Weekly Music Feature-Kassandra Jenkins ~Life and the music behind it~
冗談で言うのではなく、『My Light, My Destroyer』の世界は夜空そのもののように広がっている。聞けば聞くほど深さを増していく正真正銘のポピュラーアルバムがDead Oceansから登場する。
カサンドラ・ジェンキンスの3作目となるフルアルバムは、ギター主体のインディー・ロック、ニューエイジ、ソフィスティポップ(AOR)、ジャズなど、これまで以上に幅広いサウンドパレットを駆使し、新たな境地に到達することを約束する。その中心にあるのは、彼女の宇宙を構成するクオークやクェーサーに対するジェンキンスの好奇心であり、彼女はフィールド・レコーディングと、とらえどころのない、ユーモラスで、破滅的で、告白的な詩的リリシズムを融合させている。
ジェンキンスは『My Light, My Destroyer』を、ここまでの道のりに困難がなかったわけではないという単純な真実を裏切る、安易な自信で満たしている。2021年にブレイクした『An Overview on Phenomenal Nature』を "意図した白鳥の歌 "と呼ぶ彼女は、ツアーや自身の音楽をリリースすることになれば、それをやめる覚悟はできていたと説明する。
「その時私は、自分が知っていること、つまり迷いを感じていることにチャンネルを合わせていた」とジェンキンスは振り返る。
「そのレコードが発売され、私が書いたものに人々が反応し始めたとき、辞めようと思っていた私の計画は、予想外の、心温まる、寛大な方法で頓挫した。準備ができていようといまいと、私は元気を取り戻した」
『An Overview』の2年間のツアーを終えてすぐに、ジェンキンスは次の作品のレコーディングに取りかかった。
「私は燃え尽きて枯渇しているところから来ていて、セッションの後の数ヶ月は、作ったばかりのレコードが好きではないことを受け入れるのに苦労した。だからやり直すことにした」と彼女は告白している。
彼女の最も親しい音楽仲間たちが再び集まり、プロデューサー、エンジニア、ミキサーのアンドリュー・ラッピン(L'Rain、Slauson Malone 1)がボードの後ろにいたため、ジェンキンズは以前のセッションを脇に置き、その灰から『My Light, My Destroyer』を作り始めた」
「初日にコントロール・ルームで聴き返したとき、レコード棚のスペースが開き始めたのがわかった。その火花がアルバムの残りの部分の青写真になり、その完成は新たな勢いに後押しされた」
『My Light, My Destroyer』が1年かけて制作されたとしても、この13曲の中にはジェンキンスのノートブックの中で何年も潜伏していたものもある。例えば、「Delphinium Blue」の洞窟のようなニューエイジ・ポップの種は、2018年までさかのぼる。
トム・ペティの欺瞞的なまでに爽やかなフォーク・ロックの古典主義、アニー・レノックスやニール・ヤングのようなソングライターの作品、彼女の "高校時代のCD財布"(レディオヘッドのザ・ベンズ、ブリーダーズ、PJハーヴェイ、ペイヴメント)、デヴィッド・ボウイの最後のジェスチャー『ブラック・スター』、そしてアン・カーソン、マギー・ネルソン、レベッカ・ソルニットのような作家、そして故デヴィッド・バーマンの常に存在する作品から影響を受けた歌詞など。
しかし、何よりも、そしてこれまでと同様に、ジェンキンスは彼女の周りの世界のおしゃべりの刺激からインスピレーションを得ている。
「世の中に出て、いろいろなことが混ざり合っているときが、一番エネルギーが湧いてくるの」と彼女は言う。
「ニューヨークに帰ってきて、親しい友人やコミュニティと一緒に地下鉄に乗ったり、ライブに行ったりしていると、人がたくさんいる部屋に流れる電気を感じたくなる。ニューヨークは果てしなく刺激的で、私はとても感受性が豊かなんだ」
フィールド・レコーディング、ファウンド・サウンド、そして電車の音や客室乗務員の声などの付帯音を巧みに織り交ぜ、彼女は聴く者を引き込む。フィクションよりも奇妙な瞬間に注目させる。
この没入感に彼女と一緒に貢献したのは、モダン・インディー・ロックの枠を超えた友人達である。『My Light, My Destroyer』は、前作のような孤独な作品というよりは、グループとしての作品である。
