【Weekly Music Feature】 Isik Kural 『Moon In Gemini』  瞑想的なアンビエント/エレクトロニック

 

Isik Kural

グラスゴーの音響作家、イシク・クラルの音楽は、未来の記憶の場所から届く。彼のつつましく親密な歌は、つかの間の瞬間をコラージュし、文学的な引用や人生のサイレント映画からのちらつきで彩られ、完璧に詩的で不完全な世界の印象主義的スナップショットを作り出す。イシクの音楽は、日常生活の素朴な驚きが顔を覗かせ、想像力が常に発見のために熟しているような、優しく限界のある状態にチューニングを合わせる。


トルコで生まれたイシクは、10代の頃からナイロン弦のギターで音楽を作り始め、徐々にフィールド・レコーディングやシンセサイザーを加えていった。イスタンブールの自宅からマイアミに移り、音楽エンジニアリングを学んだ後、ニューヨークで過ごし、最終的にはスコットランドに上陸、グラスゴー大学でサウンドデザインとオーディオビジュアル実践の修士号を取得した。


移動中、イシクの活動は、伝統的なソングライティングとより実験的なアプローチを融合させることで発展していった。時にはギターでメロディーを選び、時にはアンビエントのライブ演奏からメロディーが生まれる。詩は文学のパルプを加工したものから生まれ、歌はループや周囲の世界の録音から雰囲気を紡ぎ出した。


イシクの音楽は、イタリアのレーベル、Almost Halloween Recordsからリリースされた、声、シンセサイザー、ギター、ピアノ、グロッケンシュピールから作られたアルバム、2019年の『As Flurries』で流通し始めた。2022年、イシクはRVNG Intl.から初の作品『in february』を発表した。この作品は、偶然のループ、ミュージシャンのステファニー・ロクサーヌ・ウォードとのヴォーカル・コラボレーション、pka spefy、トルコの詩人グルテン・アキンの作品やアン・カーソンによるソフォクレスの翻訳など、さまざまなテキストを引用して作られた魅惑的なレコードであった。


新譜『Moon in Gemini』では、『in february』や『Peaches』で聴かれた想像力豊かなインストゥルメンタル・テクスチャーをベースに、よりヴォーカルを前面に押し出したサウンドを披露している。民謡の形式を彷徨いながら、イシクは自然のイメージと人生に対する素朴な考察に溢れた愉快で風変わりな物語を語り、多くのトラックで再びスペフィと共演することになった。気まぐれなアンビエント表現が2人のソングライティングに織り込まれ、これらの音のスクラップブックは、限りない遊び心の中でゆがんだり揺れたりする。


フルート奏者のテンジン・スティーヴン、ハープ奏者のカースティン・マッカーリー、クラリネット奏者のジュリア・タンボリーノとのコラボレーションにより、静寂なピアノとフィールド・レコーディングがさらに豊かさを増している。『双子座の月』の14曲からなる組曲には、優しいパスティーシュがまとまり、イシク・クラルは聴き手を可能な限り深い白昼夢へといざなう。

 


『Moon In Gemini』/RVNG



トルコ出身で、現在グラスゴーを拠点に活動するイシク・クラルのアルバムは、シンセ、アコースティックギター、フルートの演奏などを駆使し、オーガニックでナチュラルな電子音楽の世界を提供する。クラルの音楽には、包み込むような温かさと広がりがあり、そしてグラスゴーの牧歌的な風景を「サウンドスケープ」として呼び起こす。このアルバムにはストーリー性が含まれ、牧歌的な風景で始まったかと思えたアルバムは、収録曲ごとに異なるサウンドスケープを描き、やがて製作者が志向する夜の月の光景で終わる。特に、多彩なフィールドレコーディングが散りばめられ、それがアコースティックギターや電子音のマテリアル、そして制作者自身のふんわりとした穏やかなボーカルと結びつき、現代のいかなる音楽とも似て非なるスペシャリティーを構築していく。クラルのボーカルはどちらかと言えば、少し癖があるため、好き嫌いが二分されるかもしれないが、彼のボーカルは電子音楽やアコースティックギター、木管楽器(フルート)を中心に構成される音楽的な感性と驚くほど見事に溶け合い、4つ目の楽器の音響的な役割を担っている。


