【Review】 John Cale 「POPtical Illusion」 理想的なポップとはなにか

 John Cale-  『POPtical Illusion』 

 


 

Label: Domino Recordings

Release: 2024/06/15

 

 

Review  理想的なポップとはなにか?

 

驚くべきことに、ジョン・ケールは何歳であろうとも清新な感覚を持つミュージシャンでありつづけることが可能であると示している。

 

古賀春江のシュールレアリズムやアンディー・ウォーホールのポップアート、そしてカットアップ・コラージュを組み合わせたアートワークもおしゃれで惚れ惚れするものがあるが、実際の音楽も、それに劣らず魅力的である。アーティスティックな才覚が全篇にほとばしっている。

 

思えば、「Shark Shark」のミュージックビデオはケール自身が出演し、アグレッシヴなダンスを披露し、エキセントリックなイメージを表現していた。このアルバムからのメッセージは明確で、岡本太郎の言葉を借りると、生きることが芸術、アートでもある。色褪せない感覚、古びない感性、最前線の商業音楽。これらは、1960年代にアンディー・ウォーホールのファクトリーに出入りしていた年代から続くケール氏の生き方を反映している。アートをどのように見せるのか? そしてそれは商業的な価値を生み出せるのか? その挑戦の連続なのだ。

 

『Mercy』でケールはヒップホップやエレクトロニック等の影響を織り交ぜて、重厚感のある作風に焦点を絞っていた。ボーカルとしての印象も多少、重苦しくならざるを得なかったが、『POPtical Illusion』は、前作の系譜にある収録曲もありながら、全体的な印象は驚くほど軽やかで明るい。ソロアーティストとしてのクリエイティブな苦悩を超えた吹っ切れたような感覚に満ち溢れ、 アートワークに象徴付けられるように色彩的な旋律のイメージに縁取られている。


前作では、ピーター・ガブリエルやイーノの最新の作風に近いものがあったが、今回、ケールは、デヴィッド・ボウイの全盛期を彷彿とさせる''エポックメイキングなアーティスト''に生まれ変わった。旧来からプロデューサーとしても活躍するケールは、培われてきた録音の経験や音楽的な蓄積を活かし、現代的な質感を持つエクスペリメンタルポップ/ハイパーポップを制作している。


しかし、『POPtical Illusion』は、Domino Recordingsの他の録音と同様に、前衛性や斬新さだけが売りのアルバムではない。モダンとクラシックを13曲でひとっ飛びするようなエポックメイキングなポピュラーアルバム。デヴィッド・ボウイのベルリン三部作、それと並行して、80年代のAOR/ソフト・ロック、さらには2010年代以降のエレクトロ・ポップと、70年代からのポピュラー音楽の流れを捉えながら、それらを最終的にシンプルで親しみやすい形式に落とし込む。

 

「#1 God Made Me Do It(don't ask me again」は、シンセ、ギター、ドラムを組み合わせたモダンなポピュラー音楽として楽しめる。旧来になくケールのメロディアスな才覚がほとばしり、彼自身のコーラスワークを配置し、夢想的なテイストを散りばめる。エレクトロニックとポピュラーを組み合わせ、摩訶不思議な安らぎーーポプティカル・イリュージョンーーを生み出す。


続く「#2 Davies and Wales」は、70年代のニューウェイブや80年代のAORに依拠したポピュラーソングで、エレクトリックピアノが小気味よいビートを刻み、組み合わされるシンセベースがグルーブ感を生み出す。負けじと、ケールはハリのある歌声を披露する。彼のボーカルは軽やかで、高い精妙な感覚を維持している。そしてタイトルのフレーズの部分では、コーラスを織り交ぜながらアンセミックなフェーズを作り出す。ソングライターとしての蓄積が曲に色濃く反映され、どのようにしてサビを形成するポピュラリティを作り出すか、大まかなプロセスが示される。この曲にも、ケール氏のポピュラー音楽に対する考えがしっかりと反映されている。自分の好きなものを追求した上で、それらにどのようにして広告性と商業性を付与するのか。


続く「#3 Calling You Out」は、ジャンルというステレオタイプの言葉ではなかなか言い表しづらいものがある。男性シンガーとしての内省的センチメンタルな感覚をエレクトロニックで表現し、それをジャズのテイストで包み込む。


そしてそれらの現代性を与えるのが、モダンなエレクトロやヒップホップを通過したリズムトラックだ。しかし、前衛的な要素を織り交ぜながらも、曲自体は、ボウイやそれ以後の十年間にあるポピュラー性に重きが置かれている。いわば古典派としての音楽家の表情、現代派としての芸術家の表情、それらのアンビバレントな領域を絶えず揺れ動くかのようなナンバーである。


そしてケール氏は、古典的なものに敬意を示しながらも、現代性に対しても理解を示している。曲の終盤にかけて、コラボレーターのボーカルにオートチューンをかけていることも、彼が新しいウェイヴに期待を掛けている証なのである。


