【Weekly Music Feature】 april june   マドリッド発 インディーポップのニューウェイブ  「baby's out of luck again」

Weekly Music Feature -  april june   マドリッド発 インディーポップのニューウェイブ 




エイプリル・ジューンは2020年代後半の新しいポピュラーミュージックのウェイブをマドリッドから世界へ巻き起こそうとしている。最近では、アーバンフラメンコを中心にスポットライトを浴びているスペインの音楽は、米国や英国に続くもう一つのメインストリームの中心になりつつあるらしい。エイプリル・ジューンの才気煥発なサウンドは、夢想的なドリームポップの範疇にあり、エクスペリメンタルポップを吸収し、次世代のニューミュージックを作り出す。


注目すべきは、人間の内面をテーマに取り、哲学的な省察を交えて陶酔的なポピュラーに昇華する。少し逃避的な音楽かもしれないが、巧みな音作りには治癒が込められている。


エイプリル・ジューンのサウンドスケープは、抽象的で、暗く濃密で、永遠の黄昏の魅力に輝く境界の間を躍動する。彼女の曲は、物思いにふけるヴォーカル、ムーディーな色合い、それから、80年代と90年代のポップ・カルチャーに牽引されたノスタルジアへの憧れとともに、メロディックな行程を旅している。その音楽は、愛、情熱、欲望、親密さ、多くの複雑な側面についての物語的な探求に人々の心を引き込み、若い年代の感情を鋭く描出している。リスナーが現実という枠組みから離れ、自分自身を発見する方法を探すことができるように手助けをする。


エイプリル・ジューンは、これまでノスタルジックなオルタナティヴ・ミュージックを中心に制作し、「人々の心に深く響く曲を制作しようと努めてきた」という。彼女は憂鬱と憧れの物語を紡ぎ出し、いかなる季節のエッセンスもメロディックな白昼夢に変えてしまう。


ラナ・デル・レイ、ガール・イン・レッド、ザ・マリアスなどから影響を受けたエイプリル・ジューンの主な音楽的なテーマは、原子化、混乱、ノスタルジア、人間関係、不確かさといった感情を中心に展開される。


ストリーミング再生数でアーティストの人気が左右される現代の音楽業界。そしてジューンは現代のストリーミングのトレンドの波を上手く乗りこなしている。エディトリアル・プレイリスト、ローファイ・ミックスに登場し、音楽のエモーショナルな重厚さでリスナーを魅了する。2022年ヨット・クラブがアシストしたシングル "Stuck On You "は、1400万以上のSpotifyストリーミングを獲得し、"biking to your house "や "summer bruises "といった楽曲がその記録に続く。


「1年間『ザ・ソプラノズ』にどっぷり浸かっていた。この番組は人間の心理、潜在意識、文化的な象徴の探求なのだと気づいた」エイプリル・ジューンは語っている。「特にトニーがラスベガスでペヨーテを使ったギャンブルに興じるエピソードがとても印象的だった。複雑な層を持つシリーズは百科事典のような役割を果たしている。ルーレット・ホイールの象徴的な性質に関するRedditの引用を振り返ると、人生の予測不可能性についての思索に拍車がかかることがある」


「これらの洞察は、''自分の運は自分で切り開く''という考えに疑問を投げかけ、運命を受け入れ、避けられないことを受け入れるよう促している。行動パターンが運命の暗喩であるかを自分に問いかけ、不利な人間関係を引き寄せることについての内省を促す。パターンを繰り返すことが普遍的なデザインに合致しているのか、宇宙の秩序について考えさせられることがあった。個人間の不思議な繋がりは、2人の出会いにおける運命の役割について疑問を投げかける」



april june  『baby's out of luck again』- Nettwerk Music Group

 



マドリッドでは、Hindsが英国や近隣諸国のメディアを中心に注目を受けているが、ダークホースとして控えている"april june"も見過ごすことができない。2010年代のPorches、Black Marbleなど、New Orderの系譜にあるシンセポップを踏襲し、それらをドリーム・ポップとして包み込む。

