【Review】 Fennesz 「Venice 20」  クリスチャン・フェネスの代表作が20周年 リマスター盤が発売

 Fennesz 「Venice 20」

 



 
Label: Touch
Release: 2024年8月23日



オーストリアの実験音楽家や現代音楽の大家で、坂本龍一とのコラボレーション・アルバム「Cendre」でよく知られるクリスチャン・フェネスの2004年の名作「Venice」の20周年記念リマスター盤『Venice 20』は、以前よりも音がクリアになり、当時、クリスティアン・フェネスが何をやろうとしていたのかが手に取るように分かるようになった。2000年代には、フェネスの音楽は、とっつきづらく難解なイメージに縁取られていたが、このアルバムでフェネスが試そうとしたことは、私達が考えていた以上にポピュラーな音楽だったのかもしれない。

 

このアルバムの発売後、以降、Pitchforkの編集長を最も長く務め、ウォール・ストリートジャーナル等の執筆も手掛けたマーク・リチャードソン氏がフェネスのインタビューを行った。しかし、この時のインタビューは、非常にためになるものがあった一方、かなりユニークな内容が含まれていた。特に、ビーチ・ボーイズを比較対象にしたことに関し、フェネス氏は少しだけ困惑するような気配があったのである。ただおそらく、チルウェイブの萌芽や楽園的な音楽が含まれていることを指摘したかったのではないかと思われる。また、同インタビューでフェネスは、「なぜノイズを作るのか」というマーク・リチャードソン氏の問いに対して「私は美しいものを作るためにノイズを制作する」と述べていたが、この言葉の趣旨や真意は、今回の二度目のリマスターでより明らかとなるはずである。というのも、2000年頃のオリジナル盤の音源は荒削りで、かなり精度の高いスピーカーでもなければ、全体的な音像を把握することは難しかっただろうからである。もちろん、当時はアンビエントというジャンルはそれほど主流ではなかっただろうし、ドローンというジャンルもなかったので、こういった音楽をどのように説明するのか分からなかったのは当然のことだと言える。

 

実験音楽としては名盤の呼び声の高い作品なので、今更くだくだしく述べるまでもないが、おそらく、この時代にこのアルバムに何らかの形で興味を抱いたということ自体が先見の銘があった。というのも、主要なマガジンの評価は平均的で、Mojoは3/5という評価を下すにとどまっていた。しかし、以降の現代音楽界での活躍や、実験音楽界で象徴的なミュージシャンとなったことを考えると、このアルバムの評論に関しては、Pitchforkだけが正当な評価を下していたことになる。そして、今回の二度目のリマスタリングで音質面での不安要素が取り払われて、音楽の全容が明瞭となり、精妙でクリアな印象に縁取られている。現在まで不透明であった音質が、最新のリマスターで澄明に変化した。つまり、このアルバムは2度生まれ変わることになったのだ。

 
今考えると、「Venice」の音楽はあまりに予見的で、時代の先を行き過ぎていたかもしれない。2000年代はじめといえば、ドイツを中心にグリッチミュージックが出てきた頃である。しかし、まだそれは大雑把に言えば、テクノ/ハウスという枠組みの中で実験音楽が動いているに過ぎなかった。反面、フェネスの音楽は、単なるギターロック、テクノ/ハウスやノイズというのには惜しく、例えば、2010年代のカナダのTim Heckerのようなダウンテンポ、ノイズ・アンビエントに近い、非常に画期的な音楽性も含まれていた。現代の「アブストラクト」と呼ばれる音楽であり、これはヒップホップにも登場するが、フューチャー・ベースのようなジャンルの源流に位置する。
 
 
また、このアルバムのいくつかの収録曲は、メインの出力がモジュラーシンセかエレクトリックギターであるかを問わず、2020年代の実験音楽の先鋒であるドローン音楽を予見している。フェネスは、リヒャルト・ストラウスの「2001年 宇宙への旅」のように、音楽の時間旅行を試み、この2004年の時点から、十年後、あるいは、二十年後に流行する音楽を「偶発的に見てしまった」と言えるかも知れない。そして、むしろ、このアルバムは、2024年の音楽として聴くと、ぴったり嵌るというか、今こそ聞かれるべき作品なのではないかとすら思えてくる。

 
アルバムには、ニューロマンティックの象徴的なグループ、JAPANからソロ活動に転じた後に前衛音楽の大御所となったデイヴィッド・シルヴィアンがボーカルを提供した「Transit」等、後から考えると、微笑ましくなるような曲もある。さらに、このアルバムには、ドローンミュージックとして聴いても、2020年代の音楽に比肩する楽曲もある。「City Of Light」、「Onsay」などはその好例であり、現代のドローンミュージックの一派が一つの体系を築く上でのヒントとなったはずだ。また、「Circassian」はポスト・ロック/ギターロックの音響派に近い作風である。


