Review: Clairo 『Charm』 ポピュラーミュージックの良心

Clairo 『Charm』 

 

Label: Clairo Records LLC.

Release: 2024年7月12日


Review  


ポピュラーミュージックの良心


クレイロの最新作『Charm』は、チェンバーポップ/バロックポップ、そしてビンテージソウルを巧みに踏襲し、それらをローファイの録音により現代的なポップスの最高水準の作品へと昇華させている。従来の作品から受け継がれるソングライティングの良いメロディー、展開力、そして音感の良さは、最終的にクレイロのボーカルの温和な雰囲気で彩られると、ギルバート・オサリバンやカーペンターズのようなクラシカルなポピュラー・ミュージックに変化する。クレイロはベッドルームポップを卒業したとみて良いだろう。素晴らしいソングライティング。

 

もちろん、クレイロの音楽をポピュラーだけの側面から語ることはむつかしいだろう。その中に多彩な音楽性が含まれ、それがこのアーティストの最大の魅力となっている。アウトプットにはフラワームーブメントのサイケデリックやヴィンテージソウルも含まれる。そして自動車産業とともに機械工業として発展したデトロイトを中心とするノーザンソウルやモータウン・サウンドを通過し、親しみやすく内的な情感を活かした素晴らしいポピュラーアルバムが誕生した。


最新作『Charm』のマスターの過程では、録音した音源をテープ・サチュレーターのような機材に落とし込んだという。つまり、ヒップホップやミックステープ発祥のローファイの録音のプロセスが導入されていることが、アルバム全体にアナログの質感を付け加えている。デジタルサウンドで録音されていながら、ヴィンテージ・レコードのような懐かしさと深みが漂うのである。

 

 

現在のアメリカのポピュラーミュージックの主流は、背後に過ぎ去った国家の文化的な遺産をどのように現代に活かすのか、ということに尽きる。この動向は、一、二年前から始まっており、東海岸から西海岸に至るまで主要なアーティストがある種の命題やテーマ、モチーフとして掲げるようになっている。


回顧的な音楽は、太平洋の向こう側から見ると、アナクロニズムにも見えるかもしれないが、それは単にノスタルジアや懐古主義を象徴づけるものではない。アメリカの現代の音楽の中に内在するのは、商業的な発展とは相異なる米国社会の核心にある概念を捉えるということである。米国社会や現代の社会構造に組み込まれる市井の人々が産業や文化の変遷に絶えず翻弄される中、普遍的なものは何なのか、時代を越えて伝えたい思いはどのようなことなのか、アメリカの文化の根幹や中枢にある消えやらぬ真実を、アーティストらは真面目に探し求めている。


そして、60、70年代の古典的な音楽を踏襲し、オーケストラ楽器をポピュラー音楽の枠組みの中に配して、聞きやすく親しみやすいものとする。このアルバムに漂う絵画的な雰囲気はアルバムのアートワークとばっちり合致しており、それはヨハネス・フェルメールの絵画のようなミステリアスさと上品さに縁取られていると言える。音楽が単なる音の発生で終わらず、何らかの意味を持ち、そして何より素晴らしいのはイメージの換気力があることだろう。 

 

前半部では、三分のポピュラーの理想形が示唆されている。序盤では、テープサチュレーターの二段階の録音形式を活かし、バロックポップとビンテージソウルという2つの大きな枠組みの中で、ときおり、ローファイやサイケデリックのテイストをまぶしながら、センス抜群の音楽性を発揮している。

 

先行シングルとして公開された「Nomad」は、サチュレーターをかけたヴィンテージソウルで始まる。これらはデジタルレコーディングでありながら、古いレコードやそれよりもさらに古い蓄音機からクレイロの音楽が流れてくるような錯覚をおぼえさせる。


しかし、その後、ギルバート・オサリバンやカーペンターズの音楽性を踏まえた魅惑的なバロックポップワールドが繰り広げられる。


コーラスとフォークミュージックを象ったギターラインに引き立てられるように、オーケストラのティンパニのような音響効果を狙ったローリング・ストーンズや最初期のヴェルヴェット・アンダーグランド風のダイナミックなパーカションにより、このアルバムは一曲目ですでにポピュラーミュージックの至福の瞬間に到達する。気の早いTikTokerの気忙しい要求に端的に応えてみせる。


「Nomad」



続く「Sexy To Someone」は一般的なポピュラーアーティストとは異なり、ヴィンテージソウルへのクレイロの愛着が示されている。オーティス・レディングのスモーキーなR&Bを踏襲したこの曲は、アーティストの新しい音楽性が示された瞬間を捉えることができる。音作りはノーザンソウルやモータウンのサウンドを意識しているが、それらは結局、ベッドルームポップの系譜にある軽やかなボーカルによって、クラシックのテイストがモダンに変貌を遂げる。アルバムの一曲目と同じように、LPの回転数の差異で発生する音のディレイのような特殊な音響効果を活かしながら、このレコードは巧みにリスナーを現代と古典の間にある言い知れない陶酔感へといざなう。