 

エイプリル・ジューンの次世代のインディーポップ/オルトポップは、Beabadoobee、Yeule,mui zyu、Ashnikko、Jordanaといった、ローファイとオルトポップ、エクスペリメンタルポップという2020年代の若い年代のポップスの流行に準じている。これらの女性シンガーを中心とするファンシーなポップの一群は勢いがあり、今やウェイブを形成しつつあるようだ。ベッドルームポップ、ノイズやメタルを絡めたハイパーポップに継ぐ何らかのムーブメントとなりそうだ。


エイプリル・ジューン(4月ー6月)というアーティスト名もシュールで面白いが、SSWの作り出すシンセ・ポップを基調にしたサウンドはさらにユニーク。JAPANなどのニューロマンティックの70年代の音楽に触発されたゴシック的な響きも含まれているが、シンガーソングライターの持つファンシーさでそのイメージは帳消しになり、ワンダーランドのような世界が構築される。

 

ファンシーなシンセポップと聞くと、アイスランドのmumのような童話的な電子音楽を思い浮かべるかもしれない。しかし、実際は、エイプリル・ジューンの音楽はchvrchesに近く、商業性に重きが置かれ、無駄な脚色や編集的な要素は削ぎ落とされている。強いて言うなら、プラグインとしての主要なエフェクトは、ボーカルのオートチューン、楽器のリバーブ、ディレイに留められている。そして、ニューロマンティックの系譜にある音楽性をガーリーな印象で彩り、アートワークに象徴付けられるような、 幻想的なドリームポップワールドを打ち出そうとしている。

 

しかし、もしエイプリル・ジューンの音楽に「オルタナティヴ・ポップ」というジャンル名が付与されるとしても、実際の音楽性はシンプルかつストレート、そして聞きやすさがある。難解なスケールを排したドリーム・ポップで、オルタネイトな要素はほとんど削ぎ落とされている。


収録曲の中には、Ⅰ-Ⅴ-Ⅵの進行しか出てこないものもある。これはコード進行やスケール、プロデュース的な側面でも、複雑化したポップスに「単純化」という一石を投じるカウンター的なアルバムといえる。これらの戦略的なイメージは、少なくとも、EPという単位では功を奏しているのではないか。

 

プロデューサー、音楽ファン、メディアの辛口の評論家はたいてい、現在のシーンを一新する画期的な音楽の台頭を心待ちにしている。しかし、他方、そういった音楽を聴くことが日常的である人々が理解できないものが、一般的なリスナーに理解されるはずがないことは念頭に置いておくべきだろう。


つまり、一般的に理解しきれない要素は、部分的または限定的に留めておくべきかも知れない。もし、売れる音楽ーーヒットソングーーを作りたいと思うなら、どこかで聞いたことのあるフレーズを一つか二つくらいは用意しておく方が得策だろう。もし一般的ではない要素が曲の中にあるとするなら、(前衛主義や実験音楽という側面では容認できるかもしれないが)商業主義においては、改善の余地が残されているのである。そのことを考えあわせると、音楽そのものを、デジタル技術、録音機器、プラグインで過剰に派手にしたり、また、それとは反対に徹底して薄めたとしても、ポピュラーミュージックとしては必ずしも相乗効果があるとはかぎらない。


そして、こういった複雑化し、進化し続ける音楽を追求する勢力とは対極的な存在として、ノスタルジックな音楽にモダンなテイストを添えるグループが、徐々に台頭してきているのを痛感している。これらは、すでにある過去の成功例を基にしているため、先鋭的な音楽よりも強い説得力が込められている。リベラルアーツという分野が長い歴史を持つことを考えあわせると、最新の音楽が以前の文化と無関係であることはありえない。新しく聞こえるサウンドも実はたいてい、以前の系譜を再検討して作り出されるものである。つまり、新しい表現がゼロから生ずることはあり得ないのだ。この動向は、実はオルタナティヴロックのシーンで2010年代頃に試験的に導入されていた。それらが10年でロックからポップへと移行したような印象を受ける。

