【Weekly Music Feature】 Luna Li When a Thought Grows Wings

Japanese Breakfastの再来か ロサンゼルスのLuna Li(ルナ・リー)に注目


つい昨日まですっかり忘れていたのは、このサイトを始めた翌年、なぜかハンナ・ブシエール・キムこと''Luna Li''を紹介していたことだった。


「最初の『jams EP』をリリースしたとき、何に期待していいのかわからなかった」とルナ・リーは回想する。「短いループするインストゥルメンタル曲のコレクションをリリースするのは型破りであると感じたし、確かにこれまでリリースしたものとは違っていた」と。プロデューサーや編曲家のことはさておき、ミュージシャンの才能というのは、たくさん知っていることではなく、「知らない事がたくさんある」ことなのだろうか。


それでは、ハンナ・ブシエール・キムとは何者なのか。カナダ・トロントを拠点に活動するシンガー、ソングライター、マルチ・インストゥルメンタリストは、現在、トロントからロサンゼルスに移住し、ソングライティングを行う。COVID-19の流行初期の数ヶ月間を、キムは未来の希望のために費やしていた。ハープ、キーボード、ギター、ヴァイオリンを演奏する彼女の自宅でのジャム・セッションの一連のビデオがソーシャルメディアで拡散された後、一躍脚光を浴びたのだ。


ハンナ・キムは、元々バンドに所属していたというが、以後、ソロシンガーソングライターに転向した。バンドでは才能を持て余したのか、もしくは初めからそう定められていたのか。”Veins”として作曲を始めた後、2015年に自主盤のレコード『Moon Garden』をリリースした。以降、Luna Liとして活動を始めると、、2017年にデビュー作『Opal Angel』をセルフリリース。AWAL RecordingsとIn Real Lifeと契約後、2021年にパンデミック中に作曲したバイラル・ジャム・セッションのコンピ『the jams extended play』でデビュー。ルナ・リーとしてのデビューアルバム『Duality』は、2022年にAWAL(カナダ)とIn Real Life(その他の地域)からリリースされた。


実際的にJapanese  Breakfast(ミシェル・ザウナー)の名前を挙げたのは、ルナ・リーがザウナーによって知名度を引き上げられた側面があるからだ。これらの2020年の伝説的なビデオは、アーティストとしての成功に欠かせないものであっただけでなく、最終的には800万回以上のストリーミングを記録し、ジャパニーズ・ブレックファストのツアーの帯同にもつながった。キムが自分の気持ちを共有し、「それを本当の形で表現する」ために必要なプロセスだったという。


キムは音楽的に豊かな環境で育った。母親は一緒に音楽教室を経営しており、彼女はそこでバイオリンとピアノの古典的な訓練を受け、後にハープとギターを手にした。もちろん、普通の音楽ファンらしい性質もあった。10代の頃、キムはテーム・インパラとフロントマン、ケヴィン・パーカーに夢中になった。彼女が初めて買ったギターは、パーカーが弾いているのと同じ"Squier J. Mascis"だった。高校卒業後、彼女は、クラシック・ヴァイオリンを学ぶため、マギル大学に進学したが、キャリアを追求するために1学期で中退した。実際的には、バンドをやるためだった。しかし、そのあともしばらくの間、暗中模索が続いた。つまり、依然として、音楽に対する思いやビジョンは不透明なままだった。「私はどんな音楽をやるのだろう、どうやって音楽の仕事をしていくのだろうという疑問が常に念頭にありました」と彼女は振り返る。


