Pat Metheny 『MoonDial』
Label: BMG
Release: 2024年7月26日
Review
バリトンギターの芳醇な響き
ギターのマエストロ、パット・メセニーによる最新作は、ナイロンの弦の柔らかく優しげな響き、ガット弦の硬質な響き、バリトン・ギターの芳醇な響き、それから、弦楽器の演奏の品格やプレイヤーとしての流儀を追求している。
ガット弦のギターは、ダイナミックな演奏を適しているために硬い響きがあるが、他方、ナイロンの弦は、旋律的な演奏をするのに適しており、柔らかく、温かい響きがある。これらの対称性を上手く活用して、パット・メセニーはアコースティックギターの醍醐味を引き出そうとしている。
カントリージャズ、ジャズギター、オーケストラとのコラボレーションなど、飽くなき探究心をもってギターの無限の世界を探求してきたマエストロは、BMGから発売された『MoonDial』において、クラシックギターに比する美しい調べで、聞き手の心に安らぎをもたらしてくれる。ギターファンのみならずジャズファン、もちろん、クラシックファンも要注目のアルバムの登場です。
最新アルバム『MoonDial』で、パット・メセニーは、いくつかのスタンダードのジャズによる再構成とオリジナル曲を通じて、旧来のモダンなジャズギターから、クラシック・ギターに至るまで、多角的な演奏方法を披露しています。プレイヤーの心を反映させて、繊細なフィンガーピッキングによるアルペジオを交えて、ギターアルバムの一つの頂点をきわめようとしている。
メセニーは序盤からモダンジャズにとどまらず、スペインのフェデリコ・モンポウ(Federico Mompou)の「Impreshiones: Intimas」を思わせる南欧の気風を反映させたクラシックギター、イタリアンバロックを咀嚼し、優雅な演奏を披露している。パット・メセニーのギターの演奏には停滞がなく、13の音楽がスムーズに駆け抜けていく。
アルバム全体に、何らかのテーマが据えられているのかは分かりかねますが、最近のスタジオ作品の中で最も情熱的であり、哀愁溢れるギターが披露されている。タイトル曲「MoonDial」は、そのシンボルともなりえるでしょうか。スパニッシュ・ギターの演奏を踏襲しながら、自由闊達なジャズ・スケールがフレーズの間を揺れ動く。メセニーのギターの調べは、一連の音の流れが本当に生きているかのように精細感を持って、聞き手の心を捉えることがあるのです。
このアルバムの重要な核心にあるナイロン弦のアコースティックギターとしての柔らかな響きは、続く「La Cross」に反映されている。メセニーが最初のアルペジオを紡ぎ出す瞬間、音楽そのものから温かい感情が堰を切って溢れ出す気がする。その後の複雑なジャズスケールの複合の流麗さは当然ながら、その後、旧来の演奏家としての経験から培われた巧みなソロが続く。メセニーはその中で、ギターによる安らぎや哀愁を紡ぎ出す。フレットのスライドの瞬間は圧巻で、それが次なるスケールへの布石となっている。解釈次第では、最初期のカントリージャズを踏襲して、モダンジャズの文脈に置き換えたような一曲として楽しめるでしょう。ギターだけで、内的な感情伝達をするかのような素晴らしい演奏に聞き惚れてしまうかもしれません。
一転して「You're Everything」はロマンチックなムードに溢れたナンバー。メセニーのギターの演奏は、言葉がなくとも、ギターだけで情愛的な感覚を示せることの証立てでもある。現代の情報過多な時代において、時々、過剰な言葉から距離を置くことの大切さを痛感できる。繊細なフィンガーピッキング、ニュアンス、 ミュートの響きは、鳥肌が立つような凄みが含まれる。
本作には、ジャズ・ギターとして泣かせる要素も込められています。カバー曲「Here , There and Everything」は、ビートルズの持つ本当の魅力を体現させている。親しみやすく口ずさめるメロディー、そしてララバイ、バラードというバンドの本質を捉え、自由な気風溢れるジャズに置き換えている。この曲では、ビートルズの未発見の魅力に迫るとともに、伝説的なロックバンドの繊細なエモーショナルな一面に、あらためてスポットライトを当てています。泣かせるギターとは何なのか、その答えがこの曲に示されていると言えるでしょう。曲のアウトロにかけての協和音への解決がなされる瞬間、バリトン・ギターの低音部の響きが聞き手の心に深い共鳴を呼び起こす。
「Here, There and Everything」- Best Track
あらためて、このアルバムを聴くと、ギターはアコースティックピアノに近い楽器の特性があり、まだまだ未知の可能性に満ち溢れていることが分かるのではないでしょうか。
「We Can't See It, But It's There」は、最初期の作風から培われてきた思弁的な要素を刻した一曲として深く聞き入らせるものがある。メセニーは、ジャズスケールを巧みに用い、内的な苦悩を丹念に表現している。この曲を聴くかぎりでは、ギターというのは自らの感情を表現したり、伝達したりするのに適した楽器であることが分かる。メセニーがフィンガー・ピッキングによりアルペジオを紡ぎ出すと、連続した音のハーモニーはやがて、美麗で瞑想的な雰囲気すら帯びてくる。バリトン・ギターの倍音の特性を巧緻に活用していると言えるかもしれません。