 

スペイン/マドリッドのシンガーソングライターは、70年代のシンセポップを元にして、現代的なオートチューンの要素、ドリーム・ポップというアーティストの持ち味を駆使し、シンプルなポップ・ワールドを構築している。このEPは、耳にすんなり馴染み、作品を聞き終えた後、驚くほど後味が残らない。要は、どこまでも純粋で爽やかな音楽という点で一貫している。あらかじめ、音楽的な枠組みや構想を決めておき、一気呵成にレコーディングしたようなEPである。

 

EPのオープナー「baby's out of luck again」では、キラキラとしたギター、シンセによるレトロなマシンビート、シーケンスを散りばめ、シンセ・ポップのノスタルジックな印象を押し出している。音楽の構成は至ってシンプルだが、個性的な性質を添えているのがボーカル及びコーラスワークだ。リバーブとディレイを多角的に施し、空間性を作りだし、いわばレコーディングスタジオのアンビエンスを生かしたポップスを構築している。ジューンのボーカルは、少しファンシーな感覚を意識しているが、それは不思議とひけらかすような感じにはならない。70年代/80年代のソフィスティ・ポップのような純粋さと清涼感のある印象すら覚えることもある。

 

このEPは、シンセポップによるツリー構造により制作されている。つまり、あれもこれもと手を伸ばさずに、一つの音楽的な興味をもとにして、7つの分散された曲が制作されたとも言える。そしてミュージシャンとして音楽的なセンスの瞬間的なきらめきが見いだせる箇所もある。

 

「starstruck」は、シンセ・ピアノをベースにした切ない感覚を漂わせるナンバー。オートチューンが掛けられているため、未来志向のポップにも聞こえるかもしれない。しかし、実際の曲の構成は、70年代、80年代のポップスのソングライティングを意識している。これらはクラシックとモダンという、二つの音楽的な解釈を取り巻くように、その間を揺らめくような抽象性がある。そして、抽象派の絵画のように絵の具で薄められたアブストラクトポップが生み出される。曲には明確なサビがあるわけでもなく、大きな起伏もなく、むしろ淡々としているが、流れをせき止めるものはほとんどなく、スムースに音が駆け抜けていく。その音楽には、静かに聞き入らせるものがあり、そしてシンプルでストレートなので、長く聴き続けることができる。コード/スケールの過剰な進行は、何度も繰り返していると、どうしても気疲れすることがある。その点において、DIIVの最初期のギターロックをベースにしたようなこの曲は、女性ボーカルという側面で新たな要素が加わり、ドリームポップの未知なる要素を作り出す。歌詞の側面では、哲学的な考察をもとにして、それらを個人的な体験と照らし合わせている。いわば若い年代の共感を誘うとともに、ふと考えこませるようなフレーズが出現することもある。

 

アーティストのイメージの演出は、売り込む側にとって大変魅力的であるが、実は諸刃の剣ともなり得る。やりすぎて、宙に浮かび上がり、大気圏に突入し、そのまま見えなくなった事例もある。これは、すでに音楽業界では何度も実例として示されたことで、地面に足がついていないことが原因により、実力に見合うものがないと、長く生き残ることがむつかしいからである。

 

しかし、『baby's out of luck again』は、なぜなのかはわからないが、ファンシーなのに地にしっかりと足がついている。これは、アーティストが永遠の命を持たないことの代償として与えられたパトスなのか。いつ枯れてしまうか分からない。けれど、花が美しいかぎり咲き誇ろうとする生命の美しい本質を体現している。言い換えれば、音楽の神様であるアポロン(Apollon)は、いつも才能を付与すべき人間を見定めていて、そして、かなり厳しい目で選別しているのである。

 