子供の頃に聞いた音楽が後の全てを決定づけるという一説がある。ある意味では、ミュージシャンというのは、子供の頃の理想や幻想を追い続けるロマンチストなのだ。そして彼らは、子供が蝶を追いかけるように、山のてっぺんへと登っていき、誰も辿りつけないところまで行く。歳をとり、後天的に才能が花開くケースもあるが、実際的に、私が知っている多くの音楽的な才能に恵まれた人々は、幼い頃、何らかの形で音楽に親しんでいる。子供時代の経験は無駄なことは一つもないのだ。聖歌隊で歌った人々、音楽教育を施された人々、両親が音楽愛好家であり、日頃から良質な音楽に触れる環境があった人々、ストリートでリアルな音楽に触れた人々……。彼女の生涯をかけた輝かしい音楽教育は、クラシックの弦楽器とモダン・ロックのサウンドが融合した音楽のみずみずしいサウンドという形で結実している。デビューアルバム『Duality』を見るとわかるとおり、彼女がビデオで表現しようとしたときの本物の感情が、音楽でも明瞭に表現されている。最初のアルバムの制作には、およそ4年の歳月が費やされ、プロジェクトは様々なムードやテーマに跨ることもあり、また、時には1曲の中で完結することもあった。 

 

 

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限られた人だけに受けいられるポピュラー音楽ほど不完全なものはない。一部の幸福な人のために音楽は存在するのではないのだから。明日がわからない人、今まさに悲しんでいる人、傷んだ人の心を癒さずして、「スター」を名乗れるのだろうか。ルナ・リーが歩んできた道は、直線ではなかった。むしろギザギザで曲がりくねった道を歩んだ事が、その心に聖なる火を灯すことになった。だから、リーの音楽が不幸な人から幸せな人の心まで響きわたるのはそれほど不思議なことではないのである。「私が曲を書くときは、決してひとつの表現にはなりえないと感じている。たとえ、それがハッピーな曲であっても、私はいつも悲しみの要素を大切にしている」とキム。デビュー・アルバムのタイトル曲は、ギター・ラインの間にドラマチックな間があり、徐々に壮大で爆発的なコーラスへと盛り上がっていくメロウなトラックが特徴だ。


ルナ・リーのソングライティングにおける考えには大いに共感すべき点がある。音楽の最大の魅力は、それまでなんの関係もなかった、人種、階級、考え、趣味趣向も異なる人々が一つに繋がるということだ。リーの場合は音楽を通じて、"世界の人々と思いをシェアする"ということだった。結局のところ、『Duality』に収録されている曲は、彼女がキャリアをスタートさせてから音楽作りのプロセスがどのように変化したかを反映していた。「駆け出しの頃は、自分のアートは、自分自身を表現するものでしかなく、自分の感情を吐き出す方法だと感じていた。それはセラピーでもあった」とキムは言う。「もちろん、今でもそうなんだけど、今は自分の''音楽で人々とつながることができる''という特別な思いがある。自分の音楽を、他人とつながるための方法であると考えるようになった。感情を分かち合い、エネルギーを分かち合うためにね......」


現在、二作目のアルバム「When a Thought Grows Wings (思考が大いなる翼に育つ時)」のリリースに向けて、ルナ・リーは着実にスターへの階段を昇っている。第二章は、「メタモルフォーゼ」という驚くべき手段によって行われる。それは、八年間連れ添ったパートナーとの別離による悲しみを糧にし、音楽を喜びに変えることを意味する。彼女は過去にきっぱりと別れを告げた。

 

トロントの家族、そして、恋人との辛い別れの後、リーは夢のある都市ロサンゼルスを目指した。映画産業の街、ビーチの美しさと開放感は、彼女の感性に力強い火を灯した。最早、リーのソングライティングにはデビューEPの頃のような迷いはない。彼女は自分がなすべきことをわかっている。自分の音楽が何のために存在するのか、何のためにバンドを飛び出してソングライターになったか。リーは理解している。


世界を制覇するには欠かさざるものが三つある。勇敢さと大胆さ、そして、勢いだ。そのため、今、彼女は、Yaejiのようにオックス(斧)を肩にかけ、世直しの旅を始める。時は来た。ジャパニーズ・ブレックファーストの再来を心から祝福しよう。




Luna Li  「When a Thought Grows Wings」- In Real Life Music / AWAL

 


デビューアルバムではベッドルームポップ/ネオソウルと、AWALに所属するLaufeyを彷彿とさせるソングライティングを行っていたルナ・リーだったが、セカンドアルバムでは、驚くべき転身を果たす。

 

