Shugo Tokumaru(トクマルシューゴ) - 『Song Symbiosis』
Release: 2024年7月17日
Review
トクマル・シューゴの8年ぶりのニューアルバム『Song Symbiosis』は、今後開催される演奏イベントとトークショーでその全貌が明らかとなるということなので、詳細な楽曲の説明については御本人の解説を参考にしていただきたいと思います。
ということで、今回のレビューでは、全曲紹介は遠慮しておき、全18曲の大まかな概要と併せて注目曲をピックアップし、レビューをするに留めておきます。しかし、近年の日本のポップスとしての作風を踏襲しながらも、『L.S.T』の時代への原点回帰を図ったような作風であり、トクマルシューゴの代表作の一つに挙げられるに違いない。このアルバムでは、トクマルシューゴの代名詞であるアコースティックギター、バンジョー、トイピアノ、民族音楽の風変わりなパーカッションなど、お馴染みの多数の楽器を用い、バラエティに富んだ作品になっています。
以前から海外の珍しい楽器の収集に余念がなかったトクマルさんではありますが、単なる物珍しさでの楽器使用から、楽器の音響や音楽的な役割を活かした楽曲が際立つ。それが、この10年ほど、明和電機等のコラボレーション楽曲の制作を通して培ってきた日本のポピュラーミュージックとしてのソングライティングの構成の中にガッチリ組み込まれた作品となっています。
つい数年前、トクマルシューゴさんは日本のポップスについて松本隆氏の発言を引き合いに出して説明していました。
はっぴいえんどの松本隆氏の発言は、「人類の歴史的観点から考えると、まず思いがあり、思いに継ぐ言葉があり、それをメロディーに乗せてきた。そうやってポップスが生まれる歴史に繋がってきた」というもの。そして、松本さんは現代の日本の音楽に関して、次のように憂慮しているようです。
「日本は外国の真似をして、サウンド重視。かっこいいサウンドを真似して、それに合うメロディーをつけ、それから詩をつけるという逆の手順を踏んでいる。だから、日本の独自のものにならない」という。
私自身も身に覚えがあるため、耳の痛い話なのですが、トクマルさんはこの発言に関して次のように付け加えていました。「言葉に人の思いが乗っていないように感じるポップスの核心をついていると思う」
ただし、この発言は、トクマルさんが指摘するように、松本隆氏の言いたいことのすべてを表しているとは考えづらい。印象づけのための発言の切り抜きとも取れなくもないという。少なくとも前後の文脈を見ずに、結論付けるのは穏当とは言いがたい。そして、これが単なる批判的な意見かといえば、必ずしもそうではないように思われる。
トクマルシューゴさんも指摘するように、上記の発言には、「議論の余地が残されていて、そして、未来の日本の音楽に向けた建設的なメッセージになっている」というのです。
例えば、松本隆が在籍した''はっぴいえんど''ですら、必ずしも日本の音楽だけで成立していたものとはかぎらず、戦後、米国から輸入された洋楽文化の影響を受けつつも、その枠組みの中で日本独自の音楽的な表現や歌詞、音調といった表現性を探ってきました。そのため、いかなる地域の音楽であろうとも、その国の文化のみで成立するとは考えづらく、 完全な独自の音楽という概念が存在しえない。補足すると、単なる模倣のサウンドについて両者は指摘しているのが伺える。少なくとも、「日本語という言語が、どんなふうに音楽の中で響くのか?」 その答えらしきものを、両者ともに音楽活動を通じて探求してきたというイメージがある。そのため海外でも評価が高い。両者共に単なる海外音楽のイミテーションでは終わることがないのです。
かつて、トクマルシューゴは歌詞を書くときに、「時代や流行に左右される言葉を使用することを避けてきた」と語っていました。それは、いついかなる時代でも普遍的に受け入れられる言語性を組み込もうとしていることの証でもあり、それはこの8年ぶりの新作アルバムでも受け継がれています。
同じくTonofonに所属するフォークグループ”王舟”にも近い雰囲気を持つ牧歌的なフォークミュージック、民族音楽のリズム、そして従来から追求してきたトイトロニカの本来楽器としては使用されないマテリアルを活かし、音楽や作曲そのものに、これまで発見されてこなかった新鮮味とユニークな興趣をもたらす。そして、どの年代にも親しめ、また、いかなる場面でも楽しめるという音楽性に関しては、もはやこのアーティストの代名詞的なサウンドとも呼べる。そして、日本の民謡のような伝統的な音楽から、金管楽器のアレンジを用いた多幸的な雰囲気を擁するアンセミックなフレーズ、そして活動最初期からの特性であるインドやチベットの民族音楽に触発されたような瞑想的な響きを持つボーカルのフレーズ、それから音階進行に至るまで、従来培われてきた音楽的な蓄積を、アルバムの前半部において惜しみなく披露しています。