PalehoundのEl Kempner、HandHabitsのMeg Duffy、Isaac Eiger(元Strange Ranger)、Katie Von Schleicher、Zoë Brecher(Hushpuppy)、Daniel McDowell(Amen Dunes)、プロデューサー兼楽器奏者のJoshKaufman(JenkinsのAn Overview)、また、ジェンキンスの友人である映画監督/俳優/ジャーナリストのヘイリー・ベントン・ゲイツは、ジェンキンスが『An Overview』の「Hailey」に続くタイトルを思いつかなかったとき、半ば冗談でアルバムの瞑想的なコーダ「Hailey」のタイトルを提案した。
タイトルである「光」と「破壊」という概念は、一見、観念的に相反するもののように思えるかもしれないが、『マイ・ライト、マイ・デストロイヤー』は、まさに循環する二元性のテーマに取り憑かれている。
時間的には、このレコードは夜明けに始まり夜明けに終わる。「Petco」では、ジェンキンスの "大家ピンク "の壁が陥没しそうになる中、彼女は窓越しに "不潔で真実の愛に包まれた2羽の鳩 "を見つめる。
「Aurora, IL」は、鏡のような視点という点で、より遠くにズームアウトしている。この曲は、ジェンキンスが空を見上げるところから始まり、"快楽旅行中の宇宙最年長の男 "と入れ替わる。ウィリアム・シャトナー(カーク船長)自身を指している。
ホテルの部屋に置き去りにされたジェンキンスは、「私は空回りしていて、あのキャラクターを利用することで、地上に戻ってくるために、彼が持っているもの、つまり『オーバービュー効果』を少し摂取することができた」と説明する。
しかし、このようなワイドスクリーンの驚異の中にあっても、苦難という地上の懸念は残っている。伝説のポップ・グループ、ブルー・ナイルのシティ・ストリートのテクスチャーを彷彿とさせるみずみずしい「Only One」では、ジェンキンスがシジフォス自身、あるいは少なくとも、永遠に重荷を背負わされる神話の人物の棒人間の絵と対面している。
「グラウンドホッグ・デイ(聖濁節)のようなもので、何度も同じ状況に置かれ、そのループから抜け出す方法がわからない」
「マッサージ店の窓ガラスの向こうで」(ジェンキンスがヒーリングの方法を調べることに興味を持っていることへのウィンク)シジフォスと路上で出会った彼女は、神話上の人物にこう尋ねる。
この歌詞についてジェンキンスは、これは「失恋と、失恋の世界観-自分以外のものを見ることができないこと、永続性の幻想に浸る必要性-をからかう」方法だと説明している。
この歌は彼女自身の問いかけに答えることはないが、ジェンキンズはこう続ける。「窓に掲げられたあの看板を見たずっと後、シジフォスは、たとえ燃えているときでも、私たちにはいつも周りの世界に美しさを見る選択肢があることを思い出させてくれました」
『My Light, My Destroyer』- Dead Oceans
このサイトを始める前に、個人的に注目していたのが、オーストラリアのHiatus Kaiyoteと、ニューヨークのKassandra Jenkinsだった。こういった音楽メディアを開始するときによくあることとして、どういうふうに紹介すれば良いのか考えあぐねていた。適当な紹介をするくらいなら何もしないほうがましなのではないかというように。
結局、ほとんど連続して上記のリリースが続いたのは何かしら驚異と感慨深さすら感じられる。先行シングルは、それほど派手な印象ではなかったものの、Dead Oceansに移籍して第一作となるカサンドラ・ジェンキンスのアルバムは正真正銘の録音作品で、単なる曲の寄せ集めではない。これらの13曲はアーカイブでもなければ、ディスコグラフィーでもなく、はたまたアンソロジーでもない。
ジェンキンスは、制作期間は一年であるとしても、アルバムをおよそ6年の月日を掛けて完成させたのだったが、結局のところ、手間暇掛けて制作された作品というのは、何らかの形で心に響いてくるし、即時性という一般的な言葉では言い表すことの出来ない音楽の醍醐味が内在する。これは何によるものなのか? それは制作の背景に流れる時間の濃密さにあるのかも知れない。
例えば、リョサ、マルケスと並んで、南米で最重要視される文学者、短編小説の名手でもあるフリオ・コルタサルは、ある著作の中で、架空のジャズプレイヤーを題材に選び、「音楽の中に異なる時間が流れているのではないか」と暗に指摘したことがあった。これは、シュールレアリズムの観点からリアリズムを鋭く抉った文学であり、つまり、コルタサルは「音楽の演奏家や制作の背後に表現者の人生が反映されているのでは」というジャーナリスティックな指摘を文学で行った。これをプルーストやジョイス的な効果を交えて、コルタサルは描いたのだった。
カサンドラ・ジェンキンスの新作アルバムも同じく、濃密なポピュラーミュージックの世界が広がり、プルースト的な効果が付与されている。