かつて、60年代後半に無名だったVUの音楽に理解を示してくれたファンがいたことと同様に、ジョン・ケール自身のこれらの新たな表現性に対する理解や肯定、あるいは次にやってくる潮流に対する期待感は、本作の中盤の流れを決定付ける「#4  Edge Of Reason」において、シカゴ・ドリル/ニューヨーク・ドリルの系譜にあるリズムトラックというカタチで明瞭に反映される。


2000年代のドイツ等で盛んだったグリッチを散りばめたトラックは、やがてエレクトロニックを反映させた2010年代以降のシカゴやニューヨークのドリルに受け継がれた。ケールはそれらの影響を踏まえ、ドレイクのような現代性を意識し、無理のない範囲で独自のポピュラリティに置き換えようとしている。これらは、キム・ゴードンの最新アルバムとも連動する性質でもある。かつてラップの中にポピュラー性を取り入れたように、現代的なポピュラー性の中にラップの要素を取り入れることが、今ではそれほど珍しくなくなっていることを暗示している。


「#5  I'm Angry」のイントロは、アンビエントがいまだアンダーグラウンドのチルウェイブの一貫として勃興した時代の作風を彷彿とさせる。オルガンの演奏に合わせてコール・アンド・レスポンスの形で歌い上げられるケールのボーカルはタイトルとは正反対である。フレーズを繰り返すうち生み出される怒りを冷静さや慈しみで包みこむ感じは、直情的な感覚とは対極に位置している。それに続く「#6 How We See The Light」は、連曲のようなニュアンスが含まれる。ダンサンブルなリズムとシンセ・ポップを組み合わせ、ボウイの系譜にあるナンバーを作り出す。


続く「#7  Company Commander」は、アルバムのアートワークに象徴づけられるコラージュのサウンド、ミュージック・コンクレートを導入している。2010年代のアイスランドのエレクトロニカ、ニュアンスとスポークンワードの中間にあるケイルのボーカルは、「Abstract Pop」という、ニューヨークの最前線のヒップホップシーンへのオマージュの考えも垣間見ることが出来る。

 

 

前半部では一貫してミュージシャンによる「理想的なポップとは何か?」という考えが多角的に示される。それは、多少、録音のイリュージョンというジョークのような意味も込められているのかもしれない。一方、後半部では、アーティストとしての瞑想的な感覚と感性が組み合わされ、アストラルとメンタルの間の領域にあるポピュラリティへと近づく場合がある。肉体の感覚と魂の感覚ーー一般的に、これらは、年を経るごとにバランスが変わると言われているが、人間が単に肉体の存在ではなくて、霊に本質があるというレフ・トルストイが『人生論』で書いていたこと、つまり、人々は、ある年代で生きることの本質に気づき始めるというのだ。


それは、録音作品を語る上で、商業音楽としての霊妙な感覚に近づく瞬間もある。つまり音楽というのが必ずしも、旋律やリズム、和音や対旋律、ないしは作曲技法の範疇にある旋法やメチエといった技法に縛られるものではないことを示唆している。これは意外と、10代や20代の始めの頃には、肌身でなんとなく知っていることなのに、以降の年代、肉体的な感覚が優勢になるにつれ、忘れさられていく。ケールは、長い音楽活動の経験を踏まえ、感覚的な音楽を制作し始めており、それは音楽の本質が表されていると言ってもさしつかえないかもしれない。

 

サウンドについて言えば、「#8 Setting Fires」はベテランアーティストによるチルウェイブへの親和性が込められている。これは、例えば、Toro y Moiのような安らぐ音楽は、何歳になっても気軽に楽しめることを示唆する。 また、「#9 Shark Shark」には、気鋭のロックアーティストとしての性質が立ち現れる瞬間が捉えられる。ここには、ダンスという人間的な表現下における生命力の発露が音楽として表れる。そして、霊妙な感覚、人間の本質を表す魂の在り処をポピュラリティとして刻印した「#10 Funkball the Brewster」は、この世の中のどの音楽にも似ていない。それも当然のことで、彼はすでに存在する鋳型に何かを注ぐのではなく、自らの内側にある魂の揺らめきを、音階や脈動が織りなす流れとして捉え、それらを音楽にしているだけなのだ。

 

ジョン・ケールは、『POPtical Illusion』において外側に表出せざるを得ないもの、表さずにはいられないものをスタジオ録音を通じて記録というシンプルな形で残している。これらのアーカイブが果たしてポピュラーやレコーディングの歴史における「記憶」となるかどうかは定かではない。


ただ、「All To The Good」、「Laughing In My Soup」とユニークな印象がある軽快なダンスポップが続いた後、シンセピアノを活かした美しいバラードがクライマックスを飾る。クローズ曲「#13 There Will Be No River」は、ビートルズのような古典的なテイストを放つ。シンセサイザーのストリングスを込めたミニマル音楽を基にしたバラードは、シンプルであるがゆえ心に残る。

 

 

 

86/100




「God Made Me Do It(don't ask me again)」