【Review】 William Basinski  『September 23rd』

William Basinski『September 23rd』

 

Label: Musex International / Temporary Residence

 Release: 2024年9月27日


 

未発表曲集『September 23rd』は、何かしら鳥肌の立つような異端的なアルバムでもある。アーカイヴでありながら、実験音楽の最高峰に位置付けられる。今からおよそ42年前に録音された作品で、後に実験音楽の大家となるバシンスキーの若かりし時代の音源である。後の大家としての萌芽を見ることが出来、彼の中期の作品のほとんどが、このアルバムのコンポジションやバリエーションの技法の延長線上に位置付けられることが理解できる。バシンスキーの音楽は、基本的に一曲だけピックアップして聴いても意味がなく、続けて聞かなければ、その真価が分からないことが多い。バシンスキーの作曲は、カセットテープの録音のカットアップコラージュを中心に構成されているが、これはすでに1982年の時点で確立された技法だったことに驚く。

 

作風としては、ピアノを基にルネッサンス主義のノスタルジアを表した『Melancholia』(20003)の系譜に属する。さらに言及すれば、このアルバムの中で用いられるモチーフが登場している。ピアノのワンフレーズにエレクトロニック風のエフェクトを施し、三分から五分のセクションが40分あまり形を変えて変奏されるだけの作品(ストリーミングバージョンは80分に及ぶ)。しかし、たとえ、原始的なアンビエントのようにノンリズムで構成される作品であるとしても、無数の反復とループを繰り返すうちに、独特なアシッドハウス的な感覚が漂い始める。


彼のアンビエントの技法は、単なるエレクトロニックの演奏ではなく、音の構成自体が「雲」のようで、実際的にクロード・ドビュッシーの『Nuages』の弦楽のテクスチャーに近似している。そして、2小節ほどの短いミニマリズムの向こうからリゲティの『Atomosphere』にもよく似た奇妙なアンビエンスが立ち上ってくる。


リゲティの場合は、アウシュヴィッツの不気味さであったが、バシンスキーの場合は、孤独と甘美的なロマンスである。彼の音楽は一つの入口の扉をおもむろに開き、その果てにある無限なる世界、靄や霧に覆われた抽象的なアストラルへの道筋を描くかのようである。いつのまにか聞き手は惑乱のさなかに置かれ、音を聴いているという意識ではなく、音に浸っているというリスニングの最も深い場所、深淵へといざなわれていかざるを得ない。次いでいえば、1982年の時点でドローン音楽の現代的な技法も確立されている。「Expert 5」のアウトロを参照。

 

この世には、録音場所の空気感を吸収したアルバムというのが存在する。ライブ録音でも稀にあるが、音源自体に独特な緊張感が含まれ、スタジオや録音場所に漂う「気」、西洋風に言えば、「アトモスフィア」をかたどったものである。そして、未発表音源集『September 23rd』はこれに該当する。このアルバムの音楽に触れてみると分かるように、音源の40分の時間の中には、奇妙な「夜」の空気感が流れている。 それも、まったく人の寝静まった刻限、誰もが眠っている時間、そういった時間に人知れず、ピアノでレコーディングを行ったような雰囲気が漂う。ダンボ地区はブルックリンの高級住宅街で、中世の英国的な建築様式が目立つ地域だ。まるで彼のピアノの演奏、そしてその果てにゆらめく幻惑的なアンビエンスは時を越え、2024年の私たちのいる地点に蘇ってくるように思える。もしくはその音楽は、私達をバシンスキーがアパートメントに住んでいた1982年のブルックリンに押し戻すようなイメージの換気力がある。

 

音楽自体から何を読み取るのかはそれぞれの特権であるが、この音楽は少なくとも形而下にある意識の基底を流れている。それはダリのシュールレアリスムの一貫の表現にあると言え、物質的な時間に存在するかどうかも定かではない。多くの作曲家は、概して音楽が絶えず物質的な時間や領域に存在すると考えているが、部分的には誤謬であろう。バシンスキーの音楽は、睡眠の前の意識の内部の底、日頃、明晰な意識を持ち暮らしているときには見えない意識下の時間の底を流れていく。そして、その中で、誰も知らぬ、誰もいない時の中にある非物質的な世界を作り上げている。彼が作り出す音楽は、一般的な明晰意識に存在せず、その内側にある深層心理の領域に鳴り響く。見方を変えれば、彼は形而上にある音楽を作り上げたとも言える。


音楽自体は一つのモチーフを基に構成される変奏曲で、これもまたバシンスキーの長年の主題でもある。しかし、テープディレイや音の細かなコラージュによって、 最初の主題は驚くべき変遷を辿る。その音楽を順を追って聴いていくと、最初のテーマは、「Expert9」において全然別の音楽に変わっている。最初の構成自体を組み換え、別の音楽に変遷していく際、モチーフが刻まれたり、別のシークエンスに移動することもあるが、調性や最初のモチーフは一貫して維持されている。それは音の時間性を薄める試み、もしくは本来の禅や密教のような時間の概念「時間の流れは本来存在せず、円環を描く」という概念を音楽を通じて実践しているとも言える。「時間は未来から現在に流れる」という考えもチベットにあるように、西洋主義的な気風を残しながらも、実際の音楽には、キリスト教的な倫理とは明らかに異なる概念も読みとける。実際的に、逆再生の処理がテープディレイと合わせて組みこまれている場合があり、これがアシッド的な感覚とトリップ感覚を呼び起こし、時間を超越するような奇異な感覚を覚えさせる。言ってみれば、タイムワープするようなSF的な面白さも感じることが出来るのではないか。

 

ミニマリズムの作曲家であるジョン・アダムスさんは、かつて自身の作風を「ミニマリズムに飽きたミニマリスト」と少し自虐的に評したことがあったが、ウィリアム・バシンスキーの場合は対象的に、ミニマリズムの技法を徹底して先鋭化させている。そして、反復的な音楽というのは、得てして無機質になりがちだ。それは電子音楽に近づけば近づくほど顕著になる。しかし、ウィリアム・バシンスキーは、人間的な感覚を失わず、中世ヨーロッパ的なノスタルジアとペーソス、近代と現代をつなげる概念を元に、実験音楽の知られざる領域を開拓している。


これがなぜ可能だったかといえば、ブルックリンのダンボ地区が中世ヨーロッパ的な雰囲気を持つ一角だったからではないかと推察出来る。名プロデューサー、ジャック・アントノフが指摘するように、録音された場所が作品自体に「大きな影響を及ぼす」ことがある。これぞまさしく、1982年9月のブルックリンの空気感を反映させた世にも奇妙な作品だ。そしてもちろん、それは彼のアパートの階下の友人、ジョン・エパーソンが録音の機会(カセットデッキ)を提供しなければ、後のバシンスキーの作品、及び名作群は世に出ることはなかったかもしれない。

 

 

96/100