ハープのグリッサンドやエレクトリックピアノの演奏を交え、クレイロやミシェル・ザウナーのようなポスト・バロック・ポップ、西海岸のチルウェイブの象徴的なプロデューサー、Poolsideのようなリゾート感覚を持つダンスミュージック、ネオソウルを中心とするメロウさにドラムのサンプリングを配するブレイクビーツの要素を交え、特異なポピュラーミュージックを築き上げる。

 

まず間違いなく、若者向けのインフルエンサーの意味合いを持つ「AWALらしいポップス」と言えるようが、ミシェル・ザウナーのように、ビートルズからのアートポップの影響、「Hotel Calfornia」の時代のイーグルスのソフィスティ・ポップの影響も加わり、唯一無二の音楽性が組み上げられ、「さすが!」と言わせるような作品に仕上がっている。モダンでスタイリッシュなソングライティングは、2020年代のポピュラーアーティストの象徴的な作風で、ソーシャルメディア全盛期の需要に応えみせたといえる。その反面、一度聴いただけでこのアルバムの全体像を把握することは容易ではない。このアルバムは快活であるが、軽薄ではないのだ。トラック全体の作り込み、ボーカルの多様な歌唱法、対旋律的なフレーズの配置、そして、それらを包み込むゴスペルに比するソウルフルな雰囲気が絶妙に合致している。セカンドアルバムは、聞き手を陶酔させる中毒性と、静かに聞き入らせる深度を兼ね備えた稀有な作品である。もちろん、そこにソングライターとしての観念体系も加わった。「思想の翼が育つ時」というタイトルは大げさではない。シンガーが生まれたトロントを離れ、ロサンゼルスに向かい、その先で新しい生活を築くという人生の重要な期間が音楽によって見事に象られている。そして、それらの人生の一側面を示す音楽が鷹の羽のように大空にゆうゆうと羽ばたいている。

 

シンガーソングライターとしての真価を見る時、大切なのは、ループサウンドを用いる時、次のフレーズを呼び込む創造性が含まれているかどうか。それが前のフレーズから飛躍したものであるほど、その人は現在のところ、「才能に恵まれている」ということになる。そして、アルバムやEPの終盤で音楽が萎んでいくのか、無限に広がっていく感覚がするのかということである。

 

ここで、天才と秀才の決定的な差が判明することがある。音楽だろうが、文学だろうが、映像だろうが、絵画であろうが、天才的な表現者は、次にやってくる何かがあらかじめわかっているように作品を制作する。彼らは、頭の上に創造の源泉を持ち、そこから情報を汲み取るというだけなのだ。そんな人々に自らの頭脳を凝らして制作するタイプの人々が叶うわけもない。そして、最初のイメージを形づくるモチーフを風船のようにふくらませながら、糸を手繰り寄せるかのように、次の展開を呼び起こすフレーズを繋げていく。そして、LEGOのブロックのように呆れるほど簡単に組み上げてしまう。

 

たとえ制作者は否定するとしても、録音現場の環境は、実際的にその作品に少なからず影響を及ぼす。それは状況が実際の音楽に乗り移ることがあるからである。カルフォルニアで制作されたものと、ニューヨークで制作されたものが異なるのは当然のことで、このアルバムには間違いなくロサンゼルスの空気感が反映されている。「1-Confusion Song」では、エレクトリック・ピアノのアルペジオをモチーフにして、コアなブレイクビーツを背景に、多彩な展開力を見せる。背景のビートに乗せられるのは、しかし、AWALのアーティストらしい柔らかく艶めかしいボーカル。ルナ・リーはセカンドアルバムで、ネオソウルの影響を活かし、ボーカルの節回しに巧みなグルーヴを加えている。ヒップホップのグルーヴとR&Bのメロウさ、そしてオルトポップの亜流性が、このアルバムの序盤の印象を決定付ける。スケールやコード感覚も絶妙であり、ほとんど停滞する瞬間はない。スムースな曲の展開の中で、ピクシーズの系譜にあるオルタネイトなコード進行や移調を巧みに交えながら、一部の隙もないオープニングを組み上げる。 

 

 

 「1-Confusion Song」

 

 

 

