【Weekly Music Feature】 Sinai Vessel 『I Sing』  ナッシュヴィルのシンガーソングライターが掲げる小さな聖火

Weekly Music Feature - Sinai Vesselシナイ・ヴェッセル)

Sinai Vessel



このアルバムは啓示的なオルタナティブロックの響きに満ちている。導きなのか、それとも単なる惑乱なのか。それはおそらくこのアルバムに触れることが出来た幸運なリスナーの判断に委ねられるだろう。


天が開いて、神の前腕が雲から飛び出し、あなたのアバターのボディーに「SONGWRITER」という謎の文字を叩きつけるとする。そのとき、この職についているあなたはなんというだろう?


今まさに、”曲を書くこと”が天職なのか、単なる呪縛なのかが問われている。湖から剣を引き抜き、勝利の凱歌を揚げるか? それとも、皮膚が腫れ物に這わされ、背後の農作物が炎上するのか? 


果たして、曲作りやソングライティングの習慣は、ガーデニングのようにやりがいのあるものなのか? それとも、ビールを2本飲むたび、タバコを1本吸うような、薄汚い習慣なのだろうか? 


曲作りは仕事なのか? 聖なる義務? それとも、世の中流階級以上の荒くれにとって、たまにやりがいを感じさせる趣味なのだろうか? もし私が、言葉とメロディーのハイヤー・パワーによって定められた運命を受け入れるとしたら、一体どうやって医療費を払えば良いのか?


ノースカロライナ州アッシュヴィルのケレイヴ・コーデスによるプロジェクト、シナイ・ヴェッセルの4枚目のアルバムは、教会の地下のサポートグループでの告解のようでもあり、未来の叙事詩のようでもある。その言葉が、Tシャツにデカデカとプリントされたり、特に神経質な介助犬のベストに警告としてプリントされたりするのを想像してみると、なんだか愉快でもある。


チーフ・ソングライターのケイレブ・コーデスは、このアルバムの最初のトラックで "どうでもいいこと "と、 "何らかの理由があって "起こることの両方を歌っている。シナイ・ヴェッセル・プロジェクトには、素晴らしく、見事な、そして滑稽なソングス(滑稽というのが一番難しい)が含まれている。仮にその事実がなければ、この葛藤や矛盾は実体化することはなかった。


しかし、ケレイヴ・コーデスは、Tom WaitsやM. Wardといった米国の象徴的なシンガーソングライターと同じように、連作を書くように運命によって定められているらしい。彼にとってソングライティングとは、書いているのではなく書かざるを得ないものなのだ。「Birthday」の親密で小説的な畏敬の念を考えてみよう。または、「Dollar」の微妙な経済パニックは、市場の暴落という恐怖の下、道路から逸れた車のあざやかな水彩画をエレガントに描きだそうと試みる。「馬は、いつも私の心の中で果実を踏みつける。私の考えでは、10年間どうしようもないものを食べ続け、何度もおかわりをする」というのは、これまで聞いた中で最高の冒頭のセリフのひとつだ。なんてこと、もしかしたら彼は本当にこの技術に召されているのかもしれない!!


しかし、これらの予言的でもある鋭い一節をどんなふうに捉えたらいいのだろう? 長年のコラボレーターであるベネット・リトルジョン(Hovvdy、Claire Rousay)が、芸術的で巧みな共同プロデュースを手がけ、Sinai Vesselをあらゆるプリズムのフレーバーで描き出した。


ウェルチ・スタイルのしなるようなアコースティックな小曲、デス・キャブ・フォー・キューティのベストアルバムのタッチ、解体されたボサノヴァ、ワッフル・ハウスのジュークボックスを思わせるナッシュヴィルのストンパー(ジョディのニック・レヴィーンによる超プロ・ペダル・スティールがフィーチャーされている)、そして、最も驚くべきは、デフトーンズに隣接し、囁くように歌うヘヴィネスが、迷子の鳥のようにあなたの部屋に飛び込んでくるはずだ。


