New Album Review:  Bibio 『Phantom Brickworks』(LP Ⅱ)

 Bibio 『Phantom Brickworks』(LP2)



Label: Warp

Release: 2024年11月22日

 


Review     

 


これまでフォークミュージックとエレクトロニックを結びつけた”フォークトロニカ”の作品『Sleep On The Wing』(2020)、チルアウト/チルウェイヴを中心にしたクールダウンのためのダンスミュージック『All This Love』(2024)、他にも、ギター/ボーカルトラックを中心にAORのような印象を持つポピュラーアルバム『BIB 10』など、近年、ジャンルや形式にとらわれない作品を多数輩出してきたBibio(スティーヴン・ジェイムス・ウィルキンソン)は、EDMと合わせてIDM(Intelligence Dance Music)を主体に制作してきたプロデューサーである。

 

実際的に他のヒップホップや近年のダンスミュージックを主体とするポピュラー/ロックでは、 生のギター等をリサンプリング(一度録音してから編集的に加工)する手法はもはや一般的になりつつあるが、Bibioは2010年頃からこの形式に率先して取り組んできた。当初、それはダンスフロア向けのディスコロックという形で表に現れることがあった。2011年頃のアルバムにはロック的な作風が顕著で、これはBibioが一般的なロック・ミュージックの流れを汲むことを印象付ける。少し作風が変化したのが、2013年頃で、当時、2000年代のグリッチ等のダンスミュージックと並行して台頭したmumに象徴付けられるフォークトロニカの作風に転じた。以降は、単一の作風にとらわれることなく、多作かつバラエティの幅広さを示してきた。

 

「Phantom Brickworks」は、Bibioによる連続的な作品で、散発的なライフワークとも称すべき作品である。当初はギターやピアノ等のコラージュ的なサウンドを主題にしていたが、今作ではアンビエント作品に転じている。ボーカル、ピアノ、シンセテクスチャーなどを用いて、王道のアンビエントが作り上げられる。先日、エイフェックス・ツインの『Ambient Works』が再編集盤として同レーベルから発売されたばかりだが、それに近い原始的なアンビエントの位置づけにある。しかし、例えば、エイフェックス・ツインの場合は、プリペイド・ピアノのような現代音楽の範疇にあるコンポジションが用いられたとしても、アーティスティックな表現に傾倒しすぎることはなく、一般的な商業音楽の性質が色濃かった。これは私見としては、このプロデューサーの作品自体が機械産業のような意味を持ち、一般的に親しめる音楽を重視していたのである。「アンチ・アート」と言えば語弊となるが、それに近い印象があり、アートという言葉に絡め取られるのを忌避していた。しかし、対象的に、Bibioの『Phantom Brickworks』は、ダンスミュージックのアートの要素を押し出している。クラブビートが非芸術的であるという一般的な観念を覆そうという興きを、このアルバムの制作には見出すことが出来るかもしれない。


スティーヴン・ウィルキンソンは、この作品の制作に際して、イギリスの各地を訪れ、かつては名所であった場所が衰退する様子を観察し、それらを音源として収録した。いわば、ウィルキンソンは時代と共に消えていく風景をその目で確認し、土地に偏在するエーテルのようなものを、時にはその名所が栄えた時代の人間的な息吹を、電子音楽として描写しようと試みている。


これは例えば、印象派の絵画等では一般的に用いられるが、ウィリアム・ターナーの系譜に位置づけられる描写音楽である。人間は一般的に、ある種の建築的な外壁、その場所に暮らす人々を見たとき、時代性や文化性を明確に発見する。でも、それとは対象的に、すでに朽ちた遺構物や廃墟等を目の前にしたとき、それが最も栄えた時代の圧倒的な感覚に打たれる瞬間がある。古代ローマの水道橋、カエサルの時代の遺跡、コロッセウムなどが、それに該当する。しかし、なぜ驚異なのかと言えば、我々の住む時代の建築よりも遥かにその時代の遺構物の方が本質的で魅力的であるからなのだ。そして、現代的に均一化された構造物に慣らされた感覚から見ると、いかに旧い時代の遺構物が圧倒的で創造的であるかに思い至るという次第なのである。

 