以後、EPの自体は、目眩くワンダーランドのような感覚が奥行きを増し、音楽の持つ空間性を押し広げていこうとする。続く、「it's all my fault」は、親しみやすいボーカルのフレーズをもとに、ダンサンブルなシンセ・ポップを構築している。メインボーカルとコーラスワークにおいて、エイプリル・ジューンは、一人で二役を演ずるかのように、異なる雰囲気のボーカルを披露している。

 

 

 「it's all my fault」- Best Track

 


 

エイプリル・ジューンの音楽は今のところ、ある一つのポイントに焦点がしっかりと絞られている。そして、外側にエネルギーを分散させるというよりも、どんどんとその内側の深くへ潜っていく。ソングライティングとして大きく傑出しているというわけでもないのに、分散的な音楽よりも興味を惹きつけることがある。続く「emotion problems」は、Porches、Black Marbleの系譜にあるニューヨークのレトロなシンセ・ポップをベースにしているが、モチーフの反復性を辛抱強く続け、ベースラインを加えて迫力味のある展開に繋げることで、魅惑的な音楽へと昇華させる。Yeuleの系譜にあるオートチューンを用いたインディーポップと思いきや、ベースラインやシンセリードやドラムのハイハットがコアなグルーヴを付与することがある。シンプルな曲作りを意識しながらも、徹底して細かな部分を軽視しないスタンスが、曲の完成度を高め、ハイクオリティにしているのかもしれない。爽やかに終わるアウトロも素晴らしい。


ドリーミーなシンセポップは以降も続く。「pretty like a rockstar」は、Beabadoobeeのデビュー作と共鳴するものがあり、ベッドルームポップアーティストから見たロックスターへの憧れを表する。これらの理想的な自己像を見上げ、それを夢見がちに歌うような姿勢は、一般的なリスナーの心にも響く何かがあるかもしれない。マシンビートのリズム、そして、レトロなシンセの音色は、2010年代のシンセポップの最初のリバイバルを想起させるが、現代的なTiktok、Yeuleのサブカルチャーやナードな文化への親しみのような感覚が、キラキラした印象を曲に付与する。そしてやはり、オートチューンを部分的に掛けることにより、デジタル・ポップの最新鋭の音楽をアップデートさせ、ベッドルームポップやハイパーポップの次なる世代の音楽に直結させる。ガーリーでファンシーなイメージを突き出した、ソフトな感覚を持つポップネスへ。

 

しかし、このEPの魅力は、2020年代のYeuleのような新しいタイプのポップだけにとどまらない。その中には、米国のポピュラーシーンと連動しながら、ノスタルジックや古典的なものに対する親和性も含まれている。「sweeter than drugs」は、どちらかといえば、ニューロマンティックのようなサウンドに依拠している。2020年代の並み居るベッドルームポップアーティストが最新のポップスを書こうとする意識を逆手に取り、それとは反対に古典的なポピュラーへと潜り込む。特に、クラシカルやビンテージに対する憧憬というのは、ミドル世代以上のミュージシャンよりも、若い年代のミュージシャンに多く見受けられる傾向である。自分が生きている間に生み出されなかったもの...…。それらに何らかの不思議な魅力を感じるのは当然のこと。また、音楽そのものは、十年、そして数十年だけで語り尽くせるものではないのだから。

 

 電子音楽をベースにしたポップスであるため、無機質な印象を覚えるかもしれない。しかしながら、このEPの音楽は、シンセポップとしての淡いエモーションが全編に揺曳している。どういうわけか、クローズ「carry you on my broken wings」では、音楽から温かいエモーションが微かに立ちのぼってくる。これぞ人工知能では制作しえない人間の手によるエレクトロポップの真髄だ。軽く聴きやすい清涼感のあるポップス、夢想的なテーマを織り交ぜた最新EPを足がかりにして、マドリッドのシンガーは今後、より大きなファンベースを獲得することが予想される。

 

 

 

85/100




「carry you on my broken wings」


 

* april juneの『baby's out of luck again』EPはNettwerkから本日発売。ストリーミング等はこちらから。