Review:  Sachi Kobayashi - 『Lamentations』 共感覚としてのアンビエント

Sachi Kobayashi - 『Lamentations』 

 


 

Label: Phantom Limb

Release: 2024年6月28日

 

Review

 

埼玉県出身のサチ・コバヤシによるアルバム「Lamentations」は、UK/ブライトンのレーベル、Phantom Limbからの発売。


すでにBBC(Radio 6)でオンエアされたという話。ローレル・ヘイロー、ティム・ヘッカー、バシンスキーの系譜にあるサンプリングを特徴としたエレクトロニックで、アシッドハウス、ボーカルアートを織り交ぜたアンビエント、モダンクラシカルと多角的な視点から制作されている。

 

「Lamentationsは、身をもって体験した心の痛みという現代的な物語を織り交ぜている。現在の戦争に対する私の悲しみと嘆きから生まれた」と小林はプレスリリースを通じて説明しています。「一日でも早く、人々が平和で安全に暮らせるようになってほしい」


制作の過程については「最初の素材集を作った後、カセットテープを使って自作曲を編集し、ループさせ、歪ませ、時間調整し、それらのバージョンをスタジオで再加工することで、テープ録音特有のアナログ的な残像や予測不可能な音のトーンの変化を取り入れた新しい作品を生み出した」と説明します。

 

本来、小林さんは、Abletonを中心に制作する場合が多いとのことですが、今回のアルバムの制作ではテープデッキを使用したのだそうです。


『Lamentations』は、ボーカルのサンプリングを用い、クワイアのような現代音楽の影響を反映させた実験音楽、ティム・ヘッカーやローレル・ヘイローのような抽象的なアンビエントまで広汎です。


カセットテープを使用した制作法についてはニューヨークのプロデューサー、ウィリアム・バシンスキーの『The Disintegration Loops』を思い浮かばせるが、曲の長さは、かなり簡潔である。


制作のミックスに関しては、マンチェスター周辺のアンダーグラウンドのエレクトロニック、強いて言えば、”Modern Love”、もしくは"Hyper Dub"のレーベルの方向性に近い。その中には、ベースメントのダブステップやベースライン、トリップ・ホップのニュアンスが含まれています。


これが、対象的なクワイア(賛美歌)の音楽的な感覚の再構成、それらにアシッドハウスの要素を加味した、きわめて前衛的なエレクトロニックの手法が加わると、気鋭の前衛音楽が作り出されます。アンビエントは基本的にノンリズムが中心となっていますが、少なくとも、このアルバムにはAutechreのように”リズムがないのにリズムを感じる”という矛盾性が含まれています。


オープニング「Crack」は、アシッド・ハウスやミニマル・テクノを一つの枠組みとしてモジュラーシンセの演奏を織り交ぜている。


解釈の仕方によっては、ベースを中心にそれとは対比的にマニュピレートされた断片的なマテリアルが重層的に重なり合う。現代の中東の戦争を象徴づけるように、それは何らかの軋轢のメタファーとなり、異なる音の要素が衝突する。


たとえば、ゴツゴツとした岩石のような強いイメージのあるシンセの音色で、遠くて近い戦争の足跡をサウンド・デザインという観点から綿密に構築してゆく。


重苦しいような感覚と、それとは異なる先鋭的な音のマテリアルの配置がここしかないという場所に敷き詰められ、まるでパレスチナのガザのいち風景の瓦礫の山のように積み重なっていく。この曲にはエレクトロニックとしてのリアリズムが反映されている。


「Unforgettable」は一転して、自然のなかに満ち溢れる大気の清涼感をかたどったようなアシッド・テクノ。イントロのシークエンスから始まり、一つの音の広がりをモチーフとしてトーンの変容や変遷によって音の流れのようなものを作り上げる。その後、アルペジエーターを配置し、抽象的なノンリズムの中にビートやグルーヴを付加する。アルペジエーターの導入により、反復的な構成の中に落ち着きと静けさ、そして癒やされるような精妙な感覚を織り交ぜる。しかし、アウトロはトーンシフトを駆使し、サイケデリックな質感を持つ次曲の暗示する。

 