各々のソングライティングのスタイルのチャレンジは、レッキング・クルーのリズム・セクションによって成し遂げられた。リトルジョンのド迫力のベースとアンドリュー・スティーヴンスのドラム(シナイ・ヴェッセルの『Ground Aswim』で見事な演奏を披露した後、ここでは再びドラムを叩いている)が、アルバムのスウィングを着地させ、コーデスのベッドルームでレコーディングされたヴォーカルの親しみを、自信に満ちた広がりのある世界に根付かせる。


シナイ・ヴェッセルは、アトランタの写真家トレント・ウェインと異例のコンビを組んでいる。彼の不気味なフラッシュを多用したアルバムのハイコントラストのアートワークは、彼らの相乗効果から生み出された。シュールな道化師の特権的視点をもたらし、曲の冷徹なリアリズムとぴたりと合致している。そしてコーデスは、後期資本主義の恐ろしい空模様を巧みに描写し、ウェインは、その予兆である広々とした空っぽの高速道路と空っぽの店舗を捉えてみせる。


あなたは、リプレイスメンツの 「Treatment Bound」という曲をご存知だろうか? この曲は彼らの最も酔狂なアルバムのひとつで、リスナーに対する最後の「ファック・ユー」とでも言うべき愉快な曲。コーデスがグレープフルーツ・スプーンでニッチを切り開こうとし、ストリーミングの印税や信託資金の権力に真実を語りかけるかのような、DIY生活者のブラックユーモアに溢れている。その代わり、コーデスは、苦笑いをしながら、それらのリアリズムに首を振り、自分が見ているものが信じられないというように、代わりに「ファック・ミー」と言う。


私たちと友人が一緒に、必死に考え抜かれたノイズを商業生産のプラスチックの箱の底に押し込めることがどれほど馬鹿げているのだろうか。そして、「夕飯を食べるために歌う」という、現代のアメリカの中産階級の失われつつある天職の中で、シナイ・ヴェッセルはあり得ない奇跡を成し遂げてみせる。- Ben Sereten (Keeled Scales)



Sinai Vessel 『I Sing』/ Keeled Scales   -ナッシュヴィルのシンガーソングライターが掲げる小さな聖火-

  

今年は、主要な都市圏から離れたレーベルから良いアルバムが発売されることがある。Sinai Vissel(シナイ・ヴェッセル)の4作目のアルバム『I Sing』はテキサスのKeeled Scalesから本日発売された。

 

何の変哲もないような出来事を歌ったアルバムで、それは日常的な感覚の吐露のようでもあり、また、それらを音楽という形にとどめているに過ぎないのかもしれない。少なくとも、『I Sing』は、家の外の小鳥がさえずるかのように、ナッシュビルのソングライターがギターやドラム、シンセ、ベースという基本的なバンド編成を元にして、淡々と歌い、曲集にまとめたに過ぎない。もちろん、メガヒットはおろか、スマッシュヒットも記録しないかもしれない。マニアックなオルトロックアルバムであることはたしかだ。

 

しかし、それでも、このアルバムには、男性シンガーソングライターとしての魅力が詰め込まれており、ニッチなオルトロックファンの心をくすぐるものがある。シナイ・ヴィッセルの曲には、M.Wardの系譜にある渋さや憂いが内在している。男性シンガーの責務とは、一般的な苦悩を自らの問題と定義付け、説得力のある形で歌うことである。それが彼の得意とするオルタナティブ・ロックの領域の中で繰り広げられる。メインストリームから適度に距離を置いた感覚。彼は、それらのスターシステムを遠巻きに眺めるかのように、淡々と良質なロックソングを演奏している。分けても素晴らしいのは、彼はロックシンガーではなく、一般的な市民と同じように歌を紡いでいる。そして、Keeled Scalesの素朴ではあるが、夢想的な空気感を漂わせる録音の方針に溶け込んでいる。アーバンなオルトロックではなく、対極にあるローカルなオルトロック......。もっといえば、80、90年代のカレッジ・ロックの直系に位置する。R.E.M、The Replacementsの正当な後継者を挙げるとするなら、このシナイ・ヴィッセルしか思い浮かばない。

