【Jazz Age】Vol. 3 Sonny Rollins ハード・バップ、ビバップの飽くなき開拓者 カリプソとジャズのクロスオーバー
モダンジャズの開拓者、ソニー・ロリンズは、当初、マイルス・デイヴィスの人脈から登場したプレイヤーという側面では、先に紹介したビル・エヴァンス、そしてジョン・コルトレーンに近い人物である。
そして、ドラッグ関連での私生活の悪辣っぷりは、この当時のジャズ・プレイヤーの象徴的なエピソードと言えるだろう。もうひとつ現実的な側面では、駆け出しのミュージシャンにはそういったものは高価で彼の給料ではまかないきれなかったのだろう。しかし、必ずしもソニー・ロリンズは生涯にかけて品行方正であったなどとは言えないが、やはり音楽家、演奏家としては傑出していたといわざるをえない。
ソニー・ロリンズの最も優れた点を挙げるとするなら、ジャズの文脈でいえば、ハードバップ、そして、ビバップを生涯に渡って探求しつづけたこと、さらにリズムやビートに核心をもたらしたこと、次いで、彼のルーツであるカリプソやボサノヴァをはじめとするラテン音楽をジャズの文脈に引き入れたことだろう。
これはソニー・ロリンズが現代のヒップホップミュージシャンのようにビートの革新性に夢中になっていたことを裏付ける。また、ロリンズはいっとき、クラシカルなニューオリンズ・ジャズに傾倒したこともあったが、基本的には、ハード・バップ、そして時々気まぐれに、モード奏法をベースにしたジャズをレコーディングしたのだった。そしてまた、ソニー・ロリンズの作品を語る上で最重要なのは、アーカイブやコンピレーションは例外として、彼が作品として冗長なものをほとんど残さなかった。ライブ録音を含めて基本的には、現在のミニアルバムやEPのような小規模の構成を持つ作品がきわめて多いことに気がつく。ここにロリンズの作曲家としての流儀が込められている。簡潔さを重視し、退屈なものはいらないということだ。
そういった他人には譲れないプライドにも似た感覚、わが道を行くというような矜持にも似た思いは、流動的なリズムを持ち、そして絶えず調性や旋法が移り変わるバップ/ハードバップのジャズの形式に、彼の心を惹きつけた主な要因でもあったのだろう。もちろん、作曲家の音楽と人生が無関係であることはないことを見ると分かる通り、実際的に、そういった冒険心やアバンチュール好きの精神は、彼の転変多き人生に色濃く反映されていると見ても違和感がない。
ロリンズは音楽の英才教育を受けた。9歳のとき、ピアノを習い始め、11歳の頃には、アルト・サックスを演奏しはじめ、ハイスクールではテナー・サックスを演奏しはじめた。派手さ、そしてなにより華美な感覚を愛する心は、ソニー・ロリンズのサックス・プレイヤーとしての基礎や素地を形成することになる。19歳になろうというとき、ソニー・ロリンズは最初のレコーディングを行い、自作曲「Audobon」を制作した。すでにこの頃にはバド・パウエルと共演を果たしている。若い頃、ロリンズは英雄にあこがれていた。彼の若い頃のメンターは、チャーリー・パーカー。その後、マイルス・デイヴィスのバンドに参加し、バンドリーダーとして録音を行う。1951年。デイヴィスと出会って一年後のことだった。最初の年代では、憧れのチャーリー・パーカーと共演を果たす。ようやく念願がかなったのは、二年後のことである。これもやはりマイルス・デイヴィスとの共演から発生した偶発的な出来事であった。
ビル・エヴァンスの私生活のスキャンダラスな薬物問題とおなじように、最も流れに乗っていたロリンズの人生に暗雲が差し込んだことがあった。それがすなわち、「音楽家としての生命の危機」である。マイルス・デイヴィスのバンドでジャズプレイヤーとして活躍後、彼はヘロインの依存治療に追われる。実際的には、薬物依存を克服するまで、音楽家としてのキャリアを中断させる。その頃のロリンズにとって、ニューヨークはあまりに巨大で手に負えない都市だったのか。ニューヨークからシカゴに移んだソニー・ロリンズは、ほどなくタイプライター修理工場で勤務した。肉体労働者に混じり汗水を流すロリンズの目の端を幻影がかすめる。数年前、彼は音楽家であったが、その頃は何者でもなくなっていた。ジャズ・プレイヤーとして最も注目を浴びていた数年前のことが、まるで幻や夢のように背後に遠ざかっていく。
