【Review】  Horse Jumper of Love 「Disaster Trick」

 Horse Jumper of Love 「Disaster Trick」

 

 

Label: Run For Cover

Release: 2024年8月16日

 

 

Review

 

現在、イギリスでもスロウコアのリバイバル運動が地味に沸き起こりつつあるが、ボストンの(ベーシストのジョン・マーガリスとドラマーのジェイムズ・ドーランを擁する)ホース・ジャンパー・オブ・ラブも、2020年代のスロウコア/サッドコアのリバイバルを牽引する存在。

 

スロウコアとはシアトルのオーバーグラウンドに引き上げられたグランジに対する抵抗であり、アンチテーゼでもある。


この運動は、エモの最初期のムーブメントに近く、インディーロックそのものが商業主義に絡め取られていく中、いまだ地下に潜り続けることの意義を示そうとしたのだった。その代表格が、コデイン、レッド・ハウス・ペインターズ、レッド・スターズ・セオリー、ロウとなるか。

 

スロウコアの音楽的な特徴を挙げるとするなら、内省的なサウンド、激情的なハードコアとエモの中間にある感覚をスロウテンポの重量感のあるロックソングに仕立てるということだろうか。またメインストリームに反感を示しながらも、スロウコアがシアトル/アバディーンから発生したグランジをライバル視しているのは明らかで、コデイン、レッド・ハウス・ペインターズに見受けられる、サイレンスとラウドを瞬時に行き来するような極端なサウンドが特徴である。


これらのスロウコアの音楽性は、後にポストロックへと部分的に受け継がれていったが、最近の若手バンドがスロウコアを参考にするのは、オルタナティヴロックバンドとしてのパンクスピリット、つまり、ワシントンDCのDischordのハードコアサウンドの影響があるからではないか。実際、ボストンは80年代の重要なハードコアの拠点であり、この地域から気概のあるバンドが登場するのは、必然的であるとも言える。オルタナティヴなロックをやるのに欠かせないのは、パンクバンドとしての反抗心のようなもので、それは本来硬派な気風から生み出される。


Horse Jumper of Loveのサウンドには、ポストハードコアのスクリームも咆哮もないが、ギターサウンドには、それに近い感覚がある。もちろん、パンクの基本的な解釈がアップテンポなビートであることを考えると、あえて曲のBPMをテンポダウンさせ、ダウナーな気分を歌うという反骨的な内容である。パンクの原義から距離を置いているとは言え、バンドのサウンドにはパンクのテイストが含まれている。それは、オープナー「Snow Angel」に見受けられるように、内省的な感覚の吐露と苛烈なディストーションサウンドという鋭い対比によってもたらされる。


屈強ではなく、少し弱々しげだが、彼等のサウンドの内奥には、鋭い牙のようなものがギラついている。そしてアンサンブルの妙によって、徐々にサウンドのダイナミクスを増し、スロウコアのジャンルの代名詞であるエクストリームな激情性につながる。つまり、オールドスクールではなく、ポスト世代のハードコアの性質をバンドは自らの強みにしているらしいのである。

 

もうひとつ、スロウコアの特徴といえば、内的な美麗な感覚をインディーロックソングに折り混ぜるというものである。これらはオルタナティヴフォークでは、頻繁に行われていることだが、彼らは轟音性によって、美麗な感覚を作り出そうとする。かつてメタルバンドが行っていたような様式美を、スロウテンポのオルトロックという側面から作り出そうというのである。もちろん、「Wink」には、ヘヴィ・メタルのごときアンセミックなフレーズはおろか、シンガロングを誘う展開も出てこないが、ペドロ・ザ・ライオンや最初期のエモコアバンドのように、素朴な感覚が心地よいギターラインに乗せられ、音楽全体の叙情性が緻密に作りあげられる。


ポスト・ハードコア的な要素の他に、90年代のUSインディーロックの黄金時代に迫ろうという曲もある。例えば、それに続く「Today's Iconoclast」は、Pavement、Guided By Voices、Garaxie 500、Sebadohといったローファイで荒削りな性質を押し出したオルトロックサウンドを展開させる。90年代から00年代の原初的なオルトロックの正体とは、以前のカントリー/フォークを反映させた音楽だったのだが、彼らはこの特徴を巧みに捉えて、ザラザラとした質感を持つギターロックを構築する。そして、その中から、わずかにソングライティングの妙から生じる切ない抒情性が導き出されることもある。この曲では、Guided By Voices、Garaxie 500の時代に存在した、インディーロックバンドの拙さや未熟さから引き出される独特なエモーションを汲み出す。それは上記のバンドを知るかはともかくとして、特異なノスタルジアを呼び起こすのだ。

