【Review】Kanye West - ¥$ - Ty Dolla Sign  『Vultures 2』 

 Kanye West- ¥$- Ty Dolla Sign  『Vultures 2』 

Label : YZY

Release: 2024年8月3日


Review


『Donda 2』を独自のプラットフォームから発売し、主要な公式のチャートから除外されたことがわかった時、一方的な勝利宣言を表明したカニエ・ウェスト。彼は、その後、アディダスとのファッション・コラボに関して、ゴシップ的な話題を振りまいていた。彼の独自ブランドであるYeezyがアディダスとのパートナーシップが解消されたとき、大手のメディアはこの話題に真っ先に飛びついた。彼のパートナーシップ解消には、シオニズムに対する嫌悪が一因としてあったが、一方、まったくそれと無関係ではない企業のスケッチャーズにスニーカーの宣伝を行ったのは、悪手を踏んだと言える。近年、カニエ・ウェストは、ファッションブランドの展開に夢中になっていたが、タイダラー・サイン、そして、謎のラッパー、¥$とのトリプルコラボで、カニエの音楽がヒップではなくなったという音楽ファンに一矢報いようとしている。

 

アルバムのアートワークも意味深だ。以前の大統領選挙にも立候補したことがあるYeであるが、 やや彼の候補者としてのスピーチは、帳尻の合わないものだった。しかし、彼が政治的な話題に関心があり、そして、米国の腐敗した政治を変えようとする心意気だけは偽りのないものである。アルバムのアートワークに撮影された黒ずくめの男はほかでもない、カニエ本人かもしれない。首からぶら下げたポートレイトは何を意味するのか。追悼、もしくは哀悼、いくつかの可能性が考えられるが、このジャケットには銃をズボンに忍ばせ、黒人の生活の脅威を暗示したコンプトンのラッパーと同じように、何らかの政治的なメッセージが込められているのかもしれない。確かなことは言えないが、これは世界的な政治に対する暗示でもあるのだろう。

 

『Donda」、そして『Donda 2』で商業化されたラップの形骸化を予見していたものだとすれば、『Vulture』、『Vultures 2』ではその形骸化を乗り越え、シアトリカルなラップの領域へと踏み入れている。一作目ではやや演劇的な試みが散漫になりすぎた印象もあるが、次作ではややそれが解消されつつある。

 

そして、カニエ・ウェストの計画する理想的なラップとは、おそらく賛美歌のような高らかな世界、または、クワイアのような友愛的な世界であることが伺える。これは前作『Vulture』でも部分的に登場していたが、『Vulture 2』でも「The Moving Slow」で登場する。この曲ではゴスペルのルーツをたどり、アフリカの民族音楽のような開放的な音楽をクワイアで表現し、現代的なラップと融合させている。一方、「Fried」では、シカゴ・ドリルをシアトリカルな音楽という試みが見受けられる。この曲でも、祝福されたような音楽を表現しようとしている。


デビュー当時のカニエ・ウェストの持ち味とは、サイケデリックなソウルをターンテーブルのビートと結びつけて、それらをやや内省的な感覚と結びつけたのがとても画期的だった。いつしかブラックミュージックの歴史と連動するようにして、それらの音楽は、商業化のウェイブに飲み込まれていき、やや形骸化していった印象もあるが、少なくとも、最近では、完全な形になったとは言えまいが、そのエネルギッシュな側面の裏側にある内省的な感覚が徐々に戻ってきている。例えば、「Husband」や「Lifestyle」はその象徴的なトラックと言えるかもしれない。ラッパーとして重要なのは、なにか得難い迫力があるということ、そして、ラップやフロウ、さらにはニュアンスに味があるということ。何より後者のトラックでは、年齢を経たラッパーとしての渋さが出てきている。これらはまだニュアンスという側面では、ベストな領域まで到達していないが、ラッパーとしての復活の兆しが見られるような気がしている。


特に、ラップやフロウ、そしてニュアンスの側面から見ると、「530」がかなり良い線を行っている。女性ボーカルを交えたこの曲では、ソウルミュージックの系譜にあるヒップホップの持ち味を探っている。ただ、いわゆるドープとまではいかず、ややラップにリズム的な乱れが含まれている。そしてフロウに入りかけたとたん、その手前でつまずいたり、とまってしまうことがある。これはまだウェストがラップをすることに関して、何らかの戸惑いや困惑を感じているか、もしくは、心の奥深くに遠慮があることを感じさせる。しかし、もっと大胆なフロウを試みても面白くなるはずである。

 

一方、「FOREVER ROLLING」では、コラボレーターとのラップを通して、ややスリリングな瞬間を形づくる。結局、ラップのレコードというのは、レコーディングの白熱した感覚や、マイクバトルのような瞬間に刺激性があれば、それはおのずと聞き手にも伝わってくるし、その奇妙な熱狂がラップの醍醐味なのではないかと思うことがある。そういった側面では、この曲では、ラッパーとしての足がかりのようなものが見出されたのではないかと推測される。


カニエ・ウェストはラップアーティストがインディーロックや他の音楽を制作することの可能性を示したアーティストで、それはフランク・オーシャン、そしてトロイ・モアのような現代的なシンガーソングライターに受け継がれていったが、このアルバムでも、単なるヒップホップという枠組みにとらわれない曲も収録されている。断片的なマテリアル「Isabella」ではギターロックをやっているし、「Sky City」では、同じようにオルタナティヴロックとフォークミュージックを結びつけて、それらにソウルやチルウェイブの色合いを加えている。

 

アルバムのクローズ「My Soul」では、このシンガーがソウルミュージックに対する愛着がいまだ深いことをなんとなく伺わせる。

 

ラップ・アーティストとして名声を上げると、ついそのジャンルにこだわってしまう。しかし、ひとつの表現にこだわることはないのだし、他にも様々な可能性があることをこのアルバムは教えてくれる。スターダムに近くなるにつれ、他者の評価や名声という側面を念頭から振り払うことは困難になってくる。でも、そんなことは二の次である。自分が本当に面白いというもの、やっていて熱狂できるものを作ることが、ミュージシャンにとって最善の道である。そして、彼自身が本当に心から熱狂出来たとき、再び世界のファンがその音楽に熱中し、完全なる復活の時を迎えるだろう。



75/100

 

 

 Best Track- 「Fried」