続く「Aftermath」は、断片的な音楽のマテリアルですが、現在の実験音楽の最高峰に位置しており、ローレル・ヘイローやヘッカーの作品にも引けを取らない素晴らしい一曲。他のアーティストの影響下にあるとしても、日本人のエレクトロニック・プロデューサーから、こういう曲が出てきたということが本当に感激です。


オーケストラ・ストリングや金管楽器の要素をアブストラクトなドローンとして解釈し、アシッド・ハウスの観点からそれらを解釈しています。シュトックハウゼンのトーン・クラスターや、ローレル・ヘイローのミュージック・コンクレートの解釈は、サチ・コバヤシのサイケデリックやアシッドという文脈において次の段階へと進められたと言える。


アルバムの後半では、サチ・コバヤシのボーカルアートとしての性質が強まる瞬間を見出せる。特に、クワイア(賛美歌)をアンビエント/ドローンから解釈した「Lament」はクラシック音楽を抽象性のあるアンビエント/ドローンとして再解釈した一曲で、前曲と同じように、ここにも制作者の美学やセンスが反映されている。


緊張感のあるアルバムの序盤の収録曲とは異なり、メディエーションの範疇にある癒やしのアンビエントのひとときを楽しむことができるはずです。また、サンプリングを交えたストーリー性のある試みも次の曲「Memory」に見いだせる。


ガザの子供の生活をかたどったような声のサンプリングが遠ざかり、その後、ロスシルや畠山地平の系譜にあるオーガニックで安らげるシンプルなアンビエント/ドローンが続いています。これらの無邪気さの背後にある余白、その後に続く、楽園的な響きを持つアンビエントの対比が何を意味するのか? それは聞き手の数だけ答えが用意されていると言えるでしょう。

 

終盤では、クラシック音楽をドローンとして解釈した「Pictures」が再登場する。この曲は、グスタフ・マーラーの「Adagietto」のオーストリアの新古典派の管弦楽の響きを構図とし、イギリスのコントラバス奏者、ギャヴィン・ブライヤーズの傑作「The Sinking Of Titanic」の再構築のメチエを断片的に交えるという点ではやはり、Laurel Haloの『Atlas』の系譜に位置づけられる。


ドローン音楽による古典派に対する憧れは、方法論の継承という側面を現代的な音楽としてフィーチャーしたものに過ぎません。けれども、チャイコフスキーのような大人数の編成のオーケストラ楽団を録音現場に招かずとも、サウンド・プロダクションの中で管弦楽法による音響性を再現することは不可能ではなくなっています。そういった交響曲の重厚な美しさをシンプルに捉えられるという点で、こういった曲には電子音楽の未来が内包されているように思える。

 

 

アルバムの最後の曲は、デジタルの音の質感を強調したサウンドでありながら、ブライアン・イーノのアンビエントの作風の原点に立ち返っている。


抽象性を押し出した''ポストモダニズムとしての電子音楽''という点は同様ですが、ぼんやりした印象を持つシークエンスの彼方に神秘的な音のウェイブが浮かび上がる瞬間に微かな閃きを感じとれる。


それは夏の終わりに、暗闇の向こうに浮かび上がるホタルの群れを見るかのような感覚。こういった音楽は、完成度や影響されたものは度外視するとしても、アンビエントミュージックやエレクトロニックが方法論のために存在する音楽ではないことを思い出させてくれる。音の印象から何を感じ取るのか? 


もちろん聞く人によって意見が異なり、それぞれ違う感覚を抱くはずです。そして、どれほど完成度の高い音楽であろうとも、人間的な感覚が欠落した音楽を聴きすぎるのはおすすめしません。

 

これは、「Autobahn」の時代のクラフトワークの共同制作者であり、アメリカのAI開発の第一人者でもある、ドイツ人芸術家のエミール・シュルト氏も以前同じような趣旨のことを語っていた。彼はまた音楽に接したとき感じられる「共感覚」のような考えを最重要視すべきと述べていた。そういう側面では、シュルトが話していたように、音楽は今後も数ある芸術の中でも”感情性が重視される媒体”であることは変わりなく、今後の人類の行方を占うものなのです。



 

 

 

92/100