 

米国的な善良さは、グローバリゼーションに絡め取られ、失われたものとなった。ローカルな感覚、幹線道路のネオン・サイン、もしくは、ハンバーガーショップやアイスクリームショップの幻影......。これらは、今や古びたものと見なされるかもしれないが、アメリカの文化の大きな醍醐味でもあったのである。2010年代以降、そのほとんどが目のくらむような巨大な経済構造にかき消されてしまった。それにつれて、2000年代以降、多くのソングライターが、ローカルな感覚をどこかに置き忘れたてしまったか、捨ててしまったのだった。それと引き換えに、都会性をファッションのように身につけることにしたのだった。それは身を守るために必要だったのかもしれないが、ある意味では別の誰かを演じているに過ぎない。そしてシナイ・ヴィッセルは、巨大な資本構造から逃れることが出来た稀有な音楽家である。このアルバムは、テキサスのHoovdyを彷彿とさせる善良なインディーロックやポップソングという形を取っている。

 

そして、ケレイヴ・コーデスのソングライティングやボーカルには、他では得難いような深みがある。

 

エルヴィス・コステロ、ポール・ウェスターバーグ、ボブ・モールド、Pedro The Lionのデイヴィッド・ハザン、ビル・キャラハン、Wilcoのジェフ・トゥイーディーの系譜にある。つまり、この人々は、どこまでも実直であり、善良で、愛すべきシンガーソングライターなのである。


そして、基本的には、ケレイヴ・コーデスは、フォークやカントリーはもちろん、ブルースに重点を置くシンガーソングライターである。このブルースというジャンルが、大規模な綿畑の農場(プランテーション)の女性労働者や男性の鉄道員が労苦を和らげるために歌ったところから始まったことを考えると、シナイ・ヴィッセルのソングライターとしての性質は、現代的なワークソングの系譜に位置づけられるかもしれない。彼の歌には南部の熟成したバーボンのように、泥臭く、渋く、苦味がある。ある意味、軟派なものとは対極にあるダンディズムと憂いなのだ。


もちろん、現代的で親しみやすいロックソングのスタイルに昇華されていることは言うまでもない。彼のロックソングは、仕事後の心地よい疲労、華美なものとは対極にある善良な精神性により構築される。派手なところはほとんどない。それでも、それは日々、善良な暮らしを送り、善良な労働を繰り返している、同じような純朴な誰かの心に共鳴をもたらすに違いない。そう、彼のソングライティングは日常的な労働や素朴な暮らしの延長線上にあると言えるのだ。

 

アルバムの冒頭「#1 Doesn’t Matter」は、ボサノヴァを咀嚼した甘い感じのインディーロック/フォークソングで始まる。シナイ・ヴィッセルのボーカルは、Wilcoのジェフを思わせ、ノスタルジックな思いに駆られる。親しみやすいメロディー、乗りやすいリズム、シンプルだが心を揺さぶるハーモニーと良質なソングライティングが凝縮されている。ボサノヴァのリズムはほんの飾りのようなもの。しかし、週日の仕事の疲れを癒やすような、週末の最後にぴったりの良質なロックソングだ。この曲には、日々を真面目に生きるがゆえの落胆もある。それでもアコースティックギターの演奏の背後に、癒やしや優しげな表情が垣間見えることがある。曲の最後には、ハモンド・オルガンがコーデスの歌のブルージーなムードを上手い具合に引き立てる。

 