このアルバムではアジア系のシンガーソングライターとしてのエキゾチズムも遺憾なく発揮されている。「2-Fantasy」では、彼女が幼い頃から慣れ親しんできたハープのグリッサンドの演奏を琴のように見立てて、幻想的なイントロを作る。その後、カラオケのMIDIのようなトラックメイク、そしてアフロジャズ風のフルートを起点として、伸び上がるようにソウルフルな曲調へと繋げていく。従来から培ってきたベッドルーム・ポップのフレーズをオーガニックな雰囲気で包み込んで、現代的なソフィスティポップの理想形を作り上げていく。Poolsideのようなチルウェイブの範疇にある心地よいビートは、バレアリックの要素こそ乏しいが、ダンスミュージックのフロアのクールダウンのような安らぎと癒やし、穏やかさな感覚をもたらす。そして、Laufeyの系譜にあるR&Bの音楽性は、モダンでアーバンな質感を帯びる。コーラスワークも絶妙であり、二つのボーカルの重なりは、夕日を浴びる西海岸の波のように幻想的にきらめく。アルバムの序盤は、こういったチルウェイブに属する心地よさと安らぎに重点が置かれている。「3-Minnie Says」では、シティ・ポップに近い音楽性をトロピカルの要素と結びつける。ルナ・リーは、現実的な人生がたとえ悲しい瞬間があろうとも、楽園的な音楽性を作ることを厭わない。いや、むしろ音楽は、現実とは対極にあるものを作ることができることを示す。



「4-Golden Hair」はピアノのイントロからブレイクビーツを絡めたベッドルームポップへと移行する。オルトポップソングを書くことを念頭においているらしいとはいえ、ボーカルの節回しにはヒップホップのハナシがあり、またニュアンスがある。ここでは、TikTok世代のソングライティングと、Youtubeからキャリアを出発させたリーのヒット・ソングに対する考えを垣間見ることができるはずだ。甘いメロディーのポップ、ブレイクビーツ、R&Bを反映させたメロウさ、これらを三位一体として、アルバムの序盤の3つの収録曲と同じように流動的なフレージングを見せる。同じフレーズにこだわらず、次の展開にすんなり移行するのが、心地よさを呼び覚ます。そして、この曲に満ちるリゾート的な空気感は、二つのヴォーカルのハーモニーによって引き上げられる。驚くべきことに、それは幻想的な夕日と海岸のイメージすら呼び起こすことがある。ここには、カルフォルニアに移住したシンガーの新生活の感動が含まれている。

 

アルバムの中盤の2曲では、眠りの前の微睡みのような瞬間をオルトポップで表現している。「5-I Imagine」、「6−Enigami」では、エレクトロニックピアノの音響を基にして、メロウなアトモスフィアを作り、その背後の枠組の中で、同じようにベッドルームポップやオルトポップの甘いフレーズを歌う。そして前者ではチルウェイブ/チルアウトの作風をベースとして、彼女が信奉するテーム・インパラからのモダン・サイケの影響をバロックポップのソングライティングの枠組みとかけ合わせて、このアーティストにしか作りえないものを提供している。「6−Enigami」はハープの演奏を基にして、それを古典的なジャズをモダンな作風に置き換えている。Bjorkの「Debut」の作風を受け継ぎながら、コーラスを交えて祝福的な感覚を作り上げる。マニュピレーションによる電子音楽と、背景のストリングスの要素は、エクスペリタルポップの範疇にあるが、曲の最後ではイントロでは想像もできないような壮大な美麗さを作り上げる。 

 

 「6−Enigami」

 

 


「美学」と言えば、大げさになるが、美学というのは、すべて観念から生ずる。そしてルナ・リーの音楽的な美学が、すでにこの二作目でちらほらと見え始めている。現代的なシンガーの代表格であるクレイロ、ボリンジャーと同じように、古典的な音楽に対する憧憬が本作の中盤から後半にかけて、「ポスト・バロック」という次世代のスタイルを作り出し、圧巻のエンディングを呼び込む役割を果たす。そう、このアルバムは、一つの水の流れのようにうねりながら、オープニングから中盤、そしてクライマックスへと続き、最後の劇的な音楽への予兆となる。 