イシク・クラルの構築する電子音楽は、IDMに属する。そして、知的な創造性を掻き立てるものでありながら、深い情感を呼び覚ますものでもある。何より、イシク・クラルの導き出す電子音楽は、水のように柔らかく、秋風のように爽やかだ。さらに何より重要なのは、彼の音楽の中には、グラスゴーの緑豊かな風景や教会のような光景、そして同じように、ケルト民謡の原初的な魅力が含まれるということである。「1- Body Of Water」では、アコースティックギターの演奏をもとに、電子音楽のキラキラとしたマテリアルを配して、そして木管楽器の演奏を付け加える。そして、パンフルートのような音色をベースにしたシンセリードを古めかしいオルガンに見立て童話的な音楽世界を築き上げていく。スコットランドの美しい風景や和やかな光景をかなり見事に電子音楽という形で縁取ってみせている。喧騒から解き放たれ、そして「内的な静けさ」を思い出すための音楽であり、それはまた瞑想的な感覚に充ちている。

 

「2- Prelude」では、ケルト民謡で使用されるようなアンティークな音色を持つアコースティックギターにシンセのパンフルートのアルペジオの伴奏を付け足して、やはり他のどの音楽にも似ていない特異なIDMを作り上げる。 そして、甘い感覚を持つイシク・クラルのボーカル、鳥のさえずりのフィールドレコーディングを付け加えて、自然味溢れる音響空間を構築していく。何の変哲もないミニマル・ミュージックの構成であるが、ときどき、彼の紡ぎ出すシンセのアルペジオからは、センチメンタルな感覚やノスタルジア、そして童話的な雰囲気が立ち上ってくる。これらはアンビエントのような抽象的な音像として組み上げられていくが、そして、実際的に、治癒的な電子音楽としての効果を発揮することがある。クラルの音楽にはまったく棘や毒がない。それは、イシク・クラルの音楽が「自然を見本にしている」からであり、人工物から距離を置いているからでもある。これらの癒やしは、コンクリートジャングルに疲弊した人の心を温かく包み込む。

 

イシク・クラルの表現する童話的な世界は、さながら絵画を描写的な音楽として切り取ったかのようであり、アルバムの中盤で、その物語は広がりと奥行きを増していく。「3- Almost A Ghost」に見受けられるように、彼の描く幽霊は、カンタベリーの大聖堂に出没するようなおぞましいものではなく、妖精やピクシーのような、いたずら好きの少し可愛らしいお化けである。それはまた、「指輪物語」に登場する民間伝承の考えに近い。それらは、ぼんやりとしていて、抽象的であるが、ヘンリー・ダーガーが絵本で描いたような天使的で祝福的な音楽という形で部分的に出現する。同じように、リュートのようなギターの響きを基に、ピアノの断片的な演奏やボーカルのコーラスをミュージック・コンクレートとして散りばめて、色彩的な音楽の世界を構築していく。それらに脚色的な効果を添えるのが、ハープのグリッサンド、オーケストラのグロッケンシュピール、そしてアーティスト自身のボーカルである。これらの器楽的な音響効果は、実際の音楽性に制作者が意図する幻想的な感覚を付与し、ピクチャレスクな効果を及ぼすことに成功している。最終的には、mum(ムーム)のような可愛らしいおとぎ話の世界を作り上げるのだ。 


 

 「Prelude」 

 

 

 

