New Album Review: Rafael Anton Irisarri  『FAÇADISMS 』

Rafael Anton Irisarri  『FAÇADISMS 』

Label: Black Knoll Editions

Release: 2024年11月8日



Review     創造とは何を意味するのか? 



結局のところ、音楽における創造性の多寡を見極めるのに不可欠な指針となるのは、その創造性の発露となるものが、単なる模倣的な二次表現に留まらず、(制作者の)自己を超越するための重要な機会となっているのか。より端的に言えば、以前の音楽の系譜や作品をしっかり咀嚼した上で、それをオリジナリティの高い作品としているのか、ということに尽きるのではないだろうか。例えば、J.Rimasという専門的な研究家が今年発表した論文「The Concept of Creativity and its Importance For Musical Expression』(2024)において、著者は、リトアニアの作曲家のイグナス・プリエルガウスカス(Ignas Prielgausukas)の言葉を引用し、「古くから決められていることに満足する者たちは、模倣の道を歩み、創造性を放棄している」と指摘している。

 

つまり、模倣や引用に過ぎないものが、生産的な意味を持つことは稀であり、それは大量のコピー製品を製造していることを意味する。また、最低限の創造性を乗り越える上では、原初的な体験や経験等を通して培われた感受性を発露する必要があり、なおかつ、制作者の技術や知識が対象物の本質を知るために駆使されなければならず、さらにいえば、音楽的な表現が単一の自己の世界の反映だけにとどまらず、他者とのコミュニケーション、イメージの共有という意義を持つ必要がある。これらに該当しなければ、「創造未満の何か」と呼ぶよりほかない。こういった音楽とは言いがたい商品が世の中に氾濫する一因としては、音楽の大衆化により、模造品が大量に生産され、常識下に留まることや模倣を良しとする社会的な風潮が一役買っているのである。

 

おそらく、ニューヨークの実験音楽シーンを代表するプロデューサー、ラファエル・イリサリはその限りではない。このアルバムを聞けば瞭然ではないか。表向きのアウトプット方法こそ、エレクトロニックを中心とするアンビエント、要するに抽象音楽なのだが、その始まりは、ヘヴィメタルのような音楽を聴き、それらを幾つかの実験音楽のフィルターに通して、さらに自らのミックス/マスタリングの高い技術を駆使し、独自の音楽表現として昇華するのである。

 

アントン・イリサリの音楽には、ブラック・メタル、ドゥーム・メタルといった、かなりマニアックな音楽の引用を感じることがあるが、たとえギターが使用されることがあっても、独創性の高いスタイルの音楽が組み上がる。そして例えば、プロデューサーの音楽に歌詞がないからと言え、概念や言葉に乏しいというわけでもない。イリサリの音楽には、時々、資本主義に対する風刺的な暗喩や政治的な主張性が、言葉ではなく、音の流れの中に組み込まれている。一見すると、無機質な電子音楽のように感じられるかもしれないが、意外なことに、感覚的なものがしっかり組み込まれ、そして珍しいことに、琴線に触れる瞬間も含まれているのである。

 

制作はニューヨークのプロデューサーがイタリア・ツアーに行った時期に始まったという。ミラノの 「il Mito Americano」(「アメリカン・ドリーム」という意味で、英語に直訳すると「アメリカの神話」)という名の食堂の言語的な不具合(看板?)が、コンセプチュアルかつ音楽的な一連のアイデアに火をつけた。2020年の混沌の中、ブルータリズム建築の荒涼とした世界を探求し、「FAÇADISMS」というヴィジョンが作り上げられた。およそ3年の歳月をかけて作曲されたこの作品は、「煮えたぎるような電気的な落胆に満ちた後期資本主義の嘆き」であるという。そして最近のアルバムのようにディストピア的なイメージを持って始まるが、それと同時に、そのディストピアの向こうに、ぼんやりとユートピアが浮かび上がってくる瞬間がある。

 

アルバムはノイズ/ドローンを中心とする抽象的な楽曲「Broken Intensification」ではじまり、巨大な共同体や構造物が崩壊していく過程がサウンドテクスチャーによって組み上げられる。旧社会の常識や規範であると看過されていた構造全体が少しずつ崩壊していくような瞬間がサウンドスケープによって巧みに表現されている。この曲は、アーティストが2010年代にかけて追求していた、荒野に象徴付けられる旧約聖書の黙字録的な世界観の集大成でもあろう。まるで、それは例えるなら、人類が打ち立てていったバベルの塔の崩落の瞬間が刻印されているとも言える。この端的なトラックに、ジャック・アタリのような資本主義に関する暗喩が含まれていると考えるのは行き過ぎだろうが、幻想的なものと現実的なものがないまぜとなり、およそラファエル・イリサリしか作り得ないであろうフリューゲル的な世界観が打ち立てられている。

