランもパンクなのだ。

 

 

 

 「Holocaust Remembrance Day」

 

Bandcampで限定販売が行われているニューシングル「Holocaust Remembrance Day」に注目である。音楽的にはカレッジロックのようなルーズな感覚を持つフォーク・ロックとして楽しめる。

 

しかし、この曲の持ち味はそれだけにとどまらない。このナンバーは、ガザでの大量虐殺を歌ったアコースティック・バラードで、アメリカ系ユダヤ人であるメンバー、ジャエルの実際的な体験と、ホロコーストーー大量虐殺に巻き込まれた人々への個人的な思いが込められている。シオニズムの考えは必ずしもイスラエルの政治的なテーゼに合致しているとは限らない。

 

この曲の歌詞には、文学的に見ても素晴らしく、かなり心を惹かれる一節の対句(Verse)がある。

 

 

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On Holocaust Remembrance Day

I took a trip downtown

Was asked if I’m a Christian

And in what country I’m found

I simply said, the wrap on my head’s

For my maker out of respect

And he said he don’t see types like that round here

 

ホロコースト追悼の日に

ダウンタウンに出かけたら

あなたはクリスチャンですか?

どこの国にいるのかと聞かれた


頭に巻いているのは創造主への敬意から

私の創造主に敬意を表した

すると、彼は、この辺りではそのようなタイプは見かけないと言った

 

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On Holocaust Remembrance Day

I went into dc

Was immediately accosted

And asked where should I be

By a visitor in a red and blue shirt

That read, “land of the free”


ホロコースト記念日に


私はDCに行った


すぐに声をかけられた

どこにいるべきかと聞かれた


赤と青のシャツを着た

"自由の国 "と書いてあった


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ーー

 

正しさや正義と言う考えほど恐ろしいものはない。歴史上の多くの主要な戦争がそうであるように、イスラエル戦争がウクライナ戦争と同様、代理戦争(国家が別の領土で代わりの戦争を起こす)に近い意味が含まれていることを気づいている人は一体どれくらいいるのだろう。これは、イスラエル戦争の当初、ユダヤ系住民の多くがガザ侵攻に関して否定的であったことを加味すると自明だろう。ユダヤ系住民はそういったことを旧ドイツのナチスの時代から学んでいるのだ。

 

少なくとも、エッコ・アシュトラルは、政治的なテーマを体験者として表現し、共有しようとしている。決して外野からの野次ではなく、政治的な問題に絡め取られる当事者としての声を反映させている。

 

「この曲は、アメリカのユダヤ人としての私の人生にとって重要な3つの経験を反映している。最初の詩は、連邦議会議事堂で警官にティチェルのせいで、”君はイスラム教徒なのか”と聞かれたときのことである。3番目の歌詞は、リアムと私が大学のヒレルで、ユダヤ人学生がイスラエルについてどう感じているかというポッドキャストを制作したときのことに端を発している」


「1994年、ユダヤ教徒とイスラム教徒の聖地である「祖先の洞窟」で、ラマダン(断食月)期間中にパレスチナ人が虐殺された。私は、高校時代、ユダヤ人の若者グループとイスラエルに1カ月間旅行した際に、この場所を訪れたことがあった。その旅行には、軍用ハンビーや、私や私の仲間の高校生のユダヤ人を自衛隊に勧誘しようとする試みであったり、そして岩石のドームがいかにアラブ系イスラム教徒への憎悪を心に抱く理由であるかについての講義も含まれていた」

 

 


「イスラエルのパレスチナ人に対する暴力を批判することは、反ユダヤ主義的ではありません。私は、10月7日に標的となった人々と同じようなキブジムに家族を持つ者として、そう言いたい。実際、ユダヤ人の種類は1つではなく、人の言うことに疑問を持つことはユダヤ人の道徳の中心です。でも、私が住んでいるワシントンDCでは、そのような話はあまりされません」とジャエルは続ける。

 

「ロシアで拘束された記者について語る報道機関がある一方、ガザで担架に乗せられて運ばれて死んでいる記者に対しては何の血の涙も流さないという偽善に、私は心を打ち砕かれています。何年も前、イスラエル国防軍に射殺されたアルジャジーラ(ドーハのメディア)の記者について、ダナ・バッシュがCNNで取り上げたことはあっただろうか? そんなものはどこにもないのです」

 

Bandcampでのこの曲の収益金はすべてガザでの大量虐殺から逃れようとする人々の移住を目的とした救援活動に寄付される。