これらの童話的な音楽と並行して、アンビエント・ピアノの作風に転じる場合もある。続く「4- Grown One Lotta」では、ウィリアム・バシンスキーの「Reflection」のようなピアノのミニマリズムを参照しつつ、緻密でありながら先鋭的な作風を作り上げる。ヒップホップやブレイクビーツの編集的なサウンドをピアノの音響効果に適用するという側面では、ブルックリンのラップカルチャーに触発されたバシンスキーの現代的なアンビエントの延長線上に属する。短いピアノのサンプリングの素材も、イシクの手に掛かると、アナログレコードの音飛びのようなブレイクビーツの原初的なDJの手法によってトリップ感のあるアンビエントに昇華される。いわば童話的な音楽を制作する作家クラルは、「ストリートの音楽とオーケストラホールの音楽を結びつける」という画期的な作曲法を、この実験的な音楽の中で実践しているのである。

 

また、「映像的な音楽」という本作のモチーフは、その後も度々登場する。「5- Interlude」では、ローファイ・ヒップホップをベースにし、それらをノスタルジックで切ない感覚を持つ電子音楽へと昇華させている。逆再生のテープ・ループ、それから水の音のように柔らかなシンセに続いて、少し甘ったるい質感を持つクラルのボーカルがアンビエントともミニマルテクノとも言いがたい独自に音響空間を作り上げる。それらのシンプルな音色や録音の集積は、やがて教会のオルガンのような祝福的な音楽をアンビエントとして構築していく。近年の実験音楽では、コンサートホールで鳴り響くオーケストラ音楽を部分的なミュージックコンクレートやカットアップコラージュのような音楽的な作曲法によって構築するという手法が、ドローン音楽という一つのウェイブやシーンを作り上げているが、イシク・クラルの電子音楽は、一貫して細やかであり、大掛かりな演出になることはない。さながらグラスゴーの小さな礼拝堂で日曜の安息日に鳴り響くような祝福的な祭礼の為の音楽を、クラルは電子音楽として再現させようとしているかのよう。それは非常に細やかなもので、派手な舞台装置や演出とは全く無縁のものなのである。


かと思えば、彼の音楽は、曲が進むごとに、物語の舞台となる場所や背景のイメージが立ちどころに変わっていき、映像のバックグラウンドや演劇の舞台の書き割りのように、ゆっくりと推移していく。ここには、ウィリアム・シェイクスピアの演劇のように、王侯も商人も未婚の女も登場しないが、最小限の登場人物で驚くべき多彩な音楽表現が構築される。前曲の屋内で鳴り渡る音楽の直後、屋外の木陰に鳴り響く自然の音楽をテーマとして縁取っているのである。

 

「6-Redcurrents」は、教会から一歩外に出て、鳥のさえずりや木々のざわめきを目に止める時のような安らぎが込められている。イシク・クラルの電子音楽は一貫して「穏やかな平和」をモチーフにしており、それらはリンゴの実が木から落ちる時、重力の概念を発見したニュートンのような気づきと発見に満ちている。実際的には、パルス音をドローンのように連続させているが、やはり聞き苦しいものやざわめきやノイズからは一定の距離を置いており、内的な静けさと瞑想性にポイントが置かれている。最終的に、精妙な感覚を持つ重層的なサウンドスケープが曲の最後に鳴り渡る頃には、この音楽作品がバレエや劇伴のための音楽という副次的な役割を持つ作品なのではないかと思わせるものがある。電子音楽としての前衛的な試作は、続く「7-Mistaken for a Snow Silent」にも見出すことが出来、水のような音のサウンドデザイン、リング・モジュラーによる色彩的な音の構築、そして、ピアノの断片的なサンプリング、アコースティックギター、そして、イシクのボーカルという多角的な構成要素によって、遊び心のある音楽が作り出されている。聴いているだけで、何だか優しい気分に浸れるような稀有な音楽である。