そっけないようで、素朴な感じのオルトロックソングが続く。彼は内面の奥深くを掘り下げるように、タイトル曲「 #2 I Sing」で、内的な憂いや悲しみを元に情感溢れるロックソングを紡いでいる。イントロは、ソフトな印象を持つが、コーデスの感情の高まりと合わせて、ギターそのものも激情性を帯び、フックのあるオルトロックソングに変遷していく。これらはHoovdyの楽曲と同じように、エモーショナルなロックへと繋がる瞬間がある。そして注目すべきなのは、都会性とは異なるローカルな感覚を持つギターロックが序盤の音楽性を決定づけていることだ。

 

「#3 How」は、Wilcoのソングライティングに近く、また、Youth Lagoonのように、南部の夢想的なオルトロック/ポップとしても聴くことができる。シナイ・ヴィッセルは、南部的な空気感、土地の持つ気風やスピリットのようなものを反映させて、砂煙が立ち上るような淡い感覚を作り出す。ヴィッセルはハスキーなボイスを活かし、オルタネイトなギターと乾いたドラムを背景にして、このソングライターにしか作りえない唯一無二のロックソングの世界を構築してゆく。表面的には派手さに乏しいように思えるかもしれない。しかし、本当にすごいロックソングとは、どこかしら素朴な感覚に縁取られているものである。曲の中でソングライターの感情と同期するかのように、ギターがうねり狂うようにして、高められたかと思えば、低くなる。低くなったかと思えば、高められる。最終的に、ヴィッセルは内側に溜め込んだ鬱屈や悲しみを外側に放出するかのように、ノイズを込めたダイナミックなロックソングを作り上げる。

 

「#4 Challenger」では内省的な感覚を包み隠さず吐露し、それらをオルトフォークの形に昇華させている。ビル・キャラハンの系譜に位置し、大きな曲の変遷はないけれども、曲のいたるところに良質なメロディーが散りばめられている。アコースティックギターとシンセサイザーの演奏をシンプルに組み合わせて、温和さと渋さの間を行き来する。やはり一貫して南部的なロマン、そして夢想的な感覚が織り交ぜられ、ワイルドな感覚を作り出すこともある。しかし、この曲に深みを与えているのは、ハスキーなボーカルで、それらが重さと軽さの間を揺らめいている。

 

「#5 Birthday」は、Bonnie Light Horsemanのような夢想的なオルトフォーク/カントリーとして聴くことができるだろうし、American Footballの最初期の系譜にあるエモとしても聴くことができるかもしれない。アメリカーナを内包するオルタナティヴ・フォークを基調にして、最近、安売りされるようになってしまったエモの原義を問いかける。彼は、一貫して、この曲の中で、ジョージア、テネシーといった南部への愛着や親しみを示しながら、幹線道路の砂埃の向こうに、幻想的な感覚や夢想的な思いを浮かび上がらせる。彼の歌は、やはり、ディランのようにそっけないが、ハモンド・オルガンの音色の通奏低音が背後のロマンチズムを引き立てている。 また、Belle And Sebastianの最初期の憂いのあるフォーク・ミュージックに近い感覚もある。

 

 

「Birthday」- Best Track

 

 

 

その後も温和なインディーロックソングが続く。考えようによっては、シナイ・ヴィッセルは失われつつある1990年代前後のカレッジ・ロックの系譜にある良質なメロディーや素朴さをこのアルバムで探し求めているように思える。先行シングルとして公開された「Laughing」は、前の曲で示されたロマンチズムをもとにして、アメリカーナやフォークミュージックの理想的な形を示す。ペダル・スティールの使用は、曲のムードや幻想的な雰囲気を引き立てるための役割を担う。そして曲の背景や構造を活かし、シナイ・ヴィッセルは心温まるような歌を紡いでいく。この曲も、Belle And Sebastianの「Tigersmilk」の時代の作風を巧緻に踏襲している。

 