ジェンキンスは、このアルバムにおいてニューヨークを起点に「音楽」という得難い概念を探訪しているが、Farter John Misty(ジョシュア・ティルマン)の最新作と同じように、米国の歴史の根幹を形成する一世紀の音楽が通底している。ブロードウェイのミュージカル、ジャズ、カーペンターズのような古典的なバロックポップ、ヤングのフォーク、ノーザンソウルを中心とするR&B、さらには、ニューヨークのベースメントのプロトパンクを形成するThe Velvet Underground、ルー・リードの音楽、80年代のソフィスティ・ポップ、現代のスポークンワード、アンビエントをベースとするニューエイジ、ローファイまでを隈なくポップネスに取り込む。
ジェンキンスは、音楽のフィールドを気楽な感じでぶらりと歩きはじめたかと思うと、それらの流れを横目で見やるように、ハートウォーミングな歌をやさしげに、さらりとうたいあげる。それらの背景となるおよそ一世紀に及ぶ音楽を出発点とし、現代のモダンポップへと近づいたり、あるいは、遠ざかったりする。音楽的な遠慮はほとんどない。そこにはポップシンガーではありながら、90年代や00年代のオルタナティヴ・ロックに対する親和性も示唆される。
「Devotion」- Best Track
『My Light, My Destroyer』が何より素晴らしいのは、ミュージシャンの人生の流れが色濃く反映されていること。次いで、平均的な録音の水準を難なくクリアしているのみならず、良質なポップ、ロックを惜しみなくリスナーに提供していることである。もちろん、ジャンルを防御壁にすることなく、普遍的なメロディーを探求し、琴線に触れる音楽を把握し、プロフェッショナルなレコーディングとして完成させていることである。さらに、長所を挙げると、アルバムの13曲を聞き終えた時、また、もう一度聞き直したいという欲求を抱くかもしれない。音楽に対する欲求……、それはアルバムの持つ独自の世界に再び触れてみたいという思いでもある。
ジェンキンスは、ブロードウェイの通りを歩き出すように、フォークギターを背景に、カレン・カーペンターズの歌唱法を彷彿とさせる「1- Devotion」を歌い始める。ニューヨークらしい音楽的な手法が織り交ぜられ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの最初のアルバムのオープナー「Sunday Morning」で使用されたグロッケンシュピールのようなアレンジを取り入れ、良質なポップソングをハワイアン風のギターが取り巻く。さらに楽園的な雰囲気は、芳醇なホーンセクションにより高められて、完璧な瞬間を迎える。ジェンキンスは日の出の美しさをさらりと歌いながら音楽による小さく大きな「夢」を作り上げていく。
歌手は、たとえ、その背後に人生のほろ苦さがあるとしても、そのことを受け入れる懐深さを持っている。どのような人生もそうであるように、良い側面だけではなく、悪い側面を受け入れる勇気をシンガーは持っている。だから、ジェンキンスの歌声は円熟した精神性を感じさせる。ようするに、表現すべきものであったり、聞き手の感情へ訴えかける何かを持ち合わせているのだ。
「2- Clams Casino」は、ルー・リードの”Walk On The Wild Side"、あるいは「Pretty Woman」の主題歌を彷彿とさせるナンバーで、ジェンキンスは、ポピュラーシンガーの背後にあるロックシンガーとしての表情を伺わせる。
オープニングと同様にボーカルの叙情的で淡麗なメロディーを披露し、インディーロック風の親しみやすいギターが絡み、クランチな印象を持つギターソロも取り入れられ、聴き応えのあるオルタナティヴロックに昇華される。90年代の米国のオルトロックの音楽性を踏まえた上で、それらを聞きやすく艶気のあるポピュラーソングに落とし込むという点では、シャロン・ヴァン・エッテン/エンジェル・オルセンの系譜にあるトラックと言える。背後のギターロックに合わせて歌われるジェンキンスのボーカルは、感情的なゆらめきとウェイブの変化をもたらしている。
「3- Delphinium Blue」はソフィスティ・ポップ(AOR)の系譜にあるナンバーで、TOTO、Don Henleyの影響を元にし、それを現代的なエクスペリメンタル・ポップの形に組み替えている。ただ、実験的なポップとは言えども、構成は至ってシンプル、無駄な脚色が削ぎ落とされている。背景にはニューエイジ風のコーラスやシタールを彷彿とさせるシンセを取り入れ、部分的にスポークンワードを取り入れ、現行のポピュラーシーンに新たな表現性をもたらそうとしている。
