Lankum - Live In Dublin
Label: Rough Trade
Release: 2024年6月21日
Review
昨年、ダブリンの四人組のフォークバンドLankumは、Rough Tradeから4作目のアルバム『False Lankum』を発表し、イギリス/アイルランド圏の最優秀アルバムを選ぶマーキュリー賞にノミネートされた。
昨年のアルバムに続いて発売されたライブ・アルバム『Live In Dublin』は、2023年のダブリン市街地にあるヴィッカー・ストリートでの三夜のソールドアウト公演の模様を収録。音源を聴くと分かるように、ライブパフォーマンスにこそ、Lankumの真価が垣間見える。ティンパニ(タム)、フィドル、ヴァイオリン、アイリッシュ・フルート、アコーディオン、キーボード、エレクトロニクス、ダラのボーカルを中心に構成される重厚感のあるコーラスワークは、ドローンのように響き渡る弦楽器の重低音に支えられるようにして、ダブリンの3つの夜の濃密な公演を生々しく活写している。
ダラ・リンチ、イアン・リンチ、コーマック・マクディアマーダ、ラディ・ビートの四人組は、故郷のライブのステージで他のいかなる会場よりも大胆な演奏をしている。もちろん、ステージでのMCに関しても遠慮会釈がなかったという。具体的な言及は控えておくが、アイルランドのルーツを誰よりも誇らしく思う四人組の勇姿が、この音源を通して手に取るように伝わって来る。
本作はあらためてバンドとしての結束力を顕著な形で示す内容である。弦楽器、ボーカル、リコーダー、パーカッション、別々に分離した場所から発せられる異なる音は、Lankumの手にかかると、一体感を帯び、リアリティのある音楽に組み上げられる。
ダブリンの四人組は、『False Lankum』において、中世のアイルランドの儀式音楽の古いスコアをもとにして親しみやすいフォークを制作した。が、彼らの音楽は必ずしもクラシックの範疇にとどまるわけではない。
彼らは、エレクトロニクス、ドローンという前衛主義の手法を通じて、新しい音楽をダブリンから出発させる。これは実は、かつてオノ・ヨーコのコミュニティに属していた日本の音楽家”YoshiWada”がニューヨークで自作のバクパイプを制作し、ドローンという音楽の技法を生み出した経緯、要するに、ドローン音楽がスコットランドのバグパイプから出発していると考えると、フォークバンドが通奏低音を活かしたパフォーマンスをすることは当然のことなのである。
ライブはポストパンクバンドのようなSEから始まる。本作の序盤は古典的なスタイルを図るアイルランドのフォークミュージックが続いている。
「The Wild River」が弦楽器の短いフレーズを何度も反復させ、ベース音を作り、哀愁のあるフレーズをダラ・リンチが紡ぐ。他のメンバーのコーラスワークが入ると、彼らにしか作り得ないスペシャリティが生み出され、短調のスケールを中心に構成されるアイルランドフォーク音楽の核心に迫る。
このアルバムのイントロには彼らの儀式音楽の性質が現れるが、その後、比較的聴きやすいフォークミュージック「The Young People」が続いている。アコースティックギター、フィドルの演奏とエレクトロニクスを織り交ぜ、古典的なニュアンスにモダンな印象を添えている。(イアン・リンチの)ボーカルは渋さと温かさがあり、ホームタウンへのノスタルジアを醸し出す。
「The Rocky to Road to Dublin」はイギリスの会場では演奏されたなかったらしく、アイルランドのルーツが最も色濃いナンバーだ。ボーカルの同音反復の多いフレーズと対比的に導入される弦楽器のドローンと組み合わされ、重厚な音響性が作り出される。男女混合のダブルボーカルは一貫して抑制が効いているが、同じ楽節や音階を積み重ねることによって、内側から放たれる熱狂的なエナジーを作り出す。ボーカルの合間に入る観客の歓声も、その場のボルテージを引き上げる。Lankumは、この曲で、音楽研究家がこれまであまり注目してこなかったフォークの「ドローン(通奏低音)」という要素をライブパフォーマンスという形で引き出そうとしている。そしてスタジオ・アルバムより、このグループの音楽の迫力がリアルに伝わってくるのが驚き。
Lankumは、一般的にはフォークバンドとして紹介されることが多いが、「The Pride Of Petravore」を聴くと、モダンな実験音楽を得意とするグループであることが分かる。特に、この曲ではダークなドローンを最新のエレクトロニクスで作り出し、ボウド・ギターを使用して前衛主義としての一面を見せる。
この曲は、間違いなく重要なハイライトとなり、また、Lankumは硬化しかけたイギリス圏の実験音楽シーンに容赦ない一石を投じている。 前衛的なエレクトロニクスとアイリッシュ・フルートの演奏の融合に続く、古典的なフォークミュージックへの移行は、バンドの可能性を拡大させると共に、表現形式をコンテンポラリー・クラシックへと敷衍させていることを示唆している。
アルバムは中盤のスリリングな展開を経て、その後、クールダウンともいうべき静謐なフォーク・ミュージックが続いている。「On A Monday Morning」はアコースティックギターの緩やかな弾き語りで、このライブアルバムの中では最も繊細かつ悲哀に充ちたフォークナンバーである。
あいにくのところ、アイルランドの歴史に関する知識を持ち合わせていないが、この曲は、同地の長きにわたる侵略の歴史、もしくはその悲しみへの悼みとも言うべきなのだろうか。しかし、その出発点となる悲しみとしてのフォークは、その後、明るく開けたような、やや爽快な音楽の印象に変わる。これは、背後に過ぎ去った過去を治癒するような神秘的な力が込められている。
「Go Dig My Grave」は『False Lankum』の収録曲で、バンジョーのような楽器の音響性を活かし、忘れられた時代、ないしは航海時代の中世ヨーロッパへのロマンチズムを示している。中世ヨーロッパの葬礼のための儀式音楽の再構成であるが、ライブになると、「土の音楽」ではなく、その先にある「海の音楽」に変わる。一貫して、弦のドローンの迫力ある音楽形式により構成されているが、このことはおそらく、中世のアイルランドの音楽が、海上交易を通じて、アルフォンソ国王が治世するスペイン王朝はもとより、イスラムやアラブ圏の文化と一連なりであったことを象徴づけている。
スコットランドとアイルランドの文化の中庸としてのフォークミュージック、セルティックの影響下にある「Hunting The Wren」も、ライブ・アルバムの重要なポイントを形成しているようだ。蛇腹楽器のアコーディオンの演奏を取り入れつつ、パブカルチャーを反映させたように感じられる。
ただ、ランカムの全般的な音楽はやはり単なる消費文化とは一線を画していて、中世から何世紀にもわたって継承される国民性や、その土地の持つ独特なスペシャリティがしたたかに反映されている。また、そこには、南欧のスペイン圏のジプシー音楽の持つ流浪(永住する土地を持たない民族)の息吹が内含されているようにも感じられる。
何らかの歴史が反映されているがゆえなのか、音楽そのものが概して安価にならず、淡い深みと哀愁を漂わせている。続く「Fugue」は、「The Pride Of Petravore」と同様、ドローン音楽としても圧巻である。ダブリンのフォークバンドの意外な一面を楽しめる。更にクローズ「Beer Cleek」では、舞踏音楽(ダンスミュージック)としてのアイルランド・フォークの醍醐味を堪能出来る。
88/100
Best Track - 「The Pride Of Petravore」