このアルバムの音楽は、人工的な廃墟、ないしは工業生産的にはなんの意味ももたない海岸沿いの侵食された地形、岸壁など、イギリスの海岸地域の固有の旧い美しい風景や、また、都市部から少し離れた場所にある田舎地方の奇妙な風景がサウンドスケープで描かれているようだ。アルバムの冒頭を飾る「Dinorwic」は、制作者がイギリスの土地で感じたであろう空気の流れが表現され、それを抽象音楽として描写したものと推測される。しかし、それは追体験のようなカタルシスをもたらすことがある。これは、実際的に高原や海岸のような開けた場所に行ったときに感じる精妙な感覚とリンクする。それは制作者の体験と利き手側の体験が一致し、実際的な体験が重なり、共有される瞬間を意味するのである。更に、「Dorothea’s Bed」では、ボーカルのリサンプリングを用い、アートポップに近いアンビエント/ドローンを提供している。米国西海岸のGrouper、あるいは、ベルギーのChristina Vanzouの系譜に位置づけられ、アンビエント/ドローンをオペラやボーカルアートの切り口から解釈した新鮮な雰囲気のトラックである。

 

10年以上にわたり洗練させてきた制作者の作曲における蓄積は、遊び心のある音楽として昇華されることもある。例えば、「Phantom Brickworks」は、フランスのサロン音楽をサンプリングとして落とし込み、フランス和声の革新者であり、アンビエントの始祖とも称されるエリック・サティが、モルマントルの「黒猫」で弾いていたサロン音楽とはかくなるものではなかったかと思わせるものがある。調律のずれたアンティーク風のピアノが断片的に散りばめられると、「Gymnopédies(ジムノペティ)」は現代的なテイストを持つパッチワークの音楽へと変化する。対象的に、「SURAM」ではエイフェックス・ツイン、Burialのように、ボーカルのサンプリングをビートやパーカッションの一貫として解釈し、コラージュ的にノイズを散りばめて、ベースメントのクラブビートに触発されたトラックに昇華している。2010年代のBig Appleを中心とするダブステップの原初的なコンポジションを用いているのに注目である。

 

田舎的な風景、都市的な風景を交互に混在させながら、アルバムの収録曲は続いていき、「Llyn Peris」では再び、田舎を思わせるオーガニックなアンビエントに回帰している。この曲では、例えば、Tumbled Seaといったアーティストが無償でドローン音楽を提供していた時期の作風を彷彿とさせる。ドローン音楽を2010年代前後に制作していたプロデューサーは商業的な製品ではなく、ヒーリング音楽のような形でインターネット上で前衛的な作品を無料で公開していたことがあった。ドローンは、近年、他のジャンルとの融合化が図られる中で、徐々に複雑化していった音楽であるが、それほど複雑なテクスチャーを組み合わせないでも、ドローンを制作出来ることは、この曲を聴いてみるとよくわかるはずである。「Llyn Peris」の場合、パンフルート系の簡素なシンセ音源をベースにして、反響的な音楽の要素を抽出している。

 

ウィリアム・バシンスキーの系譜にあるピアノのコラージュを用いた曲が続く。「Phantom BrickworlsⅢ」では、おそらく、ピアノのフレーズの断片を録音した後、テープリール等で逆再生を用いて編集を掛けたトラック。これらの作風はすでにウィリアム・バシンスキーがブルックリンに住み、人知れず活動していた80年代に確立された次世代のミュージック・コンクレートの技法であるが、ミニマル・ミュージックとコラージュ・サウンドの融合という現代的なレコーディングの手法が用いられているのに着目しておきたい。これらは、本来アートの領域で使用されるコラージュと音楽の録音技術が画期的に融合した瞬間であり、電子音楽が本来の機械工学の領域から芸術の領域へと転換しつつある段階を捉えることが出来るかもしれない。


コラージュ・サウンドの実験はその後も続き、「Tegid's Court」では、オペラのようなクラシカルの領域にある音楽と電子音楽を融合させる試みが行われている。ピアノの演奏をハープのように見立て、それに合わせてボーカルが歌われる美しい印象を持つコラール風の曲である。その後、再び、情景的な音楽が続く。「Brograve」、「Spider Bridge」の二曲では、バシンスキー、ギャヴィン・ブライアーズの音の抽象化、希薄化、断片化という音響学の側面からミニマルミュージックを組み直すべく試みている。アルバムのクローズ「Syceder MCMLⅩⅩⅩⅨ」では、逆再生を用いながら、遺構物に相対したときのようなミステリアスな感覚がたちあらわれる。

 

 

82/100

 

 

 「Dorothea’s Bed」