ボーカル/スポークンワードの融合というスタイルは、ニューヨークのMaggie Rogers、ないしはTorresが先んじていることとはいえ、''新しいポピュラーミュージックの到来''を予感させる。そして、これらの多角的な要素は、情報過多にもならず、一つの枠組みの中に収まっている。つまり、良質なポピュラーソングの要素をしっかり兼ね備えているのである。
アルバムには幾つかのインタリュードが設けられ、それが言葉の持つ表現をマイルドにしている。言葉があまりにも過剰になると、音楽が過激になりすぎたり、飽和状態に至る場合がある。そういう時に必要となるのが、インストゥルメンタルやインタリュード、もしくは主張性を排した控えめな言葉、沈黙の瞬間で、音楽の印象を抽象化したり、弱めたり和らげる効果がある。これはアルバムの音楽の世界に奥行きを与えたり、広げたい時にも役立つかもしれない。
「4- Shatners Theme」では、エンリオ・モリコーネ風の口笛(Molly Lewisを思わせる)と虫の声のサンプリングを取り入れ、映像的な効果を及ぼし、言葉のシリアスさから開放する力を込める。それが次のボーカルトラックに繋がり、ジェンキンスのボーカルが耳に飛び込んでくる瞬間、対象的に強固なイメージを及ぼす。その印象的な効果が最大限に強められたところで、「5-Aurora IL」が続いている。イリノイの空にかかるオーロラを題材に選び、空想的な物語を描くこの曲では、神秘的な感覚と夢想的な感覚が綯い交ぜとなり、美しく陶然としたメロディーを描き出す。さらに曲の後半でギターソロが入ると、インディーロック風の言い知れない熱狂性を帯びてくる。これはおそらくキム・ディールのブリーダーズからの影響が色濃いのかもしれない。
続く「6- Betelgeuse」は、ブライアン・イーノとの共同制作で知られるハロルド・バッドのモダンクラシカルの影響を踏襲し、シネマティックな音楽効果で縁取っている。4曲目と同じように、ピアノのアルペジオ(分散和音)を中心に、スポークンワード、金管楽器のサンプリングを交え、ジャズ風の音楽に昇華させる。これらはアーティストのニューヨークの暮らしからもたらされる感覚だったり、日常的な会話からもたらされる空気感のようなものが反映されている。
日本語をタイトルに選んだ「7- Omakase(おまかせ)」では、モダンなインディーポップを楽しむことができる。しかし、マギー・ロジャースやトーレスのような現代的なニューヨークのポップスシンガーと同様に、ジャズ/クラシック風のアレンジを取り入れた涼やかなポピュラーソングの中で、ボーカルとスポークンワードを織り交ぜつつ、多彩なボーカル表現を探っている。現代のポピュラーシンガーは、歌だけではなく、スポークンワード(語り)を披露するのが主流となりつつある。いずれにせよ、この曲では前衛的な手法も取り入れられていて、聞きやすくて、良質なメロディーに焦点が絞られている。これはアルバムの全体に通底するテーマでもある。
わずか18秒のインタリュード「8- Music?」を挟んだ後、再び「9-Petco」でインディーロック/オルトロックのアプローチに回帰する。この曲は、Waxahatchee、Soccer Mommyのソングライティングを思わせるが、ジェンキンスは、それらを自らの独自のカラーで上手く染め上げている。取り立てて、上記のシンガーと大きく変わらないような曲のように思えるが、ときにオルタナティヴの巧みな旋律を描くギターや、夢想的なジェンキンスのボーカルが最初期のSnail Mailのようなローファイな感覚のある絶妙なインディーロックソングのハイライトを作り出す。つまり、論理的には言い表しづらいが、良い感じのウェイブを作り上げている。日常のありふれた感情を捉え、バンガー風のロックソングに仕上げたのは、バックバンドの貢献や彼女が親交を持つミュージシャンとの交流やアドヴァイス、そして会話からもたらされたものなのかもしれない。少なくとも、今年の米国のオルトロックソングの中では傑出した印象を受ける。
「Petco」- Best Track
アルバムのいくつかの収録曲では、ニューヨークだけではなく、西海岸や中西部の文化を反映させた音楽をアルバムの中で体現させているが、ジェンキンスはアメリカの人物であるにとどまらず、コスモポリタニズムを反映させ、音楽による旅程の範囲をヨーロッパまで広げることがある。
「10- Attente Telephonique」ではフレンチ・ポップの影響を織り交ぜ、モダンなエクスペリメンタルポップへと昇華させている。音楽の映像的な効果という側面は、セルジュ・ゲンスブールとジェーン・バーキンが最初にもたらしたもの。映画文化が最も華やりし20世紀のパリの街角の気風を反映させた音響効果は、最も現代的でスタイリッシュなポップスという形に繋がっている。