しかし、そういった実際的な暮らしから汲み出されたきたもの、泥臭い感覚や地に足が付いた感覚、何かの完成させるためには近道はありえず、一歩ずつ足取りを進めていく意外の道はひとつも存在しないこと。こういった工場勤務時代のロリンズの経験は間違いなく、その後のジャズ・プレイヤーとしての大成への布石となったと言える。
彼は、この時代、着実に何かを積み重ね、成功を掴むためには小さな体験を繰り返すことを学んでいたのだろう。1956年、初のリーダーとして録音したアルバム「サキソフォン・コロックス」で最初の成功を掴み、ジャズプレイヤーとしてようやく日の目を見ることになる。ブルーノート、コンテンポラリー、そしてリバーサイドなど名門のレーベルにカタログを残し、そしてカーネギーホールでのコンサートを成功させた。ロリンズの最初の黄金時代である。
その後、ロリンズはしばらく表舞台から姿を消した。一般的な理由は「自分の演奏を見つめなおす」という他の人々から見ると、解せないようなものだった。1950年代後半には、まったくライブや録音から遠ざかり、数年間、みずから練習に精励していたという。以後、再び、1960年代に入り、RCAと契約を結び、ジム・ホールなどを招聘し、彼の代表作の一つである『The Bridge』に制作に取り掛かる。同年、『What’s New』を発表し、量産体制に入った。この頃、ちょうどアヴァンギャルド・ジャズの最初のウェイブが沸き起こったが、新し物好きのロリンズはもちろん、その流れに無関心ではいられなかった。ドン・チェリーとの共同作業は、『Our Man In Jazz」という目に見える形になり、以降のフリージャズ運動の先駆けとなった。
◾️「フリージャズ」の開拓者たち オーネット・コールマンからジョン・コルトレーンまで
以降は、ライブ活動もより旺盛になった。カナダのニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演後、日本に来日し、モヒカン・ヘアの斬新さで人気を獲得する。当時、ロリンズがこういったモヒカンの髪型にしたのは、明確な理由があるらしく、当時マイノリティであったアフリカ系アメリカ人としての誇りを示すと共に、ネイティヴアメリカンの苦悩に無関係ではいられなかったという理由による。以降、インパルス!、マイルストーンなど、名門ジャズレーベルを渡り歩く中、映画音楽やコラボレーターとしての才覚を遺憾なく発揮するようになる。ローリング・ストーンズの『Tattoo』にも参加し、ミック・ジャガーをして「ロリンズこそ最高のサックス奏者」と言わしめた。彼の全盛期の音楽的な貢献には、ジャズを他のジャンルと融合させ、単一の表現から解放するという趣旨があった。もちろん、ストーンズの代表的なカタログへの参加により、ロックとジャズを架橋しただけではなく、クラシックとジャズのクロスオーバーにも取り組んだ。1986年、読売交響楽団とコラボし、「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」でジャズとクラシック音楽の垣根を取り払うことに一役買ったのである。
WW2の以前から大きな世界の政変の流れを見てきたソニー・ロリンズにとって、時代の変遷と音楽は常に連動しており、無関係ではありえなかったように思える。もちろん、2024年現在もまた、ソニー・ロリンズにとって、これは未来に引き継がれるテーマなのかもしれない。特に、21世紀初頭の同時多発テロは、演奏家に大きな衝撃をもたらした。数ブロック先で事件を目撃したというロリンズ。音楽家は、20世紀の資本主義の象徴であるワールドトレードセンタービルの崩壊をどのように見ていたのだろう。噴煙が上がり、一帯が封鎖され、無数のパトカー、警官、崩落するビルから命からがら逃れる人々。濛々たる噴煙がニューヨークのブロック全体に立ち込める中、ブルックリン橋を足早に渡っていく人々。崩れ落ちたビルの最下層で救出にあたる救急職員。その合間に取材を行う独立ジャーナリストたち……。少なくとも、アメリカという国家が大きく転変したのは、2001年だった。当時、ロリンズは素晴らしいことに、音楽の持つ生命力で人々に勇気を与えることを選んだ。その後予定していたボストンのライブを続行、2005年には、9.11の追悼的な意味を持つコンサートアルバムを発表している。現在でもロリンズが偉大である理由は、音楽の力によって世界を変えようとしたことだ。
■ソニー・ロリンズの代表作 ビバップ、カリプソ曲から映画のサウンドトラックまで
『Saxopohone Colossus』 Concord Music Group 1957