 

「Word」はスロウコア/サッドコアとしてはおなじみのスタイルである。ゆったりとしてラフな感じのイントロのアンサンブルから、エリオット・スミスやスパークルホースといったシンガーの代名詞である鬱屈した感覚を、ボーカル、ギターのダウンストロークのアルペジオ、そして、休符を重視したゆったりとしたドラムとベースのアンサンブルによって発生させる。これらは、ソロシンガーの作品では生み出し得ない''バンドとしての化学反応''を捉えることができる。そして、最終的には、アメリカン・フットボールの「LP1」のデモトラックのような憂鬱な空気感を生み出す。これが若いリスナーにとって、何らかのカタルシスをもたらすに違いない。

 

中盤にも、素朴なインディーロックの魅力が凝縮されている。ホース・ジャンパー・オブ・ラブのサウンドには、バンドメンバーの美的なセンスが立ち現れることがあり、それはゴシック/ドゥーム的な暗鬱さという形で出現する。そして、それは、Sunny Day Real Estateが1995年に発表した「LP2」に見出される、「音楽における美学」のようなスタイルとして現れることがある。


「Lip Reader」は、同じように憂愁をモチーフにしたインディーロックソングで、その暗さの向こうから、あたたかなエモーションがふいに立ち上ってくる。そして、夕闇の切なさのような絶妙な感覚が、ギター、ドラム、ベースの化学反応から生み出されることがある。続いて「Wait By The Stairs」は、エリオット・スミスのオルタナティヴ・フォークをロックとして再構築したような一曲。一貫して、暗鬱で物憂げなサウンドに縁取られているが、暗鬱さの向こうから癒やしの感覚がうっすらと浮かび上がってくる。どこまでも感覚的なのがサッドコアというジャンルで、バンドはその音楽形式に、ヘヴィメタルやメタルコアの重力を加えている。これが繊細でナイーヴでありながら、バンドとしての重厚感を感じさせる理由なのかもしれない。

  

バンドの音楽は、スロウコア、原初的なカレッジロック、USオルタナティヴという三つの要素が主体となっているが、もう一つ、サイケ・フォークからの影響も伺える。例えば、「Heavy Metal」は、シド・バレットのソロアルバムのような抽象的な感覚をシュールなギター、そして、物憂げなエモーションを醸し出すボーカルを中心に構築されている。ジョージ・ハリソンとバレットのフォーク・ミュージックに対する考えはきわめて対称的であり、ハリソンはアイルランド民謡の清々しさを神秘思想と結びつけた。他方、バレットは、どこまでも純粋な芸術的な感覚を押し出し、形而下の音楽をピンク・フロイドや以後のソロ活動を通じて探求していた。ハウス・ジャンパー・オブ・ラブは、どちらかと言えば、アーティスティックな感覚を擁するシド・バレットに近いフォークで、Kill Rock Stars(レーベル)に近似するサウンドと言える。


アルバムの後半に差し掛かると、American Footballの最初期の学生時代のモラトリアムのような感覚が立ち上がってくる。これは例えば、若者特有のナイーヴな感覚を捉え、それらをストレートに表現していると言える。「Curtain」は、コデインのような内的な激しさを擁するサウンド。これらのマニアックな音楽性には繊細な癒やしが存在し、それはスラッカーロック/ローファイのような激情性へと繋がる。これは例えば、マック・デマルコのツアーミュージシャンとしてキャリアを出発させたHorsey(ピーター・サガー)の「CD Wallet」に近いサウンドだ。

 

アルバムの終盤では、「Death Spiral」において、メタルの重さとエモの繊細さをかけ合わせて、「エモ・メタル」ともいうべき、異質な音楽を作り出している。「Gates of Heaven」では、90年代のUSオルタナティヴの原点に立ち返り、R.E.M、Pavementのようなカレッジロックの後継的なバンドの音楽を復刻しようとしている。クローズ「Nude Descending」は、少しだけバンドとしての遊び心が感じられ、Wednesday、Rartboysを始めとするノースカロライナ周辺の現代的なロックバンドの音楽を彷彿とさせる。この曲は、現代的なインディーロックソングの特徴である”アメリカーナの反映”という現代のインディーズバンドの主要なテーマが内包されている。




76/100


 

 *初掲載時にバンド名に誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。

 


 Best Track 「Curtain」