従来、ケイト・ル・ボンの系譜に位置づけられる実験的なポップスを制作し、その内奥を探求してきたジェンキンスであるが、一度複雑化したものを徹底的に簡素化する過程を、おそらくアルバムの制作で経ているに違いない。「Attente Telephonique」では、一度大掛かりになりすぎたものを小さくしたり縮小するというプロセスが反映されている。
しかし、興味深いことに、簡素化というのは、複雑化した後でなければ、到達しえない地点である。 すくなくとも、この曲では、フランス語のスポークンワードのサンプリングを織り交ぜ、ヨーロッパのテイストを漂わせる。なぜかはわからないが、これらの実験的な試みは、意外に他のボーカル曲と上手い具合に合致しており、アルバムの流れを阻害しないのである。驚くべきことに、ジェンキンスは、ニューヨークにいたかと思えば、次の瞬間にはパリにいる。ありえないことであるが、そういったプルーストやジョイス的な移動を音楽により体現させている。
アーティストが”VOGUE”に憧れているかどうかはわからない。ジェンキンスはファッション誌の表紙を飾ることを期待しているのだろうか。しかしアルバムの最後を聴くと、さもありなんといった感じだ。アルバムの最後は、ファッショナブルな印象を与えるポピュラーソングが続いている。
「11- Tape and Tissue」は、ウッドベースの演奏を取り入れて、ジャズポップを現代的な形に置き換えている。古典的な音楽の手法を踏まえようとも、音楽そのものがなぜか古臭くならない。それはアーティストがニューヨークの現代的な暮らしに順応しているからなのかもしれない。
また、音楽的にも、エクスペリメンタルポップの要素が取り入れられているが、その後すぐに古典的なポピュラーミュージックに回帰する。柔軟性があり、枠組みやジャンルを決めず、曲の中で臨機応変にふさわしい歌い方や音楽を選んでいる。このことが開放的な印象を及ぼす。聞いていて、緊張した感じとか、差し迫ったものはほとんどなく、安らぎすら覚えるのはふしぎである。
たぶん、これも先に言ったように、良いことも悪いことも引っくるめて受け入れるような、物事や出来事に対して少し距離を置いているような感じを覚える。これが歌にも説得力を付与する。ジェンキンスは自分自身の最良の側面だけではなく、それとは対象的に、着崩したようなルーズな弱点を示す。それが聞き手に親近感を与え、音楽そのものにもリアリティを及ぼすのだろう。
アルバムの三曲目に登場したソフィスティ・ポップ(AOR)は、続く「12- Only One」にも再登場する。この曲は、アルバムの中では唯一、R&Bの影響がわずかに感じられ、清涼感があり聞きやすい2020年代らしいポピュラーソングに昇華されている。ダンサンブルな側面はもちろんのこと、ソフィスティ・ポップの次世代の象徴であるThe 1975、Japanese Houseの系譜にあるポップソングは、あまり音楽に詳しくないリスナーにもカタルシスをもたらす可能性が高い。
この曲において、カサンドラ・ジェンキンスは、ロンドンのレーベル、Dirty Hitの代名詞ともいえる清涼感のあるポップスの文脈を、アメリカに最初に持ち込んだと言える。しかし、この曲はやはり「複雑化を経た後の簡素化」というジェンキンスの独自の音楽的な解釈が付け加えられている。そして、それは最初からシンプルであったものよりも深みを持ち合わせているのである。
最後の曲「13- Hayley」では、オーケストラストリングのアコースティックの演奏を交え、気品に満ちあふれた感覚をもって終了する。チェロの奥行きのあるレガートを中心とする演奏は、 高い旋律を描きながら、クライマックスで精妙でクリアな感覚を作り上げる。チェロにバイオリン/ヴィオラの演奏が組み合わされて、美麗なハーモニクスを描き、アルバムはあっけなく終わる。
"後腐れなく、シンプルに"というジェンキンスの生き方が『My Light, My Destroyer』には力強く反映されている気がする。そして、それは、アーティスト自身の他者には持ち得ない独自の流儀--スタイル--を意味する。こういった恬淡なアルバムの終わり方は、すごく爽やかな印象を残す。
95/100
「Tape and Tissue」 - Best Track
*Kassandra Jenkins(カサンドラ・ジェンキンス)による新作アルバム『My Light, My Destroyer Destroyer』はDead Oceansから本日(7月12日)発売。
各種ストリーミングの視聴や商品のご購入はこちら。(国内ではTower Records、HMV、Disc Union、Ultra Shibuyaなど) 又は全国のレコードショップの実店舗にてよろしくお願い申し上げます。