続く「Falcon Love」では、ララバイのような要素を込め、フォークとジャズの中間にある抽象的な音楽性を探ろうとしている。明朗で快活な印象を擁するギタリストの哀愁やペーソスといった、もう一つの印象を捉えることが出来る。彼のギターは、マキシマムではなく、ミニマムとしての特性がある。音符がピアニッシモに近づき、静寂の本質に触れる瞬間、ギタリストとしての傑出した才覚が引き出される。この曲にはまた、聞かせる音楽の醍醐味も示されています。
その他にも、中盤には最初期のカントリージャズに回帰する曲も収録されています。例えば、バーンスタインのカバー「Everything Happens To Me/Somewhere」は、ノイジーなロックやダンスミュージック、それに類する音楽に少し疲労感を覚えたとき、音楽のもう一つの隠された魅力ーーサイレンスーーを教え示してくれる。 主旋律と対旋律という2つの観点から、親しみやすいジャズギターが築き上げられる。滑らかなスライドやアルペジオがいくつも折り重なる時、瞑想的な響きと柔和な響きを介して、音楽の芳醇でうるわしいハーモニーが生み出される。
スペインの作曲家フェデリコ・モンポウの「La Barca」のような哀愁と憂いをジャズの快活さと安らぎで包み込み、贅沢な音楽のひと時を提供している。20世紀を代表するピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(Alicia de Larrocha)のピアノの演奏のように優雅であり、美しさと幻想性を兼ね備えている。
ナイロン弦で演奏されることが多いこのアルバム。しかし、「This Belong To You」以降は、おそらくガット弦のギターが使用されるケースがある。この点は、「穏やかな前半部」、対象的に「張りのある後半部」という二部構造の対比を生み出している。すなわち明確には示されませんが、大きな枠組みとしては、ギタリストとしてのコンセプチュアルな試みが読み解けるのです。
実際、ガット弦の使用はリズムギターの性質を一際強調している。瞑想的で内省的な雰囲気のあるアルバムの前半部とは対象的に、ギターのアグレッシヴな側面、そして軽やかで快活なイメージを象徴づけている。「コントラスト」というのは西洋美学の基本で、対象的な性質から別の概念が生まれることを示す。二つの特性をシンプルに活用しているのが本作の醍醐味です。
日本語の「香辛料」を意味する「Shoga」は、スパニッシュ風のフラメンコギターを彷彿とさせる。メセニーは情熱的な雰囲気とアグレッシヴな気風を演奏に織り交ぜている。他にも南欧のジプシー音楽の影響を活かして、流浪のギタリストとしての雰囲気を演出する。これらは、既存の概念や常識にとらわれないギタリストとしての自由闊達な気風が開放的な感覚をもたらす。
「My Love and I」を聴くと、ギターは使用する弦の種類によって、その音の持つ雰囲気やムードがまったく変化することが分かる。この曲は、前半部のいくつかの収録曲と同じように、バラード、ララバイ風の憂いのあるジャズ・ギターですが、序盤よりも重厚で迫力に満ちています。とりわけ、低音部や高音部よりダイナミックな響きを持ち合わせている。そして、パット・メセニーは、やはり卓越したギターの演奏によって、聞き手をうっとりとした感覚へと導く。
オーケストラとのコラボレーションなどにも取り組んできたメセニーは、ギターだけで驚くほど多彩な世界観を構築できることを示唆する。
「Angel Eyes」は低音の通奏低音を活かし、クラシックギターの演奏の表現性を押し広げている。ラルフ・ターナー(Ralph Towner)のようにミュージックセリエルの無調をスケールに取り入れていますが、調性がない箇所でも、聞きづらさがないのに驚きを覚えます。
楽器とそのプレイヤーは、どこかで関連していることを考え合わせると、聞きやすさがあるのは、メセニーが快活な人物だからなのでしょう。曲のモチーフとなる無調と対比的に導入されるモダンジャズやフラメンコに触発されたスケールを繋ぎ合わせ、抒情性に満ち溢れた曲に昇華している。ミステリアスさとハートウォーミングな感覚を織り交ぜて、このギタリストにしか生み出せない唯一無二の音楽の世界を構築していく。ギターによってストーリーテリングをするような物凄さや卓越性は、演奏者として一つの頂点に達した瞬間といえるかもしれません。
アルバムは、クールな雰囲気を持って、一連の音楽の世界の幕を閉じる。オープニングと対を成す「MoonDial- Epilogue」は、一つのサイクルの終わりを意味しますが、同時に、次のステップの始まりでもある。どのような曲なのか、実際にアルバムを聴いてみて確かめていただきたい。
古今東西、ジャンルを問わず、音楽に静かに耳を澄ましていると、最後の音符が途絶えた後も何らかの余韻が漂い、未知なる道に続くような気分にさせる作品が存在する。パット・メセニーの最新作『MoonDial』もそういった不思議な魅力に溢れるアルバムに位置づけられるでしょう。
95/100
「MoonDial」- Best Track