情景的な音楽は、それ以降も続いている。グラスゴーの村の小さなお祭りのようなワンシーンを電子音楽で縁取った「8-Gul Sokagi」は、ケルト民謡を題材に、リュートのようなギター、生活風景の反映であるフィールド録音、木管楽器やアコーディオンのような音色を交えて、夢想的で童話的な音楽世界を見事に築き上げている。これらは、東ヨーロッパの民謡をスコアとして実際に取材をして集めたバルトークのような音楽的な手法であるが、クラルの場合は、より聞きやすくて親しみやすい。そして、ターンテーブルの音飛び(チョップ)の技法を交え、それらをモダンな作風に置き換えている。「9-Stem of Water」は、やはり同じように童話的で可愛らしい雰囲気をボーカルとして反映した一曲で、パンフルートの音色でこれらの夢想的な感覚を押し出している。それは同時に、緑豊かな土地に流れる川のせせらぎのような清々しさと安らぎに浸され、音楽そのものが一つのストリームのようにゆったりと流れていく。

 

 

アルバムの後半では同じようにフィールド・レコーディングとピアノの演奏の要素をかけ合わせ、「10-After a Rain」に見出されるような情景的な変遷を描き出そうとしている。これらは、2010年代のフォークトロニカ/トイトロニカのような音楽性と結びつき、アルバムの音楽世界を深化させる。その音楽は、ピアノやハープのサンプリングを多角的に配置することで、やはり色彩的な感覚に縁取られ、サウンド・デザインに近い指向性を持っている。終盤では、これらの音楽性が停滞したり、マンネリズムに陥る場合もあり、それがリスニングの際の難点となるだろう。その一方、その安らいだ電子音楽は、治癒の音楽ーーヒーリングーーに近い意味を帯びる。「11-Behind The  Flowerpoint」は、JSバッハの「平均律クラヴィーア」を電子音楽に置き換え、それらをボーカルトラックとして組み替えるという実験性が込められている。

 

その後の2曲では、鳥をモチーフに美麗な音楽が作り上げられる。イシク・クラルの作曲家としての未知なる可能性が示されたのが「12-Daydream Birds」である。オーケストラ・ストリングのレガート、木管楽器のトレモロの組み合わせは、最終的に民族音楽のエキゾチズムを呼び覚まし、さながら南国のような場所で鳥たちがゆっくりと空に羽ばたいていくような奇異なサウンドスケープを呼び起こす。「13-Birds Of Evening」でもフルートの演奏とハモンドオルガンのような音色を緻密に組み合わせ、至福のひととき、芳醇な時間を作り上げる。ミニマル音楽の範疇にあるが、これらの音楽の最大の弊害である気忙しさはなく、伸びやかで開放的な気風を感じさせる。

 

アルバムのクローズ「14-Most Beatutiful Imaginary Dialogues」は、名作映画のような感動的なクライマックス/エンディングで、一連の音楽による物語の最後を締めくくるのにこれ以上はない素晴らしい一曲である。木のハンマーの軋みの音を生かしたポストクラシカル系のアコースティックピアノ、クラルのスポークンワードに近いボーカル、そして、鳥のさえずりのフィールドレコーディングという、現在の作曲家の「自家薬籠中」が登場する。ハープの美麗なグリッサンドの効果、シンセサイザーのサウンドスケープを巧みに活用しつつ、イシク・クラルは、音楽によって「ふたご座の月」を出現させる。ピアノの断片的なフレーズが重なり合う時、深い感動を呼び起こすとともに、マクロコスモスを小さな音楽空間の中に造出し、アルバムのイメージを最後の最後にあっけなく覆す。アウトロで、虫の鳴き声とオルガンの麗しい音色が絶えず増幅と減退を繰り返しながら徐々にフェードアウトする瞬間、作曲家の描写音楽としてのサウンドスケープは本作の中で最大限の効果を発揮し、一つのサイクルの終焉と実り多き美しき季節の訪れを予感させる。




85/100



Best Track-「Most Beatutiful Imaginary Dialogues」

 

 

 

◾️Isik Kuralの新作アルバム『Moon In Gemini』はRVNGより本日発売。(日本国内ではPlanchaより)ストリーミングはこちらから。