1956年6月22日、ニュージャージー州ハッケンサックのスタジオで、プロデューサーのボブ・ワインストックとエンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーと共にモノで録音された。ロリンズは、このアルバムで、ピアニストのトミー・フラナガン、ベーシストのダグ・ワトキンス、ドラマーのマックス・ローチを含む、カルテットを率いた。ロリンズはレコーディング当時、クリフォード・ブラウン/マックス・ローチ・クインテットのメンバー、レコーディングはバンドメイトのブラウンとリッチー・パウエルがシカゴでのバンド活動に向かう途中で交通事故で亡くなる4日前に行われた(ブラウンとパウエルを乗せた車にロリンズは同乗していなかった)。
母方がヴァージン諸島出身で、若い時代からロリンズはカリプソ「トリニダード・トバゴの音楽で、レゲエの元祖)に親しんできた。本作ではカリブの陽気なリズムや音楽、そしてカーニバル音楽の性質を持つ。「St.Thomas」を中心に5曲というシンプルな構成でありながら、ソニー・ロリンズの陽気なバップをベースにした流動的なフレージングやブレスがきらりと光る。一方、メロウなニューオリンズジャズを踏襲した「You Don't Know What」もジャズバラードとして秀逸。また、マイルス・デイヴィスバンドのモード奏法を踏まえた「Moritat」もスタイリッシュで洗練された響きがあり、モダン・ジャズの流れの基礎を作った必聴ナンバー。
『The Bridge』 Sony Music 1962
ソニー・ロリンズは1959年から活動を停止したが、ウィリアムズバーグ橋で人知れずサックスの練習を重ねていたというエピソードがある。「The Bridege」及びアルバム・タイトルは、その練習場所にちなんでいる。
そして、1961年11月、公衆の面前での演奏を再開した。ほどなく、RCAビクターのプロデューサー、ジョージ・アヴァキャンがロリンズとの契約を取り付けた。「Without A Song」は、ロリンズのコンサートでしばしば演奏された曲で、アメリカ同時多発テロ事件から4日後のボストン公演でも披露され、同公演を収録したライブ・アルバムのタイトルにもなった。「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」は、ビリー・ホリデイが1941年に発表した曲のカバー。
本作では、エラ・フィッツジェラルドの伴奏ギタリストとして知られていたジム・ホールが重要な役割を果たしている。ホールの1999年のインタビューによれば、ロリンズはピアノの和音よりもギターの和音の方が隙間があって触発されやすいと考え、サックス・ギター・ベース・ドラムのカルテットで制作することを決めたという。
『The Brigde』はチャーリー・パーカーの後の世代のビバップの作風が色濃いが、この作品ではジャズそのものの持つメロウな響きに焦点が置かれている。いわば、ロリンズのジャズ作品の中では落ち着いた雰囲気があり、ゆったり聴くことができる。
アルバムの冒頭では、「Without A Song」に象徴されるように、ビバップの楽しげな響きが特徴となっているが、アルバムの中盤では、ジャズバラードに近いR&Bに近い響きが押し出されている。タイトル曲のハード・バップに属する旋法や調性の運び、そして演奏の持つ強烈な個性も捨てがたいものがあるが、他方、ギターとの室内楽のような上品な響きを持つ「Where Are You」のようなナンバーにこそ、ロリンズのサックス奏者の醍醐味が凝縮されている。「God Bless The Child」のコントラバスの精細感のある演奏、モンゴメリーの系譜にあるギター、それらをリードするロリンズのサックスの演奏もジャズの潤沢な時間をもたらすアルバムのラストを飾るスイング・ジャズ「You Do Something To Me」はジャズライブなどで映えるような曲で、楽しげな雰囲気がある。一つも蛇足がなく、完結な構成でまとめ上げられている。
時代感を失わせるようなジャズの陶酔感のある響きを体験することができる。1950年代、ウィリアムズバーグ橋でサックスの演奏をしていたジャズの巨人の姿が目に浮かんできそうである。
『What's New?』 BMG France 1962