「Tolope」では、最初期のようなサイケデリック性は削ぎ落とされていますが、時を経て、それが簡潔なポップネスのストラクチャーの中に組み込まれたことが分かる。その一方、続く「Counting Dog」ではミニマルミュージックの要素を押し出し、それらに牧歌的なオルトフォークの要素を付け加え、そして時々、Bon IverやWilcoのサウンドに見いだせるようなコラージュのサウンドを取り入れている。また、Sigur Rosの名曲「Gobbledigook」からの影響も含まれている。
デビュー当初から、DIYやハンドクラフトの音楽にこだわってきたイメージもあるトクマルシューゴは、本作の序盤において、より編集的なサウンドのイメージを浮き立たせているように感じられる。そして一貫して、これまでと同様、キャッチーでポピュラーな音楽という要素が重要視されている。
そのことは、トイピアノの演奏を取り入れた「Hitofuki Sote」にも窺える。そして歌詞にもトクマルシューゴらしい特徴があり、文節として解釈したさいに、文脈をぼかすようなセンテンスを活用する。音楽的なニュアンスとして解釈した時、「音楽的な効果を及ぼす日本語」という、従来見過ごされてきたスペシャリティが明らかになる。彼はまた、この曲で、古典的な芸能に見出される「音調を持つ言語の特性」を蘇らせる。そして最終的には、洋楽の要素、民謡、他地域の民族音楽、普遍的な歌謡曲やポップスの要素を消化し、現代的なサウンドが構築される。これは音楽の探求者としてのアーティストの姿を浮かび上がらせるものとなっています。
「Abiyoyo」も民族音楽的な影響が反映されている。アフリカの儀式的な民族音楽の影響をうかがわせ、それらをヨーロッパの舞踏音楽のような形式と組み合わせ、ユニークな楽曲に昇華させている。こういった側面を見ると、海外の音楽の良さを取り入れながらも、日本的な詩情や表現性の理想的な側面を探求しようとしているのかもしれません。また、Gellersのドキュメンタリーフィルムを見ると、以前からビンテージピアノの音色の面白さに惹かれてきた印象もあるトクマルさんですが、それらの新しさとは対極にある古典的な音楽の影響が含まれているようです。
例えば、「Kotonohane」では、チューニングのずれたビンテージな雰囲気を持つピアノに、優しげで穏やかなボーカルのフレーズが加わる。
これはビートルズのような60年代のバロックポップを踏襲しているものと思われますが、「ことのはね/およぐなら」というフレーズを用い、童謡のようなノスタルジア溢れる音楽的な世界を作り出している。メインボーカルのバックグラウンドとなる、彼自身のコーラスワークも夢想的な雰囲気を作り出し、さらにアーティストの代名詞である温和な空気感を生み出している。これらの曲は、松本隆さんのご意見に賛同していたトクマルさんではありますが、現行の米国のクラシカルな音楽を探す、という現代的なテーマと連動した内容となっていることが分かる。
アルバムの序盤では、ポピュラーミュージックの中での音楽のバリエーションに焦点が置かれていますが、中盤ではフィールドレコーディングや民族音楽のテイストを押し出した楽曲が多い印象です。知る限りでは、最近の作品の中ではワールドミュージックの影響が色濃く反映された楽曲が収録されています。
「Resham Firiri」では、中近東やバリのような、世界的にあまり知られていない音楽を探索している。もちろん、これはバリ島の祭りや儀式的な文化など、日頃あまり知られていない音楽の魅力を堪能できるはずです。
本作のタイトル曲の代わりとなる「Bird Symbiosis」では、フィールドレコーディングを取り入れ、実験音楽に果敢に挑戦しています。
しかし、作曲については、それほどシリアスにならず、シンプルでユニーク、そして遊び心のある実験音楽の範囲にとどめられる。マリンバやシロフォンのような楽器の導入はオーケストラの影響も伺わせる。これらの作風が今後、どのような変遷を辿っていくのかを楽しみしていきたいところです。
アルバムの後半に差し掛かると、さらにユニークな音楽的な試みが登場します。「Atte Katte Nuwa」は、ビバップと民族音楽を掛け合わせ、レコードで素早く回転させたような一曲。この曲には、エキゾチズムとトロピカルの音楽的な背景にスポークンワードという現代的な音楽の要素が浮かび上がってくる。その他にも、70年代のコーラス・グループやドゥワップの影響を交え、それらをヒップホップのブレイクビーツのように組み合わせ、前衛的な試みが行われる。