ポール・ウェラー擁するThe Jamのようなフックのあるアートパンクソング「Country Mile」は、中盤のハイライトとなるかもしれない。ガレージ・ロックやプロト・パンクを下地にし、シナイ・ヴィッセルは、Televisonのようなインテリジェンスを感じさせるロックソングに昇華させている。荒削りなザラザラとしたギター、パンクのソングライティングの簡潔性を受け継いだ上で、コーデスは、Wilcoのように普遍的で良質なメロディーをさりげなく添える。そして素朴ではありながら、ワイルドさとドライブ感を併せ持つ良質なロックソングへと昇華させている。この曲の簡潔さとアグレッシヴな感覚は、シナイ・ヴィッセルのもう一つの武器ともなりえる。

 

 アルバムの終盤には、ウィルコと同じように、バロックポップを現代的なオルトロックソングに置き換えた曲がいくつか見いだせる。「#8 $2 Million」は、メロトロンをシンセサイザーで代用し、Beatles、R.E.M、Wilcoの系譜にあるカレッジ・ロックの醍醐味を復活させる。コーデスは、後期資本主義の中で生きざるを得ない現代人としての悲哀を織り交ぜ、それらを嘆くように歌っている。そして、これこそが多数の現代社会に生きる市井の人々の心に共鳴をもたらすのだ。その後、しなやかで、うるおいのあるフォークロックソング「#9 Dollar」が続く。曲ごとにややボーカルのスタイルを変更し、クレイヴ・コーデスは、ボブ・ディランのようなクールなボーカルを披露している。ローカルな感覚を示したアルバムの序盤とは正反対に、アーバンなフォーク。この曲には、都市のストリートを肩で風を切って歩くようなクールさが反映されている。2024年の「Liike A Rolling Stone」とも呼べるような興味深いナンバーと言えるか。

 

アルバムの序盤では、ウィルコやビル・キャラハンのようなソングライターからの影響が見いだせるが、他方、終盤ではBell and Sebastianの系譜にあるオルトフォークソングが色濃くなってくる。 これらのスコットランドのインディーズバンドの主要なフォークソングは、産業化や経済化が進む時代の中で、人間らしく生きようと試みる人々の矛盾性、そこから引き出される悲しみや憂いが音楽性の特徴となっていた。そして、シナイ・ヴィッセルは、その特徴を受け継いでいる。「#10 Window Blue」、「#11 Best Wetness」では、憂いのあるフォークミュージックの魅力を堪能できる。特に後者の曲に漂うほのかな切なさ、そして、淡いエモーションは、クレイヴ・コーデスのソングライターとしての高い能力を示している。それは M.Wardに匹敵する。 

 


「Best Wetness」- Best Track 

 

 

アルバムの終盤は、 大掛かりな仕掛けを作らず、素っ気無い感じで終わる。しかし、脚色的な音楽が目立つ中、こういった朴訥なアルバムもまた文化の重要な一部分を形成していると思う。そして、様々なタイプの曲を経た後、シナイ・ヴィッセルは、まるで南部の田舎の中に踏み込むかのように、自然味を感じさせるオーガニックなフォーク・ミュージックの世界を完成させる。

 

「Attack」は、ニューヨークのグループ、Floristが行ったように、虫の声のサンプリングを導入し、オルトフォークソングをアンビエントの音楽性と結びつけて、シネマティックな音楽を構築している。さらに、クローズ「Young Brother」では、アコースティックギターとドラムのシンバルのパーカッシヴな響きを活用して、夏の終わりの切ない雰囲気を携えて、このアルバムはエンディングを迎える。アルバムは、短いドキュメンタリー映像を観た後のような爽快な感覚に満ち溢れている。 それは、ハリウッド映画や大手の配給会社とは対極にあるインディペンデントの自主映画さながら。しかし、その素朴さこそ『I Sing』の最大の魅力というわけなのだ。

 

 

 

85/100 

 

 

「Doesn't Matter」 

 

 

 

* Sinal Vessel(シナイ・ヴィッセル)によるニューアルバム『I Sing』はKeeled Scalesから本日発売。ストリーミングや海外盤の購入はこちら