また、当時、ドイツを中心に発生したコンピューターのエラー信号からビートを抽出するグリッチ・サウンドの影響も含まれているのは、当時、クリスチャン・フェネスがヨーロッパのアンダーグラウンドのダンスミュージックや電子音楽の流行の流れを的確に読んでいたことを暗示する。「The Stone of Impermanence」や11曲目以降の収録曲は、アーティストにしては珍しく衝動的というか、若気の至りで制作したという印象も受ける。しかし、ある意味では、理想的な実験音楽は、完璧性から導き出されることはほとんどなく、それとは対象的に、不完全性から傑出した作品が生み出されることを考えると、こういった曲があるのも頷けるような部分はある。前衛音楽は、短所を活かし、最終的にはそれらをすべて長所に反転させることを意味している。

 
本作のオープニング「Rivers of Sound」、「The Point of All」、「Asusu」等、不朽の電子音楽の名曲も収録されている。このアルバムには、以降の20年の電子音楽の未来が集約されていると言っても大げさではないだろう。少なくとも、アルバムのこれまでとは一味違う魅力を堪能出来るはずである。しかし、ギターロックにしても、テクノにしても、現代には同じような音楽がたくさん存在するが、このアルバムは実のところ、それらと明らかに一線を画している。同時に、きわめて機械的なのに、深い抒情性がある。もしかすると、当時のクリスチャン・フェネスさんは、現代人がすっかり忘れた感覚を持っていたのだろうか。
 
 
 
 
 
90/100
 
 
 
 
 
 






最新のリマスターに関して


デニス・ブラッカム:

「2024年まで早送りして、2003年に使ったのと同じオリジナル・マスター・ミックスを使って、このアルバムの新しい拡張版、『Venice 20』を作ることにした。あれから20年あまりが経ち、オーディオ制作、レコーディング、マスタリングの技術は大幅に進歩した」



ジョン・ウォゼンクロフト:

「...作品全体には、本質的に時代を超越した静けさと風格がある。これはもちろん、デヴィッド・シルヴィアンとの『Transit』でのコラボレーションに象徴される。私は、ジャケット・アートが絵画のようなレベルで、音楽のように永続することを願っていた。私が絵を描けるとは決して言わないし、写真が絵画のように長く持ちこたえられるとも思っていないからだ。クリスチャンとの仕事はいつも私を感動させる」



クリスチャン・フェネス:
 

「アコースティック・ギターやエレクトリック・ギターの短いレコーディング、新しく導入したソフト・シンセやサンプラーを使った実験、フィールド・レコーディングなどだ。この街の音と音響は私を魅了した」
 
 
「私の部屋からは、夜、窓を開けると会話がはっきりと聞こえたが、それが隣の家から聞こえてきたのか、数ブロック先から聞こえてきたのかは定かではなく、まるでヴェニスの音波が独自のルールに従っているかのようだった。威厳のある衰退、腐敗、死、そして再生を暗示するような表現として、アルバム・タイトルとしてのヴェニスのアイデアが浮かんだのはこの頃だった。「Transit」のデヴィッド・シルヴィアンの歌詞とヴォーカル・パフォーマンスは、私にとってこのアイデアを完璧に表現していた。この作品は、現在進行中の素晴らしいコラボレーションのハイライトであり続けている」 
 
 
 
 
Venice:
 
 
2004年にリリースされ、ベストセラーとなったフェネスの「Venice」の20周年記念再発盤が、デニス・ブラッカムによるリマスタリングで、CDやレコードには未収録の新曲や追加曲を含むデラックス・バージョンとして登場。DVDフォーマットのエディションには、フェネス自身、デニス・ブラッカム、ジョン・ウォゼンクロフトによるテキストと、2004年のオリジナル・セッションの未公開写真が掲載されたブックレットが付属する。ブックレットにはデヴィッド・シルヴィアンの「Transit」のオリジナル手書きの歌詞も掲載。この「デヴィッド・シルヴィアンとの見事なコラボは、シルヴィアンのアルバム『Blemish』での素晴らしいデュオ・トラックから続いている。控えめなリスニング体験の真ん中に位置する「Transit」は、文字通りスピーカーから飛び出し、アルバムのポップな特徴だけでなく、抑制された瞬間も際立たせている。