 

2010年代にはディストピアを予見させる異質な世界観を鋭いノイズ性と合わせて表現してきたアントン・イリサリであるが、近年、それらの対極に位置する天国的、祝福的な音楽性が顕現するようになった。西洋的な美学としては、「コントラスト」という概念があらゆる美術形態の基礎となったというのは、ボローニャ大学のウンベルト・エーコも指摘していたが、イリサリは、この対比性という要素を上手く活用して、西洋的な観念を作品に取り込もうとしている。また、生楽器を録音し、リサンプリングするという方法は「A Little Grace Is Abundance」に見出すことが出来る。この曲は複数の段階に分割され、前半部では、ドローン/ノイズアンビエント、一方の後半部では、ギターのリサンプリングを用いた音響系の音楽へと変化していく。さらに、ランタイムごとに少しずつ情景的な変化があり、曲の最後では、クワイアのサンプリングによってミュージック・コンクレートの技法が用いられ、祝福的な音楽性が登場する。

 

また、チェロのジュリア・ケント、ヴォーカルのエリザベス・コックスをフィーチャーした「Control Your Soul's Despite For Freedom」では、プロデューサーの重要な音楽性の一つである「混沌ーカオス」という概念が登場する。例えば、経済学者のジャック・アタリは「ノイズ」という概念について、原罪的なものや暴力的なものと定義付け、「それらに調和をもたらすために音楽が発生した」と指摘している。(また、楽譜出版、録音、ライブといった時代ごとの音楽形式の変化とともに、ノイズの概説的な意味もまた徐々に変化していったということも指摘している)


そして、この曲には、ノイズという概念の原初的な意義が表されているような気がする。それは言い表しがたいが、「世の中に混沌をもたらすノイズの現象中にある調和」という非常に難解な概念を読み解けるのだ。これは二元論を超越し、「善と悪」を始めとするキリスト教的な原理主義の観念を乗り越えるための手助けをする。(世の中には対極的な二つの考えのほかに、「中庸」という概念が存在する)そして、結果的に、一般的には醜悪な要素とされているノイズの原初的な意味が転化し、本来は醜いはずのものが美しい印象に縁取られる稀有な瞬間が刻印されている。これはアンビエントが経過的な段階を持たぬという一般的な定説を覆すものである。

 

曲の中においても時間的な経過や音楽の変化といった多彩な段階が示されるが、アルバム全体でも徐々に音楽的な印象が変化し、楽曲とアルバムの相似形を形づくる。ディストピアな印象を持つ序盤とは正反対に、後半の収録曲では、 ユートピア的な印象に縁取られていく。これは言ってみれば、地獄から煉獄、そして天国にかけての旅行のようでもあり、また、それらが概念的な表現を通じて繰り広げられていく。「The Only Thing that Belongs To Us Are Memories」は、エイフェックス・ツイン、ティム・ヘッカーのノイズ/ドローンの系譜に属しているが、一方では、最初に述べたように、ミステリアスな印象を持つアンビエントの音像の向こうから天国的なサウンドスケープが浮かび上がる。この曲では、他曲と同じように、明確な言語は出てこないが、確実に音楽が言語以上のメッセージの役割を果たし、啓示に近づいているのである。そして珍しく、この曲では感情的なシークエンスが最後に登場し、やや泣かせるものがある。

 

しかし、ステレオタイプの音楽にはならず、予想を裏切るようにして曲が続く。例えば「Forever Ago Is Now」では、ポスト・ロックや音響派のアプローチを図り、Explosions In The Skyのような映画的なギターロックのコンポジションを採用している。それらがストリングスのリサンプリング等の手法を用い、ドローン・アンビエントへと昇華されている。そして音楽は、更に抽象的になり、明確な意味を持つことを放棄する。つまり、当初は概念的であったものが、そういった現実的な領域を離れて、混沌とした生命の原初的な領域へと還っていくのである。

 

もちろん、アルバムでは、地上的な概念が暗示されることもあるが、制作の一番の意図は、生命の神秘的な領域、あるいはその一端に触れるということではないだろうか。「Dispersion of Belief」、「Red Moon」ではプロデューサーらしいと言うべきか、ノイズの形式を通して、「カオス」を描出している。それは地上的な何かを表したというよりも、宇宙的なワンネス、もしくは、根源的な生命の神秘へ迫るというような意義が込められている。むしろ本作の音楽は、アンビエントというより、スピリチュアルジャズやフリージャズに近い文脈に属するように思えた。

 

 

86/100