 

華麗なハープのグリッサンドからはじまる「That's Life」は、このアーティストがアイスランドのビョークの次世代に位置することを伺わせるが、その後は、60年代や70年代のフォークポップを彷彿とさせる曲調に移行する。いわば、Domino Recordingsの所属アーティストのようなノスタルジックなロックソングやポップに焦点を絞っている。この古典的なサウンドは、Real Estate、Sam Evian、Unknown Mortal Orchestraといった男性ミュージシャンがリバイバルとして復刻しているが、それらの系譜を女性シンガーソングライティングとしてなぞらえようとている。しかし、二番煎じとはいえども、ルナ・リーがもたらすベッドルームポップの旋律の甘さは、奥深いノスタルジアを呼び起こす。同じように古典的なポップスを踏まえた曲が続く。

 

「I Would Let You」では、メロディーズ・エコーズ・チャンバーに代表される、次世代のフレンチ・ポップの系譜を受け継いだ甘くメロウなナンバーとして楽しめる。幽玄なホーン、遊び心のあるハープのグリッサンド、そして弦楽器のピチカートを交えた「Take Me There」はルナ・リーの絶妙な音感から美麗なボーカルとコーラスのハーモニーを生み出される。内省的で抒情性溢れるボーカルについては、mui zyuを思わせるが、やはりその後の展開はやや異なる。ルナリーの場合は、メロトロンを使用したビートルズ風のバロックポップを起点に、やはり懐かしいポップスという現代的なシンガーソングライターの系譜に属する曲を作り上げる。そして現時点では、ハープのグリッサンドがこの歌手の強みであり、曲の後半では、R&Bのコーラスワークに加わるグリッサンドが色彩的な音響性を生み出し、うっとりしたような空気感を生み出す。


アルバムの後半部では、ラナ・デル・レイがお手本を示した映画的なポップスへと移行し、クライマックスへと続いている。アフロ・ビートを思わせるフルートの演奏をクラシック・ストリングスと重ね合わせ、美麗なハーモニクスを構築した上で、オルトポップの範疇にあるボーカルを披露するという面では、現代のトレンドに沿っているが、やはり、ミシェル・ザウナーに影響下にある甘いポップスの雰囲気が、アルバムの後半では色濃くなる。そして、今年のポピュラーの傑作といえそうなアルバムのクローズ曲へのインタリュード代わりとなる。前にも述べた通り、アルバムの中の素晴らしい一曲が、他の全ての難点や弱点を帳消しにしてしまう事例は、従来のポピュラー音楽史でも何度もあったことであると思う。

 

全体的なポピュラー・アルバムとしての評価は別としても、ジャパニーズ・ブレックファーストの系譜にある「11−Bon Voyage」は、今年度のポップスの名曲に挙げても違和感がない。その中には、ギルバード・オサリバンの「Alone Againe」のようなバロック・ポップの強烈な切なさと哀感が込められている。ボーカルのニュアンスには確かに、メロディーズ・エコーズ・チャンバーのような次世代のフレンチポップからの音楽的な影響があり、それが実際的にヨーロッパ的な華やかさを与えている。

 

ハープのグリッサンドとストリングスの駆け上がりの後、アンセミックなサビを通じて、祝福的なポピュラーを構築し、ビートルズ、オアシスの次のスタンダードを劇的に構築している。ビートルズのチェンバーポップ、オアシスのブリットポップの次世代に当たる「ポスト・バロック/ネオ・バロック」というジャンルは、すでにクレイロ、beabadoobeeの最新アルバムにも示されている通り、今後、ポップスターの音楽により多く組み込まれるようになるはずだ。


細々とした説明をするまでもなく、このクローズ曲は、今年聴いたなかで最も圧倒されるものがあった。中途半端な曲をたくさん詰め込むよりも、スペシャルな一曲がある方が俄然評価は高まるのは当然のことなのだ。

 


95/100

 

 

Best Track- 「Von Boyage」

 

 

 

 

*Luna Liの新作アルバム「Whin a Thought Grows Wings」はIn Real Life Music/ AWALから本日発売。ストリーミング等はこちら