 

「Second Nature」ではフレンチ・ポップやイエイエの様式を踏まえ、 序盤の音楽性の中に一つの起伏やポイントを設けている。しかし、それでも上記の2曲と同じように、クレイロの曲は懐古主義に堕することはない。ボーカルの背景にあるリズムトラックに関してはヒップホップのローファイを活かし、しなるようなグルーヴ、ミックステープのような、きわどい音質を復活させる。レコーディングとしても聞き所が満載となっているが、やはりクレイロのボーカルの音感の良さ、ソフトな質感を持つ歌のフレーズが現代的なリズムトラックに夢想的なアトモスフィアを及ぼす。クレイロのソングライティングの多くは、メインストリームとベースメントの線上を歩くかのように、絶妙なバランスを保っている。そのため耳にじんわりと馴染んでくる。

 

 

アルバムの中盤には60,70年代のポップスのリバイバルが見受けられ、個性的な印象を放つ。依然として、この作品がアナログレコードのような質感と懐かしさを重視したものであることがわかる。その中には遊び心のある音楽性が込められていて、心を絆すものがある。

 

ローズ・ピアノで可愛らしく始まる「Slow Dance」は冒頭と同じように、バロックポップの音楽性を踏まえ、モダンなポップスとして昇華させている。トラックの背景にはファンクやR&Bの跳ねるような感覚のビートを交え、グルーブ感のあるポップスを作り出す。これらはやはり、現代的なローファイやヒップホップのトラック制作と無関係ではないとおもわれる。それがメロディーの良さにリズミカルな効果を及ぼし、トラック全体に聞きやすさを与える。


続く2曲では、Lovin' Spoonfulのような音楽性を活かし、サイケのテイストを添える。「Thank You」はアーティストのロック好きの一面が伺え、それらがキラキラしたメロディーに縁取られている。もちろん、クレイロらしい夢想的な雰囲気が最大の長所になっている。レゲエでお馴染みのタムで始まる「Terrepin」は、ジャズ的なムードとクレイロの持つ夢想的な音楽が組み合わされて、遊び心溢れるポピュラーソングに昇華される。アーティストの才覚のきらめきは、フレーズのセンス抜群の転調(移調)や、シンセ・ピアノのアルペジオの配置に顕著に反映されているとおもわれる。音楽的にも楽園的な空気感をボサノヴァ風のベースラインを元に作り出している。

 

 

終盤では、再び、ヴィンテージソウルを中心とする音楽に回帰し、レコード産業の最盛期の華やかな時代の夢想的な空気感を深める。「Juna」はやはり、古典的なレゲエやソウル、ジャズを主な題材にし、ダンスミュージックのテイストを添え、『Charm』の核心ともいうべき箇所を作り出す。このアルバムのテーマは一貫して、古典的な音楽を題材にした夢想的な空気感に縁取られている。これぞまさしく、往年のモノクロ映画に内在する抽象的な雰囲気に対する憧れなのだ。


同じように、ノーザン・ソウルの代表曲ではお馴染みの疎なドラムを配した「Add Up My Love」では、ポピュラーシンガーではなく、ソウルシンガーとしての才覚を発揮している。これらの中盤の2曲は、クレイロが従来とは異なる音楽的な境地を切り開いた瞬間となるだろう。


クレイロは歌手としてだけではなく、シンセサイザー奏者としても知られているが、「Echo」ではビクトロンを彷彿とさせるレトロな質感を持つオルガンに、サイケデリックな要素を添える。しかし、ボーカルやコーラスのメロディーは柔和な空気感を漂わせ、聞き手の心を和ませるものがある。


同じように、シンセのモジュラーでドラムのビートを作り上げた「Glory Of The Snow」は、70年代の古典的なエレクトロ・ロックを踏襲し、それらをバロックポップやイエイエの音楽の系譜にある、チャームで夢見るようなオリジナルの世界を築き上げる。そして、従来のクレイロのイメージを覆し、ロックアーティストとしての姿を、その先にくっきりと浮かび上がらせる。


アウトロ「Pier 4」では従来の古典的なフォークが収録されている。アルバムの冒頭と同じように、ギルバート・オサリバンやカーペンターズといったバロックポップの形式を受け継ぎ、それらを現代的なポップソングで包み込む。それらの音楽にはビートルズのレノンのデモソングのような荒削りでインディーズ性を意識したソングライティングが含まれている。とっつきやすいだけではなく、かなりの密度があり、録音としても掘り下げる余地がありそうなアルバム。いうなれば現代のリスナーのニーズに端的に応えた良質なポップスと言えるだろうか? 

 

 

86/100

 

 

Best Track- 「Juna」