ハードパップなどの新しいジャズの形式を追求する中で、ソニー・ロリンズの重要な音楽的なルーツであるカリプソやラテン・ミュージックに回帰したのが本作である。ロリンズが1970年代に展開させていくファンク・ソウルやマーヴィンやクインシーに代表されるアーバン・コンテンポラリーとジャズの「クロスオーバーの原点」を今作には発見できる。アルバムの冒頭を飾る「If Ever I Would Leave You」ではカリプソのリズムとビバップのスケールやリズムを結びつけようという試みが見受けられる。さらに、「Don't Stop the Carnival」ではカリプソのカーニバルの音楽とマイルス・デイヴィスのモード奏法を融合させ、エスニックジャズを予見している。
さらに本作の中盤でも、南米のラテン音楽の陽気で開放的な音楽性が色濃く反映されている。「Jungoso」、「Bluesongo」では、彼のアフリカ系アメリカ人のルーツを音楽という形で押し出し、それらを楽しげな演奏によって彩っている。さらに1948年公開の映画の主題歌「The Night Has a Thousand Eyes」ではボサノヴァをジャズと融合させ、クロスオーバーの飽くなき可能性を探求している。もちろん、陽気なサックスフォンの響きを心ゆくまで堪能できるはず。
発売当時は、アメリカ盤が「Don't Stop the Carnival」を除く5曲入り、イギリス盤や日本盤が「If Ever I Would Leave You」を除く5曲入りだったが、現行の日本盤CDは6曲入りの完全版として販売されている。また、日本では『ドント・ストップ・ザ・カーニバル』という邦題がついていた時期もあったという。 「Don't Stop the Carnival」は、『Saxpohone Colossus』の一曲目に収録されている「St. Thomas」と並ぶ、ロリンズの代表的なカリプソ曲。ライブでもしばしば演奏された。
『Alfie』 (Original Music From The Score) GRP/UMG 1966
すでにミュージカルという側面では、映画音楽とジャズはその成り立ちからして密接に結びついているが、あらためてジャズが映画音楽として有効であることを示したのが「Alfie」のサウンドトラックである。特に、「He's Younger Than You Are」は映画音楽として秀逸である。
今作『Original Music From The Score “Alfie”』は、1966年に公開されたイギリス映画「アルフィー」のために作曲されたソニー・ロリンズのオリジナル盤であると同時にサウンドトラックである。編曲と指揮はオリバー・ネルソンが担当し、バックメンバーにはケニー・バレル(ギター)、J.J.ジョンソン、ジミー・クリーブランド(トロンボーン)、フランキー・ダンロップ(ドラム)、ロジャー・ケラウェイ(ピアノ)らが参加。このアルバムはR&Bビルボード・チャートで17位を記録し、評論家のロヴィ・スタッフはオールミュージックで5つ星のうち星4.2の評価を与えている。映画としては評価が芳しくない作品だが、ロリンズの音楽が映像に最適であることを象徴付けるサウンドトラック。もちろん、ソニー・ロリンズのジャズはBGMとしても十分楽しめる。
『Old Flames』 Fantasy Inc. 1993
70年代以降は、ファンク・ソウルやアーバン・コンテンポラリー、そして当世のポップスなど様々な音楽とジャズとの融合を試み、少しだけライトでポップな音楽家になったかと思えたロリンズ。
突如、1990年代のアルバムで再びジャズのスタンダードな響きを刻印したアルバムを発表する、それが『Old Flames』である。 ロリンズがクリフトン・アンダーソン、トミー・フラナガン、ボブ・クランショウ、ジャック・デジョネットと共演し、ジョン・ファディス、バイロン・ストリップリングス、アレックス・ブロフスキー、ボブ・スチュワートがアレンジした2曲を加えた。
依然として、コンパクトな構成のアルバムをリリースするというロリンズの流儀に変更はない、シンプルな7曲が収録されている。そして、ビバップ、ハード・バップを徹底的に追求したサクスフォン奏者の集大成のような意味を持つアルバム。長い歳月を経て、チャールズ・ロイドのように渋さのある演奏法をロリンズは選び、円熟味のあるモダン・ジャズを完成させている。それに加えて、ロリンズは20世紀のミュージカルのような音楽性をジャズに付加している。取り分け「I See Your Face Before Me」は、静謐な味わいを持った素晴らしいナンバーである。