その後、民族音楽の影響を活かした曲が続く。バンブーフルートを使用した「Bamboo Resonace」はドローンに挑戦し、タイトルの通り、レゾナンスの共振の変容とトーンの変容を活かし、モダンクラシカルやアヴァンギャルドの作風に繋げている。間奏曲のような意味を持つトラックのあと、「Mazume」では、最初期の『L.S.T』の時代の作風へと回帰しています。ギター・ソロやアメリカーナのスティール・ギターを導入したりというように、幾つか新しい試みを発見できる。変拍子のリズムを取り入れて、かなり複雑な曲の構造を作り上げていますが、ボーカルのメロディーのキャッチーさ、音楽の持つ親しみやすさという側面は変わらず。この曲にも、現代の洋楽、特に米国のオルトフォークと連動した音楽性を垣間見ることができる。
もし、『Song Symbiosis』の全体的なモチーフや何らかの一貫するテーマのようなものを挙げるとするなら、それは「音楽による世界旅行」と呼べるかもしれません。数知れない音楽の影響がある中、続く「Chanda Mama Door Me」では、インドのタブラやシタールの演奏を取り入れ、ベンガルの要素をポピュラー音楽に取り入れています。これらの飽くなき音楽に対する探究心は、ほとんど圧巻ともいうべき音楽的な知識や蓄積によってまとめ上げられている。そして最終的には、ベンガルの「バウル」のような大道芸人が道を流すときに奏でる音楽に直結する。そうかと思えば、「Oh Salvage!」では、ミュージカルのような音楽をベースにし、日本のポップスの形に昇華させる。音楽の持つエンターテイメントの要素はこの曲でハイライトを迎えます。
アルバムの終盤では、最近の音楽的な蓄積を踏まえつつ、最初期への回帰というテーマも発見できる。「Hora」は、バンジョーの演奏を取り入れたアーティストらしさのあるアイルランドフォークで、やはり牧歌的な雰囲気と開放感のある音楽性に縁取られている。続く「Autumn Bells」では、フィールドレコーディングを取り入れ、忘れ去られた夏の思い出のような情景を蘇らせる。
トクマルシューゴの音楽は、サイケロックバンド、Gellers(ゲラーズ)の活動もあってか、マニアックでサイケデリックになることもありますが、優しげなイメージを持ち、どこか情景的なシーンを脳裏に呼び覚ます。
日本の音楽は、歴史やその成り立ちから見ても、必ずしも論理や思想と密接な関係を持つとはかぎらない。それは、能や田楽といった伝統音楽の始まりが、人間の情感から引き出されるものだからです。
そして、もしかりに、情感を元に制作されるものが日本的な音楽であるとするなら、これほど理想的な音楽は存在しません。少なくとも、トクマルさんは以前からそれらを何らかの形式にしようと探求してきましたし、一般的に楽しめる作品として磨き上げてきました。それはニューヨークのインディペンデント・レコードから出発した『Night Piece』の時代から不変のようです。
トクマルシューゴはこれまで、シンガーソングライターとして私生活を伺わせる歌詞を書くのを極力避けてきた印象もあるものの、本作のクローズ「Akogare」だけは、その例外となるでしょうか。そして、距離を置いて聴くと、現代的な日本人の悩みの代弁であるとも解釈できる。しかしながら、そういった外的な要因に左右される現代的な気忙しい暮らしの中で、一般的なものとは少し異なるユニークな見方があること、別の視点が用意されていることを、この作品は示唆している。何らかの癒やしをもたらすようなアルバムであることは間違いなしでしょう。
本作の楽曲が今年のフジロックフェスティバルのセットリストに組み込まれるかどうか非常に楽しみです。
84/100
Best Track- 「Counting Dog」
トクマルシューゴの新作アルバム『Song Symbiosis』はTonofonから7月17日に発売されました。ストリーミングはこちら。Tonofonでのご購入はこちら。
収録曲:
01. Toloope
02. Counting Dog
03. Frogs & Toads
04. Hitofuki Sōte
05. Abiyoyo
06. Kotohanose
07. Sakiyo No Furiko
08. Resham Firiri
09. Bird Symbiosis
10. Canaria
11. Atte Katte Nuwa
12. Bamboo Resonance
13. Mazume
14. Chanda Mama Door Ke
15. Oh Salvage!
16. Hora
